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緋月-スカーレット・ルナ-  作者: 白銀ダン
2.フェニックス・エイグレット編

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第122話 限りある未来の為に

対峙するアイスとウロジオン。



 双方の赤い瞳から放たれる視線。静かにぶつかり合い、一帯に妙な緊張感を生じさせる。


(なんで私に委ねるの……)


 言葉では懸念を示し、穏便に済ませたいような空気を醸しているが、真剣や親身と言った匂いがどうもウロジオンからは感じられなかった。機に乗じて持ちかけて来た感じと言い、何か企みがあるに違いない。アイスはそう思わずにはいられなかった。


 何か行動しなければ、レオはデリーターを抜け、狙われるようになる。そうなってもいいのか? 俺は知らないぞ? と彼は怪我人を発見していながらそこへ誘導するかのようだ。すこぶる怪しく、もはや疑うまでもなかった。


 ただ、ウロジオンの思惑なんて知った事かとアイスは解明を一時保留する。眠らせていた懸念を掘り起こされ、アイスはレオの現状とこれからだけが心配だった。


(このまま何もしなかったら、レオは……)


 今なおレオは闇に蝕まれつつある。何もしなければ確実にレオは闇に染まる。そんな姿、アイスは見たくなかった。


 闇に囚われると知りながら、見て見ぬふりを続けるのは彼の為にならない。それではあまりにも冷たい。本当にレオの将来を想っているのなら、ここで彼の〈アビスゲート〉に関する記憶を消してしまうのが正しいとも言えた。


 だが、記憶を消すだなんていいはずがない――たった一部改竄すればレオを危険から遠ざけられると言うのに? こうなると善悪の判断が麻痺しそうで平静を保てそうになかった。アイスは額を手で覆い、今にも吐き出しそうな苦悶の表情を浮かべる。


(ダメだよ……! レオは大切な存在……。心配だからって、そんな人に向けて魔法を使うだなんて……!)


 呼んでもいないのに「裏切り」の文字が脳裏をかすめた。今日と言う日が無ければ、そうした言葉が現れる事も無かったはず。悪心に染まって行く過渡期にあるようで、アイスは自分に嫌気が差した。


 うつむいて黙り込んでしまったアイス。進展が見込めないと見るや否や、ウロジオンは背を向け去ろうとする。


「このままだといつか、俺は坊主を殺さなくちゃならねぇ」

「――っ!?」

「分かるだろ。アビスゲートを追う者同士が味方とは限らねぇ」


 ウロジオンは思惑をもはや隠そうとはしなかった。頭の切れるアイスの手前、敢えて明かしたと言うべきか。企みを出し切ったと思わせるには、最も重大な秘密を提供するに限る。そして、その大きな秘密を盾にして死角を生み出せば、小さな企みの一つや二つなら自由に動かせる――アイスはそれに気付かない。


 ウロジオンが露わにしたあまりにも黒い計画に、アイスは寒気を覚えて硬直する。


(そうだった……! よくよく考えてみれば、二人は敵なんだ……!)


 レオの望みは〈アビスゲート〉の解決。ウロジオンの目的は不明だが、扉を開けたいと前に語っていた。言わずもがな、二人が求める未来は逆。対立は不可避。今はまだ「アビスゲートを探す」と言う段階で、意見が一致して協力しているだけに過ぎないのだとアイスは思い知らされた。


「つまり……私を味方につけたい?」

「そう見えなくもないな。だが、そうじゃねぇ」


 ククッとウロジオンは笑って否定する。惜しいが狙いはそこではなかった。少女が味方になってくれるだなんて、ハナから思っていない。彼女にはレオが居る。


「どうしてお前に頼んでると思ってる? 坊主の記憶が突然吹っ飛んだりでもしたら、お前が混乱するだろ。それとも、他の連中に任せた方がよかったか?」


 そう言う事か……とアイスは僅かに顔を上げ、細目で相手を睨む。


 レオを殺せば報復される事をこの男は分かっている。だが、どうにかして邪魔者になり得るレオを今のうちに無力化しておきたい。だからこうしてレオを人質に取り、自発的にレオの記憶を消させようとしている。どうりで怪しい訳だった。


(そして私は従わざるを得ない……)


 これを拒否すれば、デリーターが次の一手を進める。すなわち、レオの身に何かが起こる。――その前に自分が殺されるかも知れない。いずれにせよレオを守るには、アイスはここで要求を呑むしかなかった。ウロジオンの術中にはまった事を悟り、アイスは悔しさから拳を握り締める。


 放った台詞がおかしくて、ウロジオンは思わず自分を鼻で笑った。


「大悪党が気まぐれに抱いた“束の間の優しさ”ってヤツだ。気が変わったらすまんな」


 タイムリミットはそれほどないぞと示唆する口振り。これには否が応でもアイスは焦燥感に駆られた。


(どうすれば……!)


 アイスはレオが無事に済む方法を考えた。このままでは本当に、誰かの手によってレオの記憶が全て消されてしまう。最悪、誰の関与か分からぬよう工作してレオを殺すだろう。デリーターはそう言う事に長けた組織。談笑を交わした仲間であっても、妨げとなるなら容赦無く潰しに来るはず――ウロジオンの積極性を見れば明らか。


 相手は優しさも思いやりも持っていない。猶予は与えてくれているが、根底にある考えは邪悪そのもの。次回会うまでにレオが無事である保証はどこにも無かった。交渉を済ませるなら、レオに暗い未来が降りかかる前の今しかない。アイスは一層の力を拳に込め、手の平に爪を食い込ませる。


(もう、私が引き受けるしか……!)


 そうすれば確実にレオは助かる。想像も出来ないダメージが自身に残るだろうが、レオを限りなく“レオ”のままで維持させられる。他の誰かに成せるだろうか。否、自分にしか出来ない。なら、やるしかないだろう――半善半悪の囁きがアイスを悩ませる。


(でも、記憶を消すとどうなる……!?)


 レオの〈アビスゲート〉に関する記憶を消した場合、彼がどう行動するか、アイスは推測してみた。明白だ。目的が消えれば、レオがデリーターに所属している意味は無い。恐らくレオは組織を抜ける。しかし、そうなるとレオは裏切り者として追われる。果たして、それでいいのだろうか――。


(待って、ウロジオンもそうなる事くらい分かってるはず……。なのに、どうして記憶を消したがるの!?)


 何か変。何か見落としている。レオが邪魔になる前に無力化しておきたい……それ以外に何かありそうな気配があった。そしてすぐに、アイスはそれらしい答えを見つけた。


(そうか……! 裏切り者としてレオを放出しちゃえば、他のメンバーが始末してくれる!!)


 そうすれば、レオを守りたがる人物の怒りの矛先はウロジオン自身へは向きにくい。あわよくば、自分の手を汚さずにレオを消せる。例えそれで仲間が減ろうが、自分さえ無事なら探し物を続けられる。なんとも非情で狡い男だった。


 思い通りにさせるものかと、アイスはレオの安全を確保しつつ組織に引き留める方法を模索した。だがそのさなか、一転してアイスは思考を止める。取るべき行動は果たしてそれなのか? 見方を変えれば、レオをデリーターから引き離すグッドタイミング。またとない好機なのでは? 冷えた血液が身体を巡れば、迫り来る炎の向こうにも出口らしき扉がある事にアイスは気が付いた。


 使命を忘れさせた状態でレオを組織から逃がす事に成功すれば、レオはもう闇へと突き進まなくなる。彼が懸念すべき敵はデリーターのみとなる。そうした考えに至り、無理に引き留める必要性をアイスは感じなくなった。


(待っていても、そのうちレオは組織を抜ける。なら、レオをサポートするタイミングが計れる今がチャンス……!?)


 レオのデリーター脱退は時間の問題だった。〈アビスゲート〉に関する記憶を消さずにレオを止めようとすれば、煩わしくて出て行くだろう。例えそうせずとも、ウロジオンがいつかは情報提供を出し渋り、所属意義を見出せなくなってレオはいつかは抜ける。記憶を消した場合も同様。八方塞がりだ。


 遅かれ早かれ、レオが組織を抜けるのなら、レオが闇に染まらず、〈アビスゲート〉に関わらないようにするべき。それが自分に出来る事――成すべき事ではないかとアイスは思い至った。


 そして、その実現の為に、ウロジオンの計画を逆に利用してやろうとアイスは考えた。先手は取られてしまったが、思惑は既に見えている。要求を呑む事を引き換えに、それが叶わない無理な条件でも突き付ければ、まだ渡り合えるはずだった。


(この決断がどう転ぶかは分からない……。お互い危険かも知れない……。でも……)


 当然、デリーターを抜けさせるリスクもそれなりにある。組織を抜けて欲しい気持ちと同様に、抜けて欲しくないと思う気持ちもアイスの胸中には混在していた。だが、どっちに転んでもレオがデリーターを去るのなら、脱退してくれる事をアイスは望んだ。


(……その方がいい。レオは、こんな所に居ちゃいけないんだよ……)


 不運にも裏社会に迷い込み、出口を見失った状態。周囲には闇の靄が立ち込め、おかげで視野も狭くなっている。やむを得ず、人を斬り続ける事で、己の存在意義を保っている。それが今のレオだとアイスは推察する。


(本当はそんな生き方、レオは望んでいないはず……)


 アイスは知っている。レオは、本当は心の優しい青年なのだと――。弱きを助け、悪をくじく、正義感の強い人なのだと――。


 今は単に、無法地帯が醸す特有の空気に呑まれて歯止めが利かなくなっているだけ。誤った道へと足を踏み入れてさえいなければ、多くに慕われ、その先頭を走っていたであろう人だった。そんな人の輝きが潰えようとしているのだとしたら、アイスは居た堪れなかった。


 ここはレオに相応しい舞台ではない。今からでも遅くない。だからレオを自由に――。レオをよく知り、親愛しているが故の苦渋の決断をアイスは下す事にした。


(私が後押しすれば、レオはレオらしく生きられる。私が臆する事さえしなければ、レオは自由になれる。ここで何もしないのは、レオの為にはならない……!)


 方針が固まれば、おのずと道は開け、取り組むべき課題――背負うべき責務が見えた。やるからには、レオが悪意渦巻く闇から抜け出して帰るべき場所へ戻れるよう、アイスは全力を尽くすつもりだった。


 デリーターの信用を勝ち取り、全貌を暴く。長らく、その任務に従事して来たアイスだったが、そんなものは今のアイスには捨石同然だった。


 “偉業を成すより目先の隣人”働き者であり続けるだけでは仁徳は養われず、身近な人の窮境を見逃す。目の前の無二の個人を助ける事ほど尊い行為は無い。任務遂行が大事な役目なのはアイスも理解していた。だが、アイスにとっては任務遂行よりもレオだ。両方を天秤にかけられたら、アイスは迷わずレオを選ぶ。アイスはそう言う女子だった。


 レオはたった一人の特別な存在。アイスは彼が破滅するような方向へは行かせたくなかった。もしも自分自身が破滅の道を進もうとした時、レオならきっと引き留めてくれる。レオはそう言う人。だから、アイスもそうする覚悟があった。


(ごめん、レオ……。私、レオの命を優先する……)


 自主性は尊重したいけれど、命は大事にして欲しい。相反する二つのどちらを取るかのせめぎ合い。衝突の末に、アイスはレオの命を選んだ。自主性ならまたレオに取り戻してもらえるが、命は別。一度失えば、もう二度と取り戻せない。


 我見なのは承知の上。矛盾していると言われようが、これがレオを想ってアイスが導き出した答えだった。


 黙って反抗的な目を向けて来るアイスにウロジオンは最後の助言を告げる。


「アイツがどうなるかは、お前次第だ。正しい道とやらに導いてやれ。俺にはそんな器用な真似は出来ない。変えられるとしたら、お前だけだ」


 「じゃあな」と言い残し、ウロジオンは去ろうとする。「――待って!」普段大声を出さぬ少女が発した言葉が寂れたホールに響いた。


「やってもいい……」

「おっと、引き受けてくれるんだな?」

「そう。やってもいい……」


 終始うつむき気味だったアイスだが、迷いを断った今、敵から顔を背けなかった。


「……でも条件がある」

「ははっ、いいだろう。俺の要求を呑んでくれるんだ。そっちの条件も一つくらいは聞いてやらないと割に合わないよな」


 にやりと笑ってウロジオンが引き返して来た。


「俺にどうして欲しい?」


 このままではウロジオンの思い通り。自由にさせてはならない。さも協力的であるかのように振る舞って、カウンターで相手の身動きを封じろ――アイスは厳しい要求を突き付ける。


「もし、記憶を操作したせいでレオが組織を抜けても、みんなに何もさせないで」


 ふん……と少し考えた素振りを見せ、ウロジオンは厚い胸板の前で腕を固く組んだ。


「善処するが、きっと無理だな。ここの連中は皆悪人。お前みたいないい子ちゃんじゃねぇ」

「でも、私が呼びかけるよりマシでしょ!」


 散々見て来たからアイスは知っている。デリーターはまとまりの欠片も無い連中だが、ウロジオンが何かを呼びかけた時のみ少しは聞く耳を持つ。利用しない手はなかった。


「くく、覚えておこう」


 まだ足りない。相手の自由を奪うには、もう一つ太い釘を打ち込まねば不完全。交渉成立した気になっているウロジオンに、アイスは最後に一言付け加える。何を言うかは既に決まっていた。


「――レオに何かあったら、みんなの記憶消すから」


 紅き瞳の奥に本気の炎が灯る。らしからぬ鋭い目を向けて忠告すると、アイスは古扉を力任せに引いて先にその場を去った。


 言われた言葉を反芻し、ウロジオンは呆れ顔をして笑う。殺意すら出せぬ少女が、そのような非情さを持てるはずがなかった。単なる脅し、牽制なのは明らかだった。


 それを証明するかのように、少女はレオに手出しする事へのリスクを顕示し、自身の存在感を高め、レオの安全を確保しようと必死だ。迫る毒牙を退けレオを助けたいのなら、まどろっこしい交渉などせず、アジトで待ち構えて全員の記憶を消せばいい。それをしないと言う事はただのハッタリ。可愛らしくて笑わずにはいられなかった。


(ま、追い詰めらりゃ、案外やるかも知れないけどな)


 なんだかんだで、少女は今日までに何人もの記憶を消して来ている。今その気が無くとも、窮地に立たされれば、手段を選んでいられずにきっとやるだろう――いや、確実にやる。ウロジオンには確信があった。


 ハッタリとは言え、頭の片隅に無いものを口からは出せないのもまた事実。彼女にはハッタリを成し遂げるだけの実力も備わっている。何より、かの白狼はレオへの悪意を察知すると、途端に目付きを鋭く変える。怒り狂えば実行するのは明白。完全に蔑ろにしていい発言ではなかった。


 ウロジオンは懐から葉巻を取り出し、指でその先端をつまんで着火すると、遠ざかる少女の後姿を見つめて白煙を吐く。


 廊下を進むアイスは脇目も振らず出口へと向かった。


(ただで利用される訳には行かない……! 私だけはレオの味方で居続けるんだ……!)


 記憶を操作したせいでレオが組織を抜けても皆に何もさせるな――あの条件はレオを逃がす為の予防線とも受け取れる。だが、ウロジオンはそうは捉えられないはず。小娘がレオを組織から抜けさせようと計画しているだなんて夢にも思っていない。アイスは意外にも楽観的だった。


 ウロジオンに「レオを自発的に抜けさせる」思惑があるのなら、それを読んで対抗する為に突き付けて来た条件として見るに違いなかった。例え予防線の可能性がよぎっても、レオを抜けさせるリスクは取らないと見て、ウロジオンは自らその予測を排除する。大胆な条件を示した事に関して、アイスが一抹の不安も抱いていないのはその為だ。


(逃げ道は作った……。あとは……)


 デリーターは信用できないし、約束としては心もとないが、無いよりはずっとマシなはずだった。あとはレオがその足で、光が照らす自由な世界へと進むだけ。それでレオはハッピーエンドを迎えられる。


 ざわめく胸に手を当て、無事にそうなってくれる事をアイスは一途に願った。


そんなに上手く行くのだろうか……?

次回もお楽しみに。

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