第18話 脱持たざる者
ミュリフィエは意外といい子
審判の邪魔になるからと言う理由でレオは塔から追い出された。余計な仕事を増やされた天使の対応と来たら……。ゴミ捨て場にゴミ袋を投げ捨てるかのような、なかなかに酷い扱いをレオは受けた。
しかし、それも致し方ない。〈神の審判〉を受けるに値しなくなったレオは、もはやあの場に居ていい者ではなかった。しかも、定められたルールを拒み、あろう事か抜け出した。天使達からすれば立派な“無法者”。丁重さを欠いた雑な扱いを受けても文句は言えなかった。
一方のオッティーはと言うと、天界で働く者としての手続きがあったので一旦レオとは別行動となった。
巨塔から程近い広場の段差に腰かけ、レオは彼方を眺めて一人黄昏れる。
これから自分はどうなるのだろうか……? 自問し、ただ漫然と、シャボン液を溶かしたかのような空を見つめ続けた。
一人でオッティーを待つのも退屈だ。レオは〈担当天使〉を呼んでみた。
暇なのか近くに居たのか、すぐにミュリフィエが飛んで来るのが見え、少女は純白の翼を畳んでレオの側にふわりと降り立った。
「聞きましたよーレオさん。まさかこんな事態を引き起こす問題児だったとは」
「そんな奴とつるむとはお前も物好きだな」
「もー……レオさんが呼んだんじゃないですか。こっちは本気で心配したんですよ……?」
その口振りと表情から、面白がっていないのは明らかだった。彼女なりに気にかけてくれていたようで、それについてはレオも一言謝った。
「それはそうと、オレにはまだ担当天使が付いてるんだな」
「そりゃぁ、レオさんまだ転生するかー、ここで働くかー、選んでないじゃないですか」
「やっぱりそうだったか。どう足掻いても、審判を待ってる状態に変わりないみたいだな」
2つの“選択”を回避した訳だが、実際には不完全な回避で終わっている事をレオは突き付けられた。黄金色の草原を越えた者はどの道、天界で〈神の審判〉を受ける運命にあるらしい。自分達には選択の自由が許されていない事を、ミュリフィエの発言で嫌というほど思い知らされた。
(逃げられない、逃さないってか……)
最初から、自由など無かった――。
無限に続く虚空が、レオにはますます牢獄のように思えた。レオの胸の内で、形容しがたい苛立ちがじわじわと燃え広がる。
「私じゃ心もとないって感じですねー。最後まで一生懸命ご奉仕するので!」
「ありがとよ」
「しかしレオさん、これからどうなっちゃうんでしょうね……」
「オレにも分からん」
すると、ミュリフィエはレオの隣に腰を下ろし、真っ白な翼でレオを包むように抱き寄せた。レオの寂しさ、心細さが少しでも和らぐのなら――と。
広大な天界でたった一人。たった一人の例外。似た境遇に置かれた事はミュリフィエには無かった。これまでの経験を基に推し量る他ない。それでも、他に頼れる存在が居ない心境を想像できないミュリフィエではなかった。
そこに言葉は無かったが、「慰め」が込められている事はレオにも伝わっていた。
2年間一緒に過ごしてこんな風に寄り添ってくれたのは初めてだった。今のレオにはこれが結構響いた。包まれる安堵感。レオはそのままミュリフィエの優しさに身を委ねた。
(温かい……。コイツもちゃんと生きてるんだよな。……対してオレは、生きてるのか死んでるのか……)
「なんで記憶を消して転生か、ここで働くかの二択なんだろうな……」
「そんな事聞かれても私からはいい答えは出せそうにないです」
「だよな……」
神のみぞ知る。仮に天使も知っているのだとしても、その口からは言えまい。レオは諦めた様子で一つ息を吐いた。
「でもでも、何故か記憶を全部消して、生まれ変わりたいって気持ちになる人が多いみたいですね~。どう考えてもここで働く方が良さそうなんですけど、不思議です」
「なんとなく分かる気がする。辛い過去を忘れたいだとか、生きる苦痛から解放されたいって思ったら、転生する事が救いに思えて来る」
「みんな死んでますけどね~、あはっ」
空気の読めないツッコミでレオは見事に調子を狂わされたが、おかげで暗い気分にならずに済んだ。
ミュリフィエの言う通り、確かに皆死んでいる。しかし、死んではいるが、死してなお生きている状態である。だからこそ、生に苦を感じた者達は「転生」を選ぶのだと思われた。何もかもから解放される為に。己を殺してでも自由を手にする為に。
「普通の人間には、永遠に生きる苦痛なんて耐えられないんだろうよ。もちろんオレにも無理だと思う」
「じゃあ、なんで転生する方を選ばなかったんですか?」
「選ばなかった理由、か……」
「転生」とは仮初めの自由であり、神の思い通りに生きる事に他ならない。刃向かい、己の力で道を切り開く事で、自由な生を実感したかったのではとレオは自身の“選択”を振り返る。
やむにやまれずそうしたと言う点では、既に自由意思など無い感じも否めなかった。……とは言え、そうではないとレオは信じるしかなかった。人間、そうしたマインドで居ないとやっていられない。
「新たな世界をこの目で見たいってのもあったが……、オレは“オレ”で居たかったんだ。“オレ”じゃなきゃダメだった。自分を貫こうとしただけさ」
「たとえ相手が神だったとしても……?」
「たとえ神が相手だったとしても」
揺るがぬ信念。その固さが、新たな“選択”を成す原動力になったのだとミュリフィエは感じ取った。何故だろうか? レオがそこまでする理由はてんで分からなかったが、不思議と応援したい気持ちにさせられた。
「大バカですね、レオさんは」
唐突な「バカ」発言にもやもやしかけたレオだったが、ミュリフィエから向けられた穏やかな笑みを見れば悪い気はしなかった。
「……でも、レオさんがそう望むのなら、担当天使として精一杯お助けします。あ、私いい事言った」
「ふっ……だいぶ担当天使として成長したんじゃねぇか?」
「私の初めてがレオさんで良かったです」
こうして気兼ねなく相談できるのは、相手がミュリフィエだからこそだ。ドルティスだったらこうも行かなかったはず。レオも彼女には感謝していた。
とびっきりの感謝を込めて、レオはミュリフィエの頭をくしゃくしゃに撫でてやった。
◆
白かった空の境界に、段々と薄橙のグラデーションが広がり始めた。月も星も輝かない夜が近づいていた。審判を待って並んでミュリフィエと適当に過ごしていただけなのに、もう一日が終わりそうだった。
腹が空かないせいか腹時計も鳴らない。環境も相まって時間の流れが把握しづらい。天界全体が、なんの為に生きているのか分からなくなりそうな感覚に陥らせる為の“装置”のようにレオには思えてならなかった。
また一日が終わる――。あぐらをかいてアンニュイな気分で遠方を見つめるレオ。そこへ、大きな声で「おーい、兄ちゃん!」と呼ぶ声が。
やっと来たか。そんな表情でレオは駆けて来る足音の方へと振り向いた。今朝までの物憂げな雰囲気が綺麗さっぱり洗い落とされた面持ちのオッティーが目に入った。そして、その頭上には……。
「爺ちゃん! 輪っかついてやがる!」
天界の住人の証である光の輪を乗せた姿は、白い髭に白い髪、しわのある顔にはぴったりだった。あまりにも似合いすぎていて、レオとミュリフィエは思わず笑ってしまった。
「無事手続きを済ませて来たぞ!」
「おめでとう」
笑いから立て直したレオがお祝いの言葉をかけると、オッティーは瞳をうるうるさせた。
「兄ちゃん……本当にありがとう!! アビスゲートを解決しに行ってくれるんだな!?」
「ああ。爺ちゃんが凄く悔しそうにしてて気の毒になっちまってよ……放って置けなかったんだ」
「ははっ、実際には後付けじゃろ? まぁ、それでも嬉しかったぞ」
確かに後付けだ。説得力を持たせる為の即興の後付けだ。それは事実だった。
彼への同情が全く無かった訳ではない。ただ、レオを“第三の選択”へ導いたのは、縛られず自由でありたい気持ちと、以前から抱いていた好奇心によるものが大きかった。「好奇心」なんて言葉はやはり柄ではないと思うレオだったが、その両輪が最大の原動力であった。
もっとも、オッティーの代わりに使命を果たす事も、レオにはそれらと同等の価値のある重要な事だった。彼との出会いが無ければ見出せなかった道だ。救われた者として、しっかり恩に報いるつもりだった。
その事を告げ、レオはオッティーと固い握手を交わした。
「しかし、よくあんな事あの場で言えたな……」
「若者の威勢の良さってヤツをやってみた。大口叩いて、見栄張って、強がってる感じの。オレ自身そう言うの得意じゃないけど」
「わしはそう言うの好かんが、なんにせよ、今回はそれに助けられたな」
ともあれ、これで信用できる仲間が揃った。現在“審判保留”となっているだけに過ぎず、事態がいつ悪い方に急転するか分からない。レオは今のうちに皆の知恵を借りたかった。
「オレなりに考えはしたんだが、これから具体的に何すりゃいいのかさっぱりなんだ……。なんか無いか?」
「うむむ……そうだったな」
「私にもさっぱりですよー。こんな事マニュアルに無いんで」
「――それに関しては心配無用だ」
天界からの脱出方法について案を出し合おうとしたその時、レオ達の後方から声がした。振り向けば、そこには威厳たっぷりの神が立っていた。瞳にその姿を映した瞬間、びっくりして思わず全員立ち上がってしまった。
「アルズ様!?」
「これから大事な話をするのだ。少し外してくれ」
「……はぁい」
もっと話をしたかったらしく、がっかりした顔をミュリフィエが見せる。神の命令ではさすがの彼女も逆らえないようだった。
「レオさんまたね~」
レオとオッティーに手を振りながら、ミュリフィエは白い翼を広げて空へと飛んで行った。おかげで、男3人――うち2人は老爺の華の無い絵面となった。
天使が飛び去って遠ざかったのを確認すると、アルズがこれからの話を切り出した。
「面倒なのが居なくなった所で本題に入ろう。天界から出る方法を探していたのだろう?」
「まぁ……」
「その必要は無い。私の権限でお前を下界へ遣わす」
ここまでスムーズに道が開けるだろうか……? 嘘から出た実となったとは信じ難い。アルズか、はたまたもう一人の神。どちらかに妙な思惑があるのではとレオは邪推せざるを得なかった。
……しかし、言及は避けておいた。ここで神に見放されては元も子も無い。
「とは言え、今の状態では赤子も同然。まだ先の話になりそうだ」
「……?」
肉体を持っていない状態と言う意味だろうか? 呟くようにして言うアルズにレオが首をかしげる。だが、そうではなかった。
「ナミアの世界に行くなら準備が要る」
「準備? いつになったら会わせてもらえるんすか?」
「そう言えば、神ナミアにはまだ一度も会えてないんじゃが……そう言うもんなのか?」
「会おうと思って会える奴ではない。何せ引き籠りがちだからな」
引き籠りの神も存在するのか。どこの世界にも共通して居るんだな。そう思ったレオは、人間が引き籠りになるのもおかしな事ではないのかも知れないと感じさせられた。
アルズの言い振りからして他とは毛色が違うらしく、その「ナミア」と言う神がどんな神なのかレオはますます興味が湧いた。
「と言う事は……彼女に直接会いに行って、地上界に下ろしてもらえばいいんですかね?」
「まぁ待て。準備が要ると言っただろう。そのまま行っても死んで帰って来る羽目になる」
「え……」
それほど過酷な場所なのかとレオは身構えたくなった。あながち間違いではないが、現時点の“レオ”では相対的に「生存不能の世界」となってしまうと言う意味であった。
「まず、お前が住んでいた世界とは訳が違う。“世界”と言う物は、その世界を司る“主神”によって各々自分の理念に沿った世界を創る。知っての通り、お前は私の世界の住人。特別な力は持たせなかった」
「特別な力……?」
「ナミアの世界の住人は“魔法”を使える。だが、お前は一切使えない。今の状態のまま行けば確実に死ぬだろう」
この衝撃の事実にもレオは平常心だった。天界で非現実的・非科学的な物や現象を様々見て来たせいか、感覚が麻痺していてなんの新鮮味も感じないのが原因だ。むしろ、驚いていたのはレオの隣に居たオッティーの方だった。
「兄ちゃん、魔法使えないのか……知らんかった」
「2年も一緒だったのにかよ! 気付け!」
「ここに来てからは魔法なんかを使う機会がめっきり減っていたからの……。第一、当然使えるものだと思っていたから気付くのは無理じゃ」
一見するとオッティーも自分と同じ、ただの人間にしか見えない。しかし、実際にはその身体に魔法を使える力が宿っているらしく、レオはなんとも不思議な感覚にさせられた。その感覚の奥にある渇きは、劣等感や嫉妬に近いかも知れない。
持たざる者の手の平をレオは何気なく見つめた。
「魔法ってどうやったら使えるんだ?」
「……元から使えない奴が使えるようになるんかの?」
「かつてのお前には使えなかったが、枷となる肉体を持たない今なら可能だろう。コツを教えてもらえ」
「なるほど……魔法を教えてもらってから行くのか」
「そうだ」
「赤子も同然」アルズがそのように語った理由をレオは理解した。確かに、今のままでは丸裸で戦場に飛び込むようなもの。向こうの水準に合わせて鍛える必要があった。
「オッティーにそれを任せる。準天使としての仕事もあるだろうが頼んだぞ」
「しかしなぁ、あいにく魔法は専門外での……。剣術なら教えてやれん事も無い」
神の期待を裏切る衝撃発言だった……。初っ端から計画が狂ってはアルズもしばしの沈黙を余儀なくされた。
「……ナミアの世界に行っても死なない程度の戦い方をコイツに叩き込んでくれるのならそれでいい。では、任せたぞ」
投げやり感が否めなかったが、そう言うとアルズはやり残した仕事があるのか、巨塔の方へと向かっておもむろに歩いて行った。
茜色の空。代わり映えしない景色。だが、今日この日だけは、新たな物語の幕開けをレオに予感させた。
こうして厳しい修行の日々が始まるのだった……
2017.7.15 誤字訂正&補足
2024.12.31 文章改良&分割




