第64話 告白への答え
溢れ出す想い
しっとりとした唇が重なり合う。誰が予想しただろうか。レオは捕まえたシャルに口付けをした。
温かな繋がり。こんなにも早く願いが叶うとはシャルも思わなかった。あまりに心ときめく展開に、シャルは思わず力が抜けた。握っていた剣をその場に落とし、両手をレオの顔に添え、シャルはレオからの愛をしっかりと味わう。
「んっ……。……っ!?」
油断しきったシャルの脇腹のすぐ横を、レオの剣が一直線に通過した。あたかも刺したかのような動作は、勝負がついた事を示すには十分だった。
レオは繋げていた唇を離し、愛の無いそれを終わらせた。
甘い口付けをもう一度欲して見つめるシャル。しかし、レオが求めに応じる事は無かった。
レオにそっぽを向かれたシャルはへたり込んでしまう。そうだ、自分は負けたんだ……。愛し合う資格はまだ無いんだ……と残念な気持ちを浮かべて肩を落とす。
「悪いな。オレの勝ちだ」
「ズルいよ……」
「……」
「……でも、約束は約束だもんね。えへへ、レオの言う事なんでも聞くよ?」
水色がかった薄い銀髪を揺らして立ち上がり、紅潮させた笑顔を見せるシャル。形はどうあれキスをしてくれた。シャルにとっては大きな進展。そんなレオが望むのなら、シャルはどんな言い付けも守るつもりだった。それが幸せな未来への次の一歩だと信じて。
シャルが明るさを振り撒くほどに、レオは表情を陰らせる。
ズルい――確かに彼女の言う通りだった。だが、恋路へまっしぐらだった少女を納得させ諦めさせる方法が他にあっただろうか? 流血させずに。殺めずに。……こうする他なかったとレオは自分に言い聞かせた。
無邪気な顔で尋ねて来た女子に告げるのは心が痛かった。それでも、レオは言うと決めていた。この対決の真の狙い――告白への答えをレオはやむなく口にする。
「もう……オレについて来んな」
「ぇ……うそ……。……ぇ?」
絶望の杭がシャルの心の奥深くに到達した。脳にまで亀裂が走り思考不能。真っ黒な大海に放り出され、身体が芯から冷えて行くのをシャルはただ感じる事しか出来なかった。
数秒前の明るさは消え、目を見開いたまま動かない。その顔は、まるで死を悟ったかのよう。レオは見ていられなくなり、堪らず背を向ける。
(まさか本当に……ただ純粋に……?)
少女が一度でも怪しい素振りを見せただろうか? アサシンとして近づいて来たのなら、強引なキスをまるで待っていたかのように受け入れたり、晴れた日の浅瀬を思わせる瞳から希望の光を失ったりするだろうか?
純粋に好いてくれている可能性――朧げだったものが今になってくっきり見えて来た。
これまでの少女の振る舞いは、全て本物の愛だったのでは。
伝え方も過程も分からず、不器用ながら示し続けた心からの愛だったのでは。
(やめてくれ……。いっそ嫌いになってくれ……)
酷い事をした自覚はあった。恋い慕う気持ちを跳ね除けられたのだ。そのしんどさを想像できないレオではない。だが、側に置いておけるはずも求愛に応じられるはずもなかった。
暗殺組織の命令を忠実に実行した女だ。少女は今も飼われている。身も心も。受け入れてしまえば最後、いつか厄介な事になる。一緒には居られなかった。関わってはならなかった。
せめてもの情けでレオの方から終わらせた。
たとえ少女の想いが本物であっても……。
たとえそれが残酷な行為であっても……。
時間を食い過ぎた。じきに王国軍が駆け付ける。悪徳領主の証拠探しどころではない。本人が死んでしまって自白もさせられない。レオは少女を置き去りにして速やかに邸宅から離れた。
「アイツとは生きる世界が違う」そう何度も言い聞かせて、レオは今までの出来事を全部忘れようとした。
だが、あの天真爛漫な笑顔が頭から離れなかった……。
一途な少女を見捨てた罪悪感。関係を絶った冷酷な自分への嫌悪感。その板挟み。短い時間であったが、彼女と行動を共にし、時には共闘し、言葉を交わした事実は変わらない。割り切れない。
心がバラバラに千切れそうになりながらもレオは駆け続けた――。
淡い黄金色を帯びていた青空に夕暮れが迫る。
レオの予定では空が焼ける前に街を出て、依頼の報告も済ませて、〈カネリア〉に帰ってゆっくり献立でも考えるつもりだったのだが……人生、予定通りには行かないものだ。
陽の色に染まった石畳を先導する影法師と共に、レオは街の終わりを目指した。
何気なく足元に目をやったレオがある事に気付く。付かず離れずを保つ不審な影が背後に一つ――。
もしやと思いレオが来た道を振り返ってみると、不安げな表情で身を縮めて歩く小柄な少女の姿があった。いつからついて来ていたのやら。足を止めたレオから小さく息が漏れ出る。
「ついて来るなよ。もう終わったんだ」
「ダメ……なの? ……なんでついて行っちゃダメなの? シャルが悪い子だから? あたし、いい子にするよ? だから……」
「しつこいぞ。どっか行ってろ。オレはお前の保護者じゃない」
「もう大人だもん……」
「大人だったら諦めてさっさと田舎にでも帰んな。軍に突き出される前に」
シャルにとってそれは怖い話ではなかった。シャルが最も恐れていたのは、ここで何も得られない事。自分の正直な気持ちをシャルは拙い言葉で精一杯紡ぎ出そうとする。
「帰る……所なんて無いよ。あたしに居場所なんて無い……。でも、レオに会えてやっと、見つけたって思った。……だから、一緒に居たい……居させて……」
もうレオにしか頼めない。シャルは伝えたかった。どれだけレオと一緒に居たいかを。どれだけレオを必要としているかを。
両手を固く握り締めてうつむく銀髪の少女。前髪で隠れた目元から雫が光って落ちるのが見え、レオは居た堪れず目を背ける。
「……じゃあな」
「イヤ……。イヤだよぉ……。捨てないで……! ぐすっ……せっかく会えたのに……さよならなんて嫌だよ……。レオお願い……独りに、しないでっ!!」
このまま置いて行かれては、またしても呑まれてしまう。黒く冷たい海の底へ……。
もう嫌だった。独りになるのは。
もう二度と耐えらえない。あんな思いをするのは。
涙をこぼしながらシャルは生きる意味を求めて叫んだ。
「シャルがアサシンだから……? もう辞めたよ……。レオの為に……。信じて……」
「辞めた? 組織に領主を殺せって言われてて、その通りにしたんじゃなかったのか?」
「あれは、そう言われてたから、始末しないままレオと居る所を見られたら、言い逃れ出来ないと思って……。あたしバカだから……上手く言葉で説明できなかった……。組織に言われてたから、その通りにしたとかじゃないんだよ……? あたしはただ、心に決めた人と生きたいだけ……!」
思い違いをしていたとレオは認めざるを得なくなった。
「殺したくないなら殺さなくていい」とんだ的外れな事を言って諭そうとしていた。彼女は自ら決めて行動していた。とうに自力で敷かれたレールから抜け出して、己の判断で“敵”を斬っていた。言いなりなんかではなかった。
襲い来る不安と苦痛を、命を削って耐えるかのような面持ち。レオの瞳に映ったそれは、まるで死ぬ間際の訴えかけだった。いや、実際そうだった。シャルはそのくらい必死だった。
「レオが居なくなったら……誰を愛せばいいの? あたしの愛は本物だよ? 好きになってくれなくてもいい……。あたしの事、好きに使ってもいいから……! 利用するだけでもいいから……! 一緒に……居させて……!」
儚い雫をこぼしながら悲痛な面持ちで心の叫びを吐露する少女。半端な気持ちで臨んでいたのなら、とっくに諦めている。ふとレオは自身の振る舞いに疑問を感じた。
(オレは今まで何を見てた……? その気持ちに、本気で答えたか……?)
アサシンを辞めたと言うのなら、拒む理由も必要も無いじゃないか。そうと分かった瞬間、本心とは真逆の方を向いていた事にレオは気付かされた。
(バカかオレは……。こんなに悲しんでる子が目の前に居るってのに、放っておくのか……?)
側に置いておくのは危険だが、彼女を一人にしてしまうのはもっと危険だ。放っておくのか? それでいいのか? 少女の勇気は報われるのか?
(あーもう、そうじゃねぇ! 順番が違う! 余計な理由を付けるな! 改めて愛の告白に答える……それがまず第一だろ!!)
今日まで“人の為”を実践して来た。しかし、ここで必要なのはそれではない。見捨てるか否かでもない。一人の女子を受け入れるか否か。その愛に応じるか否かだった。自分の気持ちに嘘をつかずに。
(悲しませたくない? 放っておけない? そんな理由で答えられても、少しも嬉しくねぇだろうが……!)
どうして突き放すのがこんなにも苦しいのか? どうして純粋な気持ちで返事をしたいのか? 少女の未来を想い憂う根源に意識を向ければ、心に答えを尋ねるまでもなかった。
進むべき道へ――。知らず知らずのうちに体は勝手に動いていた。
泣き崩れる少女にそっと近づくレオ。何かされるのではと思いシャルは一瞬ビクついた。……しかし何も起きず、ぎゅっと閉じていた目をシャルは恐る恐る開く。涙を湛えたシャルの瞳に映ったのは、深く頭を下げたレオの姿だった。
「ごめん、オレがバカだった!」
「ぇ……どうして謝るの? 悪いのはシャルだよ……レオに、しつこくするから」
「疑っちまった……。向けられた想いを純粋に受け取れなかった……。許して欲しい」
アサシンを辞めていたと知らなかったとは言え、真剣なシャルを見ようともしなかった。あろう事か、その気持ちを勝負に利用した。遠ざけたい一心で……。レオはその事を誠意を込めて謝罪した。
「……“保留”は撤回だ。少しずつ進もう。一緒に」
あの時の返事を穏やかに告げると、レオはシャルの方へと歩み寄り、小さな体を優しく抱き寄せた。偽りの無い心で。
黒茶の髪に柔らかな銀の髪が混ざり合う。隔てる物は何も無い。二人はしばし胸の熱さを共有した。
(この温かさ……もう二度と得られないと思ってた……。……もう失わせたりなんか、しない)
背には夕陽の温かさ。胸にはレオの優しいぬくもり。心の奥底から安堵感が沸き上がり、ひび割れた器が包まれ癒されてゆく。生きる幸せを感じたシャルは、嬉しいのに涙が止まらなかった。
「……ちゃんとシャルの話を聞くべきだったよな」
「やっと呼んでくれたね……あたしの名前……」
シャルが仲間になったので今後は賑やかになりそうです
2016.12.27 誤字訂正
2025.4.27 文章改良&分割




