2DAY・11
目の前では、喧騒と秩序の中、水竜の大祭が進んでいく。
祭りが始まってすぐ、あまり人が多くない頃に儀式を済ませてしまったので、目の前で行われる水竜の大祭をぼんやり眺めている。
思いのほかあっさりと儀式が終わってしまったので、本当にあとは前夜祭が終わるまでここに座りつづけなくてはいけないらしい。それはそれでちょっとした拷問のような気分。
ウィズと村長様との間で何らかの話し合いがあったんだろうけれど、本来なら一番最後に行う、水竜の祠の前に作られた小さな祭壇に村の代表が供物を捧げるという儀式を、村人の誰よりも先に行って、その時に水竜の巫女になるための儀式も済ませてしまった。
だから実際に二つの儀式を行うことに違和感を感じさせる間もないまま、ごく普通に水竜の大祭の前夜祭が進んでいく。
それぞれ手には供物を持って、この広場に集まってくる。
今朝、水竜の祠に行った時には全く人影がなかったというのに、今は沢山の人で溢れている。
いつもと違うのは、これが水竜の巫女の誕生の儀式も含まれていること。
そして祭事を司る祭宮が列席していること。
ウィズ、祭宮が視察にくるということが事前に知らされていたせいだろうか、いつもの年よりも知らない顔が多い。
それは祭宮をお迎えするために相応しい祭りにする為に、巫女誕生の儀式を行うのに滞りがないように、近隣の村から人が手伝いに来ているせいもあるし、一目祭宮を見ようと来た人たちがいるせいかもしれない。
年に一度のこのお祭りは、村が一番活気付く時でもある。
既にお酒の入った顔の人たちの姿も多く、そこら中で歓声が上がったり、笑い声が聞こえてくる。
水竜に今年一年の豊年を願うということよりも、純粋に楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。
本当なら、あの中で一緒に騒いでいたのかもしれない。
あの騒ぎを遠巻きにするしかなく、据えられた席でおとなしく見守っているしかない。
カラとルアと三人、いつも馬鹿みたいに大騒ぎをしていたというのに。
人の人生なんてどこで変わるかなんてわからない。
ふう。
目の前で広がる楽しげな光景を見ながら、溜息をつく。
祭壇がよく見えるように、高台の上に据えられた席から見ていると、本当に別世界の出来事のようにすら見えてくる。
周りを取り囲むように立っている兵士たち。
額の汗を拭いながら、笑顔を作り続ける村長。
ひな壇の中央で涼しい顔で、時折笑顔を見せる祭宮。
表情一つ変えず、黙って座っている神官。
そして、私。
みんなチラチラとこっちを見るけれども、遠巻きにしているだけで、誰も近付いてこない。
はあ。
気が重いなあ。
巫女になる為の儀式をしているのに、私の心の中には巫女になろうっていう明確な意思は見えてこない。
ルアはどうしているんだろう。
目に付くところにはいないけど、こうやって座っている姿をどこからか見ているんだろうな。
私、逃げてばっかりだ。
巫女からも。ルアからも。
もしもウィズが水竜の神殿に着くまでは決めなくていいって言ってくれなかったら、儀式にすら出ようとしなかったかもしれない。
背を押してくれなかったら、私はあの場所から立ち上がることすら出来なかったと思う。
隣に座るウィズに目を向けると、にこっと笑いかけてくる。
ドキっと心臓が音を立てる。
あんまりにも優しい笑みで、そんな風に微笑まれるなんて予想すらしていなかったから。
ドキドキドキと鳴り響く音には気付かないフリをして笑い返し、また祭壇のほうを見る。
「ササ」
ウィズがそっと声をかけてくる。人に気付かれないような小さな声で。
横目で見るけれど、ウィズの顔は祭壇に向けられたままで、祭宮の顔を崩してはいない。
「俺がササに何かを言うのもこれで最後にする」
かがり火の明かりに照らされたウィズと同じように、目線を祭壇とその奥にある水竜の祠に戻し、聞き逃さないように耳を澄ます。
「どんな決断をしようとも、人の世では何も出来ない水竜に代わり、俺がお前を守るよ」
小さく呟くような声が、祭りの騒ぎにかき消されそうになる。
それでもはっきりと耳に届く。
ウィズの確固たる意思が。
祭宮として言っているのか、それともウィズ個人として言っているのか、わからない。
きっと聞いても教えてくれないだろう。
涙腺が弱くなっているのか、視界が涙でぼやけてくる。
どんな道を選ぼうとも、きっと居たたまれない気持ちになることがウィズにはわかっているのかもしれない。
「手伝うって言ったのに、何もしてやれなくてごめん」
また泣きそうになっていることを気がつかれないように、髪を掻き揚げる素振りをして涙を拭う。
「そんなこと無いよ。ウィズが祭宮様でよかったと思っているよ」
心の底からそう思う。
不安を見抜き、迷いに気付かせ、巫女になるのは必然ではないことを教えてくれた。
そして、忘れたふりをしていた感情を呼び起こした。
「泣かせて、ごめんな」
思わず苦笑してしまう。
「ウィズのせいじゃないから、謝らないで」
本当に、ウィズのせいじゃない。
見ないように、考えないようにしていた事に直面して、どうしようもなかった。
ルアのことから逃げて、その結果があんな泣き方をすることになってしまった。
それをウィズに見られたことも恥ずかしい。
ウィズには、なんだか今日一日、みっともないところばかり見せている気がする。
「色々聞いてくれて、話してくれてありがとう」
返答がないので、ウィズはもう話すつもりはないのだろう。
もう、次に話すときには祭宮のカイ・ウィズラール殿下になっているんだろう。
本当に、誰にも頼らずに、自分だけで全てを決めなきゃ
「祭宮様。もしよろしければお召し上がりになりますか?」
聞き覚えのある声に振り返ると、カラがウィズにむかって話し掛けているところだった。
そっとカラに目配せをするけれど、全然気が付く気配が無い。
「これは?」
「この村で取れた物で作ったお酒です。祭りの時には必ず振舞われるんです」
「そうですか。ありがとう」
にっこりと、いかにも人のよさそうな顔でウィズが笑って、カラの持っているお盆からグラスを受け取る。横目でその動作を見ていると、ウィズと目が合う。
「サーシャ殿も飲みますか?」
サーシャ殿って……。本当にすっかり祭宮モードに入っているみたい。この人の切り替えの早さは、本当にすごいなと思う。
「ササの分もあるよ」
カラが緊張で引きつった顔をしながら、グラスを差し出してくれる。
「ありがとう。カラ」
カラの手からグラスを受け取ると、その手が少し震えているのがわかる。
祭宮のウィズに対する緊張からなんだろう。でも、今までどおりササって呼んでくれるのが嬉しい。
「カラ、あのね……」
カラと少し話をしたくて話し掛けたものの、カラは村長のほうに行ってしまって、声は届かないみたいだった。
なんとなく行き場が無くなった気持ちをもてあましながら、グラスのお酒に口をつける。
村で取れた葡萄から作られたお酒は、甘くって美味しい。
その甘さがふんわりと体の中に広がる感じがしてくる。
カラが村長にグラスを渡して、祭りの喧騒の中に消えていくのを、ついつい目で追ってしまう。
別に何か話したいことがあったわけじゃないけれど、なんとなくカラと話したかった。
「先ほどの方に何かお話があったのですか?」
ホント、あんた一体何者なの? って素で聞き返したくなるくらいの切り替え具合で、不愉快さすら感じる。昼間のほうが異常だったんだけれど、距離を取ろうとしているかのように感じる。
「いいえ、祭宮様。特にはありません」
極力感情を殺して、淡々と話すように心がける。
そうだ、相手は祭宮様なのだから。
何でも話せる相手なんかじゃない。この人は最初から遠いところにいる人なのに、錯覚していただけで、こうやって距離感を保って話すのが普通なんだ。
それなのに、どうしてこんなに不愉快な気分になるんだろう。
突き放されたような、壁を意図的に作られたような感じがして、それがたまらなくもどかしい。
「そうですか。もしも何かあるのでしたら、彼女のところに行っても構いませんよ」
「え?」
ウィズのほうに顔を向けると、顔が笑っているようにも見える。
「前夜祭のほうも大体説明して頂きましたし、あなたの儀式も終わりましたから、祭りを楽しんできて下さい」
「え?」
思いがけない言葉に、相手が祭宮様ということも忘れ、素で聞き返してしまう。
だって、誰にも会っちゃいけないし、話したりしたらいけないはずなのに。
そんな疑問を知ってか知らずか、ウィズに持っていたグラスを取り上げられる。
何で。とか、どうしてって言葉が頭の中に浮かぶけれど、それをうまく伝える言葉がわからない。
何て伝えたら失礼にならないんだろう。
「気分転換も必要でしょう」
そう言うと、ウィズは祭宮の笑顔を浮かべる。
その笑顔に後押しされるように、椅子から立ち上がり、カラの後を追う。
背中にウィズの視線を感じる。
ウィズと村長が話す声が聞こえるけれど、内容まではわからない。
長い裾を持ち上げながら、カラが歩いていった方向へ走り出す。
こんな動きにくい服装じゃなかったら、もっと早く追いつけるのに。