第110話 苦渋の決断
決断の時
今日はやけにドキドキする。胸の奥の高鳴りを感じながらアイスは先頭を駆ける。ピンチを助けられたせいか。あるいは、心のどこかでそれを恥だと思っているのか。どちらとも捉えられてアイスは自分でもはっきりしなかった。
再び階段を下り、アイス達はあっという間に目的の階層に辿り着いた。ここに至るまで色々と苦労があったが、これでも突入開始からまだ6分も経っていない。驚くべき早さである。
この場所――研究所の最下層に、重要な開発品を保管している倉庫があると探知で明らかになっている。邪魔者が多くてかなり遠回りになってしまったが、アイスは雷の導きでそこを目指していた。
(誰も居ないね……)
不気味なほどに静かなフロアだった。上の階層と違って敵の気配は無く、まるで警戒していない。それもそのはず、敵は皆、手柄を立てようと持ち場を離れて出払っていた。最も守りを固くしておくべき場所の守りが手薄なのは、アイス達の方にそもそもの原因があった。
血気盛んで我欲に正直な用心棒は働き者である。だが、正直すぎても困りものだ。侵入者が見当たらず、最下層がマズいと今になって気付いても、もう簡単には戻って来られない。ここまでの経路は氷壁で幾重にも塞がれている。陥落は間近であった。
前に訪れた事でもあるかのように、アイスは正確な道順で誰も居ない静かな廊下の角を曲がって行く。すると、奥に扉が見えた。頭の中に出来上がった地図通り。事前の探知に狂いは無かった。
(今のうちに、中の様子を確認しておこう……)
アイスは雷魔法を前方に飛ばし、念の為に保管庫内の状態を探った。大丈夫だと高を括って、手痛い待ち伏せを受けたらどうしようもない。いくらアイスでも奇襲の対処には難がある。場合によってはレオを守り切れない。避けられる危険は避けるべきだった。
アイスの探知では、薬品保管庫には何人か居て、責任者と思われる男が率先して薬瓶を仕分けし、他の者に指示を出していた。動作からして、荷物を持ち出そうとしているようだった。敵わないと悟ったか、研究所を棄てるつもりらしい。だが、判断が少し遅かった。既に運は尽きている。
「あの奥の部屋にターゲットも居ると思う……!」
気取られないよう、アイスは小声でレオに伝えた。
(5人……。2人はボディーガードっぽいね……)
それぞれの体格差でなんとなく判別できた。ちなみにその2人は、保管庫唯一の出入り口の方を向いて来たる敵に備えて身構えていた。侵入者を待ち受ける陣形だ。知らぬままドアを突破すれば、敵に先手を取られてしまった事だろう。
幸い、そうはならない。アイスは飛ばした雷撃を活性化させ、ボディーガードの2人を気絶させた。ついでに、指示を出されて薬瓶を鞄に並べて詰めていた研究者であろう2人も同様に処理した。
そして、レオにドアを破壊してもらって、アイスとレオは息を合わせるように突入した。
「――っ!?」
突然倒れた屈強な男2人と部下2人。続いて、突然現れた若い男女。立て続けに起きた異常事態に驚かない訳がない。いかにも悪そうな感じの中年の小男は一瞬狼狽えた顔色を見せた。しかし直後、態度を一変させた。
「き、貴様らかァ!! ここに忍び込んだと言うネズミは!!」
男は声を荒らげ、やましいものでも隠すように、薬品が丁寧に並べられたアタッシュケースをすぐさま閉じる。男の威嚇は続く。大事な荷物に近づかせまいとアイス達の方へと迫って来た。へっぴり腰気味で杖を二人の方に指し、はったりじみた気迫で押し切ろうとした。
無論、そんなものは二人には通じない。数々の敵を破って来た二人だ。怯むはずがなかった。ある者は残念そうに、ある者は呆れた様子で一歩ずつ迫り、虚勢を張る男を逆に後ずさりさせ、じりじりと壁際に追い詰めた。
男を他と同様に気絶させなかった理由は、情報を吐かせてフィアレインから頼まれた薬品を得る為だ。薬の名前は教えてもらったが、さすがのアイスもどこにあるかまでは知らない。見知らぬ人の脳内を覗きたくはないし、口の利ける情報源を残しておく必要があった。
「薬……クロシリンネフリスはどこにあるの?」
「はぁ? 素直に教えるバカがどこに居る!」
アイスは完全に舐められていた。無理もない。威圧的とはかけ離れた口調、態度、容姿……それに加えて、脅すのがヘタクソと来た。怖がる者などそう居ない。いつもの事だが、アイスは溜め息が出た。
交渉可能とは思えない。「どうすんだ?」と強情な男を見てレオが言う。
「痛めつけて吐かせるか?」
「いや……それは」
アイスは思わずやりたくないと言いそうになった。――言わずとも既に表情には出ていた。
周囲を見回し、アイスは使えそうな物が無いか探した。……が、そう都合よく自白薬などがあるはずもなかった。フィアレインから貰いそびれてしまったのがここで響いた。
「あ……」
床の方に目をやると、アイスはある物を見つけた。倒れた研究員が持っていたであろうデジタルノートだ。床に落ちていたそれをアイスは腰を曲げて拾い上げる。
「コラ勝手に取るなァ!!」
今や人に命令できる立場ではない事を男は自覚していないようだった。加えて、その必死さが逆効果となる事も分かっていない。
デジタルノートには聞いた事の無い薬品の名前がずらっと並んでいて、頭文字の左にチェック印が付けられているものとそうでないものがあった。目当ての薬も書かれていたりしてと思いながら順に見て行くと、偶然にもアイスは見つけた。しかも、チェック印が付いていた。
(これって……)
もしかすると……? アイスは机の上の閉じられた銀のアタッシュケースを見つめる。
「それに入ってるんだよね?」
「くっ……だったらなんだ!? 力尽くで奪うか!?」
反応からして、どうやら図星のようだった。アイスからしてみれば助かった。頼まれた薬がどれだか分からずとも、アタッシュケースごと持ち帰って、フィアレインに見せればいい。手荒な事をせずに済みそうで、アイスはひとまず安心した。
と思ったのも束の間。男が最後の抵抗に打って出た。あろう事か〈保管魔法〉でアタッシュケースを体内に隠した。嫌がらせ、ここに極まれり。
「かはは! どうだ、これで奪えまい! わしも殺せまい!」
上手い手だった。――相手がアイスでなければ。
「な何!?」
突然男の手が光を放ち、魔法で収納されたはずのアタッシュケースが勢いよく飛び出した。緩やかな弧を描いて飛んだ薬の入った宝箱は、そのままアイスの元へ――。
「ごめんなさい……。ちょっと荒っぽかったかも」
信じられない光景に、レオも小男も驚きのあまりフリーズした。ただ、原理は単純だった。雷魔法で相手の魔力回路を刺激して無理矢理〈保管魔法〉を発動させたのだ。
目的の物は手に入った。やるべき事は残り一つ。しかし、この最後の一つが難点。アイスにとっては苦しい決断の時であった。
(どうしよう……)
普段なら、ここでターゲットの記憶を消して姿をくらますだけの話だった。だが、今日は連れが居る。しかも、デリーターは殺しをするものだと思っている新人である。デリーターらしからぬ行動に出ては、疑問視される事は明白。最善とは言えない。
立ち位置不明のレオの面前で魔法を行使する事を躊躇っている訳ではない。レオがデリーターから信用を勝ち取ったら、どの道そこから魔法はバレるだろうし、アイスは初めから気にしていなかった。
気にすべきは、どう言う状態のレオに魔法を知られるかだった。
「デリーターらしくない」とレオに怪しまれた状態で魔法を知られると、用心の為にレオをより“敵寄りのグレー”に分類せざるを得なくなり、アイスはさらに動きにくくなる。ただでさえデリーター内での立場が厳しいのに、自ら首を絞める事になる。それが根っからの懸念だった。
(きっとレオは目の前の人を殺すべき存在だと思ってる……! 疑われずに済ませるだなんて、どうすれば……!?)
レオが道中の敵を殺さない事に同意してくれたのは、取るに足らない敵だったからに違いなかった。だが、敵の大将ともなると、そうは行かないのが常。第一、事前に仕事内容を説明した時、最終目的の一つに「研究所責任者の殺害」を挙げてしまった。真面目さが仇となった。
どう説得すればいいのだろうか……アイスは必死に考えた。殺害対象である人物を殺さないのなら、相当説得力のある説明が求められた。
しかし、最善の答えは見つからず、最悪と最悪の板挟み。炎が背後に迫るような今の状況では、まともな思考が出来そうになかった。
時間は待ってくれない。アイスは決断を迫られた。
「どっちが殺るんだ?」
「うぅ……」
どっちかが殺す前提で話をされてもアイスは答えに詰まった。どちらも嫌――どちらも受け入れ難いからだ。アイスは黙り込むしかなかった。黙り込んで考える。最善の答え、最善の道を見出そうと……。
目の前の非力な小男の生死は、自分が握っているに等しかった。所詮レオは指導を受ける側の立場。ここでは、自分だけが別の流れを生み出せる。殺す必要は無いんだと改められるのはただ一人。故に、命を削る気持ちでアイスは頭を捻った。
しかし、アイスが殺すか、レオが殺すか。二つに一つ。その流れは、時計の針が進むにつれて着実に場を支配した。
(でもそんなの無理……!! なんでもいいから説得しようよ……! この人なら分かってくれるかも知れないんだよ……!?)
彼は良心を持っている。自分の素直な気持ちを伝えれば、その良心に従って納得してくれるはず。突入前のやり取りもあり、望み薄な淡い期待がアイスには残っていた。
不安に迫られ、アイスはレオの様子を横目でしきりに確認する。
(もしも、レオが私の思ってるような人じゃなかったら……!)
そうだとしたら、彼を信じるだなんて自殺行為だった。レオに悪意があろうが無かろうが、デリーターらしからぬ事を教わったと他の者に知らされれば、ますます組織内からの視線が鋭くなる。最悪、素性を探ろうとする動きが強まり、CSとの繋がりが発覚。今までの活動は水の泡。デリーターから追われる日々を死ぬまで続けなければ――。
(違う違う!!)
粘っこいネガティブな憂慮からアイスは逃れんともがく。仮にデリーターらしく振る舞う事が最善であっても、だからと言って殺しを肯定すれば……自分の信念を破り捨てる事になる。そこに良心は残されていない。
(人を死なせないで済むなら、それに越した事は無いよ!! そうでしょ!?)
危うく闇に染まる所だった。「他人よりも保身を優先せよ」と言う闇の囁き、闇の手招き、それらに惑わされ、光と闇の狭間を彷徨っていた事にアイスは気が付いた。“最善”の道よりも、己の“最善”を突き進むべきだった。
(目を覚まして……! ここで命を奪ったら、もう戻れない……! そんなの人の為じゃなくて、自分の為の選択だよ! 私の生き方に反するよ!!)
だが、ここに来て一つ卑怯な手段が芽生えた。
レオに目の前の男を始末させるのは罪なのか? 「やれ」と直接言わずとも、少しそれっぽい素振りを示しただけで、レオは応じて全てを終わらせてくれるだろう。つまりそうすれば、自分は殺しに加担した事にも、殺しを強要した事にもならないのではないか? と言うものだった。
レオに始末させれば、自分の立場がどうのこうのといちいち考える必要は無くなる。黙ってその一部始終を思考停止状態で見届ければいい――なんなら見なくてもいい。見て見ぬフリをこの一時だけ自身に許せば、苦悩から解き放たれる。それが一番簡単で一番楽だ。
何より、やり口としても筋が通る。新入りにその覚悟を示させる為に、「殺し」を通過儀礼としている組織は珍しくない。裏社会ではありふれた光景。至って正常。レオも疑問に持たないはずだった。
「……?」
なかなかアイスが動かないのでレオは戸惑った顔を向ける。
「じゃあ……。……やっぱりダメ!」
闇に足首を掴まれた所で、アイスは我に返った。たとえ促し方が暗黙的であったとしても、殺しを良しとする事には変わりないではないか。葛藤を終わらせて楽になりたかったとは言え、そんな事を一瞬でも考えてしまった自分がアイスは恐ろしくなった。
(……何考えてるの私!? そんなの絶対ダメだよ!!)
そうした道を通った人間が、命をどうのこうのと言う資格は無い。暗に認めた瞬間、かつて居た“アイス”は何者でもなくなる。今日まで生きて来た理由すらも失い、完全に裏社会の闇と同化する事になる。それでいいのか? いいはずがなかった。
アイスの紅い瞳には再びレオの姿が映っていた。
(こんないい人に殺しをさせようだなんて、そもそも間違ってる……)
敵に甘い方針に呆れられ、いつ命令違反をされてもおかしくなかった。だが、いかなる時も、レオは事前の頼みを守ってくれた。今も、その決断をレオは待ってくれている。そんな彼を「いい人」と言わずしてなんと言う。
たどたどしい少女の後ろを黙って追ってくれたのは誰だ? 出会って間もない少女を窮地から助けてくれたのは誰だ? デリーターとして生きる事を選んだ反道徳の徒なのだとしても、アイスは悪い人にはどうしても思えなかった。
故に、レオが冷酷無残なデリーターに成り代わる瞬間の手助けなどしたくなかった――出来る事なら、今後もそうなって欲しくはなかった。良心の持ち主が悪に染まるのは、誰かが目の前で死ぬのと同じくらいに、アイスにとっては辛い事だった。
(レオも、私と同じように良心を持ってるはず……。そんな人を信じないの……? 信じてみようよ……)
研究所の突入直前に、レオの良心を信じて一度成功しているではないか。それをここでも貫けばいいだけの事。何を迷っているのだ? とアイスは徐々に自分に疑問を抱き始めた。
明日から組織内での風当たりが強くなっても知らない。レオに良心があるのなら、怪しまれても挽回できるはず。そう信じて、アイスはこの場を自らの手で処理する事に決めた。
一方のレオは、敵を警戒しつつ、アイスのどっちつかずの反応にさらに戸惑いを見せていた。
「どうした?」
「大丈夫……。私が、やるから……」
遂にアイスが動いた。男の姿を紅い瞳に映すと、その直後、鈍い音を立てて中年の小男は床に倒れた。雷にでも撃たれたかのような異常な倒れ具合にレオは目を丸くする。
「……え? 気絶、したのか?」
レオは男に起きた事が不思議で仕方がない様子だった。予告無しで一部始終を目撃したなら驚いて当然である。殺害目標が生きているならなおの事……。
「てか、そいつを殺すのが目的じゃなかったのか?」
「それは……。後で教えるね……」
思わずこの場で理由を教えそうになったアイスだったが、今はそんな暇は無かった。ここは敵陣の奥深く。周囲に敵は居ないが、やるべき事を終えて、さっさと離脱するべきだった。故に、アイスは一旦全部引っ込めた。
アイスは手に持っていたアタッシュケースを〈保管魔法〉でしまい、この薬品保管庫をどうするか――破壊するつもりであると言う事をレオに話した。
「せっかくここまで来たのに、もっと物色しなくていいのか? どれもなんかに使えそうだろ」
棚などにある周囲の薬品を眺めてレオが提案する。しかし、アイスは首を横に振った。
「だとしても、これらが人命を救う物だとは思えない……」
確かに、使い道があるものも存在するだろう。中には高値で売れるものがあるかも知れない。だが、所詮は悪事の産物。非合法の塊。他の誰かの手に渡るくらいなら、ここで処分するに限る。少なくとも、アイスはそう思うのだった。
手筈通り、アイスとレオは気絶した男達を倉庫内から運び出した。最後に、アイスが雷魔法で保管庫を滅茶苦茶に破壊して炎上させた。
これで一段落……と思いたい所だったが、安心するにはまだ早かった。周囲に放っていた微弱な雷でアイスは嫌な気配を感じ取った。感知した方を振り向き、廊下の先を見つめる――。今居る階層には辿り着いていないものの、あと少しの所まで大勢の敵が迫って来ていた。
(なるべく早くここから逃げないと……)
今まで動きが鈍かった上の階層に活発さが戻りつつあった。撃破した多くの敵は未だ動かずだったが、中には気絶から復帰した者も居た。足止めをしてくれた氷壁も残すはあと数ヶ所。
猶予があまり無いとは露知らず、一点を見つめるアイスを奇妙に思い「……何かあったか?」とレオが声をかける。
「レオが塞いでくれた通路もだいぶ突破されちゃってるみたい……」
「そうなのか?」
「うん。早く建物から出よ? 敵がこっちに向かって来てる……」
どうしてそんな事が分かるのか説明して欲しいもんだと言った顔をレオがしていたが、アイスは何も言わずにその場から速やかに去った。わざわざ足踏みをして敵を待つ必要は無い。やる事を終えたら見つかる前に闇中に消えるべき。それがここでの生き方だった。
アイスが動き始めると、レオも彼女の後を追った。
薬品保管庫の横に秘密の脱出経路があったので、アイス達はそれを利用する事にした。アイスが探知した所、どうやら通路は地上へと繋がっているようで、今夜のような襲撃があった際の逃げ道だろうと考えられた。
一方通行をひた走り、二人は建物から脱出した。
7月2日シンシア誕生日、7月10日シャル誕生日でしたが、
特に何もしませんでしたね……。絵でも用意すればよかったかもと少し後悔
2025.2.11 文章改良




