第17話 意に沿わない選択
ありがたくない天使の輪
各々歩きながら黙考を続けているうちに、目的地に着いてしまった。
レオとオッティー、二人揃って天を見上げる。巨大な建造物も、2年も経てば見慣れたものだ。今となっては、中へ入る日が来た事の感慨深さが上回った。
「さて、いよいよじゃな」
「だな」
受付で青いカードを天使に手渡してレオとオッティーは巨塔へと入場した。二人とも中に入るのは初めてだったが、外の窓から中を覗いた事くらいはあった。
内部は「荘厳」の一言だ。天界特有の白を基調とした神殿のような造りで、その中では〈神の審判〉を待つ様々な生き物でごった返していた。それを天使達が行ったり来たり慌ただしく会場に続く廊下へと並ばせていた。
審判を受ける事が出来る部屋は1階から地下までに何百ヶ所と設けられていた。どこも同様に混んでいるのでどこを選ぼうが大差無い。パッと見で一番空いている列にレオ達は並んだ。
「いつもながら、ここは混んでんなぁ……」
「実に非効率的だよな。……神ってのは頭悪いんかのぅ」
レオは苦笑いを返した。そんなの思った事も無かった。
「で、爺ちゃんはそろそろどっちのコースに進むか決めたか?」
「取りあえず、ここで働こうかと思うとる」
「おお、そうか。あれだよな。“天使の輪”が貰えんだよな?」
「でも翼の無いヤツじゃろ?」
たまたま通りかかった案内係の〈準天使〉を二人は目で追った。まさにアレの事だった。
「“審判を終えた者”と区別する為に与えられる輪っかなんて、貰ってもなんの役にも立たんし嬉しくないんじゃが。そうだな……暗がりで本を読むのには便利かも知れんな」
「翼アリは“純天使”の証だから駄目なんだよなぁ……。神聖さで誤魔化してるけど、エグいくらい階級社会ハッキリしてるここってやっぱ狂ってるわ……」
翼の無い天使の輪は、丸形の蛍光灯を頭の上で光らせているみたいで決しておしゃれとは言えない。蛍光灯と寸分違わぬ形状ではないものの、絵に描いたような死者に見えるので、いかんせんダサい。
待遇の悪さはそれだけではない。〈準天使〉になったとしても純白の翼を貰える訳ではなく、聖なる煌めきも無し。容姿にそれほど変化は見られない。
「天使になったぜ!」と自慢できるほどのものではなかった。
「兄ちゃんはどうするつもりだ?」
「一か八かちょっと賭けに出ようと思うんだ」
「なんと!? 神相手にか……!?」
「失敗したら存在丸ごと消されるかもな~、あっははは」
聞かれればただでは済まされないような発言だったが、幸い周囲は審判を待つ群衆で騒がしい。声をかき消されたので問題にはならなかった。
お気楽な素振りを見せるレオ。その横顔を一瞥し、オッティーは不安を滲ませる。
(兄ちゃん、それはどっちの選択も嫌だからそうすると言う事か……? 止めるべきなのか……いやいや、これも兄ちゃんの人生だ。見守るしかないか……)
◆
前の死者が次々と〈神の審判〉を受け終え、己が選んだ道に従い、天使に案内されてゆく。
『記憶を消して、一からやり直すコース』を選んだ者は、すぐさま塔の中心部へと誘導された。その先で彼らを待ち受けているのは、巨大な鍋のような豪華な祭壇だ。祭壇には水面の如く揺らぐ光の幕が張ってあり、その中に飛び込むだけで転生は完了する。
『天界で働くコース』を選んだ者は、建物の二階へと案内され、そこで様々な手続きを行う。こちらのコースの方がむしろ手間がかかっていた。
人間と同様に動物達も各々の“選択”を問われるのだが、神々は彼らと意思疎通が出来るらしく思いのほかスムーズに列は進んだ。大渋滞の中立ったまま数時間経過、なんてレオの懸念していた事態とはならなかった。
しかし不思議だ。
動物達が『記憶を消して転生』を選んだ場合の結末はレオにも想像できた。気になるのはその逆だ。彼らが『天界で働く』方を選択した場合はどう役目を果たさせるのだろうか? とても〈準天使〉としての雑務をこなせるとは思えない。謎は深まるばかり……。
オッティーの視線の先で審判を受けていた、ヒゲの生えた魚が『天界で働くコース』を選んだその直後――どこからか鳥がさえずるような音が鳴った。
「交代だ」
「もうそんな時間か」
壇上に居た3人の神のうち地球の神――アルズが、壇上の真ん中で審判を取り仕切っていた鹿角の神と入れ替わる。鹿角の神はそのまま退出した。神にも予定があるのか、時間が来ると別の神と交代をするようだった。
一連のやり取りでそれぞれの役割をレオは完全に把握した。“審判”を行うのは真ん中に座る神が。その右手に記録係の神。今のやり取りからして、左手には待機中の神が座るらしかった。
ちなみに、一言で「神」と言っても姿形は様々である。人型はもちろん、先程の鹿のような角を持つ者、首から触手を生やしたタコに似た者まで。まさに「異形の神々」「八百万の神」の居る世界がレオの目の前に存在した。
「爺ちゃんの番だな」
「そうじゃの……」
レオに送り出されたオッティーは緊張した面持ちで2人の神の前に立ち、壇上を見上げる。歳を取ってここまで手に汗握ったのは、前世で死闘を繰り広げた時以来だった。
(ドキドキするのぅ……)
アルズが巻物を手に取って何やら呟いた。前の神も行っていたが、本人確認ではなさそうだ。そうでなければ、もごもごとした聞き取りづらい声で読み上げたりはしない。
傍から見ると何に対しての行為なのかてんで分からない。しかし、アルズがその手に持った巻物には、オッティーの前世の履歴が浮かび上がっていた。
呪文のような呟きを終えると、アルズは審判を受ける者の方をじっと見つめた。その鋭い金の瞳は、人間の心を見透かすなど造作も無いのではと思わせるほどの特異な眼力を有していた。
「オッティーと言うのか。珍しい死に方をしたな」
「くっ……なんとでも言え」
「まだ悔いているか?」
「そうだな……。アビスゲートを閉じれず、あろう事か死んだ。人生の最期に、国を、世界を、守れなかった……。未来ある若者、仲間達に尻拭いを任せる事になった……。悔しくない訳ないじゃろ」
(爺ちゃん……前に言ってた“やり残した事”って、そんなにでかい事だったのかよ……)
後方に居るレオからはうかがい知る事は出来なかったが、過去の自分への不甲斐なさからオッティーは怒りを露にしていた。……しかし、その怒りと後悔を晴らせる日は訪れない。
「残念だが、お前に残された道は二つに一つだ。その悔いを背負ったまま生きるか、苦しみから解放されるか。あとはお前次第だ。好きに選べ」
「……このやり場の無い激情は、ここ一番で敗北した者への罰じゃ。逃げるものか」
「そうか。その“選択”に悔いは無いな?」
「ああ。仲間が来る日を気長に待つのも悪くない。ここで働くつもりじゃ。直接詫びねば気が済まん」
「うむ、精進するのだな。では次」
己の進むべき道で迷っている人間は大体ここでつまずいて長話に突入する。その為、適宜ゴールを指し示し、決断を促す話術が神には求められる。もっとも、オッティーのような人間には不要であった。
〈神の審判〉を終え、次の者にその場を譲るべく後方へと歩を進めるオッティー。通常であれば天使の誘導に従い2階の手続き場へと直行するのだが、彼が向かった先は別方向。――レオの行く末を見届けるつもりだった。
「オレの番か……」
「頑張れ兄ちゃん」
すれ違いざまに声をかけられてレオは拳を固くする。
(あぁ……、せいぜい頑張って足掻いてみるさ……)
オッティーが先程まで立っていた部屋の中央に、今度はレオが立った。
皆の視線と意識が一斉に自分に注がれたので、レオは転校生にでもなった気分にさせられた。……あるいは、たった1人観衆の前に立たされた生贄のような気分だった。
アルズの例の呟きが止まり、金の瞳がレオへと真っ直ぐ向けられた。
「レオと言うのか。若くして死んだな」
「まぁ……運が悪かっただけです」
「後悔していないようだな」
「あいにく後悔なんてのは前の世界に置いて来たんでね」
過去は変えられない。自分に言い聞かせるように言うと、レオはふっと意味ありげな笑みを見せる。
「強いて言えば、晴れない疑問を胸に抱えたままこれからの人生を過ごす、あるいは終える。その方がずっと後悔があります。どうかこの憐れな魂を救ってください」
「なら、この場で晴らすといい」
許可が下りた。「それじゃあ遠慮なく」と前置きをすると、レオは神を相手に鋭い眼差しを向けて切り出した。
「――私の友人は何故死んだのですか?」
「……」
「ずっとこれを聞きたかった……」
今朝、アルズは「地球の神」だと名乗った。初対面だったにもかかわらず。そこでレオは考えた。向こうは既に知っていたのでは、と。
顔に「私は地球出身者です」と書かかれて見えていたのなら話は別だが、自分の存在を以前から知っていたのではないか。だから迷わず名乗れたのでは。レオはそう思った。
もしも〈地球〉で起こる全ての物事を知る力をアルズが有しているのなら、あるいは、怒りの炎を抱えた青年の言動に以前から着目していて追っていたのなら、彼は氷華が死んだ事もその一部始終も知っているはず。そう考えるのが自然だった。
「晴らすといい」――疑問に答えると言っておきながら回避するのは神としての体裁が保てないだろう。何かしら回答せざるを得ない。故にレオはこのタイミングで質問を投げかけた。
立派な金の髭を右手で撫でながらアルズが遂にその口を開いた。
「何故死んだか? それはお前が一番よく知っているのではないか?」
「なら質問を変えます。彼女はどこに……?」
天界に来てからの2年、適当に過ごしていた訳ではない。散策をしつつずっと捜していた。真っ白な街のどこかに氷の華が咲いていないか、と……。
だが、とうとう見つからなかった。
彼女が再会を望んでいたのなら、運命の糸で繋がっているのなら、見つかりそうなものだったが……どこにも居なかった。氷華は現れなかった。
――何故だ?
質問していいような内容かは分からない。暴こうとしてはならない事柄なのかも知れない。レオは黙って回答者の表情をうかがった。タブーに触れたのなら恐らくこれが人生最後の瞬間となるだろう。落ち着いた態度に反して冷や汗は止まらなかった。
「いい事を教えてやる。お前達は選ばれし死者だ。黄金色の草原を渡れない奴なんぞ五万と居る」
「渡れないとどうなる……?」
「消える」
「アイツは渡れず消えた、と……?」
「受け入れ難いだろうが、友人が現れなかった現実を受け止めろ」
(……ふざけんな。氷華がそんな簡単に消滅するはずがねぇ……!)
他の世界の存在を知っていたであろう氷華がそうなるとは考えにくい。――そうであって欲しくない。可能性は即刻除外された。
(そうかよ……。どっちにしろ真相を喋る気はさらさら無いってか……)
上手く躱されてしまった。神が相手だ。簡単に口を割るとはレオもハナから思っていなかった。――本番はここからだった。
「他に言いたい事は?」アルズが畳みかけるようにレオに尋ねる。このままレオが何も言わなければ“選択”を促すつもりなのは明らかだった。
問われたレオに逡巡は無かった。真剣な様子ですぐさま口を開いた。
「爺ちゃん……そこのオッティーの居た世界にはどうすれば行けますか?」
オッティーは目を丸くした。レオの直談判に周囲の死者達も驚きを隠せない。その発言により、場が一瞬で凍りついた。まるで時が止まったかのようだった。
「行ってどうする?」
「オレは彼女に呼ばれたんです。アビスゲートとやらを解決する為に」
(「転生」じゃ記憶を抹消される。何か方法があるはずなんだ。氷華が他の世界の存在を知っていたように……)
そして、“選択”から免れる方法があるとするなら、現実的には“神頼み”しかなかった。
なんの確証も確実性も無い無謀な賭けだった。だが、賭けずには疑問も靄も晴らせない。道は切り開けない。レオは己の手で賽を振った。振らねば、神の目に留まらないのだから――。
レオの発言を受け、タコ頭の触手をうねらせた記録係の神が口を挟む。
「神が、ちっぽけな人間に手助けを要請するものか。証拠も無いだろう」
「この使命感が何よりの証拠です」
「バカげている」
「詳しい事までは知らされなかったんでね。本人と話をさせてください。そうすれば、証拠を出す知恵を授けてくれるはずです」
レオの発言一つ一つにオッティーも気が気でない。選べないはずの転生先をレオは選ぼうとしている。事前に提示されていた2つのコースから外れる“選択”だ。その発言・意思表示は神に対する“反抗”であり、穏当に済まされるものではないと思われた。
定められた2つの“選択”に存在しない、新たな選択肢を作り出すなど、考えとしては「幼稚で安直」と言う他ない。だがそれは、神の絶対性を植え付けられた天界の住人には出し得ない斬新な発想であった。
(自分の為でもあり、わしの為でもあるのか……? 他人の為にここまでするじゃろうか……。なんであれ、目的や使命を果たさせる為に派遣されるなら、転生による記憶の抹消を回避できるかも知れん。……どうなる?)
判決を待つ人々からのざわつきは止まなかった。天使達も例外ではない。「神への挑戦」とも捉えられかねない発言がもたらすものとは? 部屋の中央で堂々と神と相対する青年の結末に誰もが注目した。
(先のオッティーの履歴に浮かび上がった主神の名……。これは偶然か……?)
アルズは席にも座らず、再び自身の髭を撫でてレオを凝視し続けた。
「アルズ……まさかこの人間の言葉を真に受けている訳ではあるまいな? 構わず話を進めるべきだ」
「人間の言葉は信じるに値しない、確かめるまでもない、と?」
睨み合う青年と同僚の神をよそに、アルズは目を閉じ、10秒、20秒、としばし考えた。長考を終えると、アルズから強い口調で判決が下された。
「いいだろう。この件は私が責任を持って調査する。嘘か本当かは本人に聞けば分かる事だ。それまでお前の処遇は保留とする」
(――なんじゃと!?)
驚いたのはオッティーだけではない。壇上に居たタコ頭の神がアルズの判決に猛抗議を始めた。それもそのはず、彼だけを特別に扱えば、人間達はきっと自分の願いも聞いてくれと頼んで来る。そうした不平不満の噴出を危惧して反対していた。
だが……アルズの鋭い目付きはひと時も変わらなかった。金の瞳でレオを見据えて離さなかった。
(マジ、かよ……。こんな、簡単に……?)
賽を振って神の目に留まる確率は?




