第148話 覚悟を決めろ
引き続きアイスvsヴェリオール
舞い上がる土煙。アイスが身を潜めていた家が悲鳴を上げる。
落ちて来る瓦礫を避けようと、アイスは咳払いをしながら家の奥へと後ずさり。その直後、二階の一部がアイスの目と鼻の先に降って来た。並大抵の人間なら驚きそうなものだが、アイスは前方に集中していて気にも留めなかった。
(見つかった――!!)
土煙の向こうから人影が――。やはり、ヴェリオールだった。その口元は、忌々しい物でも視界に捉えたかの如く憎しみで歪んでいた。
「彼氏に最後のラブコールか?」
「レオは関係無いって言ってるでしょ!」
「関係ねぇ訳ねーだろッ!」
恫喝するような声を上げ、ヴェリオールがじりじりと迫り来る。身構えるアイスは相手との距離を保とうと一歩詰められる度に徐々にその場から下がって行く。
「残念だが証拠は挙がってんだ。お前ら、共謀して俺達を探ってたんだろ?」
「違う……」
「誤魔化そうったって無駄だ。今ので確信した。恋愛関係を装って標的の組織を探る事はよくある。スパイの常套手段だ。あらかじめ一人を組織に溶け込ませ、時間差でもう一人を投入する。そして、偽装カップルを作り上げる」
ヴェリオールは睨みを強めて言葉を続けた。アイスにとっては言いがかりもいい所。ただの妄想。憶測。だが、ヴェリオールはそうであるかのように確証を持って話すのをやめなかった。
「偽装カップルに潜入捜査をさせるのは都合がいい。互いに頻繁に接触していても、妙な企みが勘付かれるリスクが低い。なんせ、男女の関係になってる者同士が時間を共にする事はおかしくないからな。ありふれていて自然だ」
工作員とて万能超人ではない。潜入先の敵組織の情報収集をこなし、抜かり無く潰すには、それをサポートしてくれる同志の存在が欠かせない。だが、敵が闇の奥深くに潜んでいればいるほど、リスク管理を徹底していればいるほど、外部との連携は困難になる。無理に接触を試みれば命取り。
せめて内部に味方がもう一人居れば、片方が敵の注意を引き、もう片方が外部とコンタクトを取れるのに……。そうした事態を打開する方法として「偽装カップル」が利用される。味方同士、敵組織内で恋愛関係を装う事で、両者の背後にある繋がりを上書きする作戦である。
“カップル”と言う点がミソだ。
同性同士だろうが異性同士だろうが、カップルであれば親密にしていようと敵から疑われにくい。とりわけ異性同士の親密さは、同性間のものよりもカモフラージュ効果がある。それを利用するのだ。
偽装カップル作戦が上手くはまれば、諜報活動の効率は格段に上がる。互いに情報を交換・共有する事で内外の情報伝達はスムーズとなり、より深くより詳しく敵の内情を把握する事が出来る。何より、不測の事態が起きた時の生存確率が高い。それだけで試す価値がある。
仮に諜報活動がバレたとしても、大元の組織が得られるリターンは大きい。片方が囮となってどちらか1人さえ生き残れば、あるいは、2人が決死の覚悟で敵組織に甚大な被害を与えてくれれば、工作員を送り込んだ組織の大勝利である。
「そうやってコソコソ裏で画策してたんだろ……! 2人体制で探りを入れさせれば、どっちかを敵組織に引き抜かれるなんて心配もしなくていい訳だ!」
互いに監視させられるのも2人体制の強みだ。二重スパイを防止し、作戦次第では炙り出せる。
本物のカップルでは務まらない。片方が敵に引き抜かれた時、本物のカップルでは非情になれず見逃しかねない。パートナーを追って敵側に寝返りかねない。だから、恋愛関係に無い者同士で偽装させるのが最適なのだ。
「まさか本当に付き合ってるとは思わなかったがなァ!!」
「違う……」
「あの男がヘマをして、探りが勘付かれると思って逃がした……これが真相だろ!」
「違う!」
弱気だったアイスだが、今度は強く否定した。アイスとヴェリオール、互いに立ち止まって険しい表情で対峙する。
「嘘を言うな。現に、アイツに助けを求めてたよなァ……。まだ何か企んでやがるな」
「助けなんて求めてない!」
「意地でも認めねぇか。回し者らしくしっかり躾けられてる。好きにしろ。裏切り者はどの道殺す」
殺気を漂わせて構えるヴェリオール。それを見てアイスも臨戦態勢に入った。
(絶対に守ってみせる! レオの未来を……! レオの幸せを……!)
命燃やして戦え。大切な人を守る為に――。アイスは左右の握り拳に力を入れ、滾る青雷を全身に纏わせる。
仄暗い静寂の中で鳴る着信音。鈴を転がしたかのような音色をきっかけに、ヴェリオールの術が正面一帯に放たれた。
不可視の攻撃を避けつつ応戦するアイス。戦いに集中しろと己に呼び掛けるが、やはり電話に出られないのが悔やまれた。きっと心配してくれている――そう思うと余計に。
ただ、少しも鬱陶しいとは思わなかった。
繰り返されるその音色は、アイスにとっては暗がりを射す一筋の光であった。レオと言葉を交わせない今、その音色こそがレオの気持ちを乗せ、胸に伝えてくれる。おかげでアイスは頑張れた。勇気に満ちた表情で敵に立ち向かえた。
しかし、そうしたアイスの姿勢がヴェリオールの感情を逆撫でする。
「あァ? 希望なんか抱いてんじゃねぇよクソが……。お前は死ぬんだよ! ここで!!」
「目の前の敵を倒すまでは死ねない……。例え死んでも、絶対に辿り着かせない……!」
戦いのさなか、少女は決意を声に出す事で闘志を燃やした。
アイスは切断線の隙間を潜り抜け、ヴェリオールの横を通り過ぎたと思えば、勢いそのままに壁を蹴り、振り向きざまのヴェリオールの顔面目がけて左足を振り抜く。
女子の脚力を侮るなかれ。男女で体格差があるとは言え、その顎に鋭い一撃を食らえば屈強な男だろうと一溜まりもない。想い人の為に幾日も走った脚だったならなおさらだ。
しかし、強烈な蹴りが入ったかに見えたが、寸前でヴェリオールは右手の甲でそれを防いでいた。それでも、威力は相当なもの。体勢を崩されないよう踏ん張るも、振り向きざまだった事も重なり、ヴェリオールは押し返された。
ヴェリオールもただでは崩れない。よろけた際に体が敵の正面を向いた事を利用して咄嗟に左腕を振り上げ、強引にカウンターを仕掛ける。
アイスが空中に居たなら、カウンターで放たれた切断線を避けるのは至難の業だっただろう。幸い、ヴェリオールがよろけた事で着地の隙が生まれ、目前に迫る攻撃を回避するには十分の余裕があった。……もっとも、アイスの敏捷性をもってしても紙一重である。それだけヴェリオールの反応も鋭く、アイスでなければ危うい場面であった。
辺りに静寂が舞い戻り、対峙した両者は互いに出方をうかがう。
アイスの闘志は少しも変わっておらず、ヴェリオールが不快感を露わにする。闘志が潰えていないと言う事は、一握りでも勝てる見込みがあると思っている事の表れ。絶望しておらず、充実している事の表れ。なおの事、腹立たしさが湧き上がった。
「彼氏に尽してるつもりかァ? きっしょい女だ! てめぇのやってる事は自己満足だ! 尽す事で存在価値を高めたいだけだ!」
「私の存在価値なんてどうでもいい……! レオが無事なら、それでいい……!」
「ますます気色わりぃわ」
ヴェリオールは容赦無く罵ると、すっとその場で床に手をつく。これまでとは異なる怪しい動き。ふと足元の何かに気付いたアイスが後方にあった大きな瓦礫の上に飛び乗る。
「そうだよなァ! 足場気になって床から離れたくなるよなァ!! 残念だがそこは安置じゃねぇ! てめぇの墓標の上だ!!」
「――っ!」
時雨の如く切断線が上から下へと乱立し、あっという間にアイスは包囲された。まさに檻の中の白狼。
何よりもまず回避を優先する思考をアイスは逆手に取られてしまった。ヴェリオールが床に這うように流した切断線は、アイスが想定していたような「足元を狙った攻撃」ではなく、アイスに回避を誘発させ、包囲網を成立させる為の「下準備」に過ぎなかったのだ。
ヴェリオール――一見すると単なる“瞬間湯沸かし器”のような男だが、すばしっこいアイスを捕らえる為の効果的な算段を立てる事に関しては余念が無かった。
「終わりだ。断末魔の叫びを、電話の向こうで待つ男に聞かせてやるといい」
着信を知らせる二度目のメロディ。鳴り終わるまでの僅かな時間でアイスは突破口を見出そうとした。
158cmと比較的小柄なアイスだが、ご丁寧に人体が通れそうな隙間は周囲に見当たらなかった。ヴェリオールに抜かり無し。しかも、逃げ場の少ない屋内である事を利用され、天井からも床からも切断線が迫り来る。持ち前の運動神経でどうにか出来る状況ではなさそうだった。
こうしたピンチでは、これまでの分析が物を言う。
ヴェリオールの術の性質からして、机や瓦礫などを直撃させれば包囲網に穴を開けられるはずだった。物に当たると切断線は対象を斬り裂き、貫通せずに消えていた。今回もそうであるのなら、そのようにして脱出可能だとアイスは瞬時に答えを導き出した。
ならばそうしよう――そう思った矢先、アイスはハッとする。アイスの鋭い空間認識力がとある微妙な変化を見逃さなかった。
(待って、今まで放ってた線よりも少し太い……!?)
正確に感知してみた所、勘違いではなさそうだった。
考えてみれば、ヴェリオールが室内に張り巡らせた切断線は、床や天井を斬り裂きながら狭まっていた。今もなおそうだ。そんな風に物を切断させつつ操れると言う事は、これまでに放っていた線とは性質が異なる可能性が濃厚だった。
(通常の切断線よりも太いから、耐久力がある……?)
だとすると、机や瓦礫なんかを投げても無意味かも知れない。アイスは実行保留を余儀なくされた。
集中して操っているせいか、これまでのヴェリオールの術に比べるとその速度はそれほど早くなかった。だが、タイムリミットは刻々と迫っている。脱出案を2つ3つ用意した所で、一つ一つ悠長に試せる余裕は無い。確実に1発で決めたかった。
(なら、気絶させる……!? いや、もしかすると……!)
「術を消すには術者を倒せ」これが対人戦闘での基本である。先の戦闘でもそうだ。フィアレインを倒した直後に、周囲を漂っていた黒紫の霧がたちまち晴れた。セオリー通りに攻めるなら、そうするのがベストだった。
しかし、あくまでそれは基本戦術。必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。
ものによっては、術者が倒れても術がその場に留まり続けたり、発動し続けたりするものがある。仮にヴェリオールの術がそうした例外に当てはまる場合、取り返しのつかない悪手となり得た。
包囲網を縫うように雷撃を放てば、ヴェリオールを直接攻撃する事はアイスなら可能だ。ただし、彼を気絶させた結果、切断線が消えも止まりもしなければ成す術なく細切れである。最終手段として考えるべきだった。
(何故か雷撃が効きにくいのも気になるし……)
代案として、アイスは雷撃で檻を打ち破れないかとも考えた。しかしながら、脱出後の事を考慮すると消耗は極力避けたかった。不発の可能性もある。――ならば守りを固めるか? いや。強度を高めた土壁や氷壁なら押し返せそうだが、雷魔法はそれらほど防御性能には特化していない。
それよりも、もっと確実にこの檻から抜け出す方法があった。
万策尽きたかに見えたその時、檻の中の白狼が牙を剥く。アイスはコンパクトに腕を振ると、魔鞭柄で包囲網の外に居るヴェリオールを拘束し、自らの元へと引き寄せた。
この切断線に術者本人が耐えられるだろうか。無理だろう。物体を斬る性質を持つ以上、当たれば術者とて無事では済まない。そして、術を操って性質を変えられるのなら、その解除も可能なはずだった。
(クソが……!)
アイスを人殺しの出来ぬ臆病者と見下すヴェリオールだったが、殺意高めの一手に思わず危機感を覚えた。このまま引き寄せられれば、斬糸の檻に当たって体がバラバラになってしまう。そんな間抜けな死に方、誰がしたがる。
印を結び、やむなくヴェリオールは術を解く。アイスの思惑通り、敵は生き延びる事を優先させた。
引き寄せたヴェリオールの胸板に蹴りを入れてアイスは距離を取らせる。だが、無抵抗でやられるほどヴェリオールも甘くない。ヴェリオールは場外へ蹴り飛ばされながらも切断線を手の平から放ち、カウンター気味に攻撃していた。
見えざる線がアイスの腕をかすめた直後、建物の二階部分が大きな音を立てて崩れ落ちた。
崩落を避け、アイスは物陰に身を潜めて息を凝らす。いつの間にか着信音が鳴り止んでいた事など気付かぬほどに、アイスは周囲の状況を把握する事に集中していた。
通りの方へと蹴飛ばされたヴェリオールが三度姿を現す。夜風に晒された屋内に戻って来ると、怪しく光らせた瞳で標的を探した。
「どこ行きやがったッ……!? 隠れても……そこか!?」
静まり返った家の中、ヴェリオールはいくつかの血痕を目ざとく見つけ出した。今になって鮮血が腕からしたたり落ちていた事をアイスは知る。だが、いまさら分かっても遅かった。
攻撃の挙動を感知し、アイスは床に伏せるように飛び込んだ。間一髪で切断線は避けられたが、危うく真っ二つになる所だった。
「ちょこまかと……」
すぐさま立ち上がってアイスは敵と対峙した。及び腰でありながら、幾度も立ち向かって来る。そうしたアイスの姿勢にヴェリオールは激しい怒りを露わにする。
(もう、やるしかないの……!?)
ノイズの如く脳裏に度々よぎる「記憶抹消」と言う非情な手段。さっさとケリをつけるならそれしかなかった。
(でも、もうそんなの嫌だよ……! どうしたら……!)
気絶攻撃も最善とは言えない。効く保証が無く、起きれば再びレオを狙うからだ。何せヴェリオールは過剰なまでの憎悪と嫌悪を裏切り者に抱いている。気絶くらいで諦めるとは考えにくい。その場しのぎにしかならないのは明白だった。
なら、どうしてフィアレインとキリエの記憶は消さないで来たのか? 気付けば、そう問いかける自分が居た。おかしな疑問ではない。“レオにとっての脅威”と言う意味では、2人ともヴェリオールとそれほど違いは無い。むしろ、記憶を消さずに放置した事の方がおかしい。
アイス自身も矛盾していると自覚していた。それでも、やっぱり彼女らに対して最終手段を使おうと言う気には、今になっても思えなかった。
フィアレインには危ない所を助けてもらった。仲間として認めてくれて、世話にもなった。それなりに良心のある彼女の記憶を消すだなんて悪魔だ。騙していただけでも心が痛んだのに、それ以上の事をしろと言うのか。アイスには到底できなかった。
キリエについては特に恩は感じていない。それどころか、アイスは苦手である。だが、単に冷酷な人物ではない事をアイスは知っている。――人身売買の渦中から抜け出せずにいたフェリーン達を助けていた。その剣で救われた命が数多ある。一度くらいは見逃すべきだと思わざるを得なかった。
一方、ヴェリオールに対しては微塵もそうした気持ちは湧かなかった。
ヴェリオール。彼はアイスの中では不動の悪人だ。いい印象は何一つ無い。肯定的な要素が皆無となれば、いかにお人好しなアイスだろうと、相対的にヴェリオールが“更生不能なイカれた危険人物”に映るのは必然であった。
故に、強硬手段が脳内にチラつく。きっと話し合いは無理だから、と――。
(――っ)
身構えたヴェリオールを見据え、アイスは拳を握り締める。どうしてヴェリオールを気絶させる事に慎重になっていたのか、アイスは今分かった気がした。
(行動・思考とは裏腹に、気絶させるだけじゃダメなんだって心のどこかで気付いてたんだ……。相手の記憶を抹消しないと終わらないって……。じゃないとレオが危ないって……)
レオの為と散々言いながらこのザマだ。アイスは悔しさを噛み潰さずにはいられなかった。
(魔法が効きにくい事を理由に私、逃げてた……。誰かの記憶を消すのが辛いから……)
アサシンには容赦無く行使して来たくせに、どうして今になって躊躇う? 今までの覚悟はどうした? 心の奥底から問いかける声がする――。
そもそも、アイスがデリーターに対して魔法の行使――特に記憶操作に慎重だったのは、妙な事をして「敵対意思がある」と見なされないよう立ち回る必要があったからだ。
今や、デリーターとの信頼関係は崩れ跡形も無い。レオを庇い、キリエやフィアレインを撃破して来ている以上、修復不能。――今となっては、デリーターもアサシンも同じである。同様に処理しない理由があるだろうか。
敵は悪辣非道。そのまま生かしておくにはあまりにも危険すぎる。情けをかけるに値しないのなら、単に倒すだけでは不十分。記憶消去はやむを得ないのでは。アイスは段々と目が覚めて来た。
敵を完全に無力化し、レオの一助となるべきだった。それこそが、“今の私”の成すべき事だった。
(なんの為に戦ってるの……!? それだけは忘れちゃいけない……!)
人間、得手不得手がある。辛かったら、戦う事をやめてもいい。アイスはそう思っている。
思わず逆方向に駆け出したってアイスはいいと思う。立ち向かおうと考えるだけでも大変勇気のいる事だ。力及ばず肩を落とす人が居たなら、「頑張ったよ」とアイスはねぎらいの言葉をかけたかった。当事者の気持ちも分からぬ外野に、臆病だの意気地なしだの心無い言葉を浴びせる権利は無い。
人はそれを「臆病」と言うかも知れない。「小心者」と呼ぶかも知れない。しかし、アイスはこうも思う。目の前の閉ざされた扉に執着せず、別の道を探すのも勇気ある選択である――と。
だから、アイスは「戦わない事」を「恥ずかしい事」とは決して思わなかった。
だから、別の道を選ぶと決心した者には、背中を押す応援の言葉が贈られるべきだと思うのだった。
だが、これは自分一人の戦いではない。今ここで戦わねば、大切な人が割を食う。辛くても退いてはならなかった。例え不安で息が詰まろうと、立ち向かわねばならなかった。それが“誰かを守る事”である限り。
愛する人の為――、今一度アイスは罪を背負う覚悟を決めた。
次回、遂に……!




