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緋月-スカーレット・ルナ-  作者: 白銀ダン
1.アビスゲート編

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第51話 牽制と牽制

恐れていた事態



 翌朝、アスタルを始末し損ねた事が発覚した。


 宿泊していたホテルの一室で立ち尽くすレオ。嫌な胸騒ぎは正しかった。アスタル・クローネが病院に搬送された――朝のニュース番組はこの事件の話で持ち切りだった。


 レオは初めてミスを犯した。


 剣を抜いた後のアスタルは事切れたようにも見えたが、実際には気絶していただけだったと言う最悪の結末を迎えた。やはり死亡を確認しなかったのがマズかった。何より、ワイングラスが床に落ちた事で、部屋の外で待機していたボディーガードに異変を察知されてしまったのがレオとしては痛かった。


 しかも、何を思ったか、あの時アスタルの腹を刺した。首や心臓を狙うならまだしも、確実に死を与えられる保証の無い腹部だ。暗殺するならそうした急所を狙うのがセオリーだが、依頼主が望むのならとクソ真面目に痛めつけた。


 無意識に急所を避けたのでは――? 今思うと殺意が下降気味だった。気持ちを切り替えられなかったが為に起きた悪夢なのでは、とレオは眼光鋭く昨夜の一幕を振り返る。


 なんにせよ、心の迷いが夜を経て返って来たとしか言いようがない。律儀なものだ。


(律儀に返って来てんじゃねぇクソが……。早いとこ始末しねぇとな……)


 アスタルには顔を知られている。レオの脳裏を不安感と焦燥感が支配する。襲撃者の正体を周囲に言いふらされてしまったら一巻の終わりだ。もしもそうなれば、このまま裏社会で生き続けるか、人の目を気にしながら怯えて生きるしか道が無い。


 なんたる不覚。際限無く込み上げる怒りをレオはひたすら噛み締める。


『アスタル・クローネ氏が所有する現在のビルの様子です。戦闘があったと思われる階層の窓ガラスが割れています。周辺は人通り……』

『えー、今入った情報です。クローネ氏が取材に応じるとの事で、病院前からの中継です』


(――ッ! 何を言う気だ!?)


 嫌な予感――それはレオの背中をゾワゾワと駆け上がった。今すぐに現場に行って口封じを出来ればいいがそうではない。中継映像が流れると聞き、レオは画面から目が離せなくなった。


『今、入院先の病院からクローネ氏が出て来ました! 腹部を刺されたとの事でしたが、自身の足で歩いています! どうやら魔法による治療を行ったようです!』


 姿を見せたアスタルが何人かの記者に囲まれる。気になる第一声は、レオの予想に反して実に穏やかだった。


『皆様、ご心配をおかけしました。……私は大きな過ちを犯しました。多くの方々が日夜“痛み”と戦っているのに、顧みずに生きていた。恥ずかしい限りです。……これからは、そうした人々の支えとなりたい。償いたい』


 慈善活動を推進して行く。助かった命はきっとその為のもの――。云々。どれも到底本心とは思えないものだった。贅沢と金の為なら人を不幸の谷に蹴落とす事すら厭わない女社長から出て来る言葉ではない。世間向けに繕った善人面だろう、とレオは冷ややかな目で見る。


 悪女に不相応な事を語って、画面の向こうのアスタルは病院に引き返して行った。襲撃者については喋らなかったが、建物内で昨夜の詳細を話していないとは限らない。レオは鋭い視線を画面に向け続けた。


(腹黒女が猫被りやがって……。報道されちまった以上、何かしら手を打たねぇとな……)


 アスタルの動向はもちろんだが、この失態をデリーターにどう説明するかも問題だった。暗殺失敗を知られればただでは済まないだろう。


(あれは作戦の一環……オレが差し向けた殺し屋からアスタルを救出して信頼を得た。これでどうにか凌げるか……?)


 苦し紛れだが、取りあえずアジトに戻ってフィアレイン辺りにもっともらしい経緯を話そうとレオは考えた。彼女を中心に話が自然と広まるのが望ましい。大声でアピールしてはかえって怪しまれる。


 アイスは? 一瞬その姿がレオの脳裏を掠めた。だが、彼女とは口喧嘩をしたきりだ。自動的に除外された。自ら突き放しておいて仲直りもせずに頼るのは虫が良すぎる。何より情けない。


 自分が起こしたミスだ。自分で覆せ。厳しく自身を咎め、レオは手の中に取り出した〈転移魔石〉をしっかり握ってアジトへと飛んだ。



 瞬きを終えると、レオの目の前に小雨舞う廃墟群が現れた。荒廃した居心地の悪さは相変わらず。予想では、これからもっと居心地が悪くなる。レオは空気を吸うのも億劫になった。


 発言次第では殺される。しかし、黙っていては余計に立場が危うくなるだけだ。ハッキリと主張するべき。行くしかない。レオは静かに歩を進める。


 何を言われても平常で居なければならない。油断も過信も、敵対も謙遜も不正解。普段通り振る舞いつつ、筋肉をいつでも稼働できるように警戒しておくのがベスト。深刻な状況から来る険しさを借り、レオは堂々と進んだ。動揺を悟られてしまえば、きっと彼らの言いなりになる――。



 軋む扉を開けてホールへ。目当てのフィアレインは――彼女お気に入りの定位置であるカウンター席に座っていた。


 例によって、今日も朝から度数のありそうな酒を飲んでいた。酒の減り具合がフィアレインの機嫌の良し悪しの目安となる。瓶にまだ半分以上残っている。恐らく機嫌がいい。レオとしては願ったり叶ったりだった。


 案外、何事も起こらずに済みそうだ。レオがそう思ったのも束の間。レオの行く手を悪態男――ヴェリオールが無言で塞いだ。


(コイツ……)


 面倒な奴に絡まれてしまった。彼は相性の悪いメンバーの1人である。しょっちゅう言いがかりをつけては、最後に鼻で笑って悪態をつく。あたかも自分が「正しい」「優れている」と言わんばかりに。その態度と性格からレオは好きではない。


 気だるそうな姿勢で、フレームレスのサングラス越しからヴェリオールがガンを飛ばして来る。ここで表情を変えては舐められる、とレオもすぐさま鋭く睨み返した。


 一触即発。レオとヴェリオールの睨み合いを、珍しく揃っていたメンバーが遠くから見物する。これは何か面白い事が始まる――中でもミラは獣耳をぴんと立ててニヤついていた。


「テメェ、ヘマしたな」

「……勘違いするなヴェリオール」


(知っていやがる……)


 今にも本気の殺し合いが始まってしまいそう。張り詰めた異様な空気に、ホールの片隅に居たアイスが成り行きを心配そうに見守る。


 こう言う時は空気の読めないミラが割って入り、面白がってヴェリオールを煽りまくる。標的がミラに移る事が多い。だが、今日のミラは楽しげな口元をして眺めているだけ。敵意が分散される展開は期待できそうになかった。だからこそレオは真っ向から対峙した。


 「まあ、珍しい」とフィアレインがどちらでもよさそうな口調で言うので、レオは勘違いである事を再度主張した。しかし、猜疑心の強い傲慢な男がそれで納得するはずもなく……。


「勘違いだ? テメェが殺り損ねた奴だろ、あの女は! 情でも湧いたか?」

「あれは作戦の一環だ。邪魔したら殺す」

「ああ。しくじったらぶっ殺してやるから覚悟しとけよ……」


 ヴェリオールは捨て台詞を痰みたいに吐いて去って行った。胸糞悪さを糧にレオの怒りが勢いを増す。しかし、なんの収穫も無かった訳ではない。むかむかの塊からレオは光明を見出した。


 ヴェリオールの発言から察するに、きっとまだ背後から刺せるだけの確証が無い。他の連中も同様だとレオは考えた。その証拠に、周りから注がれていた視線が一斉に離れて行くのをレオは感じた。やらかした男から自分の素性が明るみに出そうだと思ったなら、こうも悠長に構えていられまい。


(奴らも決定的な情報は掴んでない。様子見……牽制の段階。あるいは事件があった事すら知らない。まだ風はオレに吹いてる)


 他に敵意が無いかホールを見回すレオ。アイスと目が合ったが逸らされてしまった。味方も居やしない。頼れるのは己の力のみ。当然の報いだ。現状を受け入れ、レオは自力での解決を改めて決意する。


 何はともあれ、図らずも“作戦”はメンバーに伝わった。アスタルの暗殺が未遂で終わったと知られていない以上、彼らは確証を得るまで動けない。怪しく思われる事があっても疑惑止まり。首の皮一枚繋がり、ひとまずレオは安堵した。


 無論、油断は禁物。念には念だ。更なるカモフラージュとして、レオはフィアレインから自白薬を貰う事にした。よくある取引だ。アスタルから贈られた名酒を渡すと、彼女は喜んで応じてくれた。


(……これで形は作れた)


 あとは斬るのみ。今度こそ悪女を仕留めるべく、レオはすぐにアジトを発った。



状況はすこぶる悪いが果たして……


2025.4.5 文章改良&51話として追加

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