2DAY・8
神殿から持ってきた書物を読んでいると、いつのまにか日がうっすらと傾きだしていた。
今日の儀式の大半は、水竜の大祭の前夜祭にあわせて行われるので、夕方から行われるものが多い。
日中は村長と神官が行う儀式があるけれど、それには出席しなくても良かったみたい。
てっきり全部に出ないといけないのかと思っていたので、こんなにゆっくりする時間があるなんて思っていなかった。
ゆっくりどころか、昼寝が出来そうなくらい、長い時間があった。
その間、ウィズと話すことも出来たし、いろいろ考える時間もあったので、バタバタと追われているよりも良かったのかもしれない。
きっともうすぐお祭りが始まる頃だから、誰かが呼びにくるだろう。
日が暮れたら、それが水竜の大祭が始まる合図。
しばらく窓からの景色を眺めていると、お昼に食事を持ってきてくれた使用人が「祭宮様がお呼びです」とドアを叩いた。
ゆっくりと窓を閉め、使用人と共にウィズのいる部屋へと向かった。
ウィズのいる部屋の傍の廊下には、恐らく朝の儀式の時にもいた兵士だろう、数人の兵士が立っており、近づくとゆっくりと頭を下げる。
部屋の前につくと使用人は「こちらです」と言い残し、元来た廊下を戻っていった。
ドアの脇に立っていた、一際立派な剣を腰に帯びた兵士が「どうぞ」とドアを開けてくれる。
ちょうどウィズが上着の袖のカフスボタンを留めているところだった。
どうしようかと思っていると、背後でドアが閉まる音がして、あの兵士も外に出たようだった。
ウィズは一日に何回着替えるんだろう。
今日は見ているだけで、四着目。
朝と、儀式のときと、昼間に話していた時と、それから今。
「この格好、何か変か?」
ついつい豪華な服装に見惚れていると、いぶかしむような声で聞かれるので、慌てて目線をウィズの顔に移す。
「そんなこと無いよ」
「そうか? ササが凝視してるから、どこかおかしいのかと思った」
「ごめん、本当に大丈夫だから。」
真剣に心配しているウィズに、思わず噴き出しそうになるのを堪える。
「笑うなよ」
むくれたような顔をするので、ますますおかしくなる。
「本当にごめん。それよりウィズ、どうしたの?」
一生懸命こみ上げてくる笑いを堪えて、ウィズに呼び出した理由を尋ねる。
それでも気になるようで、服のあちこちを見回している。
一通り自分なりの点検が終わったようで、何事もなかったかのような表情で話し掛けてくる。
「そろそろ大祭が始まるから、一緒に行こうかと思ってさ。俺と一緒にいれば、警備の面では問題ないからな。それに余計なことに気を使わなくて済むだろ」
ウィズなりに気をつかってくれているんだろうけれど、周りに兵士がいたら、違う意味気をつかいそう。
確かに人に囲まれたりはしなくって済みそうだから、そういう意味では気をつかわなくて済むかもしれないけれど。
「そうだね」
屈強な兵士に囲まれている姿を想像すると、ちょっとそれはそれで恐縮してしまうんだけれど表立っては言えず、了承したことを伝える。
「まだちょっと時間があるから、その辺座れよ」
その辺と言われたソファに座ると、ウィズは壁際の椅子に腰掛ける。
ウィズがやると、村では見られないような豪華な服を着ているせいかもしれないけれど、どんな動作も無駄が無く、綺麗に見えるから不思議。
そのウィズと一緒にいるには、自分の服装があまりにも普段着すぎて、人前に出るのは躊躇われる。
「ねえ、ウィズ。私普段着なんだけれど、いいのかな」
一緒にいるのは似つかわしくない、というのを暗に含めて伝える。
まじまじと見つめてから、ウィズは腕を組んで考え込む。
ウィズから見ると、そんなにおかしい服装をしているのかしら。
そんなに悩むなんて。
「気になるなら何か持ってこさせるけれど、俺としてはあんまり特別な格好をして欲しくないんだよな」
「特別な格好って?」
別にウィズが着ているみたいなすごい服が着てみたいわけじゃないのに。
「ササが巫女候補だって特定出来るような格好ってこと。この大祭には他の村の人も来ているし、俺の部下もいるからな」
一人で納得しているので、さっぱり何のことかわからない。
村の誰もが知っているのに、どうして今更隠すようなことをしないといけないんだろう。
お祭りの手伝いに来ている他の村の人だって、きっと知っていると思うのに。
さっきドアの外にいた兵士たちだって、ご神託を聴く儀式にいたのだから、みんな知っていると思うのに。
不思議そうな顔をしていたのがわかったらしく、ウィズが小さく息を吐く。
溜息というより、一呼吸入れたかのような。
「ササはさ、歴代の巫女の名前や出身って知ってる?」
突然話が飛ぶのには慣れてきた。
今巫女様のお名前、本当のお名前はなんとおっしゃるのだろう。
神殿ではみんな巫女様としかお呼びしないし、ウィズに聞かなければ王家の出身だとも知らなかった。
そういえば、今巫女様はいつから巫女になられたのだろう。
よく考えたら、それすら知らない。
その前の巫女様は、もっとわからない。
知っているのは、今巫女様の前にはやはり巫女様がいらっしゃって、ずっとずっと「水竜の巫女」が存在していることだけ。
「わからない。今巫女様のお名前も、いつから巫女でいらっしゃるのかも。今巫女様のことさえ知らないのに、その前の巫女様たちのことなんて、もっとわからない」
「どうしてだと思う?」
なぜ知らないのだろう。
水竜という、この国を守る神にお仕えする巫女のこと。
ただ身近に巫女になった人がいないから知らないだけなのだろうか。
神殿にいて、今巫女様とお話する機会もあったというのに。
いくら考えても答えが出そうにはないので、ウィズの質問に、首を横に振って、わからないという意思表示をする。
「巫女の神秘性を守るため。もしも、どこどこの生まれのなんていう名前で、なんて誰もが知っていたら、水竜の声を唯一人聴けるっていうのに、普通の人のような気がしてこない?」
「そう言われると、そんな気もする。巫女がどんな人なのか知らないから、ものすごく特別な人だと思ってた」
巫女にしかない能力があると、思っていた。今巫女様が説明してくださるまで。
「ウィズはさ、私が迷っているって言ってたでしょ。それはね、巫女には特別な何かがあるって思っていたからなの。今でも少し思ってる。だって巫女は、人じゃない水竜の声が聴けるんだよ。特別な何かがなければ、巫女に選ばれるはずがないじゃない」
「そうだな。そう思うのが普通だな。そう思わせる為に、王家が巫女の全てを隠しているんだから」
王家が、隠している。
巫女が特別な存在なんだと思わせるために。
だから私は、ううん、国中の人が巫女のことを知らない。
「巫女が祭宮にだけ水竜のご神託を告げるのも、全て王家の為さ。誰もが巫女と会うことが出来たら、別に王家なんて無くったって国が成り立つことになる。だから、隠しとおさなくてはならない」
足を組みなおし、ウィズが椅子にもたれ掛る。
「水竜の声を聴くことが出来る、特別な存在の巫女がご神託を託すのが王家だけなら、王家もまたこの国にとって特別な存在だということになるだろう」
同意を求めるような言葉に、頷くことしか出来ない。
王家がどうだとかっていうことは抜きにしても、巫女が特別だと国中に思わせなくてはいけない。
その為に私が次代の巫女候補だということを、隠しとおさなくてはいけないのだろう。
「だから、側近は別にして、この村に連れてきた大半の兵士は、俺がここにきたのは、この村の水竜の大祭の視察の為だと思っている。王都に戻って余計なことを言ってまわられても困るからな」
「じゃあ、私がウィズと一緒にいたらおかしくないの?」
「いや、ササは大祭の前夜祭で水竜に祈る係ってことになってるから。どっちにしても儀式上、水竜の祠で祈りの言葉をあげてもらわなきゃならないから、丁度いいだろ」
根回しも、全部終わっているわけなんだ。
改めてウィズってすごいなと思う。
そんなこと考えもしなかったから。
水竜の大祭の前夜祭には、去年一年の水と大地の恵みに感謝し、村の代表が水竜の祠で水竜に感謝の言葉を述べるというのがある。
そして水竜の巫女になる儀式の中にも、水竜の祠で水竜の神殿に行くために身を清めるという儀式があって、その時に水竜にお祈りをしなくてはいけない。
必死で覚えた、巫女になる儀式のためだけの、祈りの言葉を。
きっと、どこの村でも街でも同じような儀式があるだろうから、そう言われれば周りは納得するかもしれない。
「ササには水竜への祈りをあげることと、この村で行われる水竜の大祭について、祭宮に説明するという役割があることになっているから、特に心配ないよ。でもそうか、儀式上はどんな格好でも構わないんだけれど、大祭の祈り役となると、そういう訳にはいかないか」
そう言われると、やっぱり普段着じゃいけない気がしてくる。
普段は村長が水竜にお祈りをするので、あんまり気にも留めていなかったけれど。
着ている服を見てから、ウィズに目でどうしようと訴える。
「部下に用意させる。ちょっと待って」
椅子から立ち上がりドアを少し開けて、聞こえない声でドアの向こうの兵士と話している。
なんだか着々と巫女になるための儀式が進んでいく。
まだ一言も巫女になるとも言っていないのに。
ウィズはどんな答えを出してもいいって言ったけれど、これじゃあ巫女になるのが当然みたい。
不意に頭の中で、今巫女様の声がする。
――迷うこともあるでしょう。でも私はあなたがここに戻ってくると信じています。
迷っているから、巫女になるために進んでいく全てに、いらいらしてしまうのでしょうか。
――もしも迷うことがあれば、あなたの思うとおり、気持ちに正直に生きなさい。
でも今巫女様。私には私の気持ちがわからないのです。
ウィズの言うとおり、巫女になろうと思えばいいのかもしれないです。
なのに、私は自分が巫女になりたいのか、それとも巫女になりたくないのかがわからないのです。
――もし巫女以外の道を選びたいと思ったならば、あなたの思うとおりになさい。誰に言われたからというのではなく、あなた自身が悩み、選び、自分自身の道を切り開きなさい。
巫女以外の道、その選択肢が一体どういうものなのかもわかりません。
私にはわからないことばかりです。
もう、時間はあと少ししかないのに、私には決断できるのでしょうか。
巫女になるのが必然だと思っていた私に。
誰かが教えてくれたら、どんなに楽なことでしょう。
―― 一度しかないあなた自身の人生なのだから。
きっと、水竜は全てご存知だったのですね。
私の悩みも不安も、そして決断することが出来ず、誰かに答えを求めてしまうことも。
それでも全てを決めるのは自分自身なのだと、あの時教えてくださっていたんですね。
心の中で、巫女様へ語りかける。
記憶の中の巫女様は笑って、また会えるのを楽しみにしているわ、とだけおっしゃられる。
水竜の言葉の真意などはお教え下さらない。
巫女様は特別な存在ではないとおっしゃられたけれど、やはり私には水竜の巫女は特別で、自分がその特別な存在になれると言われても、なかなか受け入れ難い。
巫女らしくないからではなく、巫女になるための努力すればいいと教えてくれたウィズ。でも王家にとっても大事な、水竜の巫女の存在を否定してしまう可能性すらあるかもしれず、軽々しくは考えられない。
まだ、考える時間が必要なのかもしれない。
大事なことを見据えるために。