第12話 昼も夜も無い
死の延長にある光景
光り輝く黄金色の草原の中、ワイシャツ姿の一人の青年が仰向けになっていた。
意識が戻り、レオが薄っすらと瞼を開く。そこにあったのは、淡い虹色のベールで被われた雲一つ無い空だった。シャボン玉の中に居るような光景をレオはしばしぼんやりと眺めた。脳が稼働したばかりで思考回路がまだ繋がらなかった。
何故だろうか。吹いて来る風にレオは安らぎを感じた。
そう言えば痛みが無い。握っていた拳銃から手を放し、レオは胸の傷を探ってみた。しかし、どこを触っても痛みも湿りけも感じず、驚きと共にレオの脳が目を覚ました。
「……え? どうなってる?」
思わず声に出し、レオは自分に疑問を投げかけた。
胸を撃たれて校舎の方を振り向いた事まではレオも覚えていた。しかし、その後の事――目を覚ます前の場面がどうしても思い出せなかった。
己の居場所を確かめるが如く、レオは左手を天に向けて伸ばした。
見た事も無い空。取り上げられていない拳銃。何かがおかしい。夢……? いや、夢にしてはやけに意識がはっきりとしている。これが現実の出来事ではないのなら、ここまで手を自在に動かせるだろうか?
このように頭は冴えているのだが、体はやけに重くすぐには起き上がれそうになかった。せめて上半身だけでも起こして辺りを確認しようと、レオは気合を入れて岩みたいな体を動かした――。
「――よう、お目覚めかい?」
ようやく重たい上半身を起こした所で、レオは急に後ろから話しかけられた。先客が居たらしい。起き上がるのに必死で、レオは呼ばれるまでその存在に気付かなかった。
振り向いてみると、カチューシャのような髪留めを頭につけた小柄な老人が立っていた。
髭も髪も真っ白で、白い眉毛がたくましく、どこかの武人を思わせる風貌の持ち主だった。年老いたせいか瞼が下がっているが、恐らく若い頃はもう少し目がくりっとしていたと思われた。
その服装は独特。着物っぽい袖の無い上着から、黒い服の尖った襟を出し、腰に布を巻いていた。自身と異なる文化圏の人物なのはレオから見ても明白だった。
「ここは、死後の世界……?」
「そのようじゃの」
「オレが来るのを待ってたのか?」
「いやいや。そろそろ行こうかと思ってたんじゃが……こう、一人で行くにはちと心細くてな。怖くて行けんかった……」
おかしな事を言うのでレオは思わず笑ってしまった。その老爺の見た目から、神か何かの類の可能性が脳裏をかすめたが、そうではないと分かって少しホッとした。
「面白いな爺ちゃん」
「オッティーじゃ」
どこの国の人だか知らないが、見た目に似合わず可愛いらしい名前だった。そんな風に思いながら、続いてレオも名乗る。
「オレはレオ」
「“オレはレオ”? はっはは、変なの」
「いや、しょうがないじゃん……」
名前をネタにされる事に多少慣れていたからよかったものの、初対面でそれはやめてくれとレオが物言いたげな顔を露にする。ただ、過剰反応して怒るほどでもない。オッティーのお国柄によるものだと思ってレオは受け入れた。
「ほれ」
「どうも」
オッティーの手を借りてレオは立ち上がった。一通り辺りを見回してみると、黄金のだだっ広い平野がどこまでも続いていた。さながら光り輝く金の絨毯だ。空には太陽どころか月も無い。にもかかわらず、辺りは昼のように明るかった。レオはますます奇妙に思った。
奇妙と言えば、よく見ると色々な生物が居た。ウマなんかの見慣れた動物から、草原を這うようにして進む翼を持たない龍……ふわふわ浮かぶ綿あめ状の生き物まで。見た事の無い生命体が多すぎる。
皆、頭に光輪を乗せた天使らしき人の案内に従ってどこかへ導かれ、黙々と進んでいた。どこに連れて行かれるのかは知る由もない。出口でもあるのだろうか? レオは訝しんだ。
(なんだこの光景……動物も鳥も蝶もみんな、なんの疑いも無く進んでる。悩んでるのは人間だけじゃないか……)
多くの人間もそこには居た。しかし、自分の置かれた状況が理解できていないのか、そのほとんどが黄金の草原に黙って座り込んでいた。あるいは突っ立っていた。まるで空っぽになったかのように……。オッティーが頼って来たのも無理もないとレオは思わされた。
「あの光の柱の方に行けばいいっぽいな。天使みたいなのが誘導してるし」
「そうらしいな。行こうか」
「死んだご褒美がウォーキングとはな……ひでぇ奴らだよ神ってのは」
「まぁそう言うなって」
レオとオッティーは無限に広がる草原を横切り、天を貫く正面の光の柱を目指した。途中、見覚えのある覆面の死者も見かけたがレオは無視して進んだ。
色とりどりの小鳥達に抜き去られるレオとオッティー。それに関してはなんとも思わなかった二人だが、宙を泳ぐようにして進む魚群に追い越された時は二人とも目を疑った。原理が謎すぎる。
物理法則の通用しない空間について議論を交わしつつ、レオ達はガラスと見間違う透明な石が敷き詰められている所に辿り着いた。30分ほど歩いただろうか。ここで黄金色の草原は途切れて終わっていた。
石畳のその先には、いくつもの幅の広い階段が光の柱へ向かって続いていた。白い靄がかかっており、階段の先が見えない。まさか途中で途切れているのでは? そう思うとレオは少し怖くなった。
それでも、命ある者は上へ上へと臆する事無く進んでいた。文句も言わず、黙々と。
何が待ち受けているのか知る為には、行くしかない。レオとオッティーは案内係の天使に従って延々と続いて見える階段を進む事にした。
目的地も知らされぬまま、ぞろぞろと列を成す死者と一緒に歩くのは決していい気分ではない。皆知り合い同士ではないので話し声も少ない。悲鳴こそ聞こえないが、この淡々と繰り返される階段を上る作業と活力を感じない周囲の静けさはまさに地獄だった。
何か話題は無いか、とレオはふと奇妙に思った事を隣のオッティーに投げかける。
「なぁ、爺ちゃん。なんでオレ達、この世界に生前の物を持ち込めてんだ? 拳銃持って来ちゃってるし……。どう言う仕組みだよ……」
「“生前身につけていた物は一緒に天界へ送られる”と聞いた事がある。ここに来るまではただの絵空事だと思うていたが、多分そうなんだろう。わしもこの服装で死んだ」
「ふーん、なるほどね」
とってもありがちな回答だったが、今となっては不思議と納得できてしまった。現にレオは自分のポケットに入っている物――金の懐中時計と携帯電話、それと財布の重みを感じていた。
あったらいいな程度で死後の世界を夢見ていたが、それが本当に実在し、頭の上に輪っかのある人まで見かけた。オッティーの仮説も、今となっては驚くような事ではなかった。
納得した所で、レオは手に持っていた拳銃を制服の尻側のポケットに無理矢理突っ込んだ。ずっと握っているのもそろそろ限界だった。
(それにしても凄い白髪だなぁ……オレも将来こうなるのか?)
レオは一緒になって階段を上るオッティーの頭をじっと見つめて観察した。多少生え際が後退しているものの、髪質は歳の割にはしっかりしており、薄い箇所が全く無い。
立派な毛量に立派な鼻筋。――すると、また小さな疑問が浮かんで来た。
「爺ちゃん外国人だよな? なんかオレとは雰囲気違うし」
「ガイコクジン……?」
「それは通じないのか……。あー……生まれた国が違う、的な」
「おおう、そう言う事かい」
実はオッティーも隣で歩くレオの事は気になっていた。黒茶頭で瞳も茶色。周囲より比較的彫りの浅かった大昔の友人とどっこいどっこいの凹凸具合。それでいて、どこか幼さが残るその顔は、オッティーの母国ではあまり見かけないタイプだった。
「兄ちゃん、どこ出身だ?」
「日本だけど?」
「ニホン!? はっは、からかってんのか?」
(……は?)
どうしてそんな反応が返って来たのか全く分からず、レオはすぐに言葉を返せなかった。「国籍は日本です」と言って、それを笑う人間に会った事が無いからだ。
「爺ちゃんこそどこ生まれなんだよ!」
「大陸の北、ニルファの都市部から離れた小さな町だが? 死ぬ前はエレクシアに住んどった」
(何言ってんだこの爺さん……)
「……ピンと来てないようじゃな」
「そりゃそうだろ。“エレクシア”とか言われてもね、そんな国存在しないから分からん。世界地図眺めるのが好きだったオレが言うんだ。絶対存在しない」
怪訝そうな眼差しでオッティーに目をやるレオ。だが、それはオッティーの方も同じだった。出身地を聞いても俄かには信じ難かった。
「待てよ……兄ちゃんホントに“日本人”なのか?」
「だからそうだっつってんだろ? なんで信じてくれないかね」
オッティーの生み出した沈黙が、前や後ろに居る生き物達のごちゃ混ぜになった息遣いと鳴き声を際立たせた。そして、何やら謎が解けたらしく、ようやくしわのある口を開いた。
「どうやら、お互い生きてた世界が違うみたいだな……興味深い事じゃ」
「――っ、なるほどね。……現に“天界”なんてモンがあるんだからそうでも不思議じゃないな」
ここまでの短い時間で目にした見慣れない生物についてもそれで説明がつく。
(つまり天界には、あらゆる世界の死者が集まって来るってか……。そう言う事だったのか……。氷華……お前知ってたんだな? 外には別の世界が広がってるって)
しかし、そうなると説明のつかない疑問が出て来た。何故このオッティーは外の世界にある国名を知っている?
オッティーの言った“ニルファ”だとか“エレクシア”だとかの国は、レオの知っている範囲では存在しない。にもかかわらず、オッティーは知っていた。彼にとっては別世界のはずの“日本”を。外の世界を観測する術を持っていなければ辻褄が合わなかった。
「なんで爺ちゃんは日本の事知ってる?」
「日本だけじゃない。“イタリア”とか言う所も知ってる。同じ世界の地域だろう?」
「そ、そうだけど?」
まさか「イタリア」なんて言葉がオッティーの口から出て来るとはレオも思っていなかった。
「何百年か前の話らしい。わしらの世界で突如、暗号同然の謎の言語を話す人間が現れたと聞く。そして彼らが未知の文化を伝えた。恐らく兄ちゃんの所の住人だろう。おかげでその食文化は今でも強く根付いておる」
(だからこっちの世界の事を知ってたのか……)
「興味深い事に、それと同時期、わしの住む大陸で何人か行方不明になった者が居たらしくての。もしかしたら、兄ちゃんの所に行ってたりしてな」
「交換留学みたいなもんか」
レオの言葉を聞いたオッティーは表情を曇らせた。
「そんな生易しい話じゃなかったそうじゃ……。異国からの訪問者は皆、故郷に帰れんまま死んだ。離れ離れになった家族を想い、夜な夜なすすり泣いた者も居たとか……」
「そうか……。よく起きるのか? 原因は?」
「さぁな。何度か起きたのち、ぱったりとそうした事は起こらなくなったらしい。彼らがどう流れ着いたのかは今も分かっておらん。まさに“神のみぞ知る”じゃ」
(オレの世界でもそう言う奴らが来てて、未知の文化や技術を伝えていたのかも知れないのか。……面白いな)
レオはオッティーの住んでいたと言う世界に興味が湧いた。もっと広く言えば、この世界の“世界構造”そのものに興味が湧いた。無数にある牢獄を管理する“天界”とは? それらを運営している奴らとは? きっとろくでもない奴らだ。会うのが今から楽しみだった。
上位存在への嫌悪感はさておき、自分が今まで「世界」だと思っていた範囲がほんの一部分だった。木の根の先っぽに住んでいた。そんな風に思うと、柄にも無くレオは驚きとわくわくを抑えきれなかった。
遥か遠くへ続くガラスの階段の先にはどんな世界が広がっているのやら。
果たしてここは地獄か天国か
2016.12.6 誤字訂正
2017.3.3 誤字訂正&補足
2024.11.17 文章改良&分割




