第83話 デリーター
7月2日……シンシアの誕生日
7月10日……シャルの誕生日
です!(割とどうでもいい豆知識)
訓練に次ぐ訓練。しかも、常人には突破困難な厳しい訓練が続いた。アイスを影の工作員として仕上げるべく、CSは毎度それなりにキツい課題を彼女に与えた。どれ一つとして生ぬるいものは無かった。
しかし、驚くべき事に、どの訓練もアイスは立ち止まる事無くこなして行ってしまう。アイスの実力は関係者の予想を遥かに超えていた。
同時に6人の工作員を相手にする実戦形式の訓練、厳しい条件下での要人警護演習、模擬収容所からの脱出……。工作員候補生でも音を上げてへばってしまうほどの訓練内容だった。それでも、時折苦悶の表情を浮かべながらも、アイスは着々と進めて行った。
そして、アイスは帰れば寝た。ひたすら寝た。
午前中は大学の授業、午後に訓練と言う日程もあり、睡眠をとらなければ疲れて何も出来なかった。ここまで体を酷使する事は、〈アルシオン〉に居た頃にはアイスも経験した事が無い。
そのような生活リズムの繰り返しが何日も続いた。
辛い時もあった。しかし、有意義でもあった。ほどよい身体の疲れ、自分が必要とされている感覚、以前の生活では味わった事が無い。アイスはそれが心地よかった。
それに、今のアイスには明確な目標がある。――自分の魔法で人々を助ける。力に恵まれているのだから、自衛の術を持たない人を守れるようになりたい。その気持ちがアイスを駆り立て、強くした。
いつしか訓練期間を終え、アイスは正式な任務を与えられる事を約束された。
◆
今日、アイスは初任務の説明を受けにローヴェンの元を訪ねた。
扉の前に立ったアイスは謎の緊張感に阻まれた。高校入学の際の面接を思い出す。……いや、思い出してはいけない。アイスは首を振って緊張の元凶を追い出し、軽いノックをして申し訳なさそうに部屋に入った。
「し、失礼しまーす……」
「来たか」
CSのボス――ローヴェンが組んだ手を机に乗せて待っていた。アイスは扉を静かに閉め、ローヴェンの目の前まで向かう。
最上階の部屋にローヴェンは居る。大きなデスクに守られるように座席に腰かける男。まさしく組織のトップの部屋と言った感じだ。
彼の大物らしさは室内のどこを見ても感じられる。部屋の壁には微笑む女王エレクシアの肖像画が飾ってあり、その横には広大な〈エクーリア大陸〉の地図。アイスは目に入る度に思うのだが、周りの国々と比べると〈アルシオン〉が小さく見える。
「評判は上々、私の見込み違いは無かった」
「は、はぁ……」
肯定しにくくてアイスは困惑気味で返事をする。相変わらず謙虚だった。褒められても背伸びしないのがアイスのいい所だ。
「今日呼び出された理由は分かっているな?」
「えと、任務の事……ですよね?」
「ああ、そうだ。お前に正式な任務を与える」
アイスはしきりに手をいじる。いつかこうなるとは思っていたが、いざ言い渡されると不安に取り込まれそうだった。
(正式な任務……ちょっと怖いなぁ……)
なんせこれからは訓練ではない。任されるのはCSの影と呼ばれる人間がこなすような任務であり、死は四六時中付き纏う。いくらアイスが優秀な魔法を持っていようと、彼女の内面は繊細な乙女のままだ。怖くない訳がなかった。
ローヴェンは立ち上がり、窓から外を眺める。
「“ベイン・デリーター”と言う組織がある事を知っているか?」
「デリーター……?」
「そうだ」
いかにも悪事を働いていそうな響きの名前だとアイスは思った。しかし、そのような組織は初めて聞いた。
「えと、すみません……分からないです」
「我々の事は知っていたのに、デリーターが分からないとは……」
「そんなに知名度があるんですか?」
「近年になって知られるようになった」
それを聞いて、デリーターは〈エレクシア王国〉で特に悪事を働いている組織なのではないかとアイスは考えた。CSは王国を拠点としている。そんな諜報機関が注目していると言う事は、その可能性が高かった。
「アルシオン出身の者には馴染が無いか……。ベイン・デリーターはこの王国を中心に活動している組織だ。その活動範囲は大陸全土に渡る」
当たらずも遠からず。アイスの推測はそれほど間違ってはいなかった。
「奴らのやる事は主に人殺し。一見すると不規則に人を狙っているようにも見える。……が、もしかしたら組織内では共通の意識や目的があるのかも知れない」
ただの殺し屋なら、殺害依頼を元にして動く。その為、ターゲットになる人物に共通点は無い。強いて言えば、ターゲットとなる人物は依頼主から恨まれているだとかの問題を抱えている。共通点があってもその程度。
殺し屋と聞いてアイスが思いつくのは、そのようなもの。殺害は金目当てで行っていると言うありふれたものであった。
しかし、ローヴェンの言い方からすると、デリーターはそれとは違うらしい。
「本当に何か目的があるんですか? と言うか、デリーターと殺し屋って何か違うんですか?」
どうして他の殺し屋とデリーターの仕業を区別する事が出来るのか。アイスは純粋に疑問に思った。デリーターの主な活動が殺人なら、殺し屋と違いがあるようには思えなかった。
「明確に違う点がある。殺し屋は誰かの為には殺さない。あくまで自分本位だ。自分が生活する為に人を殺す。だが、デリーターは違う。ただの殺しをする事もあれば、誰かを救う事もする」
「救う……?」
「そうだ。デリーターに助けられたと語る者が何人も居ると調査で分かった」
殺し屋が誰かを救う事はまずあり得ない。殺害対象を殺し、速やかにその場を去る。それが殺し屋だ。人助けは請け負わない。
結果的にそれで依頼主が助けられたとしても、依頼主はそれを語る事は無い。何故なら、殺し屋に依頼をしたと言う事が発覚すれば、たちまち社会的に追いやられるからだ。最終的には、軍に捕らえられて罰せられる。
世間的に見て、デリーターは殺し屋と混同されているであろう。そんな存在に助けられ、「デリーターに助けられた」と言える人物は、依頼主ではない可能性が濃厚だった。つまり、どう言う訳か、デリーターは自身と無関係な第三者を救っている事となる。
(……確かに、殺し屋とは性質が違うのかも)
アイスは眉を曲げて不可解に思う。
「殺し屋は殺す相手を選び、デリーターは選ばない。殺害対象が重鎮であればあるほど、報復を恐れて殺し屋は尻込みする。奴らにとって、一番重要なのは己自身の命だ。割に合わない仕事は受けない」
ローヴェンの経験則に当てはめれば、殺し屋は金にうるさい。だが、それは命の二の次である。殺しが好きでやっているような変態も中には居るが、大体はその原則に当てはまる。
「だが、デリーターは恐れを知らない。利があればどんな殺しも引き受ける。半面、利が無ければ金だけでは動かない。その点でもデリーターは異端だ」
殺し屋と混同される存在として暗殺者が居る。似ているが若干の差がある。
殺し屋は大抵個人で活動し、殺しの依頼を完遂させる事で稼いでいる。自身の命が最優先な為、ターゲットの日常行動を観察し、待ち伏せして安全に仕留める方法を主流とする。殺しの動機は専ら金であり、敵陣には深く入ろうとしない。
暗殺者は組織に所属して、組織存続や組織理念に基づいて暗殺する。報酬が高ければ民間人の殺害も行い、ある時は殺し屋を利用する事もある。故に混同されやすい。暗殺組織と手を組んでいる殺し屋が暗殺を担う事もあり、余計に紛らわしくなっている。
だが、暗殺者の本業は社会的地位のある人物等の抹殺、敵対する暗殺組織のメンバーの殺害、危険因子となり得る殺し屋の殺害……などとなっており、やはり殺し屋とは異なる。
そして、彼らは隠密行動のエキスパート。相手の懐に忍び込んでターゲットを始末する事を得意とする。その過程で遭遇した邪魔者を殺す事はよくある。常に身の危険と隣り合わせであり、その戦闘能力は殺し屋よりも総じて高い。
「デリーターが持つ性質だけを見れば、どちらかと言うと暗殺組織に近い。奴らは情報収集も行う。その点でも似ている。……だがその一方で、同じ目的を持たない殺し屋が集まっただけの集団とも言える」
「えと……結局どっちなんですか……?」
言い渡される情報が曖昧すぎてアイスは整理しきれなかった。ローヴェンの説明が下手な訳ではない。デリーターの実態はCSでも把握しきれていないのだ。
「デリーターについては、まだ断片的な事しか分かっていない。その情報も正しいとは限らない。我々CSの精鋭部隊が数年かけて調査してやっとこの状態だ」
ローヴェンが悔しそうに唇を噛み締めていた。少量の情報と引き換えに、それなりの犠牲が出たのであろう事がうかがえた。
「捕まえられないんですか……?」
「最近になってようやくアジトを突き止めた。だが、攻め入って捕まえるにはまだ探りが足りない。それに加えて、うちの連中はどいつもこいつも工作員特有の匂いを消せなくなっている。アジトに送り込むのは不可能だ」
工作員特有の匂いと言うのは、要するに、“癖”みたいなものだ。長年工作員として過ごしていた人間ならば、その癖は抜こうにも抜けない。一種の職業病と言ってもいいのかも知れない。
そんな人間をデリーターの元へ送り込めば、いたずらに犠牲を増やすだけだった。
「だが、工作員になって間もない者なら話は別だろう」
「えっ」
自分の事を言っているのだとアイスはすぐに分かった。そして嫌な予感が背筋を駆ける。
(まさか……)
流れ的にそうだった。そうに違いなかった。
「お前にはベイン・デリーターのメンバーとして潜入し、彼らの情報を集めてもらいたい」
(――いきなり大仕事!?)
初任務でこれは不相応な大仕事。どこからどう考えても負担が大きい。アイスは怖気づき、握っていた汗ばむ手をさらにぎゅっと握り締める。
「えと、私に出来るかどうか……」
「お前にしか出来ない」
ローヴェンの言い方は、出来る確証があるかのような力強いものだった。
「もしも潜入がバレた場合、奴らから逃げ切れるのはこの組織でもお前くらいだ。これはお世辞ではない。お前はCS内でもトップクラスの実力者だ」
「こ、こんな新人ですよっ!?」
「新入りでも実力がある者は別だ。有効活用するのが組織の役目だろう」
(買いかぶりすぎだよ……!)
他者による評価と自己評価に常に大きな差がある。それがアイスと言う人物だ。
ローヴェンは魔法だけを見て“実力がある”としているに違いなかった。だが、アイス本人の自己評価は異なる。魔法の技術はあっても、それに内面やメンタルが加わると、実力はマイナスだとアイスは思っている。
それに、本人でもない人間が、どうして出来るだなんて自信を持って言えるのかアイスは疑問だった。潜入するのはローヴェンではない。出来るかどうか決めるのは彼ではない。
「む、無理ですよ……。私は……」
うつむき気味になって両手で握り拳を作り続けるアイス。
「そ、そうだ……。透明になれる人、居ましたよね……? あの人の方が適任なんじゃないですか……?」
「そうとも言えない。彼女は姿は消せるが、音や気配まで消せる訳ではない。デリーター側にはフェリーンが居ると推測される。分かるよな?」
つまり、聴覚と嗅覚の優れたフェリーンに対しては、透明になっていても発覚してしまう。ローヴェンはそう言いたいようだった。
「お前の活躍次第では多くの罪の無い者を救える。その為の力ではなかったのか?」
「うっ……」
ローヴェンは全てを見抜いているかのような目を消極的に振る舞うアイスに向ける。
日頃思っていたせいか、アイスは誰にも明かした事が無い最近芽生えた信念を見透かされていた。ローヴェンが居る時は読心されないように気を付けていたが、アイスも四六時中警戒している訳ではない。
人助けが出来る力を持っているのにどうして助けない? そんな風に言われたようにアイスは感じた。なんの為に生きているのかと問われた心持ちにもなった。
(使命感の助長と煽動、かな……)
手駒の性質を知り、焚きつける。CSのようなある一定の正義感を持った者が集う組織では、そのような手法が用いられる事が多い。相手の信念・信条を利用すると楽に他者を動かせる。その魂胆が見え透いていても、持ちかけられた側は誇りを曲げられずに承諾したりする。有効な手段だ。
ここで「やる」と答えれば、自身の信念・信条を重んじる人物だと自ら認める事となり、今後も組織にいいように使われる事だろう。
だが、アイスは受け入れる事にした。人の為に生きる。少し前にそう決めた。そこに付け込まれようと、変わる事は無かった。
(デリーターの正体を暴く事が人々の為になるのなら、出来る事はしたい……。それが私に出来る事なら、なおさら……)
正直なところ、怖かった。恐怖は今もアイスの背後に憑りついている。
だが、数多の凶悪組織を見ているであろうローヴェンがそこまで言うのだ。自分以外には本当に解決できない案件なのかも知れなかった。
(私が動かなきゃ……! 自分の手で人々を救えるって証明しなきゃ……!)
このままではいつもの理想止まりだ。恐怖を振り払い、実行して初めて決意は現実となる。
アイスは呟き気味で答えを出した。
「……や、やるだけやってみます」
「その答えを待っていた」
ローヴェンは満足げに笑みを浮かべる。やってくれると思っていた。
「もう一つ、言い忘れていた」
「はい?」
「任務に専念してもらう為、今の生活に別れを告げてもらいたい」
「……えっ」
アイスは硬直する。そんなの聞いていない。最後に切り出して来るだなんてズルい。
「嘘、ですよね……?」
「借間を出て、学び舎に別れを告げてもらう」
「そ、そんなぁ……」
「なんだ? 未練でもあるのか?」
アイスは黙って自分のつま先を見つめた。
未練……そう聞かれると未練など欠片も無かった。大学での人間関係は皆無。講義に出席してご飯を食べて趣味に力を注ぐだけの日常生活の繰り返し。そんなものに未練は無い。
それよりも、アイスは次の段階に飛び込みたい気分だった。だからこうして、CSの影の工作員となる道を選んだ。厳しい訓練も乗り越えて来た。
ただ、いつでも後戻りが出来るように、未練の無い生活を残しておきたかった。それを切り捨てろと言われたら、余計に手放したくなくなる。アイスはなんとかして、戻って来られる場所を確保しようと思った。
「お前にはもう不要だろう?」
「だって、せっかく大学に入ったのに……」
「分からない奴だな……お前。希望でも見えているかのように裏社会に片足を踏み入れたと思いきや、表と裏の狭間をまたいだままでいたいと言う。分からない」
今のアイスは表と裏――光と影の境界線上をうろちょろしている。
「どっちつかずの立場に居る事は、自分を危険に晒すようなものだ。お前の心が白なのか黒なのかは知らない。だが、光と影の間に居れば、当然際立つ。表からも裏からも丸見えだ。それでもお前はその両方を行き来したいと言うのか?」
「うっ……」
ローヴェンの見解は的を射ていた。どちらにも属さないのは、はっきり言って目立つ。
「表の人間が裏の人間を背後から刺す事は稀なケースだが、その逆は言うまでも無く日常茶飯事……いいのか?」
裏舞台を知らない表の人間が裏の人間を襲う事は稀。大半を占める一般人には背後にある世界が見えていない。気にも留めない。しかし、軍やギルドなどは、時折振り返ってその存在を確認し、動きを警戒している。
そして、裏の人間からは表側がよく見えている。彼らの多くは元々表で暮らしていた人間であり、そもそも表の世界は常に露わになっている。縄張りは違えど、境界線の向こう側は手に取るように分かっている。
表と裏、いずれも互いの動向を気にしている。どっちつかずの立場に留まるのは危険極まりない行為だった。うろちょろし続ければ、いつかは目を付けられ、どちらかに捕まる。
ローヴェンに指摘され、アイスは自身の置かれた状況がよく見えた。
戻るなら今しかないだろう。……しかし、表に戻る気は無かった。ここで引き返せば、中途半端になってしまう。それはアイスの性分に合わないやり方だ。やるならダメだと分かるまでとことんやりたい。裏から表に居る人々を救いたい気持ちは変わらない。
(それに……表側に戻るって言って、ここの人達が素直に帰してくれるかどうか……)
いくら仲間だとは言え、それは形式上の認め合いにしか過ぎない。実利で繋がっているだけの仲間だ。その仲間から離れると告げた時、どうなるかは明白。工作員の一員として正式に認められた今、ここで離脱すると言う事は裏切りにも等しい。
逃げようと思えばアイスは逃げられる。ただ、今のアイスには逃げても身を寄せられる場所が無い。借間の場所は知られている。例え逃げられたとしても、実家に迷惑をかけるかも知れない。
「どうした? 今更やめるのか?」
沈黙を続けるアイスにローヴェンが痺れを切らす。
「やります……。やります、けど……」
「けど?」
「生活の基盤って言うか、今後住む場所とかはどうするんですか……?」
今の生活を捨てるのは簡単だが、新たな生活環境を整えるのはスムーズに行かない事もある。気が乗らない時なんかは特に。
そんな事か、とローヴェンは小さく息を吐く。
「心配する必要は無い。我々が全面的に協力する。デリーターのアジトに通いやすいよう、近くの家を確保してある。そこに移り住んでくれ」
(アジトに近い家とか、大丈夫なのかなぁ……)
アイスの心配をよそに、話は着々と進む。
「デリーターを潰す意義はある。奴らは王国の癌であり、何より危険だ。我々CSの工作員を襲う事もある。これまでに何人もやられた。お前だけが頼りだ」
「は、はい……」
弱気な目をしていたアイスだったが、ある事を思い出し、真っ直ぐ力強い眼差しをローヴェンに向けた。
「私との約束、まだ有効ですよね……?」
「……ふむ。殺しはしないと言う話か……」
「はい」
CSに加入し、力を貸す条件として、アイスは殺しはしないとローヴェンに宣言した。その合意が今も生きているのか、アイスは今一度確認しておきたかった。
「覚えているとも。お前の任務はあくまで、デリーターの信用を勝ち取り、奴らを探る事だ。遭遇する悪人を生かすも殺すも、お前次第だ」
アイスはその答えを聞いて安堵した。
悪意ある唐突な指示もあったが、やはり、デリーターを解体する手伝いが出来るのなら、アイスも悪い気はしなかった。デリーターの目論みを阻止する事は悪い事ではないはず。悪事に加担しない範囲であれば大歓迎だった。
「帰って準備を済ませておけ。済み次第、こちらの者を送る」
大学中退のアイス
高校中退のレオ
自宅教育のシーナ
自由に育ったシャル
多種多様




