第70話 再起の光
重傷のレオを一人で運ぶシャル……
一刻も早く敵から離れねば――。シャルは深手を負ったレオを背負ってひたすら走った。
しかし、進むにつれて上手く走れなくなった。シャルとしては走っているつもりだったが、力の抜けたレオの体は小柄な少女には重すぎた。シャル自身も負傷しているのも追い打ち。それでも、ガクガクと震える脚の力を振り絞って必死に動かし続け、シャルは奥へ奥へと林を進んだ。
生きて帰れる。二人で――。胸に灯った希望がシャルの原動力となっていた。
シャルも二人で死ぬ事など望んではいなかった。それは最悪に陥った時の、最終的な望みだ。出来る事なら、命を繋ぎ止めて、明るく穏やかな生活を二人で送りたい。それが心からの願いだった。
見据える未来は一つ――。故に、少女は決して音を上げず、諦めなかった。
獣達が追って来る事も想定し、シャルは背後への注意も怠らなかった。
現れたら最後、命尽きる瞬間まで戦うしかない事をシャルは理解していた。脚を裂かれたが、気合があれば駆けられないほどではない。その時は、木々の陰を利用して刺し違えてでも全員殺してやるつもりだった。
幸い、追手の来る気配は無かった。しかし、シャルに安堵は芽生えなかった。レオの容態が気になってやまない。背中がずっと湯に浸かっているかのよう。不安は一歩進むごとに増した。
「くっ……。はぁはぁ……」
いよいよシャルの体力も限界だった。フラフラの足で踏ん張り、息を整える。
歩き続けるにしても休憩を取らねば進めそうにない。止血も必要だ。やむなくシャルは血まみれのレオを小さな背から下ろし、すぐ側にあった木にゆっくりかつ慎重にもたれかけさせた。
シャルの紺色の服は空気に晒され続けた血ですっかりドス黒くなっていた。そのほとんどが背負っていたレオの血だったのは言うまでもない。
反応を確かめようとシャルがその名を呼ぼうとするも、最初の言葉は息切れで詰まって発音すら出来なかった。シャルはむせ込んだ後、レオに再度声をかける。
「はぁ……はぁ……レオ? レオ!?」
剣を握ったまま、レオは木にもたれかかって動かなかった。
穴の開いた血染めのワイシャツ。胸には獣の爪で貫かれた傷が、内側から無理矢理突き破られた感じでぱっくりと。そのあり得ないほどの出血量が全てを物語っていた。
だが、そんなのは認めたくない、とシャルはしきりにレオの体を揺らす。必死に呼びかければ、瞼を開けてくれる、茶色い瞳でまた優しく見つめてくれる、そう信じて……。
無情にも、流血だけが弱々しく広がって行くだけだった。
涙を湛え、手を震わせるシャル。たちまち寒い孤独感に襲われ、剣を握ったままのレオの手を、震える両手で縋るように包み込む。そうする事しか出来なかった。そうする事でしか心を保てなかった。
早く返事をして欲しい……。早く手を握り返して欲しい……。シャルの願いとは裏腹に、背後から黒い波が押し寄せる。膝上まで迫った海面に、少女は助けを求める事も逃げる事も出来なかった。
また守れなかった。その失望と絶望から、命を絶つ自分の姿が漆黒の海に映し出された。
「うそ……やだ……やだよこんなの。レオ……置いて行かないで……死んじゃいやあああああああ!!」
少女の慟哭が静寂を切り裂く――。突如、レオの手と一緒に握っていた剣が眩い閃光を放った。青白い光に照らされ、辺り一帯は一瞬にして様変わり。光源のすぐ近くに居たシャルは目も開けられないほどの眩さに呑まれ思わず顔を背ける。
「――っ!? 何、これ……!」
ほどなくして、剣の装飾にはめ込まれた水色の宝石へと光は吸い込まれた。辺りは再び、土の香る湿り気を含んだ静かな空間に戻った。
何がなんだか分からず、シャルはレオの手を握ったまま不安げに周りをきょろきょろ。木々の葉擦れしか聞こえない心細い状況のさなか、両手に感触を覚えて少女はハッとする。
「……シャル」
「レオ!? よかった……。よかったよぉ……」
大きな安堵と共に、大粒の涙がシャルの頬を伝って落ちる。感極まったシャルはレオに覆いかぶさり、力一杯のハグをして喜びをぶつけた。
「助けたつもりが、助けられちゃったな……ははっ」
「……死ぬ時は一緒だよ、レオ」
優しく呟いたシャルは瞳を閉じ、レオの強い鼓動を聞きながらぬくもりを共有した。
「もう泣くなって。ちゃんと生きてるだろ」
「レオが動かないから、もう何もかも終わりだと思ったんだよぉ……! 怖かった……! また独りになるって思った……! どうしてあんな無茶しちゃうの……?」
「どうしてだろうな……必死すぎてあの時は何も考えてなかった」
潤ませたシアンブルーの瞳をレオは見つめる。
「……守りたかった。命を賭すだけの価値があった。シャルの笑顔が一番だから」
「そんな、レオが居なくなったら……笑顔になんてなれないよ……」
「それでも、生きていて欲しかったんだ。死んだら悲しむと分かっていても。ふっ……言葉にするとなんかエゴっぽいな。でも、あの時は守りたい一心だった。それだけは確かさ」
シャルの為が第一だった。ただ、よくよく分析するとシャルの為でもあり、後悔したくない自分の為でもあるのではとレオは思わされた。所詮、人間とは矛盾を抱えた生き物だ。
とにかく、真っ先に湧いた感情が「守りたい」で心底よかったとレオは微笑みながらシャルを撫でた。
「早いとこ、この地域から離れないとな……。……っと、その前にシャル、傷を見せてくれ。直してやる」
「戦ってる時にもやってたね。すぐに治るんだ?」
「傷付いた組織とか修復するだけだから、しばらく痛みは続くけどね」
「我慢できるよっ、そのくらい」
(そう言えば、どこも痛くないな……)
違和感に気付いたレオがふと自分の胸板に目をやる。いつの間にか、そこにあるはずの傷口が綺麗に無くなっていた。どうりでシャルに触れられても痛くない訳だった。
シャルが応急手当などに使用する薬液――ポーションか何かで傷を癒してくれたのだろうとレオは想像した。そうであるなら次は自分の番、とレオは剣を魔法でしまい、シャルを体に乗せたまま治療を始めた。
レオに淡い光を当てられ、シャルの脚に出来た裂傷がじわじわ消えてゆく。
術の範囲内であれば、負傷者の体外に流れ出た血液も元に戻せるのが〈修復魔法〉の強みだ。〈回復魔法〉はあくまで“回復”。患部の治癒に限る。〈修復魔法〉のように出血した分を戻したり衣服を直したりする事は出来ない。出血が多い場合、全快させた後に被術者がしばしば貧血を訴えるのはその為だ。
無論、〈回復魔法〉にも利点はある。対象を術で包み込む事で複数箇所の治療がいっぺんに可能で、体力回復と鎮痛効果を与える事が出来る。また、術者によっては複数人の治療も可能である。
一方レオの〈修復魔法〉の場合、効果を与えられるのは手元の狭い範囲。組織を修復し、傷を塞ぐだけ。時間を巻き戻している訳ではない為、緩和されるとは言え痛みは残る。
治療の面ではやはり〈回復魔法〉の方が優秀だった。
「悪いな……大切な服がオレの血ですっかり染まっちまってる」
「洗えばいいよ」
シャルには申し訳なかったが、彼女に付着した自身の血液はレオにも取り除けなかった。既にレオの傷が癒えていた為、術をかけた所で戻らない。こればかりはどうにも出来なかった。
「おびただしい量の血を浴びた男女……。このまま帰って大丈夫とは思えないが……仕方ないか」
「無視すればいいよ」
「よし、ならさっさと行こうか。ここに留まってるのは危険すぎる」
「レオ立てる?」
レオに跨っていたシャルはぴょんと立ち上がると、重そうな腰を上げるレオの腕に手を添えて立つのを手伝った。
「ああ、なんか生き返った気分だ。……いや、本当に生き返ったような。あれだけの死闘の後だってのに、体力があり余ってる」
レオは修復した赤黒いワイシャツの上から、刺された辺りを確認するように右手でさすった。痛みも無ければ疲労感も無い。完全に元通り。すっきりした朝を迎えたのと同じ感覚で、レオは不思議さと疑問の混じった表情をシャルに向ける。
「高価なポーションでも使ったのか?」
「ううん、レオの剣が光って助かったの」
「えっ! あの青白い光か!?」
「うん。水色の石の所がピカーって光って」
「おいおい、どうやって光らせた!?」
シャルの両肩をがっしり掴んでレオは真剣に問うた。謎の力を秘めた剣、〈フューリッツテイン〉の使い方のヒントが得られるかも知れない。そう思うと、レオは自然と前のめりになってしまった。
人差し指を唇に当て、シャルは曖昧な記憶から正確な情報を絞り出そうとする。
「なんだったっけ……んー、“レオ死なないで”って叫んだらなんか光った」
(斬り付けないと効果が無いと思ってた……違ったのか? ただ、オレの時は叫んじゃいない……。強く心で念じる事がカギなのか? 分からん……)
「早く行こ?」
「おっと、そうだったな」
何はともあれ、シャルに救われた。
この小柄な女子が、動かなくなった自分を獣共に喰わせまいと必死に運んでくれた。めげずに。一人で。想像したレオは、途端に胸が熱くなった。急にシャルが頼もしく見えた。レオからおのずと笑みがこぼれる。
「ありがとな。いい相棒を持った」
「それだとちょっと距離遠くなーい? もっと“愛愛”って感じが欲しい」
「なら“愛方”とか?」
「いいね! でも、普通に“愛棒”じゃダメなんだ?」
言えるはずないではないか。隠語っぽさが脳裏をかすめたから避けただなんて……。純粋な瞳を向けられては、本当の訳などとてもではないがレオは言えなかった。
無事生還
2025.5.24 文章改良&分割




