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緋月-スカーレット・ルナ-  作者: 白銀ダン
1.アビスゲート編

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第三十四話 命の駆け引き

 荒野の上は生憎の曇天となり、日が隠れ始めた。遠くに見える雲間からは光のリボンが伸びている。なんとも幻想的な景色だ。

 しかし、昼過ぎだと言うのにやけに薄暗く、胸の奥に寒さを感じさせた。開口点を目指して歩みを続ける皆の間に途絶えぬ警戒心が放たれているが故のものだ。


(嫌な空気だ……ったく)


 レオは頭の中でそう呟く。

 空気は乾いているのにどんよりしていて、明るい土色をしていた大地は雲のせいで黒ずんで見える。負の感情が漂う場の雰囲気と明度を落とした天候の相乗効果……それが人の感情を徐々に曇らせ始めた。レオの気持ちが淀むのももっともだ。



 少しすると、足を進めていた誰もがその動きを止めた。

 身体にピリピリとした刺激が走る。この張り詰めた空気……間違い無かった。開口点の領域内に入った事がすぐに分かった。


 前回と違う所と言えば、ヒビの入った大地から可視化した魔粒子が湧き出ている所か。レオは開口点を破壊した時の、あのえも言われぬ不思議な感覚を思い出して鳥肌が立った。生命の躍動を感じるのだ。自分自身の脈動とこの世界の鼓動を――。


「やっと、着いたな」

「大地から魔力を感じるわ……」


 言葉を交わしたレオとシーナの横にベルニールがやって来た。右手であごを触りながら先程までは見せなかった安堵を浮かべて開口点到着を喜んでおり、固く閉ざしていた口を開ける。


「どうやら、そうみたいだな」


開口点(ここ)に辿り着けてそんなに嬉しいのか……? まぁいいや)


 見方によっては敵側故の笑みにも思えたが、長い時間乾いた土地を歩いて来たのだから、敵でも味方でも取り得る行動だ。もっとも、レオのベルニール達に対する見方は変わる事は無い。


「じゃ、もうちょっと行こうぜ」


 レオは何歩か先に進み、開口点の中心だと思われる一段と魔力が感じられる場所を目指した。それを追うように姉妹も続く。


 開口点を潰すには地下魔力が一番溜まっている所を叩くのが効果的だ。それは前回で学習済みなので、レオ達はいちいち語らずとも分かっていた。ある程度地面に傷を付けると、留めきれなくなった魔力が一気に放出される事もだ。ちょうど亀裂の入ったダムの決壊と似ている。



 だが、このまま終わりではなかった――。



 シーナのすぐ後ろで硬い金属同士が打ち合った冷たい音が鳴った。それと同時に、橙の鉄花火が一つ咲いた。


「えっ――!?」


 シーナは振り返るまで気付いていなかったが、レオ達が後ろを見せた瞬間を狙い、ベルニールが奇襲を仕掛けていたのだ。邪魔者が揃って背中を見せているのであれば、ここで狙う事が一番だった。


 しかし、いつでも動けるように気を張っていたレオがすぐさま後方へ駆け、シーナに降りかかる相手の短剣を受け止めたので事無きを得た。こうなる事をレオが予知出来ていなかったら、今頃シーナは背中を斬られて銀髪を散らしていた事だろう。


 ベルニールと鍔迫り合いを続けるレオ。相手の剣を上に弾いてレオがその場でかがむと、シャルの膝蹴りがベルニールの顔面に入った。


「ぐっ!」


 痛い反撃を受けたベルニールは、すぐさまイセリーとリーヤの所まで後退する。


 口を切ったベルニールは左手の甲を傷口に当てて出血の程度を確かめた。大した血の量ではなかったが、手の甲には赤が滲んでいた。


 まさか反撃を食らうとは――それよりも、まさか奇襲が失敗するとは想定していなかった。

 レオが瞬時に引き返して攻撃を防いだと言う事は、あの時点で既に自分達が「敵」だとバレていた事になる。確証があったかどうかは知る由も無いが、少なくとも、そう見られていた事になる。


(一体いつからバレてた……?)


 ベルニールは粘着質な疑問を抱えた。

 レオ達は知らないはずなのだ。自分達がレオ達の敵である事を。疑いの眼はあっただろうが、決定的な情報は無かったはずだった。それなのに、奇襲がある事を確信していたかのように素早い行動を取って来た。


 もっとも、レオにはベルニール達が敵であると言う確信があった。ついさっきまでは存在していなかったが、この開口点に辿り着くまでに察知していた。


(甘いんだよ……やり方が)


 レオは怪しい3人組が何か企てていないかずっと目を光らせていた。言うまでも無く、相手に悟られないようにだ。


 思い返す必要も無い。ベルニール達は一度たりとも前列を歩いた事は無かった。常に横を取っているか、様子を見ながら足並みを遅らせたり戻したりしていただけだった。後者は警戒心がどの程度なのかを調べる為の行動だろう。


 そして、先程の奇襲の前の話だ。

 彼らは何も言う事無く自分達を先に歩かせ、歩調を早めずに背後を取った。もし、ベルニール達が敵意の無い者なら、「敵意は無い」と言わんばかりに歩みを早めて側について来るだろう。そうしなければ、相手に不信感を与える一方だ。


(そんなの、“狙ってますよ”って言ってるようなもんだろ)


 相手に不信感を与える事になっても気にしない理由、それは、相手を始末するからに他ならない。今更不信感を持たせた所でなんともないからだ。不信感から警戒心を引き出す結果になったとしても、警戒される前に口を利けない状態にすればいいだけの事……。


 これで3対3の構図は明確になった。ベルニール達は開口点を開こうと試みる者。レオ達はそれを阻止しようと動く者。この両者の対立は揺るがない。


 シーナはいきり立っていた。隙丸出しの背後から斬られそうになった事もそうだが、何より相手側が友好的な態度を装っていた事が許せなかったのだ。

 次には怒りの言葉が出ていた。


「何よ急に!!」

「ふっ、やっぱり敵なんだな」


 鼻で笑ったレオはとりあえず相手側に戦う意思があるのかどうか確認しようとした。ベルニール達3人はうんともすんとも言って来なかったが、シーナは今のレオの言葉で彼らが敵である事を再認識した。


「やっと尻尾を出したってわけね……まったく、いい加減にしなさいよ! 私達を騙して!!」

「そっちだって騙してたろ」


 すかさずベルニールが言葉を返した。彼らの笑顔の仮面は完全に外れ、真逆の表情をレオ達に見せている。

 そして敵意を裏付けるかのように、ベルニールは右手に持ったその短剣をレオ達に指すように向けた。


「悪いが、ここから立ち去ってくれないか? じゃないとお前らを殺す事になる」

「何をするつもりよ……」

「言わなくても分かってるだろ。〈アビスゲート〉を――開ける!!」


 ベルニールの言葉は、理解を示さないレオ達に対する呆れと絶対に目的を達成すると言う決意を含んだものだった。彼らもまた、使命感で動いている者達なのだ。


 これでベルニール達の邪魔をしたらどうなるかがはっきりとした。相手の目は本気だ。この領域から出なければ、本当に殺しに来るのだろう。


「やめろ、開けるな……。お前ら、何をしようとしてるのか分かってんのか!?」


 何も知らずに〈アビスゲート〉を出現させようとしている訳ではあるまい。見た所、彼らはある考えを持って行動しているようだ。そんな者達が〈アビスゲート〉の危険性を知らずに動いているとは考えにくかった。


「おい! なんとか言えよ! 〈アビスゲート〉が危険なものなのは知ってるだろ!?」


 レオの説得も無駄なようだ。イセリーが鈴の付いた刀状の剣を取り出し、居合いの構えを取った。そして、哀れな者を見るような目をして威圧的な言葉を口にする。


「殺し合いが嫌なら、黙って家に帰る事ね。それとも、目の前で自分の仲間が死ぬ所を見たいの?」


 ここまで来て帰れる訳がない……開口点が開かれる所を黙って見る事もしたくない。相手の思い通りにさせない為には、こうなっては力尽くで思惑を阻止するしか道は無い……。そうと分かっているが、シーナはどうしても説得して考えを改めさせたかった。


「〈アビスゲート〉から魔物が入って来るって分かってるでしょ!? どうして――」

「やっぱり……、やっぱりあの人達は悪い人なんだよ……」


 皆のやり取りを傍らで聞いていたシャルは、大声を飛ばすシーナの言葉を遮って厳しい結論を姉に告げ、雌雄の剣を手の中に出現させた。


 一見真面目な顔をしているが、シャルの体は殺気を纏っていた。大切な人――シーナを傷付けられそうになって怒りが湧かないはずなかった。冷たい怒りが少女の身を染めて行く。


 悪者呼ばわりされれば黙っては居られない。静かにしていたリーヤがシャルの言葉を正す。


「悪い人? それは違う。私達は世界の為に戦っているのです。薄れつつある世界の平和の為に」

「何が世界の為よ! 〈アビスゲート〉を開く事でどれだけの人が犠牲になるのか分かってるの!?」

「ああ。だが、過去の豪傑達が築いたこの世界は、元々大きな犠牲の上に成り立っている。犠牲を出さないのが最善だが、無理だと言う事を先人が紡ぎ出した歴史が証明してる」

「だから平和の為の犠牲者が出てもいいって言うの!? 間違ってるわよ……誰も犠牲にならない方法を導き出す為の歴史でしょ!?」

「〈アビスゲート〉を開く事で更なる平和が訪れるのなら、多少の犠牲は仕方無いだろ! 誰かがやらなければいけないんだ!!」


 シーナもベルニールの言い分が理解出来ない訳ではなかった……もちろん、レオもだ。


 自分達が平穏な生活を送ると言う事は、平和による犠牲を正当化する事に等しい。そうやって人々は無辜な死者の上で生きている。しかし、だからこそ犠牲の連鎖を食い止める為に、犠牲が出ない道を作り上げなければならないのだ。


「人なら……もっといい方法を探さないと……」

「探してる間の犠牲はあってもいいって言うのか?」

「そうじゃないわ……」

「俺はごめんだ。その犠牲が愛する者だったらどうする!? それでもお前らは耐えられるって言うのか!!」


 荒げた声を上げたベルニールは湾曲した短剣を握り締め、乾いた大地を足裏で蹴った。


 対立する使命感を持つ者が出会ってしまった以上、もう戦いは避けられない。どちらかの意志が死なない限り、人は戦い続けるものだ。


 ベルニールの合図を皮切りに、互いの正義を貫き通す為の戦いが繰り広げられる。



 乾いた荒野に剣撃が響き渡る。弾ける金属の音がレオとシャルの身体を目覚めさせた。既にその場は、いつもの穏やかな日常ではなかった。生きる物同士がぶつかり合う、命の駆け引きが行われる血なまぐさい世界だ。


 ベルニール達は本気で殺しに来ていた。その抑揚のある体の動き、放たれる剣の軌道、それらを見ればよく分かる。取り分けレオとシャルはそれを強く感じ取っていた。求めてもいない懐かしさ、嬉しくもない懐かしさが徐々に蘇って来るのだ。


 ベルニール、イセリーは魔法攻撃を得意とするリーヤを守りつつ、レオ達を攻めた。後衛に敵を近づかせないのは戦いの基本だ。

 とは言っても、リーヤは接近戦でも十分に戦える。ベルニールとイセリーが接近戦を得意とするので、後方からの援護を担当しているだけの事である。


 補助としての杖などを使わないリーヤの最大の武器は自身の魔法だ。彼女は光系統に属する魔法を持ち、弾幕を張る事はもちろん、魔法を光線のように飛ばす事で正確な射撃を可能とする。


 魔法の弾が当たる当たらないは大した問題ではない。当たればよし、当たらなくても仲間の支援となる。敵の行動を制限し、仲間が攻撃を出しやすい状況に誘導するのも彼女の仕事だ。


 レオが遠くから放たれて来た眩い光線を避けると、そのすぐ背後にイセリーが待ち構えていた。


「――っく、またかよォ!」


 風を斬る乾いた音と共にイセリーの長い刃が迫って来る。それを横目で捉えたレオは、右手に握る剣を左脇の方へと持って行き、相手の斬撃を難無く防いだ。


 これと似た展開に何度持って行かれた事か。この調子だと、今後も何回か背後を取られそうな勢いだ。レオも後ろにつかれないように気を付けているものの、幾度となく飛んで来る光線を避けているうちにそうなってしまう。


(当分は光魔法を避けながら戦うしかない……か)


 氷魔法を使えば避ける必要は無い……と言いたい所だが、それではいざと言う時に氷魔法による攻撃が通用しにくくなってしまう。手の内を明かす事になるのなら、攻撃を上手くやり繰り出来る間は使わないで温存しておきたいのだ。


 ベルニール達の連係プレーは見事なものだった。まるで仲間の位置と敵であるレオ達の位置を全て把握しているような戦い方をしていた。彼らは一言も会話を交わしていないが、レオ達3人を着実に追い詰めていた。


 シーナから飛んで来た槍を避けたベルニールは、レオと剣を交えているイセリーの目を探した。彼女と視線を繋ぐと、死角からシャルが迫っているとの警告をし、続いて次の作戦を伝えようとした。


((イセリー! まずはあの背の高い銀髪の方を殺るぞ! 残りの奴の身動きを封じてくれ!))

((了解、任せておいて))


 イセリーは仲間とのアイコンタクトを終えると、迫り来るシャルの位置を確認した。ベルニールの情報通り、死角に銀髪の少女が居た。敵の場所さえ分かれば相手の敏捷性など恐るるに足らない。


(まずはコイツらから……)


 レオとシャルの動きを封じようと、イセリーは自身の魔法で拘束を試みる。乾燥した地表から赤い影のような帯を出現させ、それで2人を捕まえようとした。


 レオも氷魔法で対象を氷漬けにして、その身動きを一時的に封じる事が出来る。しかし、イセリーのものは完全に人を拘束する為の魔法だ。その性能は計り知れない。


 どこまでも追尾して来る魔法の帯をレオとシャルは上手く躱して行く。ひとたび拘束されれば何が起こるか分からない。捕まって動けなくなるだけならまだしも、それだけで終わるとは限らない。最悪の事も考えて、二人は確実にイセリーの魔法で出来た帯を躱す。



 拘束の手を伸ばす魔法の帯を避け続けるレオとシャルの裏で、ベルニールは後衛のリーヤに合図を出し、シーナに攻撃を集中させた。


 ベルニール自身もシーナへ向かって走り、右手に握った短剣で彼女の首を捉えようとする。――だが、事あるごとにベルニールは後方へと吹き飛ばされた。衝撃波に奪われた体の自由は地面につくまで止まる事を知らない。


 シーナはベルニールを〈破導〉で近寄らせなかった。ただただ突っ込んで来るだけの相手には持って来いの魔法なのだ。しかも、〈破導〉の性質を知らないとなれば、なおさら効き目は大きい。


 再び〈破導〉によって飛ばされたベルニールは地面に這いつくばる体を起こして汗を拭った。


(なんだアイツの技!? 全く近寄れねぇ……!)


 魔法か能力か――そんな事はどうでもよかった。突き止めるべきはその技の破り方だ。術者を中心に放たれる衝撃波を攻略せずには近づけない。近づけなければとどめも刺せない。


 しかし、悠々と解決方法を模索している時間は無かった。


 槍を鞭のようになったシーナの遠距離攻撃が後衛のリーヤに飛んでいた。レオにもシャルにも魔法を飛ばして来る――“自律する砲台”とも言える敵をシーナはまず潰すつもりだ。


 だが、リーヤもただではやられない。シーナの槍が飛んでくると分かるや否や、すぐに回避行動を取り、光魔法で反撃を加える。

 リーヤの目の前で閃光が放たれると、魔力が込められた光線が一直線に(シーナ)へと向かって行った。


 しかし、リーヤが宙に描いた何本もの光の筋もシーナは〈破導〉で木端微塵に消し飛ばしていた。抗えない威力によって弾けた光魔法の粒子が虚しさを掻き立てる。


 シーナは遠距離攻撃と近距離攻撃を自慢の魔節槍と〈破導〉でやり繰りしていたが、レオからして見ればおぼつかない様子だった。心なしか、顔が苦しそうだ。


 今日のシーナの動きはどうにも彼女らしくない。前回おふざけで対決した時と比べると、断然槍さばきのキレが悪い。あの時の方がもっと、近づく者を虐げる暴力さがあり、自信満々の攻撃を繰り出していた。……レオはそう記憶している。


 イセリーの魔力で作られた赤黒い帯をレオは断ち斬りながら思考を巡らす。


(こう言う場において一番心配なのはシーナだ……明らかに動きが悪い。自分達にその気が無くても、相手は殺しに来るんだぞ……)


 だからこそ普段よりも気を張って動かなければならない。人の命を奪おうとしている人間と殺さずに事を済ませようとしている人間では、その身体に滾らせている血の気に差がある。敵を殺す気でいる相手に通常の戦闘行動で迎え撃てば、確実に痛い目に遭うだろう。


 殺気を纏った相手の太刀筋に対抗する為には、自分自身もそれ同等――あるいは、それ以上の力を発揮しなければならない。

 だが、シーナはそれが出来ていないようだった。そう言う心得があれば、あそこまで槍さばきが鈍る事も無いだろう。


 シーナの事だから、胸の奥に潜んでいる相手への「情け」に気付けていないのだろう。情け深さ故の弱みだ。それが彼女の動きを邪魔していると考えるのが妥当である。


(しかも奴らは、それを分かった上で集中攻撃をしてやがる……)


 厄介さで言えば、鋭さに欠けたシーナの魔節槍よりも、疾風の如く縦横無尽に駆け回るシャルの方が上だ。しかし、その韋駄天少女を差し置いて、シーナを2人がかりで狙っていると言う事は、それだけ簡単に倒せる相手だと見なされているのだろう……。そうとしか考えられなかった。



 イセリーとの交戦中、レオは隙を見てシャルに目配せをした。するとシャルは、何かに乗り移られたかのように急に進行方向を変え、魔法支援をしているリーヤに目にも留まらぬ速さで接近して行った。


 シャルが音も無く消えたので、イセリーは彼女を見失った。さっきまで近くに居たはずの銀髪の少女を探そうとした……しかし、レオがそれを許さない。よそ見の暇も与えずに相手に斬撃を繰り出す。


 風となったシャルは視界の中央に留めたリーヤに斬りかかった。荒野で光る一筋の銀色が振り下ろされる。


 ほんの数秒で懐に接近されるとはリーヤも思わなかった。急な事だったものでリーヤは対応に間に合わず、左腕を斜めに裂かれた。少女の鮮血が大地にこぼれ落ちる。


「くっ――」


 シャルの2回目の斬撃は躱されたものの、彼女はリーヤをしつこく攻めた。1対1となれば、シャルに分がある。


(ぶりっ子の甘ちゃんかと思っていましたが……見当違いでしたね)


 リーヤは銀髪少女の力量を見誤っていた。自分よりも年上に見ていたとは言え、ここに来るまでの言動からシャルを甘く見すぎていた。相手が敵であると分かってはいたが、彼女特有の甘い雰囲気がリーヤの侮りを加速させたのだ。


 物質的な武器を持たないリーヤにとってシャルは戦いたくない相手だ。並の人間には捉える事の出来ない動きと剣さばきを合わせ持つシャルとは相性がすこぶる悪い。彼女の素早い斬撃を避けられない場合は、光の魔法を直接浴びせて封じるしかなかった。


(リーヤの援護が止んだ――!?)


 程無くして、リーヤからの魔法攻撃が止んだ事にベルニールが気付いた。彼女に何かあった事を察した。


 ベルニールの振り返った視線の先には、苦戦を強いられているリーヤの姿があった。その光景を目に入れた瞬間、ベルニールは心臓を握られた気分に陥った。


(――マズい!! イセリーが取り逃がしたのか!)


 魔法攻撃をメインに使うリーヤが接近戦で不利なのはベルニールもよく分かっていた。だからイセリーと一緒にレオ達3人を食い止めていた訳だが、遂にその陣形が乱されてしまった。


 苦戦するリーヤを放って置けなくなったベルニール。シーナとの睨み合いをやめ、リーヤの元へ駆けようとする。

 そこへ、イセリーとの戦闘を一時切り上げて来たレオの左蹴りがベルニールの脇腹に命中した。


(っくそ――見えてなかった!)


 リーヤの元へ行く事に集中しすぎた結果だ。視界が狭くなってしまっていた。ベルニールはそのまま吹き飛ばされ、リーヤの応援は失敗に終わった。


 リーヤが居る場所とは反対方向に飛ばされたベルニールだったが、それでも受け身を取って彼女を助けに行こうとする。しかし、その暇も与えずレオが追撃を加えて来た。氷の中で乱反射する光のような剣術がベルニールを苦しめる。こうなっては応戦するしかなかった。


 レオとシャルの動きを見て作戦を悟ったシーナは、すかさず残りのイセリーの姿を探した。

 予感は的中していた。イセリーは仲間のリーヤの方へと向かおうとしている。


 そうと分かればやるべき事は一つだ。シーナは魔節槍を薙ぎ払ってイセリーを妨害した。



 ベルニール達のチームワークは完全に崩壊し、レオ達は相手の戦力分断に成功した。今、戦局は大きく動いた。


(どうなってやがる……俺達の連係が崩れた!?)


 崩れるはずなかった……崩れる事のない完璧なものだと思いたかった。何もかも作戦通りだった。こうして分断されるまでは……。


 レオからの一撃を上に構えた短剣で受け止めたベルニールは、今までに見せた事も無い焦りの色を顔から滲ませていた。リーヤの支援に向かえない事もさる事ながら、このままでは負けてしまうかも知れないと言う心配も抱えていた。それがとめど無く溢れ出ていたのだ。


「驚いてるな……無理もない」

「――っ!?」

「残念だけどお前達だけじゃないんだな。“以心伝心”が出来るのはよォ!」


 レオは二つの意味を込めた言葉を放つと、合わさった刃を力尽くで弾き飛ばした。左から右への斬りは上手く躱されたが、後を追うように繰り出した左の拳はベルニールの胸に直撃させた。

 硬い拳を食らったベルニールはよろけながら体勢を立て直した。


「知ってたのか……」

「ああ。お前ら何度も顔見つめ合ってたからな。傍から見りゃ、ちょっと長めの見つめ合いだが、運が悪かったな」


(くそっ! リーヤは腕をやられてる……少しでも早く加勢しないと!)


「お前は、少しは話の出来る奴だと思ってる。……もうやめるんだ」


 争わずに済むのなら、レオもそうしたかった。妥協してくれる訳ないのだが、ベルニールの良心に訴えかけたかった。

 もちろん……退いてはくれる様子はうかがえなかった。相手は相変わらず短剣を目の前で構えている。


「へへっ……そりゃ無理だ。開口点を目の前にして今更やめろって!? すまねぇが聞けないな……」


 〈アビスゲート〉の危険性など百も承知だ。ベルニールはそれを知った上で開けようとしている。世界の破滅を目論むただの悪人ではない。


 魔物の侵入を危惧する気持ちはベルニールも理解出来る。しかし、魔物が出て来るからと言ってただ批判する事は間違っている。〈アビスゲート〉のその先に待つ未来を知る事で、初めて反対意見が出せるのだ。

 現段階で批判的な立場に居る〈七賢人〉なんかは〈アビスゲート〉の先にある可能性を知らない。レオもその一人だとベルニールは考えている。


 ベルニールはここで簡単に諦めて帰る事は出来ないのだ。当然、レオもここで撤退する訳にはいかない……。


 レオとベルニールは再び剣撃を荒野に鳴らし始めた。


 短剣の斬り返しを躱したレオは突きを繰り出す。切っ先を弾いたベルニールがすかさず反撃に出た。

 迫り来るベルニールの攻撃を避けると、レオは固く握った剣の柄頭を相手の左頬に向かって殴りつけた。


「――な!?」


 金属で作られた柄頭を頬にぶつけられれば一溜りもない。屈強な男が悶絶するくらいの、死ぬほどの痛みを味わう事だろう。


……だが、レオの目の前ではそれが起こらなかった。


 ベルニールの表情は冷たいままで、思いっきり殴りつけたはずの柄頭は、優しく指で突いたみたいに相手の頬を凹ませていただけだった。相手はまるで、こうなる事が分かっていた感じだ……。


 不可解な現象が起きた同じ頃、ベルニールの短剣がレオの心の臓を狙って動いていた。

 レオの視界には短剣が入っていなかったものの、相手の肩の動きでそれを察知し、大きく広げた左手で閃く刃を捕まえた。鍔を掴むまでに手の平を負傷したが、なんとか胸を刺されずに済んだ。


 ならば、とレオはベルニールの頬に当てるだけの形になっていた剣を少しずらし、そのまま斜めに下げて相手を斬ろうとした。

 だが、斬る前にベルニールに突き放されてしまった。


「痛ってーな……」


 手の平に負った斬り傷から痛みが走って来た。指先から雫がしたたり落ちるのも感じていた。

 レオはすぐに〈修復魔法〉を左手で発動させ、傷口を徐々に閉じた。


(くそ……アレ(・・)やっちまったから、早めに倒さないと)


 まさか死角から突き出したはずの刃を胴に当たる寸前で防がれるとはベルニールも思っていなかった。しかも、不意打ちで負わせた傷も再生されてしまった。完全にしくじった。


 こうなってはベルニールには時間が残されていない。仲間と分断された事もそうだが、最終手段を使ってしまった以上、出来るだけ早く(レオ)を倒さなければならなかった。


 ベルニールは地面を力強く蹴り、一直線にレオの方へと駆けた。


 迫って来る相手を迎え撃とうと、レオは下げていた剣を構え直す。そして、ベルニールから繰り出される攻撃を避け、刃の向きを反転させた剣を振り抜いた。


 ベルニールはレオから放たれた峰打ちを右脇腹で受け止めた。苦痛の色を浮かべる事無く、彼はレオの首を狙って短剣を前に出していた。

 だが、そう来ると予測していたレオは、頭の位置を下げてそれを避け、懐に戻した剣の護拳でベルニールの胸を殴って距離を取らせた。


 打撃を受けた胸を押さえ込むベルニールを見ていたレオの頭の中は、晴れぬ怪しみで埋め尽くされていた。


(オレの峰打ちを腹に受けても何事も無かったらしい……おかしいだろ)


 攻撃が入った感触は確かにあった。しかし、見ての通り相手はピンピンしている。これがどうも不可解だった。


 頬を殴った時や脇腹への峰打ちの時は、痛みを感じた素振りは見せなかった。だが、先程ベルニールを突き放す為に食らわせた一撃は効いているようだ。何故その一回だけがダメージとなったのかは定かではない。


 とは言え、ベルニールがどうやってか受ける攻撃のダメージを操作している事は確かだった。攻撃が効かなかった時は決まって、ベルニールからのカウンターがすぐに飛んで来る事からだ。

 他の攻撃もやろうと思えば無効化出来るのだろうが、無暗に使って来ない所から推測するに、何かしらのリスクがあるのか、戦いを早く終わらせようと死に急ぐように襲い掛かって来る事と関係があるのだろう。


(何に急いでる……? オレの攻撃が通らなくなった時からだよな……)


 あまり考える時間は与えてくれないらしい。再びベルニールが突っ込んで来た。


 今度こそ相手の術を暴いてやろうとレオが剣を構えた直後だった。目の前にまで迫って来ていたベルニールが何かの力によって、レオの左方へと吹き飛んだ。


 レオは何が起きたのか分からず、ベルニールが飛ばされた反対方向を見ては、周辺に視点を移して確認出来ない何かを確認するしかなかった。しかし、周りを見た所で、戦闘中のシャルとシーナの姿しか分からなかった。


(なんだ今の――どこの外部からの攻撃だ!?)


 おぼつかない足取りで立ち上がったベルニールの左頬を目にした瞬間、レオの怪しみの中で閃くものがあった。


(オレの攻撃――!?)


 どう言う訳かそこへ結びついた。何分か前に与えた攻撃が時間差でベルニールに降りかかった……そうとしか思えなかった。そうでなければ、この不可解の連続は説明出来ない。


(オレの攻撃が効かなかった事、相手がどこか急いで見えた事、かつて攻撃を受けた箇所を今こうして相手が受けた事……一応これで説明出来る。コイツの能力は――“一時しのぎ”なのか!?)


 仮にそれがベルニールの能力だとすれば、次に相手が食らう攻撃は、相手の右脇腹に与えた峰打ちだろう。どのくらいの時間差で凌いだ攻撃を受ける事になるのかは正確には分からないが、一時しのぎにした攻撃がやって来たタイミングで一気に仕掛ければ倒せる。


(オレの攻撃で受けるダメージを全て先送りにしても、その時が来たら終わりだ)


 レオと対峙するベルニールも「早く決着をつけたい」と言う点では同じだった。


(あれだけ俺達を欺いて来た奴だ……)


 真正面から向かって来るレオの顔は至極真剣なものだった。しかし、その裏で何を企んでいるかは測れない。一時しのぎにした次の攻撃がやって来るタイミングを狙っているかも知れない。そこを突かれればまた一時しのぎにするしか手は無く、更に追い詰められる事になってしまう。それだけは避けたかった。


(俺の能力に気付いていればの話だがな。まぁ、なんとなくは気付いてんだろ……)


 ベルニールにもまだ手はある。〈一時しのぎ〉を駆使して相手にカウンターを仕掛ける事だ。2回も不発に終わってしまったが、敵の裏をかけば警戒していようが有効だ。


 再びぶつけ合った剣の火花を合図に、経過時間を気にしながらの戦いが始まった。



 それぞれが決死の戦いを繰り広げる中、リーヤは血のしたたる腕を庇いながら戦っていた。赤く枝分かれした血の道は一度も乾いていない。


 なるべくシャルを近づけまいと、リーヤは光魔法を放って相手との距離を保ちながら凌いでいた。懐に接近されれば抵抗の仕様が無い。

 だが、その努力は虚しかった。気付けばいつも手が届く間合いに侵入され、命からがら攻撃を避けていた。そして、避ければ光魔法を撃ってシャルに距離を取らせる、と言った事の繰り返しだ。


 戦闘中のシャルはとにかく何も考えない。敵との戦闘で何も考えなくなるのは彼女の癖と言ってもいい。敵と刃を交える事は、互いの命をやり取りする事。シャルが戦いにおいて真剣になるのは、そう言った心得を持っているからだ。言葉を交わす事は愚の骨頂でしかないのである。


 無心の一歩手前に入った少女は容赦無い攻撃を繰り返す。早く仲間の支援に回りたいリーヤにとっては、彼女は本当に厄介な相手である。


(どうすればいいのか……)


 リーヤの戦局の見方によると、現在はこの上なく劣勢だ。余裕が無かったのでイセリーの状況は確認出来なかったが、見た所、交戦中のベルニールは苦しい戦いをしているように見えた。もちろん、それは自分にも当てはまる。


 本来なら、遠距離攻撃型の自分がベルニールを支援しなければならない。しかし、今はその状況を作る事さえ難しかった。幾度となく獣のように襲い掛かって来る銀髪少女の相手で精一杯だった。


 無理してでも味方の支援を行うか、終わる訳がない攻防戦を繰り広げ続けるか……リーヤはこの2つの判断に迫られていた。ベルニールかイセリーのどちらかと合流出来れば一番いいのだが、そう簡単に辿り着ける訳がなかった。


(ベルンを助けてこっちの援護に来てもらう……だとしても、ベルンにこの銀髪少女を倒せるか……。どうすれば? まずは、イセリーの状――!?)


 リーヤの目の前からシャルが消えた……消えたように見えた。隙となりかねないので極力瞬きをせずにいたリーヤだったが、思いがけず瞬きをした。

 瞼を開ければ、シャルは息のかかる距離にまで既に迫っていた。


 ただならぬ恐怖を感じたリーヤは何も聞こえなくなった……幾度となく荒野で響いていた金属同士の激しい音すら聞こえなくなった。ただただ自分の荒い息遣いだけが鮮明に聞こえ始める。

 鋭い目つきをした目前のシアンブルーの瞳と自分の瞳を合わせれば、相手のその奥にある闇が見えた。


 せめて腕で斬撃を防がないといけない――と思ったが、身体は鳥肌を立てたまま動かない。振りかざされた双剣が鈍い光を放って下ろされる。自分の身を裂かれる工程がスローモーションに見えた。



――ぇ。



 銀髪をなびかせた少女は、その双剣でリーヤの胸板に大きく深い傷を負わせた。肋骨を断ち斬られるほどの傷からは、彼女の脈拍に合わせて血が絶え間なく噴き出している。辺りに死の臭いを撒き散らし、音を立てて赤く染める。乾いた大地がリーヤの血液を吸って湿り始めた。


 リーヤは膝から崩れ落ちた……。まだかろうじて死んではいないかも知れないが、いずれ死ぬ。


「リーヤあぁああッ!!」


 地面に倒れ込むリーヤを目撃したベルニールが大声で彼女の名前を叫んだ。足は既にリーヤの方へと向かっていた。――しかし、こんな時に限って、一時しのぎにしていた痛みが右の脇腹に襲って来た。


「クソっ……クソォオオ!!」


 意識が飛びそうなほどの痛みが走る。だが、ベルニールは足を止めなかった。


 斬られた仲間を遮るようにレオが立っていたものの、彼はベルニールに憐憫の眼差しを送っただけで、進路を塞いだり妨害して来たりはしなかった。


 ベルニールの悲痛を感じさせる叫び声を聞いて、ただ事ではないと察知したイセリーがリーヤの方を向いた。

 彼女の瞳に映るのは、倒された仲間とその傍らで血に染まった双剣を持つ敵だった。


 イセリーの心の中から黒い物が湧き出して来た。そして、あっという間に身体の隅々にまで染み渡った。今すぐ助けに行かなければ、と言う気持ちが出て来たのはその後だ。


「よくも……よくもリーヤをッ!! どきなさい!!」


 イセリーはシーナを跳ね除け、横たわる少女の元へ一目散に駆ける。哮りを上げながら剣を振り回し、害をなすもの(・・)を一掃するかのようにシャルを追い払った。

 そして事を済ませると、イセリーは変わり果てた仲間の血で自身の手を赤く染めながら、優しく抱き締めた。


 リーヤの漏れ出たぬくもりがイセリーの感情を震わせた。


 ベルニールもようやく駆け付けて来た。だが、今更してやれる事は無く、ただただ血に染まるイセリーの姿を目に入れるしかなかった。言葉など、一言も喉から出て来なかった……。


 レオとシーナは黙ってシャルの所に歩み寄った。三人の目線の先は同じだった。


 残された者に悲しみと怒りが込み上げて来る。守れなかった絶望、憎しみ、全てが愛した者を奪った敵に向けられた。シャルを見るイセリーの目は、もはや人間のものでも獣のものでもなかった。


「――殺してやる!! 絶対殺す!! 絶対に許さないんだからァ゛!!」


 息の無いリーヤを守るように抱いているイセリーは喉が千切れるくらいの大声を放った。誰に向かって飛ばされた言葉かは……考えずともすぐに分かった。


「なんでそんなに怒ってるの? あたしがその子を殺したから?」

「テメェ!! 何したか分かってんだろうな!?」


 遂にベルニールの怒りも限界に来た。シャルの花でも摘み取るかのような態度が彼の殺意を大きく成長させた。


「分かってるよ? あたしが悪いって言うの? でも、先に殺そうとして来たのはお兄さん達でしょ……? それっておかしくない?」

「てんめェェエエ!!」


 黙って睨んでいたイセリーは魂の入れ物をそっと大地に寝かせ、置いていた剣を取ってゆっくりと立ち上がった。合図は無かったが、ベルニールとイセリーは怒りに我を任せ、シャル目がけて同時攻撃を仕掛けて来た。

 シャルを挟んで立っていたレオとシーナがすかさずそれを防ぐ。戦いの火花が再度咲いた。


 鍔迫り合いをするさなか、双璧に守られているシャルにベルニールが声を荒げる。


「大切な仲間を殺されて、黙って見ていろって言うのか! 目の前で大切な人を奪われて! 殺意を抑えられる奴なんて人間じゃねぇ!! お前に何が分かる!!」

「仕掛けて来たのはそっちだろ! 甘ったるい事言ってんじゃねぇ! もう傷付かないうちに撤退しろ!」


 だが、レオの声が届く訳なかった。2人は完全に復讐に取り憑かれている。レオとシーナの事など目に入っていない。イセリーに至っては唸ってばかりで話をする事もままならない状態だ。


 敵の攻撃を防いだレオとシーナは、相手を弾き飛ばしてシャルから遠ざけた。


「……だから、大切な人が殺されないように命を張って守らないといけないの。……お姉さん達はそれが出来ていなかっただけだよ?」

「くっ……」


 もはやベルニールとイセリーに言い返せる言葉は無かった。しみじみと自分達の腕の過信と傲慢と愚かさを思い知らされ、更に怒りは増すばかりだ。


 二人にとってシャルの言葉は、的を射たものでもあり、同時に妄言のようなものでもあった。ああやって銀髪の少女は冷えた表情をしているが、いざ自分が愛する者を失う立場になったら、その偽りの強がりは崩れ落ちるはずだと確信していた。だから怒りが治まらない。


 シャルの生きて来た道は、彼らよりも遥かに辛く孤独なものだった。それ故の辛辣な言葉だ。レオとシーナにはそれがよく分かっていた。


「お前ら、仲間を失う覚悟も無しに殺そうとかかって来たのか? シャルを恨むのはお門違いって奴だ」

「どこがだ!!」

「お前らは今のオレと同様に、その失う覚悟が無いんだ。失うものがあるのなら、失いたくない人が居るのなら、命を懸けて刃を交えるべきじゃなかった……そうは思わないか?」

「うるせぇ……うるせぇえ!! テメェに何が分かる……!」


 いずれ仲間を失うと知っていた、と言えば嘘だ。どんな事があろうと、イセリーとリーヤだけは失われないとベルニールは信じていた。更なる平和を目指す仲間が、無理解の暴力を振るう者に負けるはずなかった。


 だが、言われてみれば……「失う覚悟」とやらが無かった気がした。それにさえ気付いていれば、レオからの忠告を少しは聞いたかも知れないし、リーヤを失わずに済んだかも知れない……。


 考えた所でどの道戻れなかった。


(失われたままじゃ終われねぇんだ……)


 失う覚悟は無かったが、失った今なら分かる。もう一つの失いたくないもの――イセリーを守る事。彼女の憂さ晴らしと自分の憂さ晴らし、それこそがリーヤの仇討ちと繋がる。そして、大切なイセリーの為にもなり、彼女を守る事にも繋がる。



(このまま奴らが退かねぇって言うんなら……オレも二人を守る為に剣を振るしかない……)


 レオもその時が来れば相手を斬り伏せるつもりだ。

 殺気に満ちた眼光を受けながらの沈黙は、どこからともなく聞こえる声によって破られた。レオも最初は空耳かと思ったが、今度ははっきりと聞こえた。


((お前達、戻りなさい))

「何故です!?」


 どう言う訳かベルニールが天に向かって叫んでいた。


(なんだ……? こいつらの味方か?)


 突然ベルニールが脈絡の無い事を放ったので少々気味悪く思っていたが、どうやら辺りから聞こえる声の主と会話をしているらしい。それ以外に考えられない。


((今はその時ではありません。お前達を失う訳にはいかないので……))

「あの女を殺すチャンスをください! すぐに殺します!! 今すぐ殺しますから!!」

((その機会はいずれ来ます……またにしておきなさい))

「くっ……!! ……絶対に許さないから」


 ベルニールとイセリーは最後にシャルを睨み付けた。一方のシャルも睨み返す。恨みの眼を向けられるのは慣れている。


 敵対者である2人は、人形のようになってしまった少女を抱えて、突如現れた光の中へと去って行った。


 光が消えるとそこには誰も居なかった。体の表面に刺激をもたらす荒野にはレオ達だけが取り残された。


「あの声誰かな……」

「声の主が奴らの言ってた“ホーブリックス”って奴なら、本当にバックで動いてるのが……黒幕が〈七賢人〉になるんだが……」

「どうせはったりだよ」


 シャルはいつもよりトーンを落として喋っていたが、レオはいつもとあまり変わらなかった。

 そのレオの様子を見て、シャルは安らぎを取り戻しつつあった。殺しを目の当たりにしても自分の味方で居てくれる彼には、心から溢れる想いだけでは足りないくらいだ。


 もう敵が戻って来るとは思えなかったので、三人共〈保管魔法〉で武器をしまった。


 魔節槍を青白い光で消した後、シーナは荒野を浸したおびただしい量の血痕を見ていた。その目を細めて見つめる。


 あれをシャルがやったとは信じられなかった……。いつも笑顔の妹が一変して、冷たいものになっていた光景が頭の中から離れないでいた。思い出すだけで胸が痛くなった。


(……まさか、死なせちゃうだなんて……)


 思いもしなかった。

 人が死ぬ光景を目の当たりにしたのは初めてではない。しかし、身内がやったとなれば話は別だ。シャルがどんな思いで少女を斬ったのか……シャルがどんな考えでそうしたのか……シャルが殺しを“痛い”と思わないのか……頭の中を過ぎて行く想いは山ほどあったが、どれも考えるだけ辛いだけだった。


 シーナの表情が冴えていない事に気付いたシャルは、小声で姉の事を呼んだ。シーナは静かに妹の方を振り向く。


「シャル……シャルは本当に……殺し屋、だったのね」

「うん……」


 シャルはまた小声で答えると、面を暗い色をした大地に向けた。妹が殺しをして気持ちが良くない事くらいシャルも分かっていた。なんとなくだが、ここで姉と縁を切られるような気がした……。ここで愛想を尽かされて捨てられる未来が一瞬見えた。


 だが――それもシーナが地面に落とした露と消えた。


「……ごめんね。お姉ちゃん、力になってあげられなくて……」

「……なんで泣いてるの? 泣かないで?」

「っあ、そんなつもりじゃなかったのに……。私どうかしてるわね」

「殺し合いってのはこう言うもんだ……受け入れる必要は無い」

「分かってる……わよ」


 シーナは思いっきり空気を吸って、溢れる涙を全部中へと押し込んだ。そしてシーナは妹の両手を手で取った。


「シャル? 私はいつでもシャルの味方だからね……。何があっても……例え自分の手を他人の血に染めても、守るから」


 そう言ってシーナは妹を力いっぱい抱き締めた。


(胸が痛いのって私だけなの……? レオは、痛くないの……?)


曇り空の下、悲しくゆったりとした時間が過ぎて行く。



 戦闘中のシーナ視点が全然無い事に気付いたんですけど、今は一応これで…。

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