第22話 創造神
天界と人間界の間にあるナミアの空間
聖なる門をくぐった先で待っている景色とは? 入り混じった期待と不安を胸にレオは歩き続けた。
何か建物があってそこに主が住んでいるものだとレオは思っていたが、どうやらそうではないらしかった。それっぽい建物は見当たらず、どこもかしこも霧が立ち込めていて見渡す限り白一色。まるで雲の中に迷い込んだかのようだった。
白い谷をさらに進んで行くと、水面のように揺れる光の帳が現れた。通った瞬間に浄化されてしまうのではないか? そう思ってしまうほどに金色のカーテンは神々しい雰囲気を帯びていた。
(この先に行くしかないか。入っていいんだよな……?)
躊躇いながらもレオは帳を通過した。
体に変化は無かった――むしろ変わったのは空間の方だった。踏み入った瞬間に“別世界”だと身体が理解した。微かに残っていたココナッツ臭は完全に消失し、爽やかな朝の空気で満ちていた。ようやく自由を手にした気分を得られ、顔にこそ出していないがレオは喜びでいっぱいだった。
「みゅーみゅー!」
道なりに歩いていると、聖なるキラキラを纏ったトンボに似た虫が可愛らしく鳴きながら飛んでいるのがレオの目に入った。しかも何匹と居る。
「なんだお前」
奇妙奇天烈な虫の登場にレオは不審がる。「虫」と言っていいのかも怪しい。
まん丸の大きな目玉が二つ。丸い胴体にネコのヒゲみたいな細い尻尾が生えており、羽根があるのにそれを動かさず滑空するように宙を漂っている。奇妙としか言いようがなかった。
まるで微生物をそのまま拡大したかのような生命体だ。多くの未知なる生物を天界で見て来たレオだったが、このタイプの生き物は初めて見た。ここだけに棲む生物――もしくは「ナミア」と呼ばれる神が創った世界でしか存在できない生物なのだと思われた。
特に害は無さそうだ。レオは無視して進んだ。
白霧を抜けると開けた場所に着いた。継ぎ目の見当たらない、金の装飾が施された石の床。一帯は屋根も壁も無い神殿のような空間で、天から光芒が差し込んでいて瞬く間に心が洗われた。
「――気を付けたまえよ」
端にある裂け目を覗き込んでいた所、レオは肩を掴まれ男性の声で止められた。紳士的な彼に天使の輪や白い翼は無く、神の類だとレオは即座に理解した。
「落ちたら戻れなくなる。……迷子か?」
「いえ、その、ナミア様に会いに。彼女はどちらに?」
「向こうに居る小柄な方がそうだ」
男性が示した方に目を向けてみると……確かに奥に女子が居た。小柄な少女が椅子に座り、茶を上品に楽しんでいる。その余裕に満ちた優雅さは、背景も相まってさながら生きた絵画であった。
紺色のビスチェドレス風の服を着た少女にしか見えないのだが、聖なる光を身に纏っているのでれっきとした神である事が判る。あのなりで、きっと想像もつかないような悠久の時を生きているに違いない。レオは確信した。
それはそうと、オッティーから聞いていたのと違う。金髪美女は正しいが、グラマラスと言えるほどのバストは持っていない。初対面で体型について考えるのはよろしくないと思いつつも、レオはオッティーからの事前情報とのギャップが気になってしまった。
どうして正反対の情報が広まった? そんな疑問を抱きながらレオは気を引き締めて前進した。少女の見た目をしているが、「性別」の概念が存在するかどうか怪しい彼女達の前ではやはり油断しないに越した事は無かった。
近づくレオの気配を感じ、長い金髪の少女――ナミアがレオの方をゆっくりと振り向く。穏やかな微笑みと共にナミアは客人を歓迎した。
そのご尊顔はおっとり系と言うよりはクール系。小柄な少女だが、神秘的で上品な雰囲気をそのままにしたような大人っぽい顔立ち。そして振る舞い。綽々とした様子はただ者ではないと予感させるには十分だった。
「来る頃だと思っていました。私がナミアです」
「どうも、初めまして」
「かしこまらなくて大丈夫です」
「……どうも」
挨拶を済ませると、ナミアは右手でレオに座るよう促した。
「温かいお茶でもどうですか?」
「“ヨモツヘグイ”ってのがあってだな……。ここの世界の物を食べたら元の世界に戻れないとか……」
「無いです」
「まぁ……お茶は好きですけど」
「今日の為に用意した特別なお茶です。気に入ると思います。それに、行かせるにあたって私から少々説明しておきたいので」
歓迎の気持ちを無下にするのも躊躇われるが、何よりも神の誘いを断ると後が怖い。これがきっかけで今後バチが当たるかも知れない。同意させられる形でレオはナミアの正面に座った。
ナミアは穏やかに笑うと、おしゃれなガラスのティーポットに小さな手を添え、客人への一杯を丁寧に淹れた。この時点で既に美味しそうに見えるのは、やはり彼女の美しい所作によるところが大きい。神と人間である事など忘れ、レオは思わず見入ってしまった。
宙を進み、湯気を立てた橙色の茶がレオの目の前に出された。
(まさか神からもてなされるとはな……)
神とは次元の違う遠い存在。天使ですら地に翼を付け仰ぎ見る存在。同じテーブルでティータイムなんて考えもしなかった。長らく天界で生活をしていた事もあり、レオはこの短時間で十分に彼女の異質さを感じ取った。
一口飲めば、マンゴー感のあるフルーティーな香りがレオの鼻を通り抜ける。おのずと気分が上がる実にいい茶だった。
茶菓子も勧められたのでレオはありがたく頂いた。親指大の謎の茶菓子はもっちりとした食感で甘じょっぱく……正直レオにも何を食べているのかさっぱり分からなかった。しかし、これが意外にも茶との相性が良く、元の香りと甘みを際立たせた。
「美味しい……初めてだが風味がオレの好みだ」
「おかわりもありますよ?」
「いや。一杯だけで十分さ」
「せっかちですね」
ふっと笑みを浮かべてそう言うと、ナミアはカップを置いて蒼い瞳を再びレオの方へとやり、真剣な様子で切り出した。
「アビスゲートはエクーリア大陸を中心に過去何度か発生しています。そこで生活しながら調査を行うといいでしょう」
「ふむ……。主神のアンタなら発生原因は分かってるんじゃないか?」
「それを明かしてしまうと、貴方の冒険譚はここで終わってしまいますが?」
それはそれで困るが、何か思惑がありそうでレオはどうも腑に落ちなかった。考えられる可能性があるとするなら……。
「どうして自分なのか? と言いたげな顔ですね」
「アンタの世界の住人じゃ解決できない運命だから、外からそれを変えられる存在がちょうど欲しかったとかそんな感じだな。そうじゃないとオレを受け入れるメリットが思い付かん」
「大した理由ではありません。神天法で主神は自身の世界の人々への干渉を禁じられています。貴方の場合、魂も肉体も――」
アルズの創造物。だから駒として適任なのか。少々レオは納得した。しかし、そうなると駒を“駒”として使わない理由が説明つかない。
「自力で調査させたい理由は?」
「ただの気まぐれです。使命を果たそうと努めるか、自由に身を染めるか、見させてもらいます」
いかにも神っぽい。肝心な時に助けてくれない。助けないくせに数段上から物を言う。あたかも“神”と言う存在が全てを超越していると示すかの如く。その点では、人間と同じで薄情――それ以上かも知れなかった。
とは言え、神にも個性がある。ナミアは傍観者を貫く薄情さはあったが、今の待遇を考えると少なくとも冷たい血は流れていないようにレオは思えた。
「へっ……オレなんかを見てても退屈だぞ? 使命を果たして自由を手にする。どの道そうなるんだからな」
「何も成し得ない運命だったとしたら?」
「運命はオレの手が握ってる。どう曲げるかはオレ次第だ」
絡み合ったつる草に呑まれまいと健気に茎を伸ばして咲こうとする花でも目の当たりにしているかのよう。ナミアは瞳を閉じて小さく笑みを浮かべる。
「貴方のようなイレギュラーを外部から迎え入れた所で運命は変わりません。しかし、不変の必然性に抗おうとする心意気は嫌いではありません。貴方の望む未来が訪れる事を願っています。実現できるよう、せいぜい頑張ってください」
心なしか楽しげにも見える。ナミアの発言を受けてレオはふと不安に駆られた。
「天界に3年居たらしいんだが、今から行っても実は無意味……なんて事は無いよな?」
「こちらの世界は天界より時間の進みが遅いです。天界の3年がここでは1年と半分と言った所でしょうか。貴方が想像しているよりも時間はそれほど経っていませんよ。それ以外は、基本的には貴方の居た世界と同じです」
「同じ……?」
「魔法」の概念すら無かった世界と「魔法」がありふれた世界が同じ? レオにはナミアの言葉が信じられなかった。レオが疑いの眼差しを向けるので、ナミアはその言葉を訂正する形で続けた。
「“基本的には”です。神は創世の際に神天法で定められたいくつかの“型”を使い、それを組み合わせています。いわゆるテンプレートです。私の世界はアルズのものと同じ型を基に手を加えているので、似通った要素が見られるかと」
「それ……オレに喋っちゃって大丈夫なのか?」
「都合が悪くなったら消すだけなので大丈夫です」
「冗談に聞こえねぇ!」
笑顔でさらっと恐ろしい事を言う。神ジョークは少しも笑えなかった。
「姿形、周期、法則……似通った要素もあれば、全く異なるものもあります。しかし、その根源と設計図は元を辿れば同じです。きっと馴染めるでしょう」
「10進法じゃないと困るんだが」
「人間に設計された事以外の行動や方法を引き出せると思いますか? 設計図が同じである以上、辿り着く先にそれほど差異はありません。最終的に10進法が採用されるように人間は設計されているので安心してください」
話す言葉が違っても文法が似ている言語があるように、そんな感じで収束するものなのだとレオは理解した。実際の規模を考えるとそこまで単純ではないように思われるが、神にとって、人間がそれぞれの世界で経験し創出する諸々は大した差ではないのかも知れなかった。
「あらゆる事象は数式によって解き明かす事が出来る――貴方達は万物を数字を用いて理解しようとし、世界を形作った。どうして人間がこれほどまでに数に囚われるのかは言うまでもないでしょう」
「はぁ……。ちなみに“根源”ってなんだ?」
「私の口からは言えません。今現在もここに“在る”としか言いようがありません」
イメージが湧いていない様子のレオ。それを見て、レオにとって身近な物でナミアは説明を試みる。
「数学で例えてみましょう。数多ある数式ですが、数字や記号を組み合わせている点はどれも変わりません。万物を構成する“根源”とは、そうした数学世界の計算式やその不変性、そこに遍在する隙間や空白をも含めたものだと考えてください。……その存在を証明しろと言われると難しいですが、占星術で未来を予知できる人間が稀に居るのは、彼らが宇宙に描かれた“数式”を読み取るのに長けているからです。大抵の占い師はインチキですが」
「数学とか効くからやめてくれ。吐きそうだ」
「聞いたのは貴方です」
ナミアは椅子からふわりと浮いて離れると、テーブルを通り越えてレオのすぐ側に来た。透明な海を優美に泳ぐイルカを思わせる動きだった。
レオの手を取り椅子から立たせたナミアは、レオを真っ白な虚無空間の方へと向かせた。レオが理由を尋ねると、「貴方の気が散るから」との事だった。依然その意図が読めずレオは一抹の不安を覚えた。
触れられた際に伝わって来たナミアの体温。あの安堵感がレオは恋しくなった。今となっては、彼女が同じ“生き物”である事の実感と、神である彼女に何をされるか分からないと言う不安が入り混じる。ナミアの穏やかな微笑みを信じていいのだろうか……?
「それではじっとしていてください」
「何を……」
「下に行っても困らない程度の基本的な知識と言語を、貴方の脳に刻んでおきます」
「言い方が怖ぇよ!」
「ちょっと……動かないでください」
妙に警戒して言う通りにしないレオにナミアが不満げな顔を向ける。この時、レオの脳裏にはある忠告がよぎっていた。
「……本当にそれだけか?」
「疑っているのですか?」
「アルズがアンタに気を付けろとさ」
「彼の言葉は信じるのですね」
ナミアの様子から、相当アルズを毛嫌いしていると読み取るのは難しい事ではなかった。今までの穏やかな雰囲気が消えていた。
「仲悪いのか?」
「アルズは嘘つきです。耳を貸さないように――」
ナミアに見つめられたレオは同じように見つめ返した。こうして話し相手と視線を交わすのは特別な事ではない。とは言え、その目には常人に持ち得ぬ深みがある。交わし続けていると、ナミアの持つ蒼天の瞳に意識が吸い込まれてしまいそうに――。
「――ッ!?」
これは幻か? 暗闇の中で銀河が向かって来るかのような光景をレオは浴び続けた。
宇宙の果てに現れた広大無辺の“蒼”が近づいて来る。呑まれた――そう思った瞬間、レオは神の瞳を見つめていた事を思い出しハッとした。
これぞ神の御業




