2DAY・10
ウィズの姿が視界から消えて、足音が二つ、ドアの向こうに遠ざかる。
気持ちと同じくらい重たくなっている頭を上げ、ドアの傍に置いてある箱を見る。
これを持っていたルアはどんな気持ちだったんだろう。
傷つけたくは無いのに、きっと傷つけてしまった。
二人で話す機会も拒否してしまった。
まるでルアの全てを拒否するかのように、顔を見ようともしなかった。
ルアが持っていた箱を手にとると、不思議と涙が出てくる。
ごめんね。本当にごめんね。
いくら拭っても、涙が止め処なく落ちてくる。
これを着るという事は、水竜の巫女にまた一歩近づくこと。
巫女になれば、ルアには会えない。
巫女にならなくても、この村にいる限りは、もうルアに会えない。
子供の頃からずっと一緒だった。
あの日、ルアが村を出るまでずっと。
短気で、単細胞で、人の気持ちなんて全然わかってくれないけれど、でもいつも一番傍にいてくれたのはルアだった。
涙は止まらないし、箱を開ける勇気がなかなか出てこない。
胸の中は後悔でいっぱいで、もう前になんか進めない。
箱の上には涙の跡が点々とついていく。
どうしたらいいの。
この箱を開けて、巫女になるための儀式をすればいいの。
それともこの箱を開けずに、今巫女になることを辞めるの。
どっちも選べない。
私にはどちらも選べないよ。
教えて。誰か教えて欲しい。
涙を堪えようとすればするほど、涙が大粒になり、嗚咽を押さえることすらできない。
声が聞こえたら、きっと外の兵士に気付かれてしまう。
床に座り込み、両手で顔を覆い、声が漏れないようにする。
それでも、どうしても涙が止められない。
押し殺している声が、自然と指の間から漏れていく。
気付かれないようにしなきゃ。
こんな風に泣いているなんて、みっともないよ。
でも、でも……。
カチャっと、ドアノブを捻る音がする。
ノックもしないで、人が入ってくる。
もしも着替え中だったらどうするのよ。
そんな責めるような言葉が浮かんできて、ドアのほうを睨みつける。
睨みつけたのはドアじゃなくてウィズで、ウィズは静かにドアを閉める。
「ササ、こっち」
手を引かれ、ソファに座らされる。
何も言わず、ウィズは黙って横に座っている。
涙が引くのを待つかのように。
ウィズはどう思っているんだろう。
私のこと、情けないって思っているかな。くだらない事で悩んでって。
ウィズにはこんな姿、見られたくなかったのに。
必死に顔を袖でこすり、無理やり涙を止めようとしてみる。
「辛いよな」
ウィズの優しい言葉に、また涙が溢れてくる。
短い言葉なのに、全部わかっているよって言われたみたいで、声を上げて泣きそうになる。
でもそんな、みっともないこと出来ないから、天を仰ぎ両手で顔を覆う。
どんなに歯を食いしばって我慢しても、涙が止まらない。
「辞めるか」
静かにウィズが呟く。
辞められたら、どんなに楽だろう。
でも辞めることも選べない。
ぐしゃぐしゃの顔のまま、顔を横に振る。
「お願い。水竜の巫女になれって言ってよ」
涙声で訴えると、ウィズは苦しそうな顔をする。
「言えるわけないだろう。俺は、全てを見守るために来たって言っただろう」
瞬きをすると、涙がまた落ちる。
ポタン、とウィズの手の上に。
「ササ、お前にしか選べないんだよ。巫女になるか、ならないかは」
うんうんと、首を縦に振る。
「見ているだけっていうのも辛いもんだな。他人の一言でササの意思が変わらないように、その為に人を遠ざけたのに、俺が余計なことを言いそうだ」
「余計なことって……?」
問い掛けた声が鼻声になって、うまく喋れない。
「余計なことは、余計なことだよ」
苦笑し、ゆっくりとウィズはソファから立ち上がる。
そして窓際に立ち、カーテンを少し開け、外の様子を伺う。
もうすぐ、月の支配する時間がくる。
水竜の大祭が始まる時間が、迫っている。
「今選ばなくていい。水竜の神殿に着く、その時まで」
カーテンを閉め、ウィズが振り返る。
「辞めることも選べないなら、儀式に出な。後で巫女になりたかったって後悔しないように」
ドアの傍まで歩いて、ルアが置いていった服の箱を手に取る。
箱を持って目の前に立ち、すっと目の前に箱を差し出す。
無表情なウィズの顔からは、何を考えているのか、さっぱり読み取れない。
目線を箱に移し、大きく息を吐いてから、箱を受け取る。
「外で待っている」
ウィズはそれ以上何も言おうとはせず、くるりと背を向けてドアの向こうに消えていった。
手渡された箱の中に入っていたのは、おそらく神殿で用意してくれたものだろう。
幾度と無く見たことがある、巫女様がお召しになっているものとよく似ている服だった。
これを着ることに躊躇いがないわけじゃない。
でも巫女にならないことを選べない今、これを着なければ、後悔するかもしれない。
まだ決められないなら、ぎりぎりまで悩んでもいいのなら、今は着よう。
そして儀式に出よう。