第16話 死者に残された時間
いよいよ審判の日
「レオさんおはよ~」
朝の到来をミュリフィエが知らせる。
天使のような女性からモーニングコールを受けるのが男の願望であるのなら、レオはとうに叶えていると言えよう。こちらは本物の天使だ。
窓から寝室へと侵入してレオを起こしに来るのがミュリフィエの日課となっていた。人のプライバシーを守る気は無いらしく、来る度にレオの寝顔を覗いては、その顔をつついて悪戯をするのがお決まりだった。
窓を閉められればいいのだが、あいにく全ての窓に鍵がついていない。天候が変わらない為か、閉められない窓も存在した。〈担当天使〉が滞りなく知らせを伝えるには必要だと言うが、おかげで蝶やトカゲが入り放題。本で隙間を埋める等の工夫をレオは余儀なくされた。
「う~ん……」
ミュリフィエが纏った聖なる輝きは、寝ぼけた目には眩しいものだった。寝起きに晴れた外の景色を見た時と似ている。レオは煌めく光が顔に当たらないように、壁側に寝返りを打った。
「あーっ! 起きてよー!」
二度寝を試みるレオを阻止しようと、ミュリフィエが絶えず話しかける。レオは観念して半分眠っている身体を起こした。
「……本当に、毎日毎日欠かさず起こしに来るだなんて……」
「いいじゃないですか~」
「そのキラキラ、寝起きにはちょっと眩しいんだよなぁ」
「罰当たりですね……! “聖なる存在”にはみんなついてるんですよ! 取り外し出来るものじゃないんです!」
ミュリフィエは言い切ると、口をへの字に曲げたまま側にあった机にふんわり腰を掛けた。その重力を感じさせない座り方は天使ならではだ。
「目覚まし時計がやっと鳴り止んだな」
「誰が目覚まし時計ですか!? ……って、それよりも! 今日はいよいよレオさんの審判の日ですよー! 忘れないでくださいね!?」
「ああ、分かってるよ」
忘れるものか。今日で天界に来てからちょうど2年。レオは一世一代の晴れ舞台にでも向かう気分だった。
そう言えば誰か足りない。……ドルティスだ。
「ドルティスは来ていないのか?」とミュリフィエに尋ねると、どうやら忙しくてそれどころではないらしい事が判明した。「私は絶対に当日には知らせに来る」云々と自信満々に言っていた本人が来ないとはレオも思いもしなかった。
彼には彼の仕事がある。事情を知っているのでレオに責める気は起きなかった。そもそも、死者の掛け持ちをしていないミュリフィエが暇なだけである。
しかし、ミュリフィエには感心させられた。一番ダメダメそうな彼女がこうして〈神の審判〉の当日である事をちゃんと伝えに来てくれたのだから。
「相変わらず暇天使だなぁ」
「それはお互い様じゃないですかー。て言うか、これが私の仕事ですし」
「そう。なんだかんだでお前は自分の成すべき事をしてた。この2年で見方が変わった。ありがとな。一緒に過ごせて楽しかった」
頬を赤らめて照れるミュリフィエにレオは優しい視線を送った。彼女と初めて会った日の自分に、「ミュリフィエは、こう見えて実は真面目でいい子なんだ」と伝えてやりたい気持ちになった。
「じゃ、頑張ってください!」
何をどう頑張れと言うのだろうか。審判を下すのは神である。努力など無意味だ。……それでも、希望をくれる温かい言葉だった。レオは笑みを返して彼女の気持ちをしかと受け取った。
小さく手を振り、ミュリフィエは窓から天界の大空へと飛び去って行った。
(ついに来たか……この日が)
ここでの2年も悪くはないと感じていたレオだが、一方で、長く過ごすうちにどこか感覚が麻痺したような気分にもさせられた。
夜は来るが星がある訳ではない。昼は来るが太陽がある訳ではない。外に居るのに屋内で過ごしているかのような感覚……。その上、四六時中ココナッツに似た香りが漂う。そんな不可思議な空間に2年も晒されればおかしくもなる。ひと月と持たずに気が狂った者が何人居た事か。
とは言え、オッティーのように苦痛に感じない者も居たのは確かだ。この違いはどこから来るのか、結局分からずじまいだった。
(そんじゃ……そろそろ行くか)
なんだか落ち着かない。審判が行われる会場――白い街の中にそびえ立つあの巨塔へとレオはぼちぼち向かう事にした。
〈地球〉ではお目にかかれない、真珠と見間違う木の実を数粒食べてレオは身支度を済ませた。朝食を食べないと生きている実感が湧かないのでこうしてルーティンとして取り入れていた。
持って行くべき物は特に無かった。〈担当天使〉の同伴も不要だ。強いて言えば、ラメのような輝きが入った青いカードくらいである。服装についても同様に何も指定されなかった。なので、普段と同じ制服姿でレオは家を出た。
「あっ、何やってんだオレ……」
またしてもだ。レオは癖でつい戸締りをしようとしてしまった。天界の家には鍵がついていない。故に必要の無い動作なのだが……染み付いた癖は死んでも抜けなかった。
自宅の前の道では〈神の審判〉を終えた“輪っかを持つ者”と“持たない死者”が行き来していた。活気に溢れた見慣れた朝の光景だ。
白い家の小さな庭を通過してレオが敷地の外に出たその時、レオの知らない声で、後ろから誰かが話しかけて来た。名前を呼ばれたのでオッティーかとレオは一瞬思ったが、考え直してみると声質が違った。
「ん?」
振り返ると、2mはゆうに超えている人間離れした体格の、髭面の厳めしい男が大きな影を作って立っていた。街中で出会ったら、誰もが震え上がって逃げ出したくなるような威厳を放っていた。
揺らめく金色の長髪。“聖なる光”を身に纏っている。……しかし、天使の特徴が見当たらない。
「どうだ、ここの生活にも慣れたか?」
「は、はい……。って……えっと、どなたですか?」
「私はアルズだ。お前の住んでいた“地球”の神だ」
「地球の神!?」
どうりで天使の輪も真っ白な翼も持っていない訳だった。
(地球の神ってやっぱりゼウス系のおっさんなんだな……。ギリシャ神話当たってんじゃん)
別にする必要無いのだろうが、レオは全身全霊でお辞儀をした。身体が勝手に動いていた。やはり前世で培った習慣は死んでも抜けなかった。たとえ神の面前であろうと――相手が神だからこそ。
「お世話になりましたー!」
「そうペコペコするな。審判はいつだ?」
「今日です。これから友人と向かおうと」
「そうか。忘れないようにな」
「はいー」
アルズと名乗った神はその大きな体をゆっくり動かして空を貫く巨塔の方へと去って行った。
神の威光がそうさせるのか、通りを歩いていた人々はアルズの姿に気が付くと、各々足を止めて道を開けた。皆、言葉を発するのを忘れ、目が釘付けだった。
(アイツが……)
少し遅れて、身支度を終えたオッティーが隣の家から出て来た。レオが見つめる先を一緒になって見るのだが、状況をよく分かっていないのは言うまでもあるまい。
「さっきのは誰だ? 知り合いか?」
「オレが居た世界の神様だってさ。凄いな、威厳が」
人々のざわつきから大物の予感はあったが、オッティーの想像を軽く上回った。
「いいのー……。わしはまだ自分の世界の神を見ておらん」
「どんな感じなんだ?」
「神話の通りなら、金髪のグラマー美女らしいぞ」
「そっちの方がいいわ」
◆
天界の街中を歩いてゆくレオとオッティー。〈神の審判〉が行われる巨塔へと着くまでの話題はやはり、今後の“選択”についてだった。
「あのさ、『記憶を消して、一からやり直すコース』と『天界で働くコース』どっちにするか決めた?」
「ふぅ……。ますます迷ってるんじゃ……」
「そうだったのか? もうとっくの昔に決めたものだと……」
レオが以前ミュリフィエとドルティスから聞いた話によると、〈神の審判〉は2つの“選択”を死者に選ばせる為のものだと言う。
1つは『記憶を消して、一からやり直すコース』だ。
文字通り、前世の記憶を抹消された後、自身の魂を基に新たな人生を始めるものらしい。一言で言うなら「転生」だった。
レオとしてはどうしてもその謳い文句が気に食わなかった。
『一からやり直す』と言われたら、前世で住んでいた世界に転生できると誤解する。あるいは、過去に戻って同じ人生を送れると誤解する。
ミュリフィエに詰め寄ってやっと聞き出せたが、実際の所、ランダムにどこかへ飛ばされるらしかった。もはや故意に詳細を伏せているように思えてならない。まるで優良誤認。景品表示法違反。「ふざけんな」とレオは思わず声が出た。
もう1つは『天界で働くコース』だ。
これはそのまま文字通りの意味らしく、こちらを選んだ場合、〈準天使〉として翼の無い光の輪が与えられる。平たく言うと、天使の下位バージョンである。故に仕事内容はそれ相応で、〈天界の玄関〉での死者の案内係やその他多数の雑用に当てられる。
自己を保持できて良さそうにも聞こえるが、要するに天界で一生暮らす事になる。耐えられるかどうかは人による。永遠と続く労働が嫌になって、途中で『記憶を消して、一からやり直すコース』を希望する者も多いのだとか。しかもそれが許されているらしいから驚きだ。
どっちに転んでも、「転生」を選ぶようになっているとしかレオには思えなかった。
「十分長生きしたとわしは思っとる。だが、“記憶を消す”と言われるとどうも失いたくなくてな」
「長く生きると失いたくないものが増えるってか」
「まぁ、そんな所だ」
「オレみたいに天界に留まるのが辛くないんだったら、ここで働けばいいんじゃね?」
まごまごするオッティーを気にかけ相談に乗っているレオだが、実を言うとレオ自身も今後どうするか決めかねていた。
(……どうしたもんか。片や奴隷宣言。片や自己の喪失。どっちもゴミみたいな選択肢じゃねぇか)
天界で働くなんて義理は無い。思いがけず牢獄から出られたのに、自ら手枷足枷を装着して牢獄に入るようなものだ。そこに自由などありゃしない。
記憶が消去されれば解放される。ある意味、唯一の逃げ道だろう。しかし、仮にそれが神なりの“救い”なのだとしても、転生なんてもってのほかだった。それこそ神々の術中にはまって行くような気味の悪さがあった。
なんにせよ、どちらの選択肢も事前に用意されたレールの上。“世界”を円滑に動かす為の歯車として、都合のいいように使われるだけな気がしてならなかった。
死者に残された時間はあと僅か。天を貫く巨塔を見据えてレオは最善の選択を模索する……。
(頑張ってください、か……)
今朝ミュリフィエにかけられた励ましの言葉を不思議と思い出した。
もしもこの世に神が居るなら、金髪巨乳お姉さんの神様がいいです。お願いします
2016.12.7 誤字訂正
2017.4.29 誤字訂正&補足
2024.12.30 文章改良&分割




