第83話 信用の度合い
断捨離は時々やっておくべし
午後の陽気に満ちた一階の大広間にレオ達が戻って来た。
「あそこのカウンターで依頼を受ける手続きが出来る」
「なるほど。その為の場所だったのか」
バーカウンターかと思われた所は受付だった事が判明した。だが、どう見ても酒類や誰かのマグカップ、コーヒーマシンや椅子まで置いてある。「受付」と言われても、やはり洒落たバーカウンターにしかレオには見えなかった。
「一通り終わったか? 案内ありがとな」
「うん。もう仕事するの?」
「今日は案内だけでいいや。そろそろ帰ろうと思ってる」
「えー、もう帰るの?」
「一日に色んな事が起き過ぎなんだよ……!」
シャルの気持ちが分からないレオではない。新しいお友達が出来たばかりで帰りたくないのは十分に理解していた。しかしながら、仕事の話をするにしても、日を改めて、脳を切り替えた状態でもう一度緋月へ来たかった。
王城でのトラブル。王都と自宅の往復。兄弟との一戦。「疲れた」……その一言に尽きた。
それだけならまだいい。女王から貰ったブドウ一粒を最後に何も口にしていない。夕食の準備もしなければ。帰ってシャワーも浴びたい。シャルと違い、レオは目の前の事よりも今日をどう終えるか、それだけを考えていた。
「そっか……ジェナちゃんまた明日話そうね!」
「うん」
「――あ、待ってください!」
レオとシャルの元へ駆け付けたのは、黒髪をしっとり湿らせた青年――先程まで向こうの机で茶を飲んでくつろいでいたルークであった。
「どうしたルーク」
「え!? なんで僕の名前知ってるんですか!?」
「どうやら、闇の住人の一部には名が知られてるっぽいぞ」
「あたしも知ってたよ~」
「ひぇえ……!」
衝撃の事実に、ルークは青ざめた顔に冷や汗をかき始める。出会い方が違えば、二人に命を狙われた可能性もあったのでは……。こうして普通に会話できている事が、ルークは途端に奇跡のように思えた。
「んで、何か用か?」
「……あっ。これ、二人に渡し忘れてました」
差し出されたルークの右手には、紅と橙のグラデーションが綺麗な羽根が2枚乗せられていた。エルヴィスが首飾りに付けていたのと同じ物だった。
「羽根?」
「はい。緋月に正式加入した人はみんな持ってます。これが無いと結界に入れなくて、ここに来れなくなっちゃうらしいですよ」
「なるほどね」
淡い光を纏った羽根をつまんでレオは自分の手に乗っけた。もう1つはシャルに手渡した。
手の上にふわりと乗った紅い羽根は仄かに温かさを帯びていた。なんの羽根かはレオには分からなかったが、鳥よりもむしろ動物の毛に近いような気がした。
「保管魔法で保管してるだけでも大丈夫か?」
「大丈夫ですよー。邪魔ならしまっておいてください。そんなに容量は必要無いので」
「あ、ダメだ。反応しない」
「え?」
思わずレオとルークがシャルに聞き返す。シャルは羽根を手に持ったまま硬直していた。
「所有権の問題か?」
「そうじゃないよ。あたし元々容量少ないんだよ~。不便だなぁ」
(そう言う人も居るのね……)
「そんな物いっぱいになるほど保管してんのか……。帰ったら断捨離すんだな」
「ぇー、やだやだ」
「だったら、“共有魔法”はどうですか……?」
「あー、そんなのもあったな」
実用性は十分だが、知った当時は縁遠い魔法だった為にレオはその存在をすっかり忘れていた。
「何それー?」
「〈保管魔法〉を使う時、人それぞれ保管先があるよね? その保管先を、特定の2人の間で“共有”する魔法だよ。通常、独立してる〈保管魔法〉の保管先だけだと、〈共有魔法〉で一部を共有する事で、“共有先”に保管している物をお互いに引き出したり出来るようになるんだよ。仲のいいレオさんとシャルちゃんなら嫌悪感無く出来るんじゃないかな?」
「意味分かんない……。もっと簡単に言ってよぉ……」
「まぁ、オレとシャルの保管先を一緒にするようなもんだ」
ルークも簡単に言っていた方だったが、それでもイメージが難しかったようなので、後半の説明をバッサリ省いてレオはシャルに助け船を出してやった。
〈共有魔法〉――双方の意思の合致によって成立する、〈契約魔法〉の一種である。
〈共有魔法〉の使用により、魔法契約を交わした当事者の間で「共有先」と呼ばれる保管先を新たに作り出す事が出来る。これは〈保管魔法〉のルールと同様、共有先の容量を超える物は収納できない。
だが、それは大した問題ではない。
共有先は、術者2人の保管容量を重ね合わせる――削る事によって初めて生み出される。「無」から新たな空間を作れる訳ではない点は留意せねばならない。
1人分の保管容量を“100”と仮定すると分かりやすい。
共有先を作る為に任意の保管容量を削る。1人が自身の保管容量を“50”削り、もう1人が“20”削ったとする。共有先の容量は、これを合わせた“70”となる。
従来通り使用可能な保管容量はそれぞれ“50”“80”と実は減る。故に「削る」と人は言う。
物を共有する為には、このように各々の保管容量を一部提供して共有部分とする必要があり、無制限に共有容量を増やせる訳ではない。また、必然的に保管できるプライベートな物も減ってしまう。
もちろん、それなりの利点もある。
シャルのように保管容量が生まれつき少ない場合、〈共有魔法〉によって擬似的に保管容量を増やす事が可能となる。
離れた相手と物のやり取りが出来るのはもちろん、例えば、40の大きさの物が“70”の共有先に送られた場合、共有先を作る際にたった“20”しか負担しなかった人でもそれを引き出せてしまう。ただし、自分の保管先に“40”以上の空きが残っている場合に限る。
物を取り出して手元に出すには、一旦自分の保管先を経由させる必要がある。共有先にある物を自身の空き容量を超えて実体化する事は出来ない。
ちなみに、1人分の保管容量を“100”としたが、あくまで簡略化した数値である。本来はそれを上回る数値を誰もが持っている。羽根1本分をレオが渋るはずがなかった。
「そんじゃあ、まずはやってみっか」
〈共有魔法〉の契約を交わすべく、レオはシャルの手を取り、手の平を合わせた。
互いに〈保管魔法〉で物を取り込む要領でやれば出来る、とレオが手順を詳しく教えた。言われた通りにシャルは魔力を手に注ぐ――同時にレオも魔力を注いだ。
合わせた手に光が宿り、手の平が熱を帯びた。この瞬間“共有”が完了した。
「こんな簡単でいいの?」
「相手の同意が無いと発動しないから、実は簡単じゃなかったりする。心理的抵抗とか」
「へぇ~」
「お互いに信じてるから出来る魔法」
小さく微笑むジェナに「もちろん!」とシャルは抱き付いた。ジェナはされるがまま。無抵抗な様子はまるでぬいぐるみだった。
「んじゃ、オレ達は帰るわ」
「帰って夕食だー! 夕食……ハッ!」
今日の献立の主役はトマトだった事を思い出し、シャルの顔が一気に青ざめる。
「二人とも、今日はありがとな」
「いえ、こちらこそ」
「またね~。……はぁぁ、トマト来ちゃう……」
ジェナは胸の高さに上げた手を無表情で振り、レオとシャルを無言で見送った。
新人二人が大広間から出て行った後、入れ違いで、図書室に居たはずのマーリンがカウンター横の階段から下りて来て姿を現した。
「アイツら帰ったの?」
「うん」
ジェナは小さくうなずいて返事をした。
「……あの2人って、ジェナが連れて来たの?」
「違う。エルヴィスとルークが」
「ふーん」
新規メンバーなど募集していない。何故あの2人を加入させる事になったのだろうか? マーリンはルークに訝しげな横目を向ける。
「何か特別な理由でもあんの?」
「いや、そう言う訳じゃないけど……」
「じゃあ何? どこの誰だか分からない奴を連れて来たんだ?」
「素性が分からない」と言うのは正確ではない。しかし、ルークは明らかにするべきか迷った。……何せ、人見知りのマーリンは部外者の出入りには館の主に次いで神経質だ。元デリーターの人間をギルドに招き入れた、なんて神経質でなくとも尖ってしまうのに、両者の信頼関係が無い状態で明かす事になる。その拒絶反応は測り知れない。
ただ、話さないのも仲間に対して不誠実。いつかは発覚する。そう思い、ルークは話す事に決めた。
「レオさんとシャルちゃんは、さっき王都で会った人で……」
「……で?」
「……レオさんに関しては、元デリーター……」
衝撃のあまりマーリンは声を詰まらせる。不吉な単語が、目を皿のようにしたマーリンの頭の中で何度も跳ね返った。
自分の家同然であるギルドに、闇の組織の人間が足を踏み入れた事実……そうと分かった途端、マーリンの身体にゾワゾワが駆け上がった。
「なんでそんな奴連れて来たんだよッ……!」
「“元”だってば」
「“元”だかなんだか知らないけど! そんな怪しい奴よく連れて来る気になったな、おい!!」
もしも今日の選択が間違いで、仲間を危険な目に遭わせる結果となってしまう事があれば、自分が全ての責任を負う気持ちでルークは居た。だが、そうはならないとルークは確信していた。
「僕もハナからレオさんを信じていた訳じゃない。最初は“加入希望者”とは見ていなかった。本心を知ったんだ」
そんなルークの姿勢にマーリンが嫌悪感を露にする。
「何が“本心”だよ、まったく……。アイツの事、何も知らないんだろ? 大して知らないくせに、人当たりがいい言動を見て“悪い人じゃなさそう”って信じ込むバカと一緒。“本心”とやらの裏に真の本心が無いとは限らないんだよ、人間ってのは」
仕方のない事とは言え、事情を知らないマーリンの拒絶っぷりにはルークも参った。どこから説明したものか……とルークは頭を掻く。
「信用させて、緋月の場所を暴くのが目的だったら……!?」
「それは無いんじゃないかな。本当にそのつもりだったなら、もっと乱暴な手段に出てるはず」
悪名高き〈ベイン・デリーター〉は、目的の為なら卑劣な手も厭わないとされている。
二人がもしもデリーターで、そのような目的があったのなら、小賢しい策を講じずに力尽くでねじ伏せて来るに違いなかった。わざわざ「仲間にして欲しい」だなんて頼まずとも、メンバーを半殺しにしてギルドの場所を吐かせればいいだけの事だ。
しかし、そんな目には遭っていない。
「第一、デリーターが僕達を狙う理由は? 心当たりが無さすぎる」
「それはまぁ……そうだけど」
聞いた感じ、向こうから頼んで来たのだろうとジェナは想像した。となると、そこから加入を認めるに至った経緯がジェナとしては謎だった。対峙した不審者の要望を呑むのは通常あり得ない。
「最初に疑ってたなら、そのまま断ればよかったのに」
「そうは行かなかったんだよ……」
「どうして?」
「兄さんが挑発に乗って……、色々あって負けて……」
思い出すだけで情けなくてルークは思わず小声で詳細を伏せた。
「はは、まんまと実力を見せつけられたって訳だ」
「でも信憑性が増した。あれだけの腕があれば、組織を脱退して今日まで生きられたのも納得できる」
ただ、いくら強かろうと、心休まる場所が無い状況が続くのは消耗する。そこで、現役デリーターの魔の手から逃れる為に、隠れ家的要素を持つギルドの加入を希望して来た。そのように考えれば、今回の接触はなんらおかしな話ではないのでは、とルークは女子二人に有力説を語った。
しかし、マーリンは依然として不服の模様。しかめっ面を晴らさなかった。
「だからって、組織から抜けたって証拠にはならないってば」
「いや、実はもう一つあるんだ。決め手は他にある」
自白薬が決定的だった――。ルークがそれを伝えると、マーリンは懸念を滲ませた考え込んだ様子を見せつつも、明らかに先程までの拒絶の色を薄めた。
「レオさんは多分、デリーターと考えが合わなかったから抜けたんだよ。あんなに楽しそうにギルドを見て回ってた人が、今もデリーターだなんて考えられない。ジェナちゃんもそう思うでしょ?」
ルークの金色の瞳が隣の少女の姿を映し出す。
同様にマーリンからも意見を求める視線を受けたジェナは、表情一つ変えずにゆっくりと口を開いた。
「私は会った時から感じてた。レオに悪意は無い。もちろんシャルにも。心が浄化されつつある」
「……はいはい、分かったって。信じてやればいいんでしょ」
ジェナがそう言うならそうなのだろう、とマーリンは気を張るのをやめて肩の力を抜いた。それを聞いてルークはようやく安堵した。
「兄さんのせいで戦う羽目になっちゃったけど、最初こそ律儀に加入を頼んで来たんだ。戦力になるだろうし、人助けだと思って連れて来た」
「百歩譲ってそれはいい。どうせ、可愛い女子メンバーを増やしたいだとか、不純な理由で連れて来たろアイツは」
ズバリその通りで、ルークは「あはは……」と誤魔化すように笑うしかなかった。
「ま、人手が足りてなかったからちょうどいいか」
「レイヴンの許可無しに勝手に仲間にしてよかったの?」
「さあ。叱られるのは私じゃないし」
まだ説明しなければならない神経質な相手が居る。思い出したルークに不安がのしかかった。
「ナンパして連れて来た女じゃなかっただけマシか。ほいほい釣られる女よりもよっぽど信用できる」
「それって、二人が詐欺師でも?」
「……だとすると同レベルかな」
「レオが変質者でも?」
「……なんでそんな事聞く?」
「レオが変態だから」
案内中に何かされたのか!? マーリンとルークの時が一瞬にして止まる。
ジェナのおかげで危うく“変態”に認定されかけたとは、レオは知るよしもない。
ギルドの一員としての生活が始まります
2025.7.19 文章改良&分割




