第82話 守る為の力
複数の軍人をたった一人で皆殺しにした銀髪の少女が居るらしいです。
教官リディアとの戦闘訓練。彼女の降参で勝負は決着し、アイスが勝利を収めた。
アイスは捕らえていたリディアを開放した。檻となっていた雷光は空気中の魔粒子となって泡沫のように消えた。ついでに、リディアに負わせていた手足の痺れも取り除いてあげた。
術を解かれたリディアは目の前の少女を感心の眼で見つめる。
(甘ちゃんかと思っていたが、どうやら舐めすぎていたみたいだね……)
リディアが思っていたよりもアイスはずっと強かった。初めての戦闘訓練にしては上出来すぎる。ただ、素人であるせいか、無駄な動作が多く見られた。そこに目をつぶれば、まだまだ伸びしろがありそうな優秀な少女だった。
リディアは姿勢をよくしてちょこんと立っているアイスに近寄り、称賛を込めて肩を叩く。
「なかなかやるじゃないか」
「あ、ありがとうございます……!」
アイスは手合わせしてもらったお礼と褒められた事の照れ臭さが入り混じったお辞儀をした。
「体術でも心得ていたのかい?」
「え、そんな事は無いと思いますけど……」
「本当かい?」
それを聞いてもリディアは信じられなかった。謙遜しているのではないかと疑いたくなった。アイスの構えは素人丸出しのなよなよしたものだったが、体さばきはまるで違った。そこら10代の少女が成せる業ではなかった。
「あんたの動き、素人にしては機敏すぎるんだよ……」
「は、はぁ……」
アイスはなんとも言えない回答に留めた。肯定も否定もしない。“素人らしくない”と言われてもアイスは困る。どう考えても自分は素人。それ以上でもそれ以下でもない。そのようにアイスは思っている。故に、なんとも言えなかった。
「あまりぴんと来てないようだね」
「私、喧嘩とか無縁ですし、特別な訓練とかした事は本当に……。やっても学校の授業とかでしか」
「なら、潜在的な能力がそうさせるんだろう」
「私にあるのは雷魔法だけですよ?」
潜在的な能力――すなわち、アイス本人も意識できていない能力があるのではないかと疑われた。潜在能力は本人にも制御できないもの。素人離れした動きを可能にした何かがあるとしたら、リディアの推測ではそれしかなかった。
しかし、アイスは自身に潜在的な能力が備わっていないか調べに行った事があるし、前回来た時にはミリナに調べられた。結果は「無し」。遅くても20歳までに発現するとされているが、今の所無し。
それを聞いてリディアは困り果てる。
「だったら、あんたの身体が無意識的に魔法によって強化されてるか、あるいは、私の動きを知らず知らずのうちに読み取ってるか」
「うーん……」
後者については「無い」とアイスは確実に言えたが、前者は完全否定する自信が持てなかった。
体が軽いのは昔からだと思っていたが、実際は魔法による効果なのかも知れなかった。ただ、それが本当なのかどうかはアイス本人にも分からない。
人体には“魔力回路”なるものが血管と同じように人間の全身に流れており、持ち主の身体能力を底上げしてくれている。常にそこにあるものなので、流れや滞りが分かっても、それがどう作用しているかは普段の感覚では分からない。
つまり、アイスが持つ魔力の性質によって、体の動きが常人よりも向上しているのだとしても、それは分かりようがないのだ。
「なんにせよ、天性の戦闘能力があるって訳だ」
「天性の戦闘能力?」
「稀に居るんだよ。いや、本当に……。一度も戦闘経験の無い人間が、訓練を積んだエリートに勝っちまうって言うとんでもない話がね」
人は通常、戦闘を積み重ねる事によって強くなる。どんなに強い人物でも、初めは大抵非力か、周りよりも少しセンスがあるくらいの人間だ。経験と共に己の技術を磨き上げる事によって、他を圧倒する。
だが、世の中には、初の戦闘で自身の力を開花し、短時間で熟練者を超えてしまう者が居る。
アイスにとっては信じられないような話だ。百歩譲ってそう言った天性の強者が居たとしても、自分自身がそれに該当するとは思えなかった。
「で、でも、私は普通の女の子ですよ?」
「“普通の女の子”が初めての訓練で工作員の教官を追い詰めるかい?」
「っ……」
追い詰めろと言われたから必死にそうしただけで、アイスはあまり考えて来なかった。だが、言われた通りだと気が付いた。普通の女の子と言い張りながら、訓練初日で教官を追い詰めてしまった。あまりにも矛盾している。
「見た目や中身はそこらの“普通の女の子”と何も変わらないのかも知れない。だが、私はこの目で見た。戦闘能力だけは著しく飛び抜けてる」
それでもアイスは信じられなかった。自分の身体の事は自分が一番よく知っている。特別な力があるとは思えなかった。……だが、経験豊富なはずの工作員に負けを認めさせたのは事実。
「私に戦闘が出来る理由って、何かあるんですか……?」
「いーや? さっきも言ったろ、天性のものだって。生まれつき人より体が異常に柔らかいとか、人より記憶力に長けてるとか、そう言った類のものだよ。直感で動いてあの動きだったんだろ?」
「……はい」
「だから生まれつきの才能ってやつだよ。何も怖がる必要は無い。それがあんたなんだから」
そう言われるとアイスはちょっとだけ自信がついた。……ほんのちょっとだけ。
◆
厳しい訓練を終えたアイスは寄り道せずに借間に帰った。もちろん、行きと同じく電車を使って2時間くらいかけて戻った。
電車内はホテルのロビーのように快適なのだが、CSがある〈アイザン〉と王国南部の〈コートセリン〉の往復はやはり体力的にキツかった。アイスは長距離移動に慣れていない。本格的な訓練の初日だったと言う事もあって、帰った頃にはぐったり疲れた。
玄関でサンダルを脱ぎ、アイスはベッドに直行した。先に手を洗わねば……。シャワーを浴びねば……。頭ではぼんやりと考えていたが、ふかふかの誘惑には勝てなかった。
「は~疲れた~……。ベッド気持ちいい~……」
ベッドに倒れ込んだまま、アイスはしばらく瞳を閉じて何も考えなかった。それが気持ちよかった。ベッドに身体を預けると、いかに疲れていたかを実感する瞬間が誰にでもあるだろう。今のアイスはまさにそれを味わっていた。魔力の使いすぎで全身が疲労していた。
次第に眠たくなって来た。だが、寝てはいけない。寝ると後々面倒になる事をアイスは知っている。夕飯の準備や洗濯物の片づけ、今日中にやらねばならない事が溜まっている。寝るとそれらが億劫になる。
「……」
アイスは仰向けになって天井を見つめる。訓練の事を思い出していた。
「なんか、私じゃないみたい……」
戦闘でどう動けば上手く立ち回れるか。そんな事は生まれて一度も考えた事は無かった。日中の訓練では、その時その時に必要な動きを考え、読み取り、それをただ単に実行しただけだ。それなのにあんな事を言われたら、自分が自分ではないみたいだった。
(天性の戦闘能力……)
そんなものが自分に備わっているとは、やはり信じられなかった。本当に強い人と会った事も戦った事も無いアイスには自分の立ち位置が分からない。しかし、そんな大そうな力は無いはずだった。
(きっと何かの勘違いだよ……)
天性の戦闘能力なんて無い。アイスは断言できる。ただ単に魔法の扱いに長けているだけ。それによって身体強化をして、素人では成し得ないような動きを可能にしていただけ。それで全て説明が付く。あとは勘と運でカバーした。
おどおどした少女が熟練の工作員を負かす。その光景を見れば、天性の戦闘能力が備わっているのだと何人かは錯覚するかも知れない。あのおばさんもその一人なのだろう。
(みんな褒めすぎだよ……)
きっとそうだ。褒めすぎ。新人だから褒めている。そうに違いなかった。
アイス自身、戦う事は好きではないし、出来れば避けたいタイプの人間だ。自信もあまりない。強いと言われても嬉しくはなれなかった。
天性の戦闘能力を持っているだなんて言われたら、戦う為に生まれて来たみたいだ。工作員になる運命だったと言われているようだ。アイスはそれが嫌だった。
アイスは出来れば普通の女の子で居たい。普通の女の子だと今でも思っている。そう思いたい。
(でも、私の力ってあんまり……普通じゃないって言うか……)
頭の中ですら言うのも気が引けたが、魔法に関しては並外れている自覚はあった。〈属性魔法〉を授かっただけでも幸運なのに、同じ魔法族の中でも特に恵まれている。普段あまり考えないようにしているが、今日のような出来事があるとアイスはつくづく思った。
(これからは普通の女子で居るだなんて無理なのかもね……)
自身が持つ魔法の強力さも今日ではっきりとしたし、工作員としての道を順調に進んでしまっている。普通を願っても、もう普通では居られない。
だが、皆がそこまで言うのなら、少しは頑張ろうと言う気にもなれた。
アイスの性格を知った者は、頼ったり期待したりする事を申し訳なさから躊躇う。疎外するつもりは無いにしろ、アイスは今日までことごとく重役を任されなかった。しかし、今は性格ではなく能力で見てくれている。だから、期待に応えたかった。
それに、強い事は決して悪い事ではない。使い方さえ間違えなければ、自分だけでなく他人をも守れる力になる。もしもそれなりに強くなれば、人々の役に立てる。
(そう……。心まで工作員にならなければ……)
生まれ持った良心。それだけは忘れてはならない、とアイスは胸に手を当てて思う。
(工作員は人を傷付ける。そんな人達のやり方だけは倣っちゃダメ……)
想像に難くない。ターゲットの誘拐、抹殺、邪魔者の排除……人を傷付けるのは工作員の常套手段だ。そんなのが当たり前となっており、そして、それを組織は推奨している。アイスの理想の生き方とは正反対。間違っても取り込まれてはいけない。
どうして彼らは人を傷付けるのか。そうする事が良しとされていて、任務遂行の為のどうしようもない犠牲だとの認識があるからなのではないか。
(……私は違う。そんな事しないし、させない。私にはそれが出来る。私のこの魔法で、傷付けられる人を減らせるなら……私は助けたい)
自分の魔法で誰かが傷付かずに助かるのなら、アイスはやりたかった。
(CSの工作員に狙われる人は、少なからず狙われる理由を持ってるはず。いけない事をしているだとか、秘密の情報を持ってるとか、敵対しているだとか……。私が少し介入した所で、どうにもならないのかも知れない。でも、この魔法で助けられる命もある。それは確か)
CSに目を付けられているような人は危険人物や悪人である可能性が高い。しかし、それでも人間だ。普通の人と同じように生きている。アイスはそれを忘れていない。
狙われる要素を取り除く事が出来れば、いくらCSの工作員でも命までは奪わないのではないか。例え敵対勢力であっても、そうなればもはや一般市民も同然。無下に殺したりはしないはず。
どうやってそれを実現するかだが、アイスには魔法がある。その手法は道徳的にも倫理的にもいい事とは言えないかも知れない。単なるエゴかも知れない。だが、対象の生までも否定する訳ではない。それで救える人が居るのなら、アイスは救いたかった。
漠然とした気持ちでアイスはCSの一員になったが、ようやく方向性が見えた。
(恵まれた力を持って生まれたんだから、活かさないとだよね……)
世の中には魔法や能力に長けていない人や、それすら持っていない人が大勢居る。彼らの事をまとめて“弱者”と呼ぶのは傲慢だが、自衛の術を持たない事が多い。世界には魔物が跋扈しており、人間同士のいざこざも絶えない。力に恵まれた人はそれらから人々を守る義務がある。
ギルドは己の魔能を駆使して人々を守って助ける組織の代表例だ。魔物を退き、人々に寄り添う。そんな活動をアイスはいつかはしたいと思っていた。舞台は違えど、そのチャンスが今、巡ってやって来たのかも知れなかった。
(自衛の術を持たない人達を守りたい……。人の為に生きたい……)
自分の為だけに生きる人にはなりたくない。目指すなら、世界を危機から救った、かの有名な英雄のような人物。自分の為にならないと分かっていても、人の為に尽せる人。アイスはそうなれる事を願った。
(……でも、もっと強くならないとね)
裏社会に出ても死なないくらいには強くならねばならなかった。自分が負けて守るべき人が死んだら本末転倒だ。人々を救うには死んではいけない。それが救う者の大原則である。
それに、まだ好きな人も出来ていない。普通の女の子ではもう居られないのかも知れなかったが、アイスはそれを全て諦めた訳ではない。一掴みの幸せを手にするまでは終われなかった。
(……私にしか出来ない事をしないとね)
せっかくこの世界に生まれたのだから、自分だけにしか出来ない事を経験し、人生を楽しみたかった。それらを経ずに終わってしまうのは、あまりにももったいない。
今は道半ば。いつか必ずハッピーエンドを掴んで見せる。アイスはそう決意した。
個人的にpassiveスキルって好きです。
複雑すぎるのは勘弁して欲しいですけど……。




