第59話 撃つべき相手
CSの建物は依然としてゴードンが作り出した光の結界で覆われている。その中がどうなっているのかなど、外の人間には知るよしも無かった。
ただ、不安そうに建物を見上げる彼らにも確かに言える事が二つあった。大きな爆発なんて無かった事と、建物内部では何か良からぬ事が起こっていると言う事だ。窓ガラスが割れただけの建物を物々しい結界が覆う異常事態を目の当たりにすれば、その二つの想像は容易だった。
建物の最上階では今、激しい暴風によって硬い扉がぶち破られた。レオとレイチェルは扉を突破するや否や、すぐさま黒幕が待つ部屋に攻め入って武器を構える。
最後の部屋に居たのはもちろんCSのボス――ローヴェンだ。大きなデスクに隠れてレイチェルの先制攻撃をやり過ごしていた。スーツを着た顔の怖い中年男を見た瞬間、レオは初対面であるにもかかわらず、彼がローヴェンである事を察知した。道中に居た工作員とは明らかに雰囲気が別格だった。
レオの予想を大きく外れて、部屋には彼しか居なかった。CSの工作員は誰一人として主を守っていない。不用心にも思えるが、それは違う。CSが総動員して侵入者を始末しようとしていた事に他ならない。もっとも、レオ達からすれば、邪魔者と無駄に戦わずに済んでむしろ好都合だ。
だが、ローヴェン一人とは言え、攻撃して来ない訳ではない。暴風と共に現れた侵入者を目で捕捉すると、ローヴェンはレオとレイチェルに向かって銃を撃った。しかし、レオに向かって撃たれた弾丸は外れ、レイチェルには銃身で弾かれた。
すかさずレイチェルが反撃を加える。まず、最初の銃撃でローヴェンの右手首を撃ち抜き、相手の手の力が緩んだ所で、追加で二発目を撃って彼が持っていた銃を後方に弾いた。
レイチェルの攻撃はそれだけでは終わらない。レイチェルは続けざまに風圧でデスクを押し飛ばし、ローヴェンに直撃させた。風がおさまる事は無く、ローヴェンの胴体は重いデスクと壁に挟まれて押し潰されそうな勢いだった。
風は部屋にあった書類やガラスを激しく撒き散らした後、窓から抜け出て行った。そして、静けさが部屋を包み込む。
一瞬で身動きが取れない状況に陥ったローヴェンは武器も失って絶体絶命。唯一動かせる右腕を伸ばし、デスクに落ちた長いガラス片を取ろうとするが……僅かに届かない。
レイチェルは足元のガラスを踏みつけながら一歩一歩ローヴェンの元に近づいて行き、デスクに強烈な蹴りを入れた。
「ぐあぁっ!」
ローヴェンの体はデスクと壁に挟まれており、蹴られれば当然圧迫が強まった。肺は押し潰されそうになり、息をするのも苦しい。もはや拷問装置と化してる。
だが、いくらローヴェンが苦痛に苛まれようと、レイチェルは気にする素振りを見せなかった。今の彼女は普通ではない。全身から怒りが滲み出ている。こうなってしまうと、「慈悲」などと言う言葉が浮かぶはずなかった。
殺意のある目で睨み合う両者。かつての飼い主とかつての飼い犬。どちらも譲れないものがあった。
「主に牙を剥くとは……。組織の犬風情が、猛るな……」
「私はもうお前らの飼い犬じゃない!!」
「ぐああっ!」
レイチェルは怒りに任せて再びデスクに蹴りを入れる。しかも、一度だけで終わりではない。二度、三度と続いた。
「分かるか!? 私のこの怒りが!!」
レイチェルがブーツで蹴る度に、ローヴェンは胴体をデスクに押し潰され、苦の呻きを漏らした。相手の骨が折れていようが構わないと言ったレイチェルの過激さがうかがえる。
「この怒りをお前以外の誰にぶつけろと!?」
他にはあり得なかった。レイチェルの目の前の男が全ての元凶だからだ。
「何が主だ!! ミリナを殺しておいて何が主だ!!」
未だに主導権があるかのように振る舞うローヴェンに、レイチェルの怒りはますます強くなった。
「罪の無い部下を罠にはめる主が居るか!? 挙句の果てには無関係の誰かに罪をなすりつけようとする!!」
レイチェルの怒りの蹴りは続き、その度にローヴェンは苦悶の表情を浮かべる。
「私の怒りが収まる訳ないだろ!!」
レイチェルは最後に渾身の一蹴りを入れ、荒い息遣いを見せた。レオには、まだ殺すまいと殺人衝動を抑えているかのようにも見えた。
「レオ……止めるなよ。思いつく限りの苦痛をコイツに与えないと、私の怒りが収まりそうにない……!」
「……止めないよ」
レオは最初から止めようなどと思っていない。善人ぶって殺すなとも言わないし、殺しを煽るような事も言わない。レイチェルがどんなにむごたらしい事をしようが、レオは腕を組んで側で事の結末を見届けるつもりだ。
レオは分かっている。口出しした所で、レオはただの部外者でしかない。レイチェルの怒りはレオにはどうにも出来ない。これは彼女が、彼女自身で決着をつけるべき問題だ。今は自分の出る幕ではないと理解している。
「調子に乗るなよガキが……」
レイチェルは反射的に銃で殴ってローヴェンを黙らせた。そして、レイチェルはデスクの側面を足で押し、ローヴェンへの圧迫を強め、銃口を相手の額に向けて真っ直ぐ構える。
「もういい。殺す」
憎しみのままに出来るだけの苦痛をローヴェンに与えようと思ったが、もうそんなのはやめだ。レイチェルの我慢の限界だった。その声すら聞きたくなかった。殺意の高まりはもう抑えられない。
「終わりだ」
「くっ……」
引き金を引くのは簡単だ。それで全ての決着がつく。だが、隠された真相は全て闇に葬られる。すぐにでも撃ちたかったが、まだとどめは刺さなかった。
「殺す前に一つ聞いておこう……。私を狙った訳を言え」
「言う義理は無い。お前は、もう組織の人間ではない」
「邪魔者は消すだけ……か」
ローヴェンは黙りこくった。図星と言った所か。だが、相手にされていない気分にさせられ、レイチェルは歯を食い縛って目つきをより険しくした。
「お前らCSにとっては、彼女は補充の利く手駒の一つだったかも知れない……! だが、私にとっては――掛け替えの無い友だった!!」
レイチェルは今にもローヴェンの額を撃ちそうな剣幕だった。だが、対するローヴェンは物ともしない様子だ。そして、まるで撃たれない事を悟っているかのような言葉も飛び出した。
「撃ってみろ」
「言われなくても撃つ……!」
それでも、ローヴェンは何故か不敵な笑みを浮かべる。次第にその笑みも大きくなった。
「私には見える。お前は、私を殺す事を恐れている」
ローヴェンが知ったような口を利く。レイチェルはこの期に及んで誰かを殺す事など恐れていない。
「これから死ぬと言うのに、随分と余裕だな……。それで命乞いのつもりか?」
「いいや。命乞いなどではない。真実だ。私を殺す事によって報復を受けるかも知れない、とお前は恐れている」
険しい顔をしていたレイチェルだが、眉が少し反応した。
「私を殺せば、行き場を失ったお前に身を寄せられる所など無い。いずれ足取りを掴まれ、もう殺してくれと乞い願いたくなるような仕打ちを受けて無様に殺される事になる。お前はそれを恐れている」
これから死ぬ人間のクセによく喋る。そのせいでレイチェルは心の奥を見透かされたような気分になった。
「そんな脅しで私の内側を見透かしたつもりか!」
「ふん、脅しではない。組織の裏切り者がどうなるかは想像つくだろう?」
言われるまでもない。ボスを殺せばどうなるか、組織の一員であったレイチェルには容易に想像が出来た。自分がさも体験した事があるかのように、脳裏にその光景が浮かんで来るほどだ。
確実に非道な拷問が待っている。相手は裏切り者だ。何をしても許される。絶え間なく続く輪姦は避けようがない。殺してくれと乞うても終わらせてくれないだろう。そして、精力が尽き果てた頃、最後に殺される。壊れた道具が廃棄されるように……。
「それでも……それでも私は、お前を殺す! 私はお前の人生を奪えれば、それでいい!!」
ミリナが短い人生を奪われたのだから、それを奪った人間が、その人生を奪われないのはおかしい。絶対に殺す。言葉で脅されようとレイチェルの決意は変わらなかった。
レイチェルは引き金に置いた指を動かそうとした。その時だった。
――やめて?
(っ!?)
空耳だろうか。何故だか、レイチェルには親友の声が聞こえたような気がした。引き金にかかるレイチェルの指が若干緩んだ。
(ミリナ……)
気のせいであったとレイチェルは片付けようとした。ミリナは死んだ。その目で確かめた。戻る事の無い彼女の声が聞こえたのであれば、気のせいとしか言いようがない。
しかし、思いがけない出来事に、レイチェルに迷いが生じた。ようやくローヴェンの生死を握る所まで来て、もうすぐで目的を達成できると言うのに、決心が揺らいだ。
天からの声なのか、魂の叫びなのかは分からない。だがもし、空耳だと思ったミリナの声が、死んでしまったミリナからの必死の訴えであったのなら……。そう思うと、無視する訳には行かない。あり得ないと思いつつも、あり得ないと決めつけられなかった。
(どうしてダメなんだ……。今すぐコイツを殺したい……殺さないと、お前が浮かばれないだろ……!)
レイチェルにとっては、ローヴェンを殺す事だけがここ最近の生きる意味であった。事件の黒幕を葬るこの瞬間をどれだけ待ち望んだ事か。
(私にこの男を許せるはずがない……。お前を……私の友人を奪った男だぞ……!)
なかなか引き金を引かないレイチェル。先程まであった剣幕が段々薄れている事に本人は気付いていない。
「どうした? 殺すがいい」
「くっ……」
レイチェルは未だに引き金に指を置いている。1cmでも引き金を引けば、銃弾が目の前の忌々しい男の額を穿つ。しかし、普段は造作も無い、あと少しの動作が出来なかった。この時が来るまでは決心していたはずなのに、いくら挑発されても撃てなかった。
(ミリナは私に復讐をやめて欲しいのか……。アイツならそう言うかも知れない……)
ミリナは優しい。例え復讐であっても、殺しは望まないはず。
今思えば、彼女は変わった工作員だった。CSと言う裏社会の組織に身を置きながら、一般人が持つ優しさを常に持っていた。相棒の復讐を望むような人物ではない。それはレイチェルが一番よく知っている。
(でもコイツは、お前の人生を潰したろくでもない奴だぞ……!)
その罪は死に値する。生きているべきではない。
(それを許せと言うのか……!)
許せない……許せるはずがない。ミリナを死へ追いやった男だ。どんな事があっても許せない。許せないが……、ミリナの事を想うとどうしても撃てなかった。
レイチェルは徐々に銃を下ろした。銃口はもはやローヴェンの方を向いていない。
(ここでコイツを消したら、私は永遠にコイツらと変わらない。ミリナは分かっていたのか……)
大義名分がどうであれ、都合の悪い奴を殺すのであれば、本質はCSと差ほど変わらない。目の前の存在を殺せば、所詮はCSの犬であったと自分で証明するようなもの。CSの思想、やり方、あらゆるものから決別したいと思うレイチェルにとっては屈辱的な烙印となる。
(お前、死してなお私の人生を案じてくれているのか……?)
ここでローヴェンを殺せば、その人生は順調に破滅へと向かう。ミリナはそんな事は望まない。ミリナはレイチェルの安全を常に願っていた。今自分がしようとしている事は、ミリナが願うそれとは逆の事だとレイチェルは悟った。
いつの間にか、レイチェルが抱いていた殺意は面影を失っていた。
「撃たないのか、腰抜けめ」
「勝手に言ってろ。殺す価値も無い」
「それは逃げだ」
よくある言い逃れだ。本当は「殺す価値が無い」のではなく、「訳あって殺せない」「殺す勇気が無い」ものが多い。工作員として鍛えられたレイチェルに殺す勇気が無い訳がない。殺さない理由は前者であると、ローヴェンは能力を使わずとも分かった。
だが、なんと言われようと、どう謗られようと、レイチェルはローヴェンの挑発に乗らなかった。
「私は、お前らとはもう違う」
「それで我々と差別化したつもりか? 自己満足だ。お前がどれほど汚く穢れた手をしているか、私は知っている。私達と同じだ。何も変わらない」
レイチェルは何も言わずにローヴェンの目の前から去った。復讐に燃えていた彼女がそのような行動を取ると誰が想像できたか。激情のままに辺りを荒し、それが済むと静けさを残して去る。さながら嵐のようだ。
代わりに、相手にされずに残された男が憎悪の炎を燃やしていた。
「私を生かしておいてただで済むと思うなよ……。いつかお前を探し出し、目に物を見せてやる……。一生を怯えながら過ごすといい……!」
だが、ローヴェンが全ての言葉を吐き終える前に、レオが彼の視界を遮るように立ち塞がった。邪魔をされたローヴェンは顔を上げて睨むが、誰と対峙しているのか思い出し、命の惜しさから冷や汗を額に滲ませる。
「――オレを忘れんな」
「お前さえ居なければ……!」
「それはこっちの台詞だろ。お前さえ居なければ、オレは普段通りの日常を送れた。レイチェルとも戦わなくて済んだ」
レオは右の拳を固く握り締める。
「レイチェルが見逃しても、オレの気が済まない。こんな事に巻き込みやがって……」
「それがど――」
相手が身動き取れないのをいい事に、レオは思いっきりローヴェンの顔面を殴りつけた。避けようがなかったローヴェンはレオの拳をもろに食らい、ぐったりして言葉を発しなくなった。
やりたい事を終えたレオは何も言い残さずに、嵐が過ぎた部屋から立ち去った。
今日のレオの仕事は一発殴るだけ。
ちなみにローヴェンはまだ生きています。




