第86話 真相は暗闇の向こう側
初仕事? ええっと、その事なんだが……無かった事にしてくれないか?
その日の夕方、レオとシャルは予定通り、依頼主が主催するパーティー会場へ向かう準備に取り掛かった。
「じゃじゃ~ん!」
ドレスアップしたシャルはダークチョコを纏ったマシュマロのようだった。膝丈スカートの黒いドレス姿はシャルの銀色の髪にとても合っている。「可愛い」は彼女の為の言葉であるとレオは確信した。
「今日で見納めなのがもったいないくらいだな」
「えへへ、ありがと~。レオも凄くイイよっ!」
タキシードに身を包んだレオは、普段と違ったフォーマルな魅力があってシャルとしては最高だった。襟元を緩めて袖まくった“ちょい悪”な感じにシャルは心をときめかせる。
昼間、依頼主と相談して二人は正装を借りた。これで会場の雰囲気に上手く溶け込めるはずだった。
いざ、夜の華畑へ――。
パーティー会場には多くの要人や貴族らしき人物が集まっており、テーブルを囲んで話をしていた。
豪華絢爛なシャンデリアの輝きに負けず劣らず。各テーブルには色とりどりのご馳走が並べられ、客人の食欲を一気に刺激した。シャルも誘惑に負けたうちの1人だ。
美味しそうな食べ物を見つけるや否や、シャルは一直線。食べた事の無い料理ばかりを狙って次々と小皿にさらってゆく。大人が普通は出来ない事を、平然とやってのける所がシャルの凄い所だ。真似しようものなら、常識の壁に咎められて羞恥が湧く。とてもレオには出来なかった。
会場に溶け込む観点では、シャルの行動はあながち間違ってはいない。しかしながら、たらふく食べる場ではない視点が抜けていた。度が過ぎれば目立つ。
ただ、レオが心配していたほど、ご馳走を目の前にしてはしゃぐ少女に誰も見向きもしなかった。周囲の寛容さにレオは感謝せずにはいられなかった。
(それにしても、どこを見てもセレブな感じだな……)
華やかな服飾を纏った人々に囲まれて、場違いな感覚がレオの胸の内で産声を上げた。見た目を繕えても、心までは誤魔化せない。アスタルに接近した時の事をレオは密かに思い出した。
「金持ちってのは、ホントにパーティーとか好きだねぇ……」
「レオ~これ美味しいよ! 食べてみて!」
「おっ、どれどれ~」
二人が珍しい料理に舌鼓を打っていると、ホール正面の大きな壇上から招待客への挨拶が始まった。すると、徐々に静けさが伝播し、金の刺繍がされた緞帳前の司会者へと皆の視線が向けられた。
「シャル、始まるみたいだぞ」
小皿を持ったまま頬張るシャルにレオは声をかけたが、相変わらず料理に夢中。一応仕事で来ているので、レオとしてはもう少し気を引き締めてもらいたかったが……無理そうだ。
(まぁいいや……。オレがしっかり働いて、シャルには楽しんでもらおうか。オレの分まで)
緞帳が左右に分かれて開く。登場した主催者の男性が大きな拍手で迎えられ、手を振って応えていた。マイクを受け取った反対側の腕には、マフィアを思わせる風貌に似合わず、やはりぬいぐるみが抱えられていた。
(一体どこから襲撃するってんだ……? 出入り口には内にも外にも警備が立ってるし……眉無しのおっさん付近はボディーガードが固めてる……。一体どうやって?)
食事を堪能しながらレオは引き続き注意深く会場内を観察した。しかし、怪しい動きをする人物はまるで見当たらなかった。
パーティー会場の出入り口は、部屋の後方に大きなものが1ヶ所、壇上の両端に2ヶ所、計3ヶ所しかない。しかも、どの扉にも屈強な男が配置されており、さらには、壁際にも出席者に扮した者が何人も居る念の入れようだ。依頼主の周りでは、ボディーガード達が常に目を光らせている。
こんな悪条件で、依頼主を襲う輩が居るのだろうか……? 襲撃を実行したとしても、これだけ警備が厳重だと誘拐はだいぶ厳しいのではないか? レオはそう思ってならなかった。
主催者の合図でぬいぐるみのオークションが始まった。
入札対象は、主催者が用意した物に加え、パーティー客が持ち寄ったぬいぐるみ。無個性の犬のぬいぐるみ一つの為に、信じられないほどの大金が動く。もはや、無価値な物に大金をどれだけ積めるか――いかに物質的価値と乖離したバカげた額で落札できるか競っているかのようだった。
(これが昼間言ってた、例のチャリティーか……。金持ちの思考ってのはよく分からんな)
どうしてここまで熱狂できるんだ、とレオは冷めた視線を向ける。
これはある種の“ショー”――その中に自分も参加し没入できる自己満足型のチャリティー。純粋な目ではレオは今宵の喝采を見られなかった。
(依頼主が狙われる理由も知りたい。奴のボディーガードに殺られる前に、こっちが襲撃者を確保できればいいんだが)
怪しい動きを探るレオをよそに、会場のパーティー客は大盛り上がり。可愛らしいぬいぐるみに高値が付いて落札される度に各所から拍手が送られる。善意でないならこれは狂気だ。
今夜、主催者が誘拐されると言う情報は間違いだったのでは? そう誰もが思い始めていた。
しかし、それは音も無く突然始まった――。
「――ッ!?」
会場の拍手が鳴り止んだ直後だった。壇上が真っ黒な塊に包まれた。
あちこちから上がる狼狽える声。突如として発生したドーム状の闇により、壇上の状況が全く見えなくなってしまった。しかも、黒い壁は瞬く間にその範囲を広げて行った。
闇系統の魔法だ。レオもシャルも細心の注意を払っていたが、これは防ぎようがなかった。
ならば、と二人は辺りを見回して術者を探すが、それらしき怪しい人物の姿はどこにも無い。
(起こり得る最悪のシナリオだ……! 見えない敵が相手じゃ攻めも守りも出来ない……!)
迫る闇――。レオ達は会場の中央付近に居たので闇に入り込まずに済んだ。しかし、暗闇に呑まれまいと、追いつかれまいと、招待客が後方の出口へと一斉に雪崩込む。
飛び交う男女の悲鳴。優雅な酒宴のひと時は、人々のパニックで10秒と経たずに狂い出した。
レオとシャルは離れ離れになりながらも、外に押し出されないよう混乱に陥った者達の流れに逆らい続けた。先の見えない暗闇よりも、力任せに押し流そうとする人の壁の方が二人には脅威だった。
我先にと逃げ惑う人の川を乗り切り、レオがある事に気付く。会場に配置されていた屈強な男達が全員倒れているではないか。
(どうりで誰も駆け付けて来ない訳だ……)
闇が出現し、壇上に皆の注意が行っていたのは間違いない。実際、レオ自身もそうだった。そして、制御不能の人の流れ……。その混乱に乗じて邪魔者を処理したのだと思われた。敵の手強さを知るには十分すぎた。
(オレ達が標的にならなかったのは、ただの参加者だと思われてたからか……?)
なんにせよ、現状動けるのは二人のみ。二人だけでどうにかするしかなかった。
しかし、不気味な闇の塊の向こうの状況が一切見えない。音も遮断されているのか、中に居るはずの依頼主の助けを求める声すら聞こえない。ただの闇の帳ではないようだ。レオに躊躇いが滲む。
入るか否か。シャルは即決だった。
敵の狙いは依頼主。闇の中では何かが起きているはず。術者の居場所は依然不明だが、既に会場内に潜入している可能性が高い――そこに居るのでは? 中に入れば何か分かるかも知れない。そう考えたシャルは記憶を頼りに闇へと突入した。
(よく行くわ……!)
置いて行かれたレオはその身を案じ、果敢に闇へ飛び込んで行ったシャルの後を追おうとする。しかし、天井が壊れる音がしてブレーキを余儀なくされた。瓦礫や人影は見えなかったが、何者かが天井を突き破ってこの空間に侵入して来た予感がレオにはあった。
正面の闇に目を凝らすレオ。見えざる敵ほど嫌なものはない。せめて薄っすらとでも相手の姿が捉える事が出来れば……。もどかしさを噛みながらレオは低く構える。
――闇の帳の中から何かが飛んで来た。
(槍の先端!?)
自分目がけて飛んで来た所をレオは咄嗟に回避。受け身を取ったレオは虚空から出した剣を握り、次に来るであろう攻撃に備えた。
漆黒へと引っ込んで行った槍先は次の瞬間、再び姿を現し、レオに襲い掛かった。
闇から繰り出される槍撃。等間隔に分かれた金の長柄は、その節々から伸びた薄紫色に光る魔力の鎖によって繋がれ、通常の槍では到底届かない距離にまで刃を飛ばして来る。槍でありながら鞭のよう。波打つ槍撃はどこまでもしつこく獲物を追いかけた。
遠心力の効いた薙ぎ払いをまともに受け止めれば、剣を持つ手を痛めかねない。見えざる敵の連続攻撃をレオは受け流す事でなんとか凌いだ。
(クソ、なんだこの武器!? いや、それよりも!! 闇の中からはオレの事が見えてんのか!?)
どう対処する? どう引っ張り出す? 一人で行かせてしまったシャルの事もレオは心配だった。彼女の事だから倒される事は無いと思いたかったが、しかし、いくらシャルでも暗闇では分が悪い。外からは中の様子が見えないので余計に気がかりだった。
だが、鎌首をもたげた毒蛇のように幾度もヒットアンドアウェイを繰り返して迫る槍撃は、レオに自由な行動を許してはくれなかった。受け流す事に専念しなければ、たちまち狩られてしまうだろう。
波打つ槍は激しさを増した。重い一撃一撃をいなして耐え続けるレオ。不利な状況でも踏みとどまっていられたのは偶然によるものではない。過去の経験の成せる業である。
しかし、長くは持たなかった。
「ぐあッ――!」
レオが槍撃を上手く弾いたと思われたその直後だった。槍の穂先からとてつもない衝撃波が生じ、レオを後ろの壁まで吹き飛ばした。
「……くっ!」
壁に全身を打ち付けられたレオは、何が起きたのか全く理解できなかった。取りあえず、これ以上抵抗するべきではない事だけは分かった。下手に動けば殺されかねない。――槍の刃がレオの喉元を捉えていた。
ドーム状の真っ暗闇から槍の持ち主が姿を現した。魔力の鎖を辿り、槍を元の長さに戻しながら、レオへと距離を詰めてゆく。
腰まで届くストレートの銀髪が印象的だ。シャルのものよりも色が濃く、一歩進む度に、その細くてしなやかな銀の髪が揺れて輝いて見えた。
そんな深い海のような青い瞳の女性が、余裕の表情を浮かべて近づいて来た。ヒールの無いサンダルを履いている割に背が高い。素で170cmはある。身長が近いレオにはなんとなく分かった。
ロングスカートに、白い半袖を黒い長袖服に重ね着した姿はとてもパーティーの招待客とは思えない。もっとも、脅迫犯にも見えない。だが、今夜の混乱を引き起こしたのは事実。レオは警戒を続けた。
「もう終わり? 案外大した事ないのね」
「手ごたえ無くて悪かったな。闇の中から一方的に攻撃されちゃ戦う気も失せるさ。……ま、おかげで油断したのか、こうして姿を現したけどね」
戦いは完璧でも、大きなミスを犯した。その事をレオは教えてやった。しかし、レオに白刃を向けたままの彼女は、挑発に乗るどころか、涼しげに鼻で笑って返した。
「初めてにしては健闘した方かしら。いい踊りだったわ」
「そりゃどうも。早くその槍下げてくんねぇかな」
「敗者は黙ってなさい」
「可愛い顔して厳しいんだな」
刃を向けられ下手に動けない。どう抜け出すかレオが思案していた時だった。
女の仲間であり、会場の半分ほどを埋め尽くした闇魔法の術者だろう。前方の闇の中から「――行くぞ」と男の声が聞こえた。
「向こうも終わったみたいね。リストに無くて命拾いしたわね」
「いいのか? ダンスは下手でも、オレは借りを必ず返す男だ」
「なら、楽しみにしておくわ。練習の成果を見てあげる」
槍使いの女子が自信を覗かせてレオに微笑む。
主導権を握る前提……。何か言い返してやりたかったレオだが、槍術に翻弄されて今日の再現になる予感しかせず何も言えなかった。
「次があるなら、正々堂々やりましょ――」
槍を収めた女子の足元から漆黒が湧き上がる。すると、一帯を覆っていた闇と共に姿を消した。
あの眉無しの依頼主が見当たらない。彼が大事に抱えていたぬいぐるみもろとも消えてしまっていた。壇上には、双剣を構えたシャルと倒れた警護の者達だけが残されていた。
静まり返ったパーティー会場。流血こそ無かったが、凄惨な事件現場の渦中に居るかのような気分にレオはさせられた。
「逃がしちまったな……。どうしたもんか……」
まさかあのような手法でさらうとは。何か防ぐ手立てがあったのだろうか……? 敵にしてやられてしまい、見通しが甘かったとレオは自省する。
「どこだー! 悪者ーっ!」
「もう逃げちゃったよ」
壇上で敵を探しているシャルの元へとレオは歩いて近づいた。
屈強な警護が何人と気絶して倒れている中、シャルは特に怪我をしている様子は無かった。状況は最悪だったが、無事でよかったとおかげでレオは少し前進する気持ちになれた。
「成果はあったか?」
「蹴りは当たったんだけど……何も見えなくて方向ぐちゃぐちゃになっちゃった」
「真っ暗闇で当てただけ上出来だよ。取りあえず、この事を報告しに戻んないとな……」
初日に依頼失敗。どんな顔をしてギルドに帰ればいいのやら。
だが、真相は闇の向こう側。もはやどうにも出来なかった……。
依頼失敗。一旦ギルドに戻ろうとするレオ達だったが……。
2025.8.2 文章改良&86話として追加




