2DAY・9
自分の考えに没頭してしまって、すっかりウィズの存在を忘れていたので、ドアのほうを振り返ると、まだ兵士と話していたのでほっとする。
考え込んでいる姿を見られなくて良かった。
ウィズが見たら、また何を考えていたのかと詮索されそうで、それもちょっと嫌だから。
本当は自分で決めないといけないのに、ウィズに頼ってしまいそうだし。
目の先にある窓のカーテンは閉められていて、外の様子はうかがうことが出来ない。
もうそろそろお祭りは始まる頃だろうか。
カーテンに遮られているものの、空が真っ赤に色付いている。この部屋に呼ばれた時には、まだ陽が傾きはじめたばかりだったのに。
もしかしたら随分長い間、物思いに耽ってしまっていたのかもしれない。
あの陽がもう一度昇るとき、ちゃんと選べているのかな。
「殿下、大変お待たせ致しました」
感傷に浸っていると、現実に戻す声が聞こえてくる。
その声は間違いなく、今一番会いたくない人の声。
全身に緊張が走り、体中の血が引いていく感覚がする。心臓の鼓動が早くなり、ドアを振り返ることすら怖い。
確かめられない。もしも振り返って、本当にそうだったら、嫌だ。
「遅いぞ」
太い声が響き、体がびくっと飛び跳ねる。
ドアを開けてくれたあの兵士の声だろう。
「ギー。急に頼んだのだから仕方がない、そう言うな」
「は。殿下」
意識が背中に集中して、一言一句漏らさず聞こうと、そしてここにいるのがわからないようにと、息を潜めてしまう。
「それを中に。ギー、引き続き頼むぞ」
「はっ。殿下」
中に、入れ?
ドアの金具の軋む音がして、更にドアが開けられたのだとわかる。
人が入る気配もする。
足音が近づいてくる。
近づいてくる足音は一つ。
ウィズだけが部屋の中に入ってきたようだ。
俯いていた顔を少し上げると、ウィズが目の前のソファに座る。
「そんなに緊張しなくたって大丈夫だって」
「う、うん」
口の中が妙に乾いて、それ以上言葉が出てこない。
一度、唾を飲み込みウィズの顔を見ると不思議そうに首をかしげる。
「俺と二人でいるときは、そんなに緊張しないのに、変なヤツ」
そういって苦笑するので笑い返そうとするけれど、顔が引きつってうまく笑えない。目をあわせることも出来ない。
「どうした? 体調が悪いのか?」
真剣に心配をしてくれているらしく、ウィズの手が額に触れる。
ウィズの手が額に触れた瞬間、体が強張る。
巫女候補だから、儀式をこなせなくなることに心配しているんだろうけれど、でも祭宮のウィズに触れられているのかと思うと、どうしても緊張してしまう。
ひんやりと冷たいウィズの手。
でもそれよりももっと、体中が震えて冷たくなっている気がする。
「大丈夫。色々考えてただけだから。心配しないで、ウィズ。大丈夫だから」
間近に見るウィズの瞳が、本当に不安そうな色だったので、余計な心配をかけたくなかった。
まして、理由が理由だから。
それに、いつまでも至近距離でいられるのも、どうしたらいいかわからなくなって困る。
「本当に無理しなくていいからな」
手を離し、ウィズはゆっくりとソファに座りなおす。
「ササの体調が悪いんだったら、無理はさせたくないんだけれど、大祭には出てもらわないといけないんだ。なるべく早めに戻るようにしよう」
「ありがとう、ウィズ。でも、ちゃんとできるから大丈夫だよ」
「ああ、そうだな。きっとササなら出来る。でも終わり次第戻るようにしよう」
本当に心配してくれているんだなって、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
体調が悪いわけじゃないのに。
勇気付けるように言ってくれた「ササなら出来る」って言葉が、ものすごく嬉しい。
嬉しくて思わず微笑むと、やっと安心したようにウィズがホッとした顔をし、おもむろに立ち上がる。
立ち上がるウィズの表情を伺うと、目線がドアのほうに向けられるので、着替えがあるんだろうと思って振り返る。
鼓動が一段と早くなる。
両方の掌で横長の箱を持っているルアの顔もまた、強張っている。
てっきり、この部屋にはいないと思っていたのに、なぜ。
「紹介しよう。今日の大祭で、水竜に祈りを捧げてくれるサーシャだ。お前もこの村の出身だと聞いたから、知っているかもしれないが」
我に返った表情で、ルアがウィズに一礼をする。
「はい、殿下。よく存じております」
背筋を伸ばしたまま、ウィズに向かって話すルアはまるで別人のよう。
いっそ別人ならどんなにいいか。
「そうか。年も同じくらいだろうから、きっと知っているだろうとは思ったがな」
「……幼馴染です。まさか殿下とお知りあいだとは思いも致しませんでした」
「知り合い、ではないな」
そう言うウィズがこっちに目をやるので、なんて答えようか迷う。
祭宮と次代の巫女候補として今日会いましたなんて、さっきのウィズの話からも言う訳にはいかない。
私が巫女候補だって事、誰にも言っちゃいけないんだから。
どうしようと目線でウィズに訴えるものの、ウィズは何も言わない。
「ウィズラール殿下と、今朝たまたまお会いしたの。今日はじめてお会いしたわ」
声が震えそうになるのを抑えて、話しても問題ない部分だけ、掻い摘んで話す。
絶対に納得していないだろうけれど。
ウィズしかいないと思っていたから、ウィズが望むように普通に話していたのに。まさかルアがいるなんて。
異様な光景だったと思う。王都で自分の仕えている王子が、生まれ故郷の村の幼馴染と談笑しているなんて、何かあると思うのが普通だと思う。
おかしい。そう思うのが普通だ。
次代の巫女候補を心配する祭宮と、次代の巫女の会話だと説明したら納得したかしら。
でもさすがに祭宮殿下の前なので、問い詰めるようなことはしてこない。
「まあ、そういうことだ」
その一言で、ウィズが全てを片付ける。
それ以上詮索するのを許さないかのように。
「そういえば、昨日酔っ払って話していた、幼馴染へのプロポーズは済んだのか? ササも幼馴染なら、ササにもきちんと話したらどうだ」
絶句した。
ウィズにまでそんなことを言っていたの。
眩暈がして、倒れそうになる。
本当に倒れるんじゃないかと思うくらい、目の前が回ってくらくらしてくる。
ウィズもなぜ、突然そんなことを言い出すの。
これが悪い夢ならいいのに。
「大丈夫です。ササにはきちんと言いました」
少し考えるような間を置いて、さらにルアは口を開く。
「結婚して、一緒に王都に行って欲しいと」
目の前が真っ白になった。
意識が遠のくというのはこういう事を言うんだなというのを、身をもって体験した。
すぅっと体が軽くなって、思わずソファにもたれかかる。
視界が暗くなって、思わず頭を手で押さえる。
「……そうか」
驚きを隠せない声で、ウィズが呟く。
もう考えることを放棄したい。
出来るなら会わずにうやむやにしてしまいたいとさえ思っていたのに、これじゃあ何の意味も無い。
頭が痛い。
「それで色よい返事は貰えたのか?」
ウィズにまで何を言い出すのよ。
やめてよ。そんなこと、どうだっていいじゃない。
「いいえ。明日の朝まで考えて欲しいと言いました。返事はまだ」
「そうか、立ち入った事を聞いてすまなかったな」
「いえ」
この話は終わりにしようという感じでウィズが謝罪したので、ほっとした。
出来るなら、ウィズには知られたくなかったのに。
きっと私が悩んでいるのはルアのせいだって思われた。
そんな事で悩んでいるなんてバカバカしいと思われたに違いない。
情けないよ。
俯いていると、じわっと涙が浮かんでくる。
永遠とさえ思えるほど、長い沈黙が続く。
「少し席を外そうか。あまり時間は無いが」
その言葉に頭よりも先に体が反応し、咄嗟にウィズの腕を掴む。
仰ぎ見たウィズは、まるで珍しいものを見たかのように驚いた表情をしている。
でもそんなことは構わない。
「お願い! 行かないで!」
絞り出した声は自分でも驚くほど大きな声で、部屋に響き渡る。
その声にはっとし、我に返る。
「ごめんなさい」
なんて事をしてしまったのだろう。焦ってウィズの腕を放す。
ウィズの目を見ると、戸惑いの色が浮かんでいる。
その瞳が責めるようで、いたたまれなくて、また視線を下に戻す。
ウィズの顔は見られるのに、ルアの顔を見ることは出来ないでいる。
ルアを見るのが怖い。
ルアが怖い。
何もかもを揺るがしてしまいそうな、ルアが怖い。
心の中にある、巫女になりたいというほんの小さなカケラが、砕けてどこかに消えてなくなっちゃう。
「祭宮様、日が暮れると大祭が始まってしまいます」
ルアと二人で話をするのなんて、絶対にイヤ。
それに、これ以上ウィズの前でこの話をしたくない。
水竜の大祭の視察という名目で来ている以上、ウィズが遅れることは出来ないはず。
それに水竜の巫女の儀式を行うためにも、大祭には遅れられないはず。
そういった口実があれば、これ以上この状況の中にいることを回避できるかもしれない。
「ああ。そうだな」
思惑を知ってか知らずか、ウィズはあっさり了承する。
「サーシャ、服を置いておくから、すぐに着替えなさい。私たちは外にいるから」
「はい。祭宮様」