第169話 白狼の覚悟
CS本部に単身乗り込んだアイス。果たして……。
「夢と現実の区別がつかなくなった憐れな小娘に教えてやろうじゃないか。惨すぎる“真実”と言うものを――」
何か仕掛けて来そうな予感から、アイスは先制攻撃で敵数を減らそうと考えた。しかし、突如としてアイスを襲った閉塞感がそれを阻んだ。
(魔法が出ない――!?)
侵入される。マズい。そう思った時には既に遅かった。
「お前、恋してるな」
「――っ!?」
アイスは目を丸くする。湧き上がったのは羞恥ではなく、ゾワゾワと背筋を伝う不快感。大切に育んで来た恋心を素手で撫でられしゃぶられたかのような嫌悪感であった。
これ以上は耐えられそうにない。今すぐにやめさせたい。
しかし、魔法を封じられ自衛する術を失ったアイスは丸裸も同然。いとも容易く心の深層まで覗き込まれてしまう。
「実にくだらない。お前など愛されない。奴はお前を性のはけ口としか思っていない」
「やめてやめて!! レオはそんな事しない!! 思ってない!!」
「いずれそうなる。お前自身も分かっているのだろう? 人の記憶を弄ぶお前が愛されるはずがない。カネリアはお前の為の愛の巣ではない。アイツは姫の方を選ぶ。当然だ。お前なんぞ娶るに値しないからだ。さっさと幻想から目を覚ませ。現実を見ろ」
アイスは苦しげな顔で眼前の敵を睨む。吐き気を催す言葉に眩暈がしそうだった。
(ダメ……! 耳を傾けちゃダメ! 集中して魔法を……!)
魔能無効化を食らいながらも一度は破っている。感覚を研ぎ澄ませば出来るはずだとアイスは自分に言い聞かせる。
しかし、あの時のようには行かない。精神を衝くような口撃で感情を揺さぶられては、思うように力をコントロール出来なかった。
「どうしてお前みたいな無価値な女を側に置くと思う? その理由はただ1つ。少し押し倒せば、簡単に身を委ね捧げる女だからだ。それ以外に理由があると思うか? お前には姫のような人格も、品格も、美しさも無い。単なる憂さ晴らしの玩具なのだ」
「そんな、違う……」
「愛し合っているなど幻想。お前が勝手に舞い上がっているだけに過ぎない。へらへら笑って恥ずかしくないのか?」
レオの愛情が幻想なら、昨夜の救出劇はなんだったのか? 合わせた拳はなんだったのか? 思考を惑わす厭わしい言葉に抗おうとアイスは心を燃やす。
「そうじゃない……! レオは私を想ってくれてる!! 勝手な事言わないでッ!!」
「そうだった。お前があの男を都合のいい形に作り変えた事を忘れていた。否定されるはずがなかったな――」
その怒りに呼応するかの如く、涙ぐむ少女の全身から青白い雷光が溢れ出る――。
(――あれ? 魔法が使える……)
青雷をコントロール出来た事でアイスにふと冷静さが戻る。出力の調整と共に乱れた髪が落ち着いた。
しかし、一体何故? せっかく魔法を封じたのにやめさせるだなんてあり得るのか? そんな風に疑問に思っていたアイスだったが、ローヴェンの鋭い視線が自分の後ろの方に向けられている事に気が付いた。
「――あらら。なんだか修羅場みてぇだな」
ただならぬ気配を背後に感じ、アイスはすぐさま振り向く。聞き覚えのある低い声質からして嫌な予感しかしなかった。
「え……? どうしてここに……!?」
アイスの嫌な予感が的中。ウロジオン――背後に危険すぎる大男が立っていた。
居るはずのない人物が突如として現れ、アイスは驚きのあまり壁の方へと後ずさりした。視線を床に向けてみれば、出入り口に立っていた魔能無効化男が首をへし折られて倒れているではないか。どうりで魔法の行使が可能になった訳だ、とアイスは知らぬ間に起きていた急展開の全容を知る。
「私をつけて来たの……!?」
「そう構えるなって。俺の狙いはお前じゃない」
思わぬ侵入者の出現にローヴェンの警戒心が高まる。余裕綽々だったローヴェンがその強面の顔に焦りを滲ませ、銃を持って立ち上がったのが何よりの証拠だ。
「一体どうなっている……。昨晩の争いでデリーターとの繋がりは完全に切れているはず……。己の記憶を書き換え、こうなる展開を伏せていたか……?」
「違う! そうじゃない!」
ローヴェンは謀略だと思っているようだが、アイスはデリーターを抜けた身だ。ウロジオンが来る事など知らない――知る術がない。こんな事態になるとはアイスも想定外だった。
組織を裏切りった邪魔者を殺すべく、その足跡を辿り、最悪のタイミングで現れた。事の経緯をシンプルに推測すると、そうとしか考えられない。……のだが、彼の言葉を信じるなら、どうやらそうではないらしい。だからアイスも頭が混乱していた。
「俺に協力者が居たって不思議じゃないだろ。人望の欠片も無いとでも?」
「ふん。洗い出して全身の皮を剥いでくれる。お前を殺した後でな」
内通者には死をもって償わせる。そう言わんばかりのローヴェンの容赦無き姿勢にウロジオンはニヤリとする。
「裏切った人間は徹底的に痛めつけて殺す……か」
「何がおかしい」
「お前ら、光を支える柱を謳っているらしいが、光に柱なんてものは無い。あるのは闇。それだけだ。お前らは俺達と同様、闇の存在だ」
「貴様らとは違う」
「いいや、同じだ。つい最近、裏切り者を始末するのに血眼になっていた奴がこっちにも居た。そっくりだよなぁ。どこが違う?」
いくら体裁を整えようと闇は闇。崇高な理想を掲げ、どんなに善行をしていると宣っても無駄。表の人間を誤魔化せても裏の住人には通用しない。ウロジオンはおかしくて鼻で笑う。
「お前が事実上のリーダーだったな」
「……」
それを聞いたウロジオンは無言でアイスの方に顔を向ける。
「おいナナ子。お前、情報流したな」
「あはは……」
「一体どこまで垂れ流しちまったんだ……?」
「結構教えちゃった気が……」
苦笑いを浮かべながらもアイスは素直に答えた。
「仕方ねぇ奴だな。そんじゃあ、なんだ。ここに居る連中は俺の力を知ってるのか?」
これにもアイスは静かにうなずく。魔能を敵勢力に漏らされたら腹を立てそうなものだが、ウロジオンは少しもはぐらかしたりしない少女に「上等上等」と笑って返すだけだった。
「俺の情報を集めたご褒美にてめぇら全員消し飛ばしてやりたい所だが……その前にだ。お前、借りパクしてるだろ」
「え?」
「出す物を出せ」と言うように、ウロジオンが困り顔のアイスに向かって手招きを繰り返す。
「ほら。俺から借りてる物があんだろう。魔石を譲ったつもりはない。さっさと返してくれ」
「――っあ。あ、はい……!」
不意になんの話か思い出し、アイスは咄嗟に青い魔石を下投げで持ち主に返却した。〈転移魔石〉が借り物である事をすっかり忘れていた。指摘されなければ、ずっと借りたままになっていた事だろう。
しかし、妙な感じが未だ拭えず、一転してアイスは目付きを鋭くする。
ウロジオンがこうして自分の前に現れたのは、貸していた〈転移魔石〉を回収する為である。……その説はやはり考えにくかった。魔石が目当てなら、外で接触すればいいだけの事だ。わざわざ敵地の奥深くまでやって来てする事ではない。何か別の理由があると見るのが妥当だった。
「な、何しに来たの……?」
「お前を助ける為、つったら戦わなくて済むか?」
「嘘言わないで。何か企んでるはず……。こんな風に偶然出会うはずない……!」
「ククっ、確かに企んでる。だが、こればかりは偶然なんだよなぁ。お前が俺の所に来たのとは真逆だ」
痺れを切らし、ローヴェンがウロジオンに銃口を向ける。
「無駄話が多いな」
「こっちは大事な話をしてんだ」
「仲間をいくら引き連れようと変わらない。ここで全員死んでもらう」
一段増した敵意に反応し、アイスはローヴェンの方を向いて身構えた。それを見たウロジオンが手を払うような仕草と共に口を開く。
「ナナ子、お前は行け」
「私は決着をつけないといけないの……!」
「お前が居ると邪魔だ」
ウロジオンの実力を知らないアイスではない。戦闘スタイルは一言で言えば「危険」。一つ一つの攻撃が殺人的。アイスは今でも鮮明に覚えている。故に、発言も相まって、不安を掻き立てられた。
ここに残れば、確実に爆発に巻き込まれる。その威力は凄まじく、雷纏いで軽減しきれるか不明。無事では済まないかも知れない。今のうちに逃げるべきだと直感が訴えて来てやまなかった。
「それに、お前はもう自由の身だ。お前はベイン・デリーターなんかじゃない。このバカげた組織の一員でもない。行けよ。大事な男が待ってんだろ!」
「――っ!」
不意にレオの笑顔がよぎり、アイスの心に急ブレーキがかかる。
最終目標はレオの元へと無事に着く事。交わした約束を確実に達成するなら、ここで退くのが賢い。無理に戦う必要があるだろうか? 気持ちが揺らがないはずがなかった。
これから発生する事態は、闇の住人同士による抗争である。無関係な女子が一人逃げたって誰も責めない。誰も関知しない。――どうして帰りを待ってくれている人の元へと駆けない?
思わず足が出口へと動きそうになった。――しかし、アイスの足は遂にその場から離れなかった。
何を思ったか、アイスは壁際に数歩下がり再度構えた。アイスが妙な事をし始めるのでウロジオンも少々驚いた様子だ。部屋全体を視界に収めようとしている意図があるとは、この時まだ誰も知らなかった。
「逃げるタイミングなんだろうけど、私には出来そうにない」
落ち着いた口調で語るアイスから青白い雷光が溢れ出す。心身相関を表すかの如く、それはアイスの体を包み込み、猛々しい閃きを幾度も周囲に見せつけた。
「逃げる訳には行かない。ここで逃げたら殺し合うでしょ。だから二人とも、観念して。軍に連行する」
目の前で凄惨な戦いが起こると分かっているのに退けるものか。アイスにとってそれは殺しを黙認する事に等しい。レオに顔向け出来ないと言うのもあるが、それ以上に、アイスはここで逃げる自分を許せないのだ。
そもそも、アイスがここへ来たのは、組織との決別と、組織に王国の裁きを受けさせ償わせる為である。根本にある灯火は“憎しみ”に由来するものでもなければ、“自己顕示欲”でも“承認欲求”でもない。ひとえに、人々の平穏を実現する一助となる為。
ここで戦わねば、誰が被害を食い止める?
争いを止める力を持つ者は率先して立ち上がり、守る術を持たない市民を守るべき。貫き続けた信念に耳を傾ければ、何を成すべきかは明白だった。
初心に立ち返った今、アイスの心には一点の曇りも存在しなかった。
「少女風情が正義の味方のつもりか。いいだろう。なら、まずは我々と共にその男を討ち取ろう」
「私は今、“表”に戻った。どっちも見逃せない。どっちにも協力しない」
力強く示された拒絶と決意。これに対し、ウロジオンが豪快に笑う。
「いい心構えだ。お前はそう言う女だったな」
「覚悟して。私、負けないから」
負けない――。紅い瞳が静かに燃える。
苦しい戦いになる事は予想できた。それでも、アイスは強がらずにそうした言葉を言い切れた。帰りを待ってくれている人が居るから――。
残り2話




