第45話 ナミア祭
こっちで言うクリスマス的な祭り
好天――。だからと言って陽気な気分になれるとは限らない。
役所を後にしたレオとアイスを待っていたのは、日に日に力を増す冬の寒さだった。室内との温度差も相まって、二人とも余計に寒く感じた。街を通り抜けて向かって来る優しいそよ風も、こうなるともはや肌を刺す冷たい凶器。揃って表情をこわばらせる。
アイスはダッフルコートできちんと寒さ対策をして来た。しかし、疎かにしていた首元を攻められ、アイスは思わず縮こまる。12月の初めだったので油断していた。冬の秘密兵器――魔石を織り込んだ温熱効果のあるショールを家に置いて来てしまった事をアイスはちょっぴり後悔する。
さすがにワイシャツ一枚では出歩かなくなったレオだが、上着はカーディガンのみ。相変わらず時期がひと月ズレた格好をしていた。
我慢できる寒さだとレオはコートすら着ない。しかも袖は上げっぱなし。暖かい服を身に纏った街の人とは大違い。今朝家を出た時と同様、アイスが心配の目をレオに向ける。
「レオ絶対寒いでしょ……」
「今にも鳥肌立ちそうだけど、まだ大丈夫」
「まだって……」
どう見ても鳥肌が立っているし、見ている方が風邪をひきそうだ。「歩けば温まる」と言われても半信半疑で、アイスは苦々しく笑うしかなかった。
「そんな事より、今日やけに人多くねぇか? 都会だから多いってレベルじゃないぞ」
「今日から“ナミア祭”なんじゃないかな?」
「ああ、そう言う時期だったか」
この日は、教典が記された石碑が天から落とされ、ナミアが降臨した日と言われており、王国内のみならず大陸各地で〈ナミア祭〉が行われる。国境を越えて人々の心が一つになる〈エクーリア大陸〉の伝統行事である。
普通の祝祭日では通常営業の企業や店屋も、この日は午前中で仕事を切り上げて午後には祭りに参加する事が多い。人出は当然ながら各地で爆増する。ここ首都エレクシアならなおさらだ。
〈ナミア祭〉の参加資格は特に無く、誰でも自由に楽しめる。ナミアを信じる者、信じない者、マナーを守れば分け隔て無く歓迎される。
朝起きたら、天に向かってナミアに感謝の意を捧げるのが古くからの習わしだが、恥ずかしければ念じるだけでもいい事になっている。強制してしまっては伝わるものも伝わらない、と教典にのっとり感謝の形に指定は無い。
〈ナミア祭〉の風物詩として、街のあちらこちらで太陽・月・星をかたどった装飾が飾られている。世界を創世した神ナミアを象徴する物がその3つなのだ。
この祝祭には特徴がもう一つ。
一目瞭然。街の至る所が造花で美しく彩られている。冬の花のみならず、春や夏の花々まで。一見すると季節外れに思えるが、これにも由緒正しい理由がある。
創世神話では、ナミアが降臨したその日、冬の大地が瞬く間に目覚めたとされている。彼女が起こした神の御業を模して、素敵な春の到来を願って、人々は街に幾万もの花を咲かせるのだ。
見物の途中、レオとアイスは街角で造花を貰った。この日は行き交う人達にも花が。とりわけ髪飾りに造花を添えた女子の姿が目立つ。せっかくなので二人は皆に倣って花を身に着ける事にした。
「綺麗だな」
「この時期は特にいいよねっ」
「街だけじゃないさ。アイスもな」
「えっ――」
レオのクールな笑みを受けてアイスはあっという間に赤くなった。
「あ、あっ、レオって今日が初めて……!?」
「初めてだといい事でもあるのか?」
「そ、そっか! じゃあ、いっぱい見て回ろうね……!」
元よりそのつもりだったレオはアイスと共に街の散策を続行した。
さすがは首都。イベントエリアの外側でも盛況っぷりは変わらない。沢山の露店や屋台が行く先々で開かれており、どの通りも大勢の人で賑わっていた。
それらの中には無料で自慢の料理を振る舞ってくれる所もあった。レオにとってはなかなかのカルチャーショックだった。皆が今日一日を笑顔で過ごせるなら、と物々交換も時折行われる大陸の価値観も相まって、採算度外視で大盤振る舞いをする事を厭わない店も多いのだ。とりわけ〈ナミア祭〉では。
郷土料理の屋台に交じって綿菓子屋やたこ焼き屋が見られ、レオはどこか懐かしさを覚えた。“この世界には存在し得ない”と思っていた物が唐突に、その上あまりにも自然に出て来る。まるで夢が見せる記憶の断片の中を歩いている気分だった。
昼食がまだ済んでいなかったので、レオ達は好きな物を買って食べる事にした。
レオがたこ焼きを1パック購入した所、店主がレオとアイスを恋人同士と勘違い。「二人で分けたら物足りねぇだろう?」と笑顔で1パックサービスして来た。
恋仲だと思われるのは別に構わなかったが、周りが支払っている中でのこの待遇にはさすがのレオも気が引けた。申し訳ないのでレオが代金を払おうとすると、顔を真っ赤にしたアイスにレオは引き留められた。素直に貰って感謝するのが礼儀らしい事をレオはその時初めて理解した。
“変な青年”に映ったに違いない。気恥ずかしさをこぼして礼を言い、レオは店主の温かい気持ちを受け取った。
その他にも、花形のクッキーとメレンゲの詰め合わせや、牛肉を優しい味付けで煮込んだスープを買い、レオ達は造花が捧げられたナミア像のある広場のベンチに腰かける。
母なる神ナミア。姿勢こそ違えど、どの地域のナミア像もグラマーなものばかり。ここも他と同様になかなかのプロポーションである。なお、ナミア本人とは正反対な容姿である事は皆知るよしもない。ただ一人――レオを除いては。
(どうりで爺ちゃんが“金髪巨乳ナミア”とか言う幻想を抱いていた訳だ……)
一体どこの誰が豊満なナミア像を広めたのやら。降臨した云々の神話が事実なら、ナミアをその目で見た人が居るはずなのだが? 神の姿すらも都合のいい形に変えてしまう人間の想像力に、レオはふっと呆れを滲ませる。
なんにせよ、そこには確かに人々の祈りや願いが反映されていた。その姿は、豊かさをもたらす母神に相応しい。
「たこ焼き食べるか?」
両手が塞がっているアイスの方へ、レオは串に刺したたこ焼きを差し出した。応じるか否かで心の距離を測ろうなどと言う目論見は無く、純粋にレオは遊び心でやっていた。何より、状況に慌てるアイス、ぱくっと食いつくアイス、どちらに転んでも可愛らしい。
急に訪れた恥ずかしい展開。アイスは堪らず紅い瞳を逸らしてはにかんだ。
「で、でも、私の分もあるから……!」
「手塞がってて食べらんねぇだろ? ほら」
少し躊躇いながらも、アイスは目の前に出されたたこ焼きを頬張った。甘いソースとからしマヨネーズがたこ焼きと絡み合い、口いっぱいに広がる幸せでほっぺたが落ちそうになったのは言うまでもない。
アイスの幸せそうな表情を見届けてレオも続いた。「意外性も無く、普通に“たこ焼き”」がレオの第一印象だった。決して悪い意味ではない。
外はカリっと、中はふわふわ。タコの存在感もある。なんのタコかは不明だったが、中身を確認するとちゃんとメスを使用している事が分かった。それなりに素材にも熱を注いでいる事がうかがえて、懐かしさの補正もあって、レオはかなり満足した。
「じゃあ、私のスープも味見していいよ」
「そっちも気になってたんだよなぁ」
「はい、気を付けてね」
慎重にスープの入った器をレオに手渡すアイス。そのまま何気なくレオの食べる様子を見ていたアイスだったが、見ていてある事に気付いてしまった――。
(あれ……スプーン1つ。レオと間接キス――!?)
今にして思えば、スプーンが足りないではないか。間接キスが確定した。
(って言うか、レオの串で既に! レオはなんとも思わないの……!?)
なんとも思わないからこうして味見をしたり食べさせたり出来るのである。アイスが気にしているほどレオは気にしていなかった。裏を返せば、レオにとって今のアイスはそれだけ親しい相手だった。
この後の展開を想像して恥ずかしがるアイスをよそにレオは舌鼓。じっくり煮込まれた牛肉と野菜、出汁の効いた琥珀色のスープ、それらの三重奏には文句のつけようがなかった。パンを浸して食べたくなる、僅かに塩気のある絶妙な甘口の味付けが身体を芯から温めてくれる。惜しむべきは、一口限りの幸せである事だけだった。
「ありがと、美味しかったよ」
「あ、待って? 器まだ持ってて」
アイスは〈保管魔法〉でサイダーを取り出して、それを二人の間に置いた。喉が渇くだろうと思ってレオの分も購入していたのだ。
「いつの間に。すっかり飲み物買い忘れてたわ。助かる」
「ちょっとぬるくなっちゃったけどね」
「へいへーい、オレの出番だな?」
座れる場所探しで歩き回った為か、確かに少しぬるくなっていた。いくら冬とは言え、ぬるい炭酸はぬるい牛乳並に微妙だ。そこで、レオは両方のボトルを魔法で瞬時に冷却した。
やはり炭酸飲料は冷えた物に限る。これにはアイスも喜びを湛えた。
「ありがと~っ。レオの魔法も便利だよね」
「こんな時くらいしか使い道が無いけどね……」
「そ、そんな事無いよ」
「にしても、アイスはサイダー好きだなぁ」
「えへへ……」
前に街で待ち合わせした時も飲んでいた。店でもよく頼んでいる事をレオは知っている。酒が苦手だと言う、実にアイスらしい嗜好だった。
「オレも人の事言えないけど。酒よりコーラ! 酔いより炭酸!」
「お、おーっ!」
好みの意見が合い、親しげな視線を交わすレオとアイス。
〈ナミア祭〉を祝うにこやかな市民に交じり、ここにも笑顔が一つ咲く。
やっぱ酒よりコーラよ(三○矢サイダー派)
2025.3.22 45話として追加




