第62話 緋月にご招待
太陽が青空のてっぺんに上り、〈緋月〉の館に暖かな日差しを送り込む。季節外れの春の知らせ。まだまだ冬は終わっていない。ただ、着実に春へと近づいている。そんな気候の中、館内のホールにシンシアの姿があった。
シンシアはホールにある机の1つに陣取り、紅茶とイチゴケーキを堪能しながら至福のひと時を過ごしていた。
「やっぱ甘い物は大事だよ~! 元気になるもん!」
単なる独り言だ。反応してくれる人は一人も居ない。シンシアはよく独り言を言う。しかも、側に居る誰かに話しかける時と同じような声量で発する。周りに誰かが居ても居なくてもお構いなしだ。
この古くから染み付いた癖のような独り言について、シンシアは時折指摘される事がある。シーナなんかは特に言う。辛辣にも「寂しくないの?」だとか。……だが、それは違う。一人で喋っている姿が寂しそうに見える事もあるかも知れない。ただ、シンシア本人はそんな状況を楽しんでいる。楽しいから独り言が出てしまう。
そして、シンシアはまた一口ケーキを頬張る。フォークに付いた生クリームを綺麗に舐め取り、続いて紅茶を味わう。
随分とくつろいでいるシンシアだが、当然ながら、やる事が無い訳ではない。やるべき事は山積している。山積して作業が出来ないくらいだ。しかし、どんな時でも休憩は必要だとシンシアは考えている。本気を出せば今日やるべき事もすぐに終えられる。平気平気。そんな感じでシンシアはまったりとしていた。
「無理に頑張るってのは身体に毒だよ~。……まぁ、甘い物も身体に毒だけどさー。けど、美味しけりゃそれでいいんだよっ! うん! こう言う事の為に人は生きてるんだよ!」
シンシアは大粒の赤いイチゴを頬張った。食べ物を味わっている時はシンシアも喋らない。鼻歌を歌ったりうなずく事はあるが、咀嚼中の物を外に見せるような下品な事はしない。意外にも、そう言う所はちゃんとしている。
現在、シンシア以外には誰もホールに居ない。シンシアが独り言をやめれば、周りは自然と静かになる。だが、その静寂を破るように、突然大広間に破裂音が鳴り響いた。
紅闇の炎の〈転移魔法〉でやって来たのはダン、と……。
「ん? 誰それ?」
シンシアは思わず聞いてしまった。見慣れない男女が仲間と一緒に現れたら当然そうなる。
「ウォッチャー本部で会ってな。レオの知り合いだって言うから連れて来た」
「へー、そうなんだー」
シンシアはケーキに挟まれたイチゴをフォークで引っ掻き出しながら興味無さそうに返した。もはやダンの方を向いていない。既に興味のピークは過ぎていた。
「ダン! お前……!」
ちょうど大広間の近くに居たのか、館の主であるレイヴンが嗅ぎつけて来た。メンバーではない人間の気配を察知して光の速さでやって来た。
「ここは俺ん家だぞ!? 勝手に変な奴を連れて来るな!!」
レイヴンは階段を足早に下りて問題の発生源へと向かう。相当イライラしているようで、普段言い争わないダンに噛みつきそうな勢いだった。
「だーかーらー……、レオの知り合いだって言ってるだろ?」
「知り合いでも、家族でも、部外者は立ち入り禁止だ。この前決めたばかりだろ!」
アビスゲート事件を終え、メンバー以外の出入りは無しにしようと皆で決めた。だからレイヴンはダンに怒っている。
意固地な態度にダンは頭を抱える。
「全く……困ったもんだ」
「緋月を守る為だ」
元からメンバー以外の出入りには厳しかったが、あれ以来厳しさに拍車がかかっている。ジェナの祖父であるグレンも今や例外ではない。外のものは虫一匹入れられない。そろそろ外の空気を持って来ただけでも叱られそうだった。
「分かってる。それは分かってる。お前が館と〈緋月〉を守りたいのは分かってる。だけどよ、世の中怪しい奴ばかりじゃないんだぞ」
レイヴンは溜め息をついて黒髪を掻いた。
「ダン……お前がここにグレンを連れて来た時、俺はなんて言った?」
「あー……その事については悪かった。油断してた……」
「今回も油断してるんじゃないか?」
ダンとレイヴンは黙って見つめ合った。
「――わたしは構わないけどね」
にこにこしているシンシアを見て、レイヴンは一気に疲れた気分になった。
「いい訳ありませんよ……。敵だったらどうするんですか……」
「敵ねぇ……。今わたし達を狙う理由のある“敵”って、一体どのくらい居るのかな?」
「それは……」
レイヴンの続きの言葉は出て来なかった。
「いーちゃんが気にしてる事はよーく分かるよ? でもさー、見えない敵をずっと警戒するつもり? 少し肩の力を抜いて、見える敵に焦点を絞ろうよ。新たな敵が来た時は、わたし達が居るでしょ」
レイヴンは少し考えた後に答えた。
「そうかも知れません……。ですが、皆で決めた事です」
「堅物ぅ! せっかくいい事言ったのにぃ!」
「……今日くらいは目を瞑ります」
なんだかんだ言ってレイヴンはシンシアに甘い。だが、そのような判断が出来たのは、シンシアの強さを知っており、その言葉を信用しているからだ。シンシアがこの場に居なければ、怪しい二人をすぐに追い出していた。
「出て行かなくて済むようだな」
「信用している訳じゃない」
「だろうな」
レイヴンとレイチェル、青い瞳を持つ者同士て睨み合った。
「彼女がマスターか?」
「見れば分かるだろ。“金髪の大きな問題児”……〈緋月〉と言えばそれだろ?」
「そう聞いている」
シンシアのギルド会議でのふざけた態度や怠慢さは悪い意味で有名。最近までそのような話が無くてレイチェルも忘れていたが、悪名を聞いて思い出した。
「“大きな問題児”の“大きな”って、きっとわたしのおっぱいの事だよね! 嫉妬してるんだなぁ」
「ちょっとは嫌がれよ……蔑称だぞ……」
シンシアが気にしなくても彼女の元で働くダンは気にする。蔑称を覆す努力をもう少し真剣にして欲しいのが本心だ。
レイチェルとゴードンは、椅子に座ってお茶をしているシンシアの元へと歩み寄った。
「何か用?」
「レイチェルだ。よろしく」
「ゴードンと言います」
二人が立て続けに自己紹介をするが、シンシアはしなかった。それだけに留まらず、他人事のような態度、接し方だった。
「あー、レオ君はねー、いつ来るか分からないから、来たらこっちから連絡取らせるよ~」
「その必要は無い」
「……ん?」
レオに会いたくてやって来たものだとシンシアは思っていた。レオの知り合いとして招かれたのだから、そのように思うのがごく自然だ。だが、レイチェルの答えは違った。
「私達を〈緋月〉のメンバーに加えてほしい」
「……」
シンシアはレイチェルを見つめたまま黙り込んでしまった。想定はしていた。目的がレオでもなければ、攻め入る事でもない。依頼ならわざわざ直談判せずに正規ルートで出せばいいし……。となると、二人が緋月にやって来た理由は偵察など数えるくらいしかない。
「ほーん……」
適当な返事をしながらシンシアはケーキを平らげた。口の中に生クリームとイチゴの甘さが残ったままだったが、レイヴンの見解をうかがう事にした。
「いーちゃんどう思う?」
「私は断固反対です。こんな訳の分からない奴ら」
レイヴンとレイチェルは再び睨み合った。一触即発とまでは行かないが、お互いかなりピリピリしていた。しかしながら、主にレイヴンの言動に原因がある。訳の分からないとはレイチェルも心外だった。
「メンバーになる為に直談判しに来たんだぞ! この熱意は本物だ!」
「わたしに言われてもねぇー……」
そんな事を言われてもシンシアだって困る。直談判なんてものは望んでいない。ただ、本当に嫌なら、有無を言わさずレイチェルとゴードンを排除しているはず。ダンが見る限り、シンシアはそこまで反対意見を持っていなさそうだった。
「シンシアは反対じゃないのか。珍しいな」
ダンがそのように口にするのは、シンシアがかれこれメンバーの増員をして来なかったのを知ってるからだ。レオとシャルを除けば、シンシアが正式にメンバーとして迎え入れたのは、数年前のシーナとジェナが最後で、それ以降は全く無い。
伸びをしたシンシアは笑顔で語る。
「今日は仕事も無くて気分がいいからね~」
「嘘はいけませんよ」
「うっ……」
シンシアは枯れ木のように硬直した。出鱈目を言ってもレイヴンにはバレていた。
「こんなのが本当にマスターなのか……?」
レイチェルはシンシアの様子を見て、聞こえよがしに呟いた。
ギルドのメンバーを束ねるマスターと言うものは、大抵は真面目なものだ。見るからに怠惰なシンシアを目の当たりにすれば、シンシア初見の人は誰もがその資格を疑う。「昼間っからケーキを食べているような奴は、よっぽど高貴な人間か、ろくでもない奴のどちらかだ」と言うことわざもあり、ますます疑いに拍車がかかる。
「あーっ!!」
レイチェルの暴言に、これまでおっとりしていたシンシアにしては過剰な反応を示した。
「今の発言はわたしの導火線に火を近づけたよ!?」
火が付いた訳じゃないのか……とレイチェルとゴードンは思わされた。まだシンシアの導火線は無事らしい。だが、バカにされて多少なりとも怒っているみたいだった。今までの態度と明らかに違うのでとっても分かりやすい。
「条件無しで迎え入れようと思ったけど、やーめた」
「無関心だったくせに……」
「うるさいよダンちゃん! 何はともあれ、二人とも勝負だ!」
シンシアはレイチェルとゴードンの方に人差し指をびしっと向けた。二人とも突然の事に困惑の色を隠せない。
「勝負……?」
唐突すぎる展開に戸惑うレイチェルとゴードン。どうしていきなり勝負する事になったのか理解不能だった。勝負をする云々の話はこれまでに出ていない。
「そうそう! いーちゃんとダンちゃんもやるー?」
「勘弁してください」
「俺は二人を送って来ただけだから」
ダンとレイヴンはシンシアのお遊びに巻き込まれまいと逃げ去った。二人ともそこまで暇ではない。
「えぇぇ、つれないな~。……ま、いっか」
勝負事は参加人数が多い方が面白いと思ったが、やりたくないなら仕方が無い。シンシアは気にしない。
「どうやって勝負するのですか?」
「まだ決めてないやー、えへへ」
「負けるとどうなる?」
「もー、気が早いなぁ~。そんなに一気に攻められたら昇天しちゃうよ!」
ゴードンとレイチェルの質問攻めにシンシアは困り気味だった。一方で、構ってくれる人が出来て嬉しそうでもある。
「勝てば〈緋月〉に入れてもらえるんだろう? それは想像できる。だが、負けた時にどうなるかが分からない……。そこが気になる」
勝った時の展開は誰にでも想像はつく。しかし、勝負には負けも存在する。ギルドに入れて欲しいと頼んで負けた場合、一体どうなるのか。レイチェルの気になる所はそこだ。
「負けたら、ここから消えてもらおうかな~」
シンシアから笑顔で言われたが、台詞の内容が物騒だったせいで、レイチェルは少し唾を飲んだ。
では、こうなると気になるのが勝負の内容だ。いくつか考えられたが、レイチェルが真っ先に考え付いたのは、「力比べ」である。ギルドに属するに相応しい力量を持っているか調べるには、直接拳を交える事が手っ取り早い。
ギルドの加入条件で、ある程度の戦闘技術が備わっているかどうか試される事はよくある。この場合、一般的には勝ち負けでは判断されず、対戦したメンバーやそれを観戦していたマスターからの合否で決まる。
ただし、シンシアは既に加入条件を狭めている。勝負に勝たねばメンバーとして認めない……と。力比べをするのであれば、相当の覚悟が必要だと考えられた。
「戦って力を証明すればいいのか?」
「あっ、わたしと戦いたい?」
「望む所だ」
レイチェルは意気揚々とした感じで答えた。挑戦を受けたシンシアも嬉しそうにしていた。しかし、全く乗り気ではない奴がレイチェルの隣に居た。
「いえ、やめておきましょう」
流れを断ち切るかのようにゴードンが引き留めに入った。その異議にレイチェルは顔をしかめる。
「どうしてだ……! ここで力を証明できれば、仲間にしてもらえるんだぞ……!?」
「きっと私達が束になってかかっても倒せないのでしょう」
「どう言う事だ?」
ゴードンはにこにこシンシアを警戒するような目つきで見つめる。
「ダンさんは、いかにも怪しい私達をここへ連れて来てくれました。それではあまりにも不用心じゃないですか? ギルドに危険が及ぶかも知れないと言うのに……」
「まぁ、そうだが……」
ただ単にダンが話の分かる奴だったとは言い難い。ダンは最初見知らぬ者の接触に警戒していた。その後、ダンはその二人をギルドへと案内した訳だが、ゴードンの言う通り、警戒していたにしては不用心だった。
「恐らく、たった2人の人間を連れ込んだ所で、何も出来やしないとの判断があったのでしょう。つまり、マスターである彼女はかなりの強さを誇るのでは?」
「なるほどな……」
ギルドを統括するマスターが必ずしも強いとは限らない。だが、シンシアの余裕な構えを見ていると、レイチェルはそんな気もした。ふわふわしている奴が意外と強かったりする。外見に惑わされてはいけない。工作員時代に嫌と言うほど教え込まれた。
「ふーむ、賢明な判断だねー。わたし的には、二人まとめてズガンと一発気晴らしパンチしたかったけど」
気晴らし。憂さ晴らし。気分転換。シンシアにとって力をぶつけ合う勝負と言うのはその程度のものだった。
「それで、どう勝負しますか?」
「まぁ、わたしが決めたら、わたしが有利になっちゃいそうだからー、二人が決めていいよっ」
「……そうか。そうだな……何がいいか」
レイチェルは顎に人差し指を当てて考える。どうせ提案するのなら、何か自分達が有利になるものがいい。その思惑はゴードンも同じだった。
「では、カードゲームでどうでしょう」
「面白そう!」
シンシアはそう言うのが好きだった。しかし、ゴードンがカードゲームを持ちかけた理由をなんとなく知っているレイチェルは後ろめたさがあった。無邪気な子供を騙しているようで気が咎めた。
「本当にそんなのでいいのか?」
「勝負は楽しい方がいいよ!」
勝率を上げる為――つまり、インチキを通りやすくする為にゴードンがカードゲームを提案した事は言うまでも無い。だが、万が一それでシンシアにバレたらどうする? そう思ったレイチェルだったが、思いのほかシンシアは乗り気だ。言わぬが仏である。
問題児シンシア(24歳)




