第71話 報告のち帰宅 血まみれですがお気になさらず
えっちな女社長
死闘を切り抜けたレオとシャルは、目的地の〈ヘルマソン〉にようやく辿り着いた。街に足を踏み入れた瞬間、二人が胸を撫で下ろしたのは言うまでもないだろう。
依頼主のアスタルにこれまでの経緯を報告しに、レオは建物へと入って行った。シャルが居ると話がややこしくなりそうなので、念の為シャルは外で待機させる事にした。紹介する訳には行くまい。シャルと話し合ってそう決めた。
ワイシャツを赤黒くした青年。その姿に一度驚いた様子を見せたアスタルのボディーガードだったが、特に言及は無かった。前回同様、ボディーガードに連れられてレオはエレベーターに乗り、社長室へと案内された。
道中、レオは相変わらずボディーガードの男に険しい眼で見張られた。変な気を起こすつもりはレオには無かったが、前科がある上に血まみれなので無理もない。その辺りはレオも仕方なく思っていた。
清潔感のある8階の社長室――デスクワークを中断したアスタルは脚を組み、「随分遅かったですね」と言わんばかりの顔でレオを出迎えた。
「よく戻って来られましたね。無事に」
「は?」
「冗談です。無事で何よりです。成果は得られましたか?」
レオは居ても立っても居られなくなって深々と頭を下げる。
「あのー……すみませんでした……」
「何かあったみたいですね。それに、その血は? 返り討ちに遭いましたか?」
赤黒く変色したレオのシャツを見れば聞かずにはいられない。もっとも、アスタルはレオの実力はよく知っているつもりだ。「返り討ち」の部分は冗談半分であった。
「いや、これは他人の、と言うか獣の血で……。……ターゲットは残念ながら殺されちまった」
「そうでしたか……。誰の仕業ですか?」
「……敵対勢力のアサシンだ。運悪く襲撃のタイミングが重なった。おかげで大変な目に遭った」
(こうでも言わないと、シャルが疑われる……。いや、待てよ……宿場街で目撃されてる時点で怪しまれそうなんだが……)
領主殺害の真相を隠したが、よくよく考えてみれば、あの宿場街にはシャルの目撃者が存在する。しかも、シャルと仲良くつるんでいた場面も知られている。アスタルに嘘を報告した所で、一時しのぎにしかならないのでは? 後になってレオに一抹の不安がよぎった。
ただ、現状では打てる手は限られている。領主の裏の顔を暴く事で、彼と協力関係にあった暗殺組織の敵対組織に殺された事になってくれる事をレオは願うしかなかった。
「貴方なら切り抜けてくれると信じていました。確保できなかった事は……まぁ、気にしないでください。狙われる可能性は前々からあった。彼を殺したい輩なら沢山居たでしょうから。レオの不手際ではありません」
フォローしてくれるのはありがたい事だったが、内心レオは複雑だった。露になりそうな気まずさをレオは胸奥に押し込んだ。
「それで、証拠は掴めましたか?」
「一応なんとか。……執務室から暗殺組織との繋がりを裏付ける親書が見つかった」
レオはシャルから貰った証拠品を手渡した。受け取ったアスタルは書かれた内容に目を通すと、〈保管魔法〉でその証拠品を預かった。「ご苦労様でした」と労いの言葉をかけられ、ようやくレオの肩の荷が下りた。
ただ、解消されない問題が実はまだ残っていた。レオが懸念を滲ませそれについて切り出す。
「一つ心配なんだが……オレ、領主暗殺の容疑者にされるんじゃね?」
「後の事は私に任せてください。貴方を調査に向かわせた責任者として、私の方から軍に事情を説明しておきます。もちろん後日、貴方も聴取を受ける事になると思いますが」
幸い誰も殺していない。アスタルが証言してくれるなら一安心だった。
アスタルはデスクの引き出しから封筒と拳大の鉱石を取り出すと、席から立っておもむろにレオの元へと歩を進めた。
「では、今回の報酬です」
「アンタには借りがあるし別に。それに、失敗した」
「私が想定していた最悪の事態……領主を狙う暗殺組織との鉢合わせが起きてしまいました。危険な目に遭わせてしまった、そのお詫びだと思って受け取ってください」
「なら……ありがたく貰っておくよ」
レオに報酬が手渡された。紙幣が入っていると思われる封筒と、淡い黄緑色の発光を宿した用途不明の鉱石をレオは貰った。中くらいの大きさなので、それなりの値で売れるのだとか。
(全部現金で渡さないのは、オレが遠慮する事を想定して、か……)
物なら貰い手の心理的ハードルが下がり、受け取ってもらいやすい。換金するまで分からない。「報酬」と銘打って、不要な物を押し付けた可能性も無きにしも非ず。しかしそうでないのなら、彼女の気遣いに違いなかった。
「何かあれば、また依頼を出しますね」
「あんまり変な依頼はよこすなよ?」
「もしよろしければ、一緒にお食事でもどうですか?」
「ま、また今度な……。ほら、帰って風呂入らなきゃ」
「あら、シャワールームならありますけど?」
レオは物言いたげな視線を送って黙り込んだ。
「ふふっ、恥ずかしがり屋さんですね。では、お疲れ様でした」
建物から出たレオは変な溜め息が漏れ出た。悪女の頃よりも油断できない女になるとは思ってもいない。以前よりも彼女の事を好意的に見られるようになったとは言え、「やっと終わった……」と言うのがレオの正直な気持ちだった。
建物正面の広場にある木陰のベンチに座っていたシャルが待ちくたびれた表情を吹き飛ばして笑顔で向かって来た。しかし、疲れ気味のレオを目の当たりにし、シャルは上目遣いで眉をハの字にさせる。
「怒られちゃった?」
「いや、大丈夫だった」
「ごめんね……あたしのせいで」
「いいんだよ、過ぎた事は」
「うん……。えへへ、早くレオの家行ってみたいなっ」
◆
北へ北へ。王都行きの列車に乗り、レオとシャルは小さな旅をした。
「まだ着かないの?」シャルは度々レオに尋ねた。
「あとちょっと」その度にレオは静かに返した。
肩に寄せられた重み――。シャルが気付いた時には既にレオは寝ていた。
進行方向を向いたリクライニングシートには睡魔が棲み付いている。しかも、座席の座り心地は最高。昼間の出来事も相まって、レオはすっかり夢の中だった。
(レオ、疲れちゃったのかなぁ)
胸にじんわり温かさが広がり、シャルに笑みがこぼれる。レオの方から甘えて来る事はまず無かったので新鮮だった。甘えられている時はレオもこんな気持ちで居るのかな? そう思うと胸の温かさはさらに増した。
(あたし、レオに会えてよかった。こんなに温かい気持ちになるの初めて)
肘掛けに乗せられたレオの手に、シャルは自分の手をそっと添えた。
肩にもたれかかってくれるのは嬉しかった。だが、降りる駅を聞いていなかったシャルには妙な不安感が時間と共に芽生え、ぐんぐん育った。
起こして降りる駅を確認したい。けれども、すやすや眠るレオは起こしたくない。シャルはジレンマに悩まされた末、起こす事に決めた。
最初はレオの頬をつついて起こそうとしたが、全く起きる気配が無かった。仕方なく名前を呼びながら体を揺すると、ハッとした表情でレオが眠りから覚めた。
「どこだここ!?」
「列車だよー? おはよ~レオ」
「さっきなんて駅だった……?」
「“ミルシェン”とか言ってた気がする」
「……そっか、なら大丈夫か」
寝過ごしてしまったと思いレオは焦った。この列車は王都の駅で一旦清掃と点検が入るが、最終目的地は王国の最北端である。危ない所だった。
「どこで降りるか教えてくれないからこうなるんだよー」
不満げな表情で見つめられてもレオは困った。
「……出発してすぐに伝えたはずなんだけどなぁ」
「……え?」
(ま、無理もないか……外の景色見てて聞いてなさそうだったもんな)
「次の駅で降りるぞ。王都だ」
「次? もう着くんじゃない?」
確かに列車の速度がかなり落ちていた。車両の両端にある出入り口へと向かう乗客もちらほら。到着まで秒読みだった。
開閉を知らせるベルが鳴り響く――。開いたドアから乗客が続々と。その中にはレオとシャルの姿もあった。
王都のターミナル駅で降りた二人は、雑談をしながら〈カネリア〉へと向かった。
別の路線に乗り換えれば〈カネリア〉に唯一ある駅まで行ける。ただ、王都からレオの自宅までは、その距離に大した差は無かった。列車の出発を待たない分、むしろ歩いた方が到着は早い。
レオが一つ前の駅で降りたのは、王都から〈カネリア〉までの道のりと場所案内も兼ねていた。暑い夏場ならともかく今は春。花の香りを含んだこの爽やかさを味わわねばもったいなかろう。
レオとシャルはゆったりとした歩調で二つの街を歩いて行った。
ある時は王都の有名な老舗焼き菓子店を紹介し、ある時は〈カネリア〉の噴水広場を見て回り、水路を興味津々で覗くシャルにレオは付き合った。
傍から見れば、髪色は違えど、20cmと少しの身長差からレオとシャルは兄妹のようにも見える。大変微笑ましいが……しかし、赤黒い不穏な色を衣服に付着させた二人の姿は異様そのもの。すれ違う人はそれが気になって仕方がない様子だった。
せせらぎを奏でる水路を辿り、渡された石造りの橋を越えるとレオの家はすぐそこだった。
華やかさに欠ける新居は、築数十年と新築ではない。それでも、レオにとっては安息の地。無事に帰って来られたと思うと、レオはどこか懐かしい気分になった。
レオが急に立ち止まったのでシャルは行き過ぎてしまった。
「ここだぞ」
「へぇ~……ん?」
シャルがとある視線に気付く。隣の家の玄関先に、やけに見つめて来る女の人が――。エイルゥだ。お団子ヘアではなく、髪を後ろで結った姿で草花に水をやっていた。
見かけない少女が来た事を不思議に思いエイルゥは見つめていたが、その隣に居た人物を見て、エイルゥの疑問はさらに深まった。
「あれ? レオさん?」
「こんにちはー」
目が合ったレオはエイルゥに向かって会釈した。
彼女の美味しい料理は記憶に新しい。……そう言えば、昼食を食べていなかった事をレオは思い出した。〈エージェント〉との遭遇やら、アスタルへの依頼報告やらですっかり忘れていた。
「こんにちはー、って!? その赤いの血ですか!?」
「ハハ、これはその、ちょっと人助けを……」
(やべ……忘れてた)
物凄く嘘臭い発言をしているのはレオも自覚していた。だが、誤魔化しようがなかった。赤黒く染まった衣服をどう説明する? 「隣の女子と絵の具の投げ合いをした末に意気投合」なんて言った所で無理がある。無理しかない。「人助けをした」以外にレオは適切な回答を見出せなかった。
「人助けをした結果こうなった」はあながち間違いではない。シャルを助けた。軍人も助けた。嘘っぽさは否めなかったが、幸い後ろめたさをレオは抱かずに済んだ。
少し考えた素振りを見せた後、エイルゥは感心しながらうなずいた。
「そうなんですね~。あの、隣の方は……お友達ですか?」
どう見ても「返り血を浴びた奴」にしか見えないはずなのに、何故か納得してくれた。しかも、既に興味が別の所に移っている。普通なら、「怪我はしなかったんですか?」とか「誰の血ですか?」とか聞いてみたくなるものである。
レオは思った。シャルと同じ匂いがする……と。
(お友達……?)
シャルにチラリと目をやるレオ。自分とシャルの関係を上手く言い表せる単語が浮かんで来ず、思いのほか悩まされた。
簡単に「恋人」と括れる関係ではないのが悩みの原因だった。傍から見ればそれそのものなのだろうが、シャルが自分の「恋人」であると言う意識はレオには全く無かった。
かと言って、「友達」でもなければ「親友」でもない。それらとは関係の色合いや濃淡があまりにも違う。何より、「友」と呼ぶには互いに抱いている想いが大きすぎる。
出会って日が浅い為、「婚約者」と言うのも世の婚約者に失礼な気がした。第一、レオの感覚としては既に身内に近かった。
ちょうどいい言葉が見つからない。かなりの難問にレオは首をかしげたまま動かなくなってしまう。
「えーっと、友達って言うか……なんて言うんだこの関係? 普通に“パートナー”でいいのか?」
「えっ、シャルに聞かれても分かんないよ! レオのお嫁さんになるのを待ってる妹みたいな一人娘?」
「何言ってんだお前……」
思わぬ質問にレオはシャルを紹介し忘れていた。ありがたい事に、エイルゥが会話からその名前を割り出してくれた。
「シャルちゃん、でいいのかな?」
「そうだよ~」
「私はエイルゥ。今後もきっとこんな風に会うと思うから、シャルちゃん仲良くしてね!」
「そりゃあもちろん!」
(……やっぱ似たタイプだよな。エイルゥの方が多少しっかりしてるが)
「あっ、二人とも引き留めちゃってごめんなさい」
「いえいえ」
即刻シャワーを浴びたいだろうに話し込んでしまっては迷惑がかかる、とエイルゥは世間話もほどほどにしておいた。レオの袖をちょこちょこ引っ張って、早く家に入りたいアピールをするシャルを見てしまえばなおさら続けられなかった。
「早くー」
「待ってろって」
にこやかなエイルゥにレオは申し訳なさそうに別れを告げ、階段を上がって扉の前で待つシャルの元へと向かった。
今日から賑やかになりそうだった。
次回は久しぶりにほのぼのした話になりそうです
2025.5.24 文章改良&71話として追加




