第二十九話 ただいま
シーナが昼食をご馳走してくれると言うので、皆でローズマリーの宮殿に向かった。
門の前の護衛兵に挨拶をして、中に入る。雪を被った庭園を抜け、階段を上がって行く。建物内に入り、シーナが「ただいまー」と一声発すると、3人のメイドが慌てて駆けつけて来た。
「シーナ様!!」
「ただいまー」
メイドの3人が同時にシーナを呼んだので、音響効果でもついているように聞こえた。
ここに来る前のシーナの話では、3人の中で一番背が高くてシーナと同じくらいのメイドが「フィスチェット」で、真面目で平均的な身長なのが「エリン」で、背が一番低くてシャルくらいの歳の娘が「ベリーン」らしい。3人は昔馴染みの侍女なのだとか。
シーナの家に着く前に口頭で言われたので、レオもあまり覚えていなかったが、3人のメイドを見たら誰だ誰だかなんとなく思い出した。
涙目になったエリンがシーナの手を取って切り出した。
「よかった! もう帰って来ないんじゃないかと!」
「そんな訳ないでしょー?」
「急に居なくなったものですからー、例の男と駆け落ちでもしたのかと……」
「え!?」
フィスチェットがレオの事をチラチラ見ながらそう言った。シーナに反論させる暇も与えずにベリーンが続く。
「もしくは妹様を盾にされて弱みに付け込まれ……仕方無く同居などと……」
「違うわよ! 私は自分の意思で行ったのよ!」
シーナの言葉を聞いて、3人のメイドは互いに顔を見合った。何やらこそこそと会議をし始めた。
「……これって、あの男に言わされてるのか?」
「きっとそうです!」
「誤解よーっ! レオもシャルもなんとか言ってよ!」
「こんにちは?」
「こんにちは、妹様っ」
メイドの3人はまた声を綺麗に揃えてそう言った。三姉妹だとか三つ子だとか言う訳ではなさそうだが、彼女達は完全に息が合っていた。
「シャルがオレと暮らしてるから、シーナも暮らす事にしたってだけだよ?」
「ええー!? マジでシーナ様同棲してんですかっ!?」
フィスチェットの「同棲」には何か淫らな意味が込められているように感じた。レオだけではない。シーナや残り2人のメイドもそう感じ取っていた。故に、エリンは彼女を無視して話を進めた。
「しかし、どうして話してくれなかったのですか……」
「だって、話したら行かせてくれなかったでしょ」
「そんな事ありませんよ~」
「そうですよー、何せシーナ様が人生の伴侶を見つけるチャンスでもありますからねー」
「余計なお世話よ!! レオとはそんな関係にならないから!!」
「またまた~、いつまでもそんな事言ってると婚期逃しちゃいますよー?」
今のフィスチェットの言葉はさすがのエリンも聞き流す事は出来なかった。エリンはフィスチェットの腕をはたいた。
「ちょっと! 今のは失礼でしょ!!」
「そうだよー!!」
「へーい……」
エリンとベリーンに叱られるフィスチェットを見たら、レオは笑いを耐える事が出来そうになかった。腹を抱えて笑った。それにつられてシーナもくすくすと笑い始めた。険悪なムードはそこには留まれなかったらしい。
ひとしきり笑ったレオが力の抜けた背筋を正す。もう笑い疲れてしまった。
「仲いいな……」
「私達はシーナ様が幼少の頃からお側に居ましたから」
「なのに酷いのよ? ある日、急に敬語で喋って来るようになって。昔みたいタメ口でいいのに……」
「無理ですっ」
また3人の明るい声が被った。
主と従者の関係を考えれば、とても昔のようには出来ないのだろう。主人であるシーナは「気軽に話してもいい」と簡単に言えるのだろうが、メイド達はそうも行かないと言うのが現状なのだ。いくらシーナの頼みでも、姫と侍女と言う関係を崩す事は出来ない。
「ねー、まだ?」
「なんだっけ?」
まくっていた袖をシャルにちょんちょんと引っ張られた。一体何をしに宮殿に来ていたのか忘れていた。ここに来た目的が喉まで来ており、もう少しで思い出せそうだった。しかし、シーナに先に言われた。
「お昼ご飯の事でしょー?」
シーナの声を聞いてレオも思い出した。大事な事なのにすっかり忘れていた。と言うか、銀髪姉妹が空腹なだけで、レオ本人はそこまでお腹は空いていなかった。
主人の言葉を聞いた途端にフィスチェットの顔色が悪くなった。
「お昼ご飯!? なんて事だ!」
「あの、シーナ様。昼食はもう終わっていて……私達の残り物しか……」
エリンが言った通り、もう既に昼食の時間は過ぎていた。シーナが帰って来るとは思っていなかったので出せる食事も無い。
「あー、それでいいわよ。急に来ちゃったこっちも悪いし」
「シーナ様に残り物を出したと女王様に知られたら……私達リストラされちゃいます!!」
「大丈夫でしょ」
シーナは不安な表情を見せていたベリーンに微笑んだ。
残り物を食べさせないだなんて、うちでは絶対にあり得ない……レオは密かにそう思っていた。それでは家の生活が成り立たなくなってしまう。レオはシーナに残り物を食べさせた事がある。当然シャルにもだ。
(もしそんな事でリストラされるんなら、オレなんて今ここで殺されてもおかしくない)
残り物を姫に出すのはさすがに気が引けたので、3人のメイドは慌てて昼寝をしていた料理人を叩き起こし、新しく何品か作って貰った。
急な事にも料理人達は素早く対応し、簡単かつ美味な食事を丁寧に作った。姫が久しぶりに帰って来たと思うと、自然と力が入った。
そして、侍女3人組は食卓で待つシーナ達の元へ出来上がった料理を運んで行った。
豪華絢爛なフルコースにレオとシャルはよだれが止まらない。どの料理も輝きを放っており、胃が彼らを欲していた。大して食欲が無かったレオもこれには黙ってはいられなかった。
一口食べれば脳が悦び、二口食べれば脳がお代わりを求める。
レオとシャルはこんな豪華な料理は食べた事が無いと絶賛していたが、シーナは出された料理が残り物でない事を察知していたので渋い顔をしていた。
あの3人が気配りをしてくれた事は嬉しかった。しかし、これでは客人のもてなし方と同じになってしまう。レオやシャルは客人とは異なる。そう言う意味では、もっとアットホームな感じを残してほしかった。
デザートも食べ終わり、レオ達3人は満足してくつろいでいた。
「残り物のくせに美味しかったなぁ……」
「だねー、また食べたいね~」
「ははっ……」
(残り物じゃないけどねー……)
扉をノックする音が聞こえた。三人がドアの方を見ると、現れたのはエリンだった。
「シーナ様、お母様が話したい事があると……」
「そう。レオとシャルは先に外出てていいわよ」
「分かったー」
レオとシャルは二重に合わせて返事をした。
出口の方まで歩いて行き、エリンに向かって「ごちそうさまでした」と二人で挨拶をして部屋を出た。
席に残っていたシーナは注がれていた白ブドウのジュースを飲み干し、ナプキンで口を拭いて立ち上がった。
「さてと、私も行かないとね」
「はい。お母様は二階のベランダにいらっしゃるようで」
「分かったわ、ありがとう」
シーナは部屋を出て、紺色の絨毯が敷き詰められた廊下の突き当たりにある階段へと向かった。木造の手すりが付いた年季の入った階段だ。何度か修繕したり取り替えたりして今の状態にあるらしい。そう母から聞いた事があった。
階段を上がって二階に行き、南側のベランダを目指した。宮殿内に何ヶ所かある中部屋の一つにそのベランダはある。ベランダも何ヶ所かあるのだが、母サーチアが「ベランダに居る」と行った時は、大体南側の所に居るのだ。
扉を開けて部屋に入ると、ガラスの向こうに母の姿が見えた。
「居た居た」
「おかえり、シーナ」
「ただいま」
シーナは母と同じように手すりに腕をついて景色を眺める。宮殿周辺に建っている家々が眼下に広がっていた。今日の道や屋根は白く化粧がされていたので、最後に見た時よりも更に美しくなっていた。
「言った事あった? ここのベランダが好きな理由」
「街が見えるからでしょ?」
「そうよー。昔っから好きだった」
「……それで、話って?」
シーナの方から切り出した。
「話ね。とりあえず、シャルとは打ち解けられた?」
「うん、そこは平気よ。なんて言ったって妹だもん」
娘の言葉を聞いて安心した。あれから連絡どころか顔すら見せないので、どうなってしまったのだろうと気が気でなかった。
(二人の絆は、あの惨禍でも断ち切れなかったって事なのね……私が心配しなくても、シーナとシャルはちゃんと手を取り合って生きてくれているのね)
願った通り、二人の娘は苦境を物ともせずに再び姉妹として戻り、互いに支え合う存在になってくれた。自分が切に想い描いた姉妹の像が現実となった瞬間を母サーチアは胸に感じた。
「それだけの為に呼んだのー?」
「もう一つ聞きたくて」
「なに?」
「その、レオさんとは正直どうなの? 上手く行ってる?」
ここ最近、母はむしろそっちの方が気になってしょうがなかった。シーナが以前連れて来たレオと言う青年との関係は、その後どう進展して行ったのか知りたかったのだ。あわよくば、そのまま意気投合して密な関係になってくれればいいなぁ、とお節介ながら思っていた。
母のその言い方だと、「レオと付き合って同棲している」みたいなニュアンスを醸し出しているが、これはシーナの思い通りだ。
数週間の間、連絡も顔も出さなかったのも、全てはレオと順調だと示す為の工作。実際レオと上手く付き合って行けたと言う事はさて置いて、これで首尾よく「男女の交際関係があるのでは?」と言う淡い期待を母に持たせる事が出来た。
(お母さんには悪いけど、レオとは何も無いのよね。)
だが、ここで聞かれて動転しないのはおかしい。自分でも「シーナらしくない」と思っていた。
「え!? な、なによ! 別にそんなっ!」
「またまたー、お母さんには分かるのよ~。長い事こっちに顔を出さなかったのも、シーナがレオさんと上手くやってる証拠でしょう?」
「えぇ~っ」
シーナはきまりが悪そうにそっぽを向いた。ここまで思い通りに事が進むとは思っていなかった。
(うわぁ~……お母さん簡単に引っかかっちゃてる……それはそれでいいんだけど)
娘の画策とは裏腹に、母の心は晴れ晴れとした天空から差し込む光を浴びる気分だった。このままシーナがレオと同居してくれれば、“もしかしたら”が再び現実になるかも知れないと期待を抱いていた。
「そろそろいい年頃だし、少しくらい将来の事も考えて行かないと。レオさんと上手く行っているのなら、お見合いはもうしなくてもいいと思うの。そっちの方がレオさんとの関係を深くする事に専念出来るでしょう?」
「お見合いねぇ……」
シーナがお見合いに関してを自ら切り出すまでも無かった。
低いトーンで声を漏らした。内心では物凄く嬉しかった。しかし、ここで喜んでは裏があると勘付かれかねない。シーナは喜びを殺して憂鬱そうな顔を作った。
「でも、なんでお母さんはレオの事をそんなに……私、レオの事好きだなんて一度も」
サーチアは軽く微笑んだ。母親である彼女には、娘があの人の事を好きになっている事くらいお見通しだった。
「男の人に全然興味が無かったシーナが家にまで連れて来て、しかも一緒に暮らしているだなんて、今までではちょっと想像出来ないから。だから、レオさんの事、実は気になっているんじゃないかなって思って」
未婚の娘はやっぱり心配なのだ。特にシーナは色々と心配が尽きない。
心の色が同じいい人を見つけさえすれば、シーナは立派な妻になれるだろう。しかし、そこが難しかった。彼女の強気な性格に問題があると母は常に思っていた。
シーナの性格上、縛られるのを嫌い、自分が「ダメ」と判断した男はことごとく切り捨ててしまっていた。なよなよしい男などもってのほかだ。例え、言い寄って来る男性にある程度の品格や常識があったとしてもそれは変わらなかった。
もちろん、これらは恋愛をする際のシーナの判断基準なので、普段通りの生活では男性をそのように蔑んだ見方では接していないようだった。
母であるサーチアにはこれらの事がよく分かっている。
サーチアも娘のお見合いを数々見て来たが、全て上記の理由で破綻――もしくは、会った時点で相手は切り捨てられていた。故にシーナが結婚出来るか心配だった。
(シャルも未婚の娘だけど、まだ17歳だし、そう言うのはこれからって感じかな……まずはシーナが心配)
シーナは観念した様子で語り始める。
「うん、気になってる。シャルの事も自分の事のように親身になってくれてるし、私にもいっぱい尽くしてくれる」
(なんて言っておけば大丈夫かな。こうでもしないとシャルと一緒に居られなくなっちゃうもんね)
シーナ的には、お見合いで大切な時間を割かれては堪らないのだ。せっかくの妹との穏やかな時間をそんな訳の分からない男達と過ごす事で潰したくはなかった。もっとも、お見合いなんかで人生の伴侶を決める気はシーナには無かった。
「そうなのね、よかったぁ。お父さんが聞いたら喜ぶわ。シーナは気が強いから、誰も貰ってくれないかも知れないってお母さん少し心配していたの」
サーチアはまた優しく微笑んだ。しかし、シーナも今のは聞き捨てならなかった。
「ちょっと、失礼じゃない? そこまで気が強い訳じゃないわよ!」
「ふふっ、そうだったわね」
シーナはむすっとしていた。気が強いとはよく言わて手育った。確かに、自分でも自覚が無い訳ではない。ただ、皆が言うような「強気」と言うよりは、「ソフトな強気」だと思っている。なので、「強気、強気」と言われるのはあまり好きではなかった。
「でも、そう言う所もひっくるめて、私を1人の女性として扱ってくれるレオが好き。そうじゃなかったら、こうやって同居なんか出来ないし、きっと喧嘩でもして長くは続いてないわよ」
「いい人見つけたわね。あとはじっくり一緒に過ごして、互いの良い所悪い所を見つめ合えれば完璧よ」
娘がやっと一歩を踏み出してくれて嬉しかった。今まではお見合いも拒んでばかりで大変だったが、こうしてシーナは前に進んでくれた。これからどうなるかは分からない。ただ、それだけで母としての喜びを感じた。
(あとは本人達に任せるだけね)
「お母様は反対するだろうけど、お母さんは応援するからね」
「う、うん」
シーナは何故か小恥ずかしくなった。自分からペラペラと虚偽の恋情を語っていた分には何も感じなかったが、第三者である母からその関係を承認されると、本当に自分がレオに恋している気分になって急に恥ずかしくなった。
(なんでよっ! 恋心なんて微塵も無いのにっ!)
シーナが母の方に目をチラチラ横にやると、体を自身の両手でさすっていたサーチアの姿が映った。
「寒くなって来ちゃった。レオさんとシャルを待たせているでしょう? 早く行って来なさい」
「はーい。じゃあ、またね、お母さん」
「今度は4人でゆっくり話しましょう」
◆
少し迷いそうになったものの、レオとシャルはなんとか宮殿の出口を見つけた。そして二人はシーナの家の敷地内を出た。
室内との温度差で皮膚が裂けそうだった。今度ばかりはレオもコートを着た。こうして着るのは久しぶりな気がした。
シャルは長袖のパーカーを着ていたが、室内から出たばかりでジッパーを全開にしていた。北国の地で胸元の開いた服を露わにしていたので寒そうだった。
そこで、レオはシャルの開いたパーカーを閉めてやった。
「満足か?」
「うん、お腹いっぱい」
「そっか」
「お姉ちゃんってホントにお姫様なんだねー」
「そうだなぁ……全然そんな風には見えないもんな」
レオもシャルもシーナが姫である事の実感が無かった。いつも側に居て近しい存在だったので、あまり気にした事が無かった。レオには「シャルの姉」、シャルには「自分の姉」と言ったようにしか捉えていなかった。
でも――今日は違った。
今日は市民から尊ばれるシーナの姿を見せられ、更には侍女から慕われる場面も見せられた。普段は見る事の無いシーナの姿だ。あれで居て一国の姫なのだと、二人は改めて感じさせられた。
「でも多分、ドレスとか着たらそれっぽくなると思うよ! 見てみたいなぁー」
レオは想像力を膨らませてシーナの体にドレスを着せてみた。なかなか似合って見える。銀の髪を揺らして、紺色のドレスを身に纏っている彼女の姿はとても綺麗だった。
「髪長いからドレスとか似合いそうだもんなー。なんで着ないんだろうか」
「めんどくさいからじゃない?」
「ドレスってやっぱり、着るのも脱ぐのも面倒なのか……」
「着た事無いから分かんなーい」
「オレも着た事無いから分からん」
――おーい、お待たせ~!
声のした方を向くと、駆け寄って来るシーナの姿があった。
母との話が済んだ彼女は、宮殿前に居たレオとシャルの元へと帰って来た。
「早かったね」
「大した事じゃなかったから。それで、二人して何話してたの?」
「シーナがお姫様っぽくなくて――」
「ドレスが似合うって事!」
「意味不明、よ……」
シーナは苦々しく笑って言葉を返した。シャルがその場でぴょんぴょん跳ねるので更に訳が分からなかった。
「今日、街行く人みんなシーナの事“姫様、姫様”って言ってたろ? 正直、誰もシーナの事姫だなんて思わないと思ったのに」
「なにそれ……」
「シーナは姫っぽくないからさー……いい意味で」
「っ……あり、がと……」
シーナは少し照れた顔をして、レオから目を逸らしながらそう言った。シーナがそう言った表情を見せるのは珍しかった。レオは初めてシーナが可愛く見えた。
「お姫様って言うと、やっぱりエレクシアみたいなのを思い浮かべちゃうな~。冠乗っけてて、おっぱいも丸出し!」
「丸出しじゃないだろ! 北半球だけだったし!」
丸出しではただの変人になってしまうので、女王の名誉の為にも訂正させておいた。
「あんた達、エレクシアに会った事あるの?」
「あるよ」
レオとシャルの声がまた揃った。一斉にそう言われると、シーナは何故か自分が責められている気分になった。思わず体をのけ反らせてしまった。
「そう、なんだ。ああ言うのと比べられちゃうと、私なんて地味よねぇ……」
常日頃から隣国の姫や女王エレクシアと比べられて来たので自覚している。はっきり「地味」と告げられた事は一度も無いが、恐らく誰もがそう思っている事くらいシーナも分かっていた。
確かに彼女の言う通り見た目は地味だ。本人の容姿は姫としての風格はあるが、着ている服は常に大した物ではない。ハッキリ言うと、貴族以下の服装をいつもしている。
だがそれでいい。
「その方が接しやすくて、こっちは助かるけどね。服装も庶民派って感じでオレは好きだよ?」
「ならよかった。一緒に暮らすんだもの、壁なんて作られちゃやりにくいわ」
「壁かぁー……姉妹で敬語なんておかしいよー。お姉ちゃんが厳しくなくてよかったー」
「可愛い妹に厳しくなんてする訳ないじゃなぁーい」
「えへへ」
(シスコンめ……)
レオは、シャルを抱き寄せるシーナを変な目で見た。
シーナのシスコンっぷりは日が経つにつれ顕著になっていた。最初はレオの目が気になって控えていたのだろう。しかし、ここ最近は溺愛しすぎで、病気なのではないか? と思わせるほどだった。
シャルも嬉しそうにしているのでいいのだが、レオは自分の相棒を取られたようで少し寂しい思いをしていた。
「で、これからどうすんだ?」
「まだ連れて行きたい所があるの」
シーナに連れられて目的地へと向かった。石橋を渡り、街の西の方へ進んで行く。
そのまま少し行った所に高台へと続く道があった。一行はそこの坂を登って行った。急斜面ではないものの、溶けた雪が氷になり始めていて歩くのが辛かった。
「ねぇシーナ」
「なに?」
「お母さんと何話してたんだ?」
「んー……」
何故かシーナが間を空けたので、レオとシャルは耳を凝らした。何か聞いてはいけない事を聞いてしまったのか、とレオが苦い顔をしながら思っていると、シーナは重い口を開いた。
「簡単に言うと、お見合い地獄から解放されたって事ね」
「お見、合い……?」
「そう。私、未婚の娘だからねー……早くいい人見つけなさいってうるさいのよー。顔を合わせるだけでもいいからって何回もお見合いしたんだけどね、そりゃもう、下心丸出しの奴らが来る訳よ」
シーナの気持ちも分かる気がした。
レオの主観ではシーナは「可愛い」に該当する。一方で、彼女を見て「美人だ」と思う人も居るであろう事は、男であるレオには分かっていた。どう言う顔を「可愛い」もしくは「美しい」と感じるかに個人差があるのは言うまでも無い。
そうやって、シーナの容姿や「姫」と言う肩書きに惹かれて寄って来る男が、彼女を手に入れようと見合い申し込んで来る現状があったに違いない。レオには容易に想像する事が出来た。
「でもね、あんたと居ればお見合いはしなくていいって。作戦通り、私達が付き合ってるって思ってるらしいわっ」
「悪魔か」
「シャルと居たいだけだったのに、なんだか得した気分ねー」
悪魔だろうがなんだろうが、シーナにとってこれは正義なのだ。会いたくもない他人と過ごすくらいなら、例え婚期が遅れようと、掛け替えの無い妹の為に時間を作る方が正義だった。
「――お姉ちゃん。お姉ちゃんは……レオの事好きじゃないの?」
(ど直球だな……シーナも答え辛いだろ……)
婉曲的な問い方をしないのはシャルの良い所でもあり、同時に悪い所でもある。この状況においては、悪い色の方が滲み出ていた。
姉の言い方では、どうも「レオはどうでもいい」と言う風に聞こえていた。シャルにとってはどうでもよくないのだ。レオとシーナの二人が互いに手を取り合って、3人で輪にならないと嫌だった。別に輪でなくとも、三つ編みでもいい。
とにかく、二人と一緒に居たかったシャルにとっては、黙って聞いていられるような内容ではなかった。自分の事を真に愛してくれているのなら、その辺りも分かって欲しかった。
シーナは少しの間考えている様子だった。レオは黙ってその回答を聞こうとした。どんな事を妹に返すのか気になっていた。
「ま、まぁ……人としては好きよ? でも実際、最近会ったばかりだし、まだ分からないわ」
「“まだ分からない”って恋愛対象になるかもってか?」
「知らなーい。ね? シャル~」
「――あッ!! ジェームズトンボ!!」
「え……」
「なんだそれ……」
シャルが急に訳の分からない事を発したので、とうとう壊れてしまったのかと思った。シャルの人差し指は雪の雫がしたたる葉を差していた。変な虫が止まっていた。変な虫と言うかトンボだった。
「えー……知らないのー? アイツ30万キーツで売れるんだよー!」
「レア虫か。そう言うの詳し――」
いつの間にか銀髪の少女はレオの目の前から消えていた。そして嬉しそうに笑顔で戻って来た。手に何かつまんで持っている。
「捕まえた~」
「うそ!? シャル凄い!」
「おいおい……トンボって走って捕まえられる虫じゃねぇぞ……ってポケットに入れんのかよォ……」
「ポケットに入れると大人しくなるの」
トンボと言う繊細な虫を無邪気にポケットに突っ込む精神は、レオには到底理解が出来なかった。
「後でちゃんと出しとくんだぞー? 忘れっぱなしで洗濯機にかけるのは勘弁だからな」
「分かってるよー」
「シャルって野性的なのね……」
それはそれで妹の新しい一面を知る事が出来て良かったのかも知れない、とシーナは謎の感心を胸に漂わせていた。
「あたし虫捕まえるの上手いんだよ~、あと鳥とかも捕まえられる~」
「シャルにそんな能力があったのね……」
「えー? 能力とかじゃないよ? あたし魔法とかほとんど使えないしー」
レオは「うんうん」とうなずいた。確かに魔法も能力も持っていない。
今まで一緒に過ごして来たシーナだったが、シャルの戦闘能力の実態を見た事は無かった。これまでにシャルが走っている姿は何度か見た事はある。しかし、それは軽く走っている程度のものだった。シーナは自分の妹を「ちょっと足の速い子」くらいにしか思っていなかったのだ。
「えっ、じゃあ何!? 身体能力だけでそんな事が出来るわけ!?」
「シャル的には普通に走ってるだけだよ?」
「あと、気配消すのも上手いよね……足音無いしオレでも全然気付かない……」
「言われてみれば……シャルって足音立てないわよね……知らなかったわ」
シーナは隣で歩く妹の足を眺めた。右足、左足、右足……いくら耳を澄ませても、地面を踏むシャルの足裏からは一切音がしなかった。
「オレの自慢も聞きたい!?」
「いや、いい」
「あっそう……」
姉妹の冷たいハーモニーがレオをノックアウトした。
高台に着くと、そこは草原棚引く大きな公園になっていた。雪が所々残っており、白い島を作っている。人の居ない冷たさを含んだ風が通る広い空間だ。
辺り一帯には多くの石碑が立っていた。見た所、人々の墓らしい。人の名前が刻まれていたのですぐに分かった。
その公園の隅には一際目を引くオブジェと大きめの石碑が深々と佇んでいた。
「墓になってるのか……」
「そうよ……こっち来て」
少し声のトーンを落としたシーナは、レオとシャルを先導して濡れた草原を進んだ。
他よりは大きめに作られたあの石碑の前に二人は連れて来られた。『エルネス・K・ローズマリー』……そう石碑に書かれていた。
「ここに……お父さんが眠ってるわ……」
「――っ!?」
レオとシャルは心臓が飛び上がる思いをした。シャルが帰ったと言うのに父親の姿が見えないと思っていたら……どうやらそう言う事だったらしい。さっきまでの楽しそうな表情と打って変わって、シーナが暗く切ない色を浮かべているのもそのせいなのだろう。
「いつ、死んじゃったの……?」
「5、6年前だったかしら……」
「そう、なんだね……」
父の顔は思い出せない。だが、シャルの胸はきつく締め付けられた。喪失感をぶり返したようなシーナの表情は、なかなか堪えるものがあった。彼女の顔を見ただけで、父がどれほど愛された人物だったかを想像する事が出来たからだ。
「だから公園みたいになってるのか……?」
レオの問いに対して、シーナはゆっくりと首を振った。
「ううん、ここは公園になってるけど、お父さんが居なくなる前からなってたわ」
「でも偉い人のお墓ってそう言うもんじゃないの?」
「そうだけど、お父さんはみんなの所に、みんなと同じ場所に居たいって……最後の頼みだったわ。まぁ、それだけじゃ申し訳ないって事で少し大きめの石碑にして、街の人がこのオブジェを建てたの……」
「そっか……みんなから慕われてたんだな」
「うん……」
話によると、王家の墓場は他にあるらしい。にもかかわらず、こうして都の共同墓地にその身を収めるとは、レオは勝手ながら感服していた。
「シーナの庶民的な所はお父さんから来てるのかもな」
「そうね……シャルの髪の色も……」
シーナは伏し目がちになってシャルの髪を懐かしそうに見た。シャルは腕を後ろにやってきょとんとしていた。知らないのも無理はなかった。
「お父さんも銀髪だったけど、シャルみたいに毛先が薄く水色みがかってたわ……その瞳の色も……」
「そうなんだ……シャルはお父さん似なんだね……」
そう言うと、右手で自分の横髪を視界に持って行って眺めた。毛先の水色が誰からの継承なのかなど考えた事も無かった。
なら、姉は母似である。瞳の色も、長い髪の色も、母そっくりだ。シャルはそんな事を思いながら、目の前のシーナを温かい眼差しで見つめていた。
「お父さんの所に来るんなら、お花持って来ればよかったな……」
「花じゃなくて言葉を捧げるのよ?」
「……知らなかった」
「花は古い風習ね。こうやって、膝をついて座って…………」
シーナは溶けかけた雪に膝をうずめ、両手を重ねて胸に当てた。目を閉じて、少し間を置いてから石碑に語りかけ始めた。
「伝えるの遅くなってごめんね……。お父さん、シャルが帰って来たのよ。……無事に……帰って来たの……。やっと、家族が一つになったの……お父さん……っ……」
シーナはうつむいて涙を流していた。二人の前では泣いていられない、と堪えているようだった。丸めた彼女の背中が心の中にある癒えない傷口を物語っていた。
レオはシャルを優しく前に押し出し、側に寄るよう促した。
シャルは一歩前に出て腰を下ろし、すすり泣く姉を両腕で横から抱き寄せた。しっかりと強く抱いた。すると、シーナの気持ちを抑えていた歯止めが引き抜かれた。
静寂に包まれた雰囲気の中、姉は妹の胸の中で大泣きをした。今まで一人で抱えていた父への想い……シャルの前では全てをさらけ出せる気がしたのだ。
シーナの冷えた頬がシャルの身体で徐々に温められた。
――ただいま、お父さん。
次話からは最後に向けての話となりますー。




