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緋月-スカーレット・ルナ-  作者: 白銀ダン
1.アビスゲート編

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第9話 喪失

心の支えを失ったレオ



 カーテンを閉めきった薄暗い寝室。その静けさを破るように、耳障りな時計のアラームが鳴り響く。


 夏休みだと言うのに、どうして目覚ましをつけたのかはレオにも分からなかった。止まれと念じた所で止むはずもなく、単調な電子音は鳴り続けた。


 あの惨事から一体どれだけの時間が経ったのだろうか……レオは思い出すのをやめた。



 あの日、警察署で思い当たる節は無いかと聞かれたが、レオは心当たりなんて一つも無かった。


 よく思い返せば何かあるのかも知れなかった。ただ、その日は記憶を遡って探す気には到底なれなかった。氷華の笑顔が脳裏にチラついて苦しいだけなのに、誰が思い出したくなるだろうか。


 互いのワイシャツを鮮血で濡らし、抱き締めた氷華の温かみが消えて行くのをただ黙って感じる事しか出来なかったあの日の事なんて、現在でも思い返したくないのに、尋ねられたのはその直後と言って差し支えない時刻であった。悲痛に堪えかね、レオは何も答えられなかった。


 レオが翌日に控えた終業式に出席する事は無く、そのまま夏休みに突入した。


 あそこには氷華が傷付いて喜ぶ輩が居る。行けるはずがなかった。行ったとしても、彼女の居ない虚しい世界を味わう羽目になる。心の修復が済んでいない状態で行けるほど、レオは強くはなかった。彼女無しでは、強くはなれなかった。


 幸か不幸か、氷華の突然の訃報を受け、学校は生徒らの心理状態を考慮し、終業式を実施せずにそのまま夏休みとする緊急措置を取っていた。もっとも、何もかも遮断して心身共に閉じこもっていたレオには知るよしも無い話だった。


 一方その頃、垣根の外は騒がしさを増していた。


 世間では、女子生徒による物珍しい拳銃自殺として、一連の事件を毎日のように報道していた。淡々と報じているならまだいい。実際にはそうではなかった。


『女子高生、拳銃自殺!? 遺体には複数のアザ!』

『いじめ原因か!? 少女の背景に迫る』


 平凡な果樹に実った黄金の果実を見つけたかの如く、各局は貪るようにこぞって取り上げ、興味津々で事件の詳細を舐め回した。終いには、学校や生徒への取材合戦。事件当日、現場に居合わせた警察官にも非難の声が向けられた。


 悲しいかな、レオが目の当たりにすれば憤激を余儀なくされていたであろう光景が公然と繰り返されていた。


 ただ、レオはあの日からテレビを一度たりともつけていない。そうしたメディアがどんな風にこの事件を取り上げているか、容易に想像が出来たからだ。


 氷華の事を何一つ知りもしない人間に取材を行い、あたかもそれが総意であるかの如く報じているに違いない。これまでのメディアの独善的な報道姿勢を観察していたレオからすると、今回もそうであろうと想像に難くなかった。


 安易な同情を交わすばかりの井戸端会議を自ら覗きに行くほどレオは酔狂ではない。五感で感じるありとあらゆる情報を遮断したかったと言う事もあり、レオはそうした類の俗物をことごとく遠ざけた。


 ……しかし、いくら嫌厭している事物を避ける努力をしようが、向こうの方から飛んで来るのが世の常である。


 例の事件からほどなくして、レオを怒りで震わせる出来事が起きた。


 各社メディアはレオの自宅を訪ねては何度も追い返されていたと言うのに、両親が留守の間に性懲りも無く押しかけ、あろう事か再三にわたって呼び鈴を鳴らし、レオに取材の要求をして来た。


 無理もない。彼らにとってレオは“可哀想な少女”と心を通わせた悲劇のヒーロー。その活躍は劇的で、大いに報じるに値する。休養しているのが傷付いた不機嫌な獅子だろうが、住処をつつかずにはいられなかった。


 近所の通報を受けて、免罪符を掲げる者らもようやく諦めた訳だが、聞きしに勝る無神経っぷりをレオは骨の髄まで味わわされた。氷華を見世物にする害悪な連中なのはこれではっきりとした。レオはやられた事は忘れないし、許さないタチである。一生恨み続けるつもりだった。


 もっとも、それも今や遠い昔の出来事である。当時はあれほど腹の底が煮えていたのに、いつの間にか、レオはどうでもよくなってしまった。



 また朝か……うんざりとした気持ちを吐き出し、レオは雑にアラームを消す。まばゆい夏陽を寄せ付けない薄暗い寝室が静けさを取り戻した。


 レオは仰向けに寝相を変え、薄い掛布団の中で金色の懐中時計を握り締める。時折、その蓋に施された緻密な装飾を指でなぞるも、当然ながら開ける勇気など今はまだ持てなかった。


 瞳を閉じれば、氷華の元気な姿が昨日の事のように浮かぶ。他の事を考えていても、ふとした瞬間に氷華との思い出が舞い降り、その度に胸が潰れるほどの切なさをレオは味わった。苦しく辛い……けれども、大切な記憶。忘れてしまいたいだなんて、レオは一度たりとも思わなかった。


 氷華は今どこに居るのだろうか。天にでも居るのだろうか。視線の先の虚空を見つめ、レオはしばし考える。


 氷華から親族は居ないと聞かされていたので、恐らく誰にも知られる事無く、彼女はひっそりと火葬されたのだろうとレオは思った。最後の別れを告げられず、悲しく寂しい思いを氷華にさせてしまった事が今では少々心残りだった。


 だが、その時は氷華を見届けに行ける状態ではなかった。火炎に包まれる綺麗な少女の寝姿を想像しようとしただけで心が壊れてしまいそうだった。


(氷華はオレの笑顔を望んでいた……。行かないのも、一つの正解だよな……?)


 握った金色の懐中時計を胸板の上に置き、今は亡き氷華にレオは問う。


 少し気持ちの整理がついて、レオは氷華との最後の日の出来事をちょっとずつ振り返っていた。だが、何も掴める気がしなかった。それよりも、どうして自分は独りになってしまったのか――そんな事ばかりが何度も脳裏をかすめる。


 あの日の行動は間違っていたのだろうか……? レオは自問を繰り返す。間違っているはずがなかった。あれが最適解だった。ああでもしなければ、氷華が死ぬのを拱手傍観するだけだった。最善を尽くした結果だ。レオは自分に言い聞かせる。


 しかしながら、今なお悔しさで涙が滲んだ。


 もう少し早く氷華の異変に気付いて寄り添えていれば……。もう少し足が速ければ……。もう少し説得を続けていれば……。もしかしたら、氷華は今も自分の隣で笑っていたのかも知れない。際限無く“たられば”が浮かんでは消える。


(オレが居たってのに、どうして……)


 あの日を境に心の一部が欠け、レオの心中を満たしていた幸福は流れ出てしまった。以来、氷華との思い出を残してすっかり空洞化。喪失感から、レオは何をしても気だるく、つまらないものに感じた。あれから時間は経ったが、やはり立ち直るまでには至らなかった。それだけ彼女の存在が大きかったのだ。


 氷華は小柄だったが大きかった。か弱かったが心は強かった。そんな陽だまりのような少女にもう一度会えるのなら、レオはどんな犠牲を払ってでも会いに行くつもりだった。


 だが、現実は非情で残酷である。いくら思い描こうと、氷華はもう二度と帰らない。いくら彼女のぬくもりが恋しかろうと、二度と抱き締められない。


 氷華と会う前の味気ない人生に戻ってしまった。これからは、殺伐とした白黒の世界で一人生きて行かねばならない。生き延びられるだろうか……? 先が思いやられ、レオは重たい息を吐く。氷華さえ隣に居れば、そこに彩りを添えてくれると言うのに、今はもう叶わない。


(ああ……まただ)


 どうして心優しい少女が死なねばならなかった? 胸底に沈んでいた怒りが再燃する。やがて他の感情を喰うように燃え広がり、許せない気持ちで溢れた。


 事件当日の直前まで氷華は同級生から苛烈な暴力を受けていた。衝動的に自ら命を絶ったと言うよりは、積もり積もった苦痛に堪えかね死を選んだのでは。今になって考えてみると、レオはそんな気がした。


 そして何より、1ヶ月も早い誕生日プレゼント……まるでこの世を去ると決めていたかのようだった。


 だが、レオは受け入れられなかった。それを認める事はすなわち、自分が氷華に与えた喜びよりも、同級生による苦痛の方がずっと上だったと認めるのと同義。己の存在意義が揺らぎ崩れる。到底認められなかった。


 しかし、認めざるを得ない。氷華がしてくれたように、レオは氷華に幸せと喜びを与える事に努めた。それでも、氷華の心の傷を癒すには至らず、彼女は死んだ。結果は歴然だった。


(クソっ……! あんなに夏休みを楽しみにしてたじゃねぇか……)


 あれも心配させまいとした氷華の最後の空元気だったのかも知れなかった。氷華らしいと言えば氷華らしい。しかし、その裏には凍えるほどの絶望があったに違いなかった。そうでなければ、陽だまりのような少女が死ぬはずがないのだから。


(なんで氷華が死んで、あのゴミ共がのうのうと生きてるッ……!)


 あまりにも不公平。レオは氷華を苦しめた連中が憎くて堪らなくなった。殺意すら芽生えた。その激しさは増すばかり。どうしようもない、やり場の無い怒りを仇敵にぶつけたい――。どうにかしてアイツらの幸せを破壊してやりたい――。


「――っ!」


 氷華と交わしたやり取りが不意に蘇る。連中を痛めつけようと言った時、氷華は手を握ってそれを阻止してくれた。


(どうしてあの時、握り返さなかった……? オレは、どうして……?)


 あれが分岐点だったのでは。顧みれば、レオはそんな風に思えてならなかった。


 故に、手段が目的化していた事をレオは悔いた。氷華の前で笑顔になる為に敵を潰そうと決意したのに、敵を潰す事ばかりに囚われ、笑顔を欠いていた。先々の懸念など気にせず、笑って少女の手を握り返していれば、結果は違ったかも知れない。


(こうして、オレが復讐心を燃やす事を見越して、氷華は触れたのか……?)


 掛け替えの無い恩人が復讐鬼と化そうとした時、思い留まってもらう為に、愛を込めてその手を握った。氷華が初めからこの世を去るつもりだったのなら、そうとも考えられた。


 あり得る話だ。何せ、氷華は優しい。最後まで、誰かが傷付く事を望まなかった。心配になるくらい寛大で、荒涼たる大地に咲いた一輪の氷の華の如く、特別な子だった。


(クソっ……! なんで氷華なんだ……!! 氷華が何をしたって言うんだ!!)


 それさえなければ――。あんな事さえ起こらなければ――。歯を食い縛るもこらえきれず、レオは涙を流す。



 かくして、氷華との楽しい思い出でいっぱいになるはずだったレオの夏休みは、苦痛を伴う恋しさで埋め尽くされた。


 事件の風化が進もうと、レオは時折、氷華が受けた理不尽に苛立ちを覚えた。しかし、彼女の願いに「復讐」の文字は無い。恨みを晴らそうとレオが敵地に殴り込みをかけたりする事は最後まで無かった。心身が衰弱していて何かを破壊する気が起きなかった事も大きい。


 レオは外出もせず、ただひたすら無為に時を過ごした。どう言う訳だか「1日をだらだら過ごす」と言う単純な事が、レオにとってはえらくしんどい作業のように感じた。一昔前はそれを望んでいたと言うのに……。


 そうやって存在しているだけの自分が、日増しに無意味なものにレオは思えて来た。何をしても満たされず、少女のぬくもりを求めて心が宙を彷徨う。そうした毎日を繰り返しているうちに、肉体と精神がそのまま離れて行きそうだった。


 8月10日の17歳の誕生日を祝ってくれる人が居るはずだったが、結局現れなかった……。



 ◆



 いつしか、レオは秋学期の初日を迎えていた。


 生き残ったセミ達がつがいを求め、朝から必死に鳴いている。自分もその一匹かも知れない。そんな風に思いつつ、レオは重たい体に悲鳴を言わせて学校へと向かった。どれだけ泣こうが、どれだけ辛苦を味わおうが、やはり、脳髄にまで染み付いた呪いは解けなかった。


 住宅街の間を颯爽と駆け抜けて行く自転車。それを追うように必死に走るサラリーマン。のろのろ歩行の女子高生。一人っきりの通学路。これほど寂しいものは無かった。きっと氷華がこっそり後ろから驚かせてくれる――そんな期待を抱くと、涙で視界が滲んだ。


 欠けた心の修復は済んだが、負った傷はまだまだ治りかけ。未だに楽しい気分にはなれず、レオは笑顔を取り戻せなかった。



 学校に着くと、教室では多くの生徒が夏休みの出来事を逐一報告していた。本来ならば、レオもどこかの輪に入っていたかも知れない。だがレオは、自らその居場所を捨てた。いまさら戻る気などレオには微塵も無かった。


 さぞかし楽しい休暇を過ごしたであろう姦しい女子集団をレオは睨むように一瞥し、無言で席に着く。輪に入りたい訳でも妬ましい訳でもない。ただ単に、いつものように自分の席を訪ねてくれる声が恋しかっただけだ。


 案の定、氷華の座席付近には誰も近寄ろうとしなかった。彼女の存在に気付いていない者も居れば、気付こうとしない者も居るだろう。前者に関してはレオも咎めるつもりは無かった。だが、後者が居て息を潜めているのなら、レオは憤りを禁じ得なかった。


(もうみんな、氷華の事を話した後なのだろうか……)


 席に座ってしばらく教室内の雑音を聞いていたレオだが、氷華の名前は一切耳に入って来なかった。


 事件の事は知っているが、話題に上げるほどの関心事ではないと言う事なのか。それとも、忌み慎むべき事として触れないように心掛けているだけなのか。いずれにせよ、レオは教室に漂う空気感が気に食わなかった。当然だ。話題にした所で何も起こるはずないのに、まるで穢れてしまう事を恐れるかの如く、誰一人としてその名を口にしなかったのだから。


 一方、レオの事を気にかけている者は何人か居た。レオの隣の席の女子――宮城野芽衣もその一人。ただ、横目でレオを案じる素振りを見せるも、結局彼女がレオに話しかける事は無かった。


 春学期の続きを再開するように、レオを取り残して周囲の時間だけが動き出す。チャイムが鳴り終わり、担任が教室に入って来るや否や、団子になっていた生徒らが一斉にばらける。そして、規律を乱す者は居ないかと言わんばかりにいつもの点呼が始まった。


(本当に、もう居ないんだな……)


 まるで氷華抜きで同じ時をやり直しているかのよう。例えるなら、立ちくらみに似た感覚にレオは襲われた。――一つだけ、その時と違う事があるとするのなら、氷華の他に3名の生徒の姿が無かった事だろう。出欠確認の最中も彼らの名前は一度も上がらなかった。


 学校を「社会の縮図」とはよく言ったものだ。真偽はともかく、今の状況を見れば、まさにその通りだとレオは言わざるを得なかった。


 誰が死のうが、誰が消えようが、自分の日常さえ守れれば対岸の火事。都合の悪い事には一斉に見て見ぬふりをし、だんまりを決め込み、無かった事にしようと悪知恵を働かせる。それがかつての級友に対する礼儀か? あんまりだった。


 レオの目には、脱落者を容易に見捨てる冷たい社会そのものを体現しているかのように見えた。


果たして、学校は「社会の縮図」なのだろうか?

これには賛否両論がありそうです。

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