かん虫、小児はり
赤ちゃんの声が少し小さくなった。
お母さんがあたふたしていたのがほんの少し冷静になったためだろうか?
赤ちゃんを抱いたまま目を瞑るお母さん。
大きく深呼吸をしてからゆっくりと目を開き落ち着いた声で「大丈夫よ。」と声をかける。
するとさっきまでギャン泣きしていた赤ちゃんがピタッと泣き止み母親の顔をまじまじと見つめる。
おぉ!ちゃんと俺の話聞いてたんだな。にしてもこの赤ちゃんも賢いな。
赤ちゃんが泣き止むと疲れたのかまぶたをゆっくりと閉じて眠ってしまった。
お母さんは赤ちゃんの背中をトントンと優しく叩きながら俺たちに向き直り「ありがとうございます。」と俺を言ってくれた。
お茶屋さんの店員も「場を収めていただき申し訳ありません。」と深くお辞儀して来る。
「あの、いいですから。大したことしてませんよ!それよりもどうしてこうなったのか教えてもらえませんか?事と次第によってはこの冒険者?を衛兵さんに引き渡さないといけませんし。って短剣持ち出したから引き渡すのか。」
「それは私から説明いたします。若奥さんは…」
と店員さんが説明を始めた。
店員さんの説明からすると俺の予想していたことが概ね正解だった。
いくつか補足すると、このお茶屋さんは王都に本店がある有名なお茶屋さんで『笹一茶』というお店だそうだ。そしてここが支店にあたるのだが、この絡まれていた女性は本店の後継の奥さんらしいのだが、地元であるこの街に出産・子育てのため里帰り中で時折お店の様子を見がてらお茶を飲みに通ってくれているそうだ。
そして冒険者の人が奥さんに一目惚れしていたようで奥さんの来る時間帯には毎回この店でお茶を飲んでいたのだとか。そこまではいいのだが、今日はなぜか時間になっても来店してこなかったのだそうだ。
奥さんはいつも通りの時間に来店しお茶を飲んでいたのだが、赤ちゃんがお腹をすかせてぐずりだしたそうだ。いつもなら店の奥で授乳しているそうだが今日は店内にお客さんもいないし店員さんの許可を得て授乳をしていたところに遅れて冒険者が酔っ払った状態で来店し、授乳中の奥さんに鼻の下を伸ばしながらちょっかいをかけ始めた。
奥さんは一旦授乳をやめて店の奥に引っ込もうとしたのだが腕を掴まれてしまい抵抗していたら赤ちゃんだ鳴き始めてからは俺たちが知っている状況に繋がるんだという。
まずなんで店内で授乳し始めたのかとツッコミを入れたかったが、子育てって大変だしどんな場所でも授乳に羞恥心を感じないタイプの母親も少なからず存在するのは知っているので気持ちがわからないでもない。
移動して授乳し戻って来るという動作が億劫だったんだろうな。
でもだ!!このチンピラ酔っ払い冒険者が奥さん目当てで何日も来店してんの知ってたんなら迂闊に「人いないしここでいいか。」みたいな感じはダメだろう!!店員も許可出すなよ!アホか!!
とはいえ絡んだ冒険者も悪いし武器まで抜いたんだからこいつらに弁解の余地はないだろう。
この冒険者はアカリ達にお願いして衛兵に引き渡してもらうことにした。
確かに質の悪い冒険者っているにはいるがこのゲッコウ領の冒険者って比較的マナーがいいって聞くんだけどな。
俺たちを襲って来たことのある奴らも冒険者を装ったどっかの貴族の暗部だというのがオチだったしな……
政治怖いと思ったのを今でも覚えている。その時もここの領主様にお世話になっていたから今回の依頼を受けたと言ってもいいのだがこれもどうでもいい話だったな。
にしても赤ちゃんの『かんむし』ってそれだけが原因じゃないと思うんだが毎日冒険者に見られてたら赤ちゃんもストレスたまんのかな?お散歩がてら来てんだろ?ちょっと聞いてみようか。
「ところで赤ちゃんの鳴き方がちょっと気になったのですがいつからこういう鳴き方をしていますか?」
「え?」
「あぁすいません。私は治癒師の端くれでもあるので気になってしまうんですよ。職業病ですね。ははは。」
「そうなんですか?あぁ。この子の鳴き方ですね。やっぱり変なんでしょうか?初めての子育てでよくわからないんですが、ここ一週間ぐらい甲高い耳が痛くなる鳴き方をするんですが……これってやっぱりおかしいんでしょうか?」
「子育ても人それぞれですからおかしいってことはないですよ。赤ちゃんはまだ言葉を話せないので鳴き声で自分の意思表示をするんですよ。お腹すいた、寂しい、体調が悪い、おしめかえてーってね。今の鳴き方は体調不良を訴えているような鳴き方なんです。キーキーと耳に残るような声をだしている時ですね。」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、私は『かんむし』って呼んでいるんですが、原因は様々です。生活環境が合っていないとか、赤ちゃんは周りの人の感情に影響を受けることもあるので先ほどのようにお母さんの不安や怒り、体調不良にも敏感に反応する子もいるので何が原因か断言はできませんけどね。」
「……」
「何か心当たりはありますか?環境は簡単に変えることはできませんし、私は治癒師の端くれです。治療を行うことで体調が戻るかもしれません。」
俺がそういうとしばらく考えるそぶりをしてからポツリポツリと話し始めた。
「実は先週王都にいる旦那様から手紙が届きまして……王都にいる義父が急病で他界したというのです。今は私も子育て中で王都まで向かう馬車を乗るにも赤ん坊連れでは断られますし、かと言って義父の葬儀にも出ないと……旦那様は無理せずこの子が2歳か3歳になるまでこっちでゆっくり育てるようにとおっしゃられるのですが……
本来ならあと半年後に旦那様もこの街にきてここでの経営を経験してから本店の跡を継ぐ予定だったので私は一足早くこちらに来ていたんですが、今は状況が状況ですので…やはり無理をしてでも戻ったほうがいいのか、ここにいていいのか。どうしていいのかわからないんです。」
えーっと俺にはどうしようもない話だな。
そうかここから王都まで確か馬車で一ヶ月はかかったはずだし、赤ちゃん連れはなかなか辛いものがあるな。
馬車で移動しても野営はあるし、野営中の夜泣きなんて魔物の格好の餌食だ。かなり高額のお金を積めば馬車もだしてくれるだろうが護衛も必要で……うわぁ無理じゃね?王都に行くの無理でしょ!
「そうだったんですね。赤ちゃんの体力のことも考えると馬車は辛いかと思います。かと言って赤ちゃんを置いて行くのも心配ですよね。旦那さんのことも心配でしょうしお辛かったですね。」
「う…ぐす、ぐすっ……あ、はい。ぐすっ……うぅ。」
鳴き始めてしまった女性の背中をさすりながら落ち着くまで待つ。
「すいません…ここであれこれ考えててもダメなのはわかっているんですが……」
「いえ、人に話したほうがすっきりとしますよ。考えの整理にもなります。今は自分にできることを精一杯すればいいんですよ。奥さんは今は子育ても大変なんです。あれもこれもとするにはかなり辛いでしょう。お子さんが元気に育って笑って旦那さんに会えるようにしませんか??」
「うぅ…ぐす!はい。」
「今は気のすむまで泣いていいんですよ。泣いたら今度はお子さんのために笑って子育てしましょう。」
「はい!!ぐすっ……」
それから彼女は数十分鳴き続けた。ひとしきり泣いた後で俺たちに向き直りお礼を言うと『かんむし』は治せるものなのかと聞いて来た。
俺は前世で治療経験があったので治療について説明をする。
「治療は可能です。私は鍼灸術という医療系スキルを持っているのですが、この鍼という治療道具でお子さんの体を撫でながら氣の巡りを良くする治療をいたします。体調不良は氣の巡りが悪くなっているのでまずその巡りを良くすることでキーキーという耳に残る鳴き声を出さなくなるようになります。原因が何かにもよりますが氣の巡りが良くなると『かんむし』もすぐに治っていきますよ。」
「治療はどれくらいかかりますか?」
どれくらいって治療費かな?回数かな?
どっちも説明すればいいか。
あーでもスキル補正で回数がわからんな『かんむし』なら大体五回ほどで効果でるんだけど、う〜ん…適当でいいか。
「治療費は子供なので100マールになります。治療の回数は大体3〜5回ほどですかね。」
「そうですか。治療お願いしてもいいですか?」
「ええ。いいですよ。」
「ちなみに大人だとおいくらぐらいかかりますか?」
「大人は500マールですね。ただ私は冒険者もしていますので今はこの町にいるのでその値段ですが、他の町から呼ばれるときは移動費とかも追加で上乗せになりますね。今は入りませんけどね。」
今は治療費を固定している。日本円にしておおよそ子供1000円、大人5000千円だ。そろそろ美容メニューを作る予定だ。
訪問治療はバカ高く設定してるので呼ばれることは稀だな。
距離にもよるが日数でお金が増える形だ。今回の領主様の依頼だrと馬車は領主様持ちだが今メインで潜ってるダンジョンから離れてしまうので1日あたり10000マールもらっている。普通1日10万円もかけて呼ぶバカはいないだろう?
しかもこの世界では隣町でも一番近い距離で1日かかるとこがザラだ。今拠点にしている町からだと近い街で最低2日はかかるので呼ばれることなんてまずない。今回の領主様からの依頼が異常なんだと俺は思っている。
10日分の前金をもらっているので10日は拘束されるのだ。ここからもしかしたら追加料金が発生するとなるとねぇ?
冒険者は若いうちしかできないと思っているので今はこうしているがいずれはちゃんと考えないとな。
領主様の依頼でこの街に滞在して領主様関連以外の治療をするのはちょっとずるいような気もするがまあいいだろう。
この人からは往診日は今回取らずに治療を始める。
鍼を使って軽く体を撫でて行くとすぐに血色が良くなって行く。
眉間にあった青筋も薄くなり多分後一回くらい治療したら治るんじゃないかな??
治療後には次の予約を受けた。次は3日後にこのお茶屋で治療することを約束して別れる。
店を出るとアカリ達が立っていた。ん?店に一緒に入ってたのに……あ!冒険者を衛兵に引き渡しに行ってもらってたんだ。
てかお茶も飲んでないじゃん!!俺たち一体何しに来たんだよ!!
あたりはすでに暗くなって来ている。
はぁ俺の今日ってアカリ達の買い物に付き合っただけじゃん。
アカリ達はちょっといいことしたように晴れやかな顔をしていたが俺はただただ疲れただけだった。