第6話 青春の瞬き
れおぽん!
握手を交わしたその日から、レオと氷華はしばしば行動を共にした。晴れの日も、雨の日も。
二人の仲は徐々に深まって行った。ある時は互いに弁当を作り合って見栄えを競ったり、どちらかが傘を忘れた時には、一つの傘の中で肩をくっつけ合ったりもした。二人同時に傘を忘れて、軒下や木陰をこそこそと渡りながら帰る事もあった。
クラスが同じなので、さすがに氷華が体操服を忘れた日にはレオも助けられなかったが、お互いに出来る限りの事をして、心と心で支え合った。
レオの読み通り、レオが側に居る間は氷華も嫌がらせを受けなかった。ただ、レオも人の子。全てを見通せる訳ではない。自身のあずかり知らぬ所で、氷華は苦しめられているかも知れない。そうした懸念が度々頭をよぎり、その都度レオは悩まされた。心配させまいと氷華が被害を訴えるとは思えず、それが余計にレオを悩ませた。
己の行為はささやかな助力に過ぎないのでは……レオはもどかしさを感じなくもなかった。それでも、氷華の笑顔が絶えた事はあれから一度も無かった。そんな彼女に、レオは幾度となく救われた。
ここまでレオと氷華が一緒に居ると、必然的に発信源不明の妙な噂が校内を飛び交う。いじめられっ子の心の隙を突いて射止めた……弱みを握って奴隷にしている……除け者同士のカップル……などなど。無論、どれも憶測にしか過ぎなかった。
レオが氷華に淫らな事を無理強いしている等の噂はことごとく外れている。実際には仲良くファミレスへ行ったり、買い物へ出かけたりして、高校生らしく楽しく過ごしていただけである。
噂好きな者に限って正確な知識や俯瞰する能力が欠如している。それを証明するかのように、「仄野氷華はいじめに遭っているのではないか?」と長らく心配していた洞察力のある少数の生徒からは安心の声が聞かれた。彼らのような知性を持った者らが何人か居ると分かれば、レオも氷華も事実無根の噂話など下劣とすら思わなくなった。
雨上がり。この日もまた、レオと氷華は肩を並べて下校した。
初めて出会った時こそ価値観の相違からすれ違っていたが、こうして月日を共に過ごし重ねると、思いのほか互いの相性がいい事に二人は気付かされた。
恵みの雨を浴びるかの如く満ち足りた時間を味わい、生命ある者として生きる事の素晴らしさを実感する毎日。こんなにも楽しいのはお互い久しぶりだった。幸せに満ちた刹那の連続をもたらしてくれる隣の支え人に、二人は密かに感謝を告げる。
暗雲が裂け、光芒が二人の行く先を照らす。鬱屈した日々なんて、いつの間にか影も形も無くなっていた。
◆
「レオ君っ、プリクラ撮ろ!」
「いつの時代のギャルだよ……」
呆れて重い足取りになりつつも、レオは前を走る氷華を置いて去ったりはしなかった。
氷華たっての希望で、ゲームセンター内を探してプリクラを撮る事になった。ユーフォーキャッチャーをしに来たはずだったのに、いつの間にか趣旨が変わっていた。
狭い箱の中でいちゃいちゃするのは、レオの“嫌いな側”の人間がする行為なので、正直言うと気は進まなかった。ただ、氷華との日々を振り返ってみると、やって来た事は青春を謳歌している気に障る連中とほぼ同じ。レオの心境は複雑だった。
(まさか自分が、“そっち側”の人間になる日が来るとは思わなかったな……)
氷華と出会わなければ、いけ好かない写真箱に入る事なんて人生で無かったかも知れない。そう思いながらぼーっと立ち尽くしていると、レオは氷華に手を引かれ、プリクラ機の一つに連れ込まれた。
外装モデルが微笑むピンクと白を基調とした箱の中は、外観とは裏腹に真っ白で清潔感があった。ただし、レオの想像通り騒がしいものだった。どこからともなくキュートな音楽が流れていて、女性の声でマニュアルを繰り返している。レオからしてみれば、もはや騒音でしかない。
(やっぱり、こう言うのは好きになれないんだけど……)
レオの心のぼやきをよそに、氷華は慣れた手つきで設定をいじくる。現在、写真の背景を選んでいるようだったが、レオには早くてよく分からなかった。その迷いの無い手捌きからして、彼女が初心者ではない事は明らかだった。
そうこうしているうちに、何故かカウントダウンが始まった――。
何がなんだか分からぬまま、レオは混乱の最高潮を迎えた。「恥ずかしがらないで、もっと近づいてよ~」そんな風に氷華が言うので、レオはぐちゃぐちゃの思考回路でなんとかその要求を脳に理解させ、それを体に伝達して行動に移した。
お互いのほっぺたがくっつきそうなくらいに体を密着させると、氷華はカメラに向かってピースサインを向ける。レオは即席のぎこちない笑顔を維持して、まばゆい光に負けずに目線を正面に合わせるだけで精一杯だった。
何度かフラッシュが焚かれると、レオが気付かぬうちに撮影は終わっていた。氷華はポーズを変えたりもしていたが、残念ながらレオにはそんな余裕は無かった。
「出ていいよ~」
氷華の呼び掛けでレオはプリクラ機から速やかに脱出した。風呂場で洗われた猫のように、レオが疲れた顔をして出て来たのは言うまでも無いだろう。
(もう、訳分からん……)
未だに目がチカチカしていてレオは閉じた両目を押さえる。カウントダウンのせいでやけに緊張した事だけは覚えているが、その他の記憶はほとんど無かった。機械から発せられていた騒音と、朧げな一連の流れが頭の中で渦を巻く。もはや原形を留めていない。覚えているはずがなかった。
そう言えば、氷華が戻って来ない。様子を確認するべく、レオは渋々振り返る。ピンクと白の写真箱に居残って氷華は何やら作業をしていた。嫌な予感がしてレオが覗き込みに行こうとするが――。
「あーっ! 待って待って! すぐ終わるから!!」
どうせすぐに分かる。レオは怪しみつつも、無理に押し入ったりはしなかった。
待つ事数秒。遅れて氷華がプリクラ機から出て来た。印刷された写真を受け取って嬉しそうに出来栄えを確認する氷華。可愛らしいが、やはりレオは嫌な予感しかしなかった。
「はい!」
出来上がった写真を氷華が見せてくれた。
「どうせ目ん玉とかでかくしてんだろ……」
「ふっふ~、そうかなぁ?」
渡された物をレオは確認してみたが、意外と普通な感じで撮られていた。お互いの顔は改造されておらず、綺麗なまま残されていた。もっとも、レオの変な笑い方は綺麗とは言い難い、酷いあり様だった。
(クッソ……。撮り直してぇ……)
ピースサインを向けて心底楽しそうにする氷華。その隣で不自然な笑みを浮かべる自分の姿を目の当たりにすれば、レオは苦笑いが止まらなかった。しかも、どの一枚もレオは同じ顔、同じ姿勢。氷華だけが生き生きとしていて、場違い感が尋常ではなかった。
「ん?」
ただの背景かとレオは思っていたが、よく見ると自分達を囲う大きなハートマークの落書きがされていた。その他にも星などの小さな落書き。終いには、「ひえか」「れおぽん」の文字がワイシャツ姿の男女の横に書かれていた。明らかに氷華のいたずらだ。
「だーれだよッ! “れおぽん”って!」
「あ、そっちなんだ……。てっきりハートの方を言われると思ってたのに」
「お前、そんな呼び方一度もした事ねぇだろ!」
「いや~事故だって! “レオ君”って書こうとしたんだよ?」
嘘だ。レオにはそれが嘘にしか聞こえなかった。事故だと言っておきながら、氷華は随分と楽しそうで嬉しそうな顔をしている。発言と態度が合致していない。嘘に決まっていた。
「で、ハートは何? “流行りなんだよぉ~”とか言わせねぇからな……」
レオの可愛い声真似の直後の圧力が物凄く、氷華はごくりと喉を鳴らして唾を飲んだ。思わず目も泳いでしまった。
「こう言うのって、好きな人同士で撮るものなんでしょ? 悪乗りしたくなるじゃん」
「女同士、家族同士で撮ったりもするけどな……」
「でもまぁ、二人の記念だからハートで囲っちゃった!」
「そんな事言われると照れる」
レオが苦笑い気味に言うので、氷華はおかしくてくすくすと笑いをこぼした。レオの発言と表情が全然合っていないのが氷華的には面白かった。
そして、レオは手に持った写真をまた眺め始める。心なしか難しい顔をしているので、氷華はレオの顔を覗き込んだ。
「嫌だったらその写真、全部あたしが貰うよ」
「嫌じゃないけど、もうちょっと段取りを教えてくれてもよかったじゃんか」
「あ、レオ君初めてだったんだ……ちょっと意外かも」
バカにしてる訳じゃないよ、と氷華は耳打ちする素振りをして小声でこっそり付け加える。その言葉が無ければ、レオは心外に思っていた所だった。
「そう言う氷華は初めてじゃないんだろ?」
「あ、うん。友達と来た事あるから」
その友達が例の“美樹ちゃん”である事は、説明されずともレオは察しがついた。離れ離れになった記憶を掘り起こしてしまったかも知れない……レオは申し訳なさを僅かに滲ませる。そんなレオの気持ちを慰めるかのように、氷華はいつも通りの可憐な笑顔を絶やさなかった。
(もう気にしてないのか)
こうして自分が隣に居る事で、氷華が辛い出来事を忘れてくれているのなら、レオにとってこれほど嬉しい事は無かった。今までの居場所を捨てた甲斐があったと改めて感じさせられた。
不意にある事を思い出し、「あっ」と氷華が声を上げる。
「そう言えば! あたし達、ユーフォーキャッチャーしに来たんだよね?」
「実はそうなんだよ」
やっと本来の目的を思い出してくれた、とレオは呆れた笑みを氷華に向ける。
「じゃあ、下の階に行こ!」
氷華は軽快にステップを繰り返し、赤茶のサイドテールを揺らしながらレオの前を行く。時折ひらりとめくれる紺色のスカートから綺麗な太ももが露わになって、下着が見えそうで見えない。
わざとやっているんじゃなかろうなと思いながら、レオは彼女の後を追うように歩き始めた。
◆
ゲームセンターでたっぷり遊んだ後、帰る前にレオと氷華は近くのカフェで一休みしていた。
レオと氷華でお金を出し合い、なんとかゲットした白狼のぬいぐるみ。それを大切そうに抱き締める氷華。可愛らしさしか感じられず、レオも思わず頬が緩む。
「飲み物こぼしたらシミになるぞ。白いんだから」
「そうだった。しまっておこう」
レオに言われた通り、氷華はささっと景品袋にぬいぐるみを避難させた。
「いただきますっ」
氷華はぬいぐるみからフォークに持ち替え、注文したブルーベリーレアチーズケーキを頬張る。外見こそ立派な女子高生だが、幸せそうに食べるその様子は、まるで無邪気な子供だった。
一方のレオはミルクと砂糖を入れた紅茶だけ。見かねた氷華が一口大に自身のケーキを切り分ける。
「一口あげるねっ」
「なんだ、そのデカいのくれんのか?」
「いや、こっちだってば……」
そんな訳ないでしょ、と苦笑いを浮かべて氷華は切り分けた小さい方にフォークを突き刺し、レオに差し出す。一口恵んでもらったレオはその濃厚な味を舌の上で堪能すると、紅茶を飲んで風味の変化を楽しんだ。
「楽しい時間ってあっという間だよね。美味しいケーキみたい」
「過剰摂取は毒だもんな。似てる似てる」
「も~、せっかくいい事言ったのにぃ……」
ムッとする氷華。不満を紛らわすかのように、すぐさまケーキを口に運ぶ。
「でも、ホント気を付けろよ。お前甘いもん好きだろ。この調子だと絶対マズいって」
「平気だよ。きっと今みたいにレオ君が止めてくれるし」
氷華の不意打ちウィンクを食らい、紅茶を噴き出しそうになってレオはむせた。ずっと隣に居るつもりなのかと思うと耐えられなかった。
気持ちが落ち着いた所でレオが改めて氷華の方に目をやると、彼女は正面ではなく店の外に顔を向けていた。何かと思えば、買い物帰りの家族連れを微笑ましそうに氷華は見つめていた。微笑ましそう? ――いや、レオの瞳には羨望のようにも映った。
「氷華は、夢とか将来やりたい事とかあるのか?」
唐突にそのように聞かれても、うーん……と氷華は長々と首をかしげるしかなかった。
「やりたい事はいっぱいあるけど、夢はまだ無いかな」
「そうか」
「どうしたの急に?」
「いや。夢があるなら、応援しようかなって……」
小恥ずかしくて無意識のうちにレオの声量は控え目になった。視線も合わせられなかった。
「え、レオ君の夢叶えなよ」
「オレには、そんなもの無いからさ」
「ふーん」
「……無いから、氷華の夢をって思っただけ」
二度目となるとそれほど小恥ずかしくはなかった。だが、夢の欠片も無いと言う現実を突き付けられ、レオはどうしても呟くようになってしまった。
「無くてもいいんだよ。大きな夢も、立派な将来設計も」
そう語る氷華は、いつになく穏やかな顔をしていた。
「目の前にある、自分のやりたい事をやればいいと思う。一生懸命に。人間の人生なんて、たった60、70そこらの期間しか無いんだし。若いうちにやりたい事をやっておかないと、きっと後悔するよ」
正しい正しくないは別として、案外しっかりした人生観を持っている事にレオは素直に驚かされた。先程まで無邪気にケーキを頬張っていた少女はどこへ行ったのやら。
「レオ君はやりたい事無いの? 大学行きたいとか、パン屋さんやりたいとか」
「それすら無いな……。つまんねぇ男だろ」
「恋したい、とかは……?」
「……からかってんのか?」
氷華が照れた様子で上目遣いの視線を送って来るので、レオは思わず顔を背けてしまった。直視し続けていたら火傷では済まなかった。
「そっかぁ……。無いかー……」
わざとらしく残念がる氷華。満更でもなさそうなレオの反応を見てニコニコすると、氷華は気を取り直して元の姿勢に戻った。
「でも、それでもいいんだよ。誰かの悩みを聞いたり、誰かに手を差し伸べたり、困ってる人を助ける。それだけで立派な人生だから。あたしなら、それだけでもう満点あげちゃう」
正面に座るレオに親愛の眼差しを向け、氷華は笑顔を咲かせる。
「レオ君の人生は満点だよっ。あたしが保証する」
あまりにも眩しい。けれども、陽だまりの中に居るかのよう。空虚な人生が、氷華の温かさで埋まって行く――。そんな感覚をこの時、レオは胸に抱いた。
男同士でプリクラ出来ないってホント?
調べるまで知りませんでした。