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「葬式いくよね?」と念を押すように訊かれた。
「夏凪は行くの?」
「あたりまえでしょ」
ホームルーム活動、いわゆる帰りの会を終えて、みんなが部活動や帰宅にがやがやとしたあたりで夏凪に話しかけられた。開かれるのはきっと明日、死後三日後で葬式か。俺も行っていいのだろうかと悩む。悲しんでいない人がそこに紛れ込んでいたら、家族は何と思うだろう。それよりもらい泣きしてしまう可能性がある。そのほうがもっとひどいかもしれない。
こんなことを考えている俺が葬式に出ていいのだろうか。
「みんな行くんだよね?」
「あたりまえでしょ」とまた夏凪は繰り返した。当たり前と夏凪は言うけれど、なにが当たり前なのだろう。俺らはずっと仲良しだったから、誰かが死んだとき葬式に出るのは当たり前。確かに論理的に、いや倫理的に正しい気がする。
「いくよね?」
「行く」
「そうだよね。よかった。じゃああしたはとりあえず駅に集合ね」
夏凪はそういってさっそうと教室を出てしまった。近くで見ていた翔も二木もあっけにとられるぐらい速かった。二木が慌てて追いかけて教室を出るが、見つからなかったのかすぐに戻ってきた。
「駅に集合って何時だよ」
「9時」と翔が俺のぼやきを聞き取って、教えてくれた。9時なら明日は遅く起きても大丈夫だ。いつもは7時に起きないと学校に間に合わないが、駅に九時なら7時半、いや8時に起きても問題ない。
「ちなみに今日通夜があって、来てもいいんだと。それは18時からだ」
「通夜?」
葬式と通夜の違いがわからない。二つとも同じだと思っていた。
「夏凪が言った葬式ってのは大勢来る告別式のことだな。通夜ってのは親しい人だけでやるやつだ」
それから少し詳しく翔は説明をしてくれた。人は死ぬと、二日がかりで見送られる。豪勢なものだ。二回も坊さんに経を読まれたら、すぐさま成仏してしまいそうだ。
「通夜もちゃんと行くよ」
「ああ、当たり前だな」と翔は夏凪と同じように言う。
「今日は車が迎えに行くから、17時半ぐらいに家にいて」
「わかった」
机の上に広がっている配れた紙を適当にカバンに投げ入れ、チャックをしめる。教科書はほぼ机の中に入れっぱなしなので、それほど重くないカバンを持ち上げて、帰ろうとした。翔は先に準備を終えていて、俺を待っていた。
立ち上がって自分の机を振り返ると、その後ろの夏凪の机に違和感があった。回り込んでみてみると、携帯が机の中に忘れて置いてあった。ストラップだけが外に飛び出していて、これが向こう側から見えたのだろう。
女子高生にとって携帯とは必需品なんじゃないだろうか。学校への持ち込みは確かに校則上禁止されているが、ほぼ全員の生徒は持ってきている。堂々使う人もいる。特に女子は携帯に依存している人が多く、家に忘れただけでこの世の終わりみたいな顔をする。
夏凪の携帯を手にとった。
「翔、これ、どうする?」
「通夜にあいつも来るだろうし、あとで渡してやれば。いや、その前のほうがいいか。家まで渡しに行ったらどうだ。直己のほうが夏凪の家に近いだろ」
確かに俺の家のほうがわずかに夏凪の家に近い。距離にして15歩ぐらいの差だ。俺と翔の家が隣同士で、俺側の方に少し行ったところに夏凪の家がある。二木とあいつの家は翔側の方だ。一番遠い夏凪と二木の家でも8分あれば着く。要は全員が近い。
「渡しに行ってもいいけど」
先ほど、あれだけ急いで教室を飛び出したぐらいだ、何か重要な用事があるのかもしれない。いつ渡しに行ったらいいのかわからない。学校に取り戻りに来たらすれ違うことも考えられる。
「お前、怖がっているんだろ」
「すれ違ったら逆に迷惑だから。そう意味では怖いかも」
別に冗談を言ったわけでもないが、翔は漫才師のように手を振って俺の肩をたたいた。
「そういう意味じゃない。これ以上、ぎくしゃくなるのを怖がっているんだろってこと」
翔は言うが、俺にはピンとこなかった。確かに最近すこしみんなとうまくいってない感じがする。でもそれは単に一人が死んで戸惑っているだけだ。ぎこちなくなっているだけであって、ぎくしゃくにはなっていない。
俺のそのニュアンスの言葉を言おうとしたが、周りの目もあってやめることにした。教室に残っているクラスメート達は、俺らの会話に耳を傾けている気がする。彼らもあいつが殺されたことも知っているし、悲しんではいるはず。ただ、その悲しみは翔や夏凪とかからと感じるのと全然違う。彼らの目は先生みたいだ。俯瞰しているように、俺らの一挙一動を見ている。
「そうだな。取りあえず俺が預かっておくよ」
俺は夏凪の赤い携帯を机の中からとる。携帯の裏にプリクラが貼ってあった。そこには五人全員そろってピースサインをしている。皆はしゃいで、とても楽しそうだ。
そのプリクラには上から透明のビニールテープが貼られていた。事務作業をするときに使うような大きな幅があるもので、携帯の端から端まで届いている。そもそもプリクラの裏面は粘着質で、それだけで貼ることができる。こんなダサいテープをつかう必要はない。
これはきっと夏凪が昨日、もう二度と作れないプリクラがはがれてしまうことを恐れて、大事に大事に貼ったのだろう。よく見ると二重にしてある。
容易に想像ができる。一人机に座って、気泡が入らないように定規を使って慎重に貼っていく作業をしている夏凪。一枚を貼り終わって、まだ不安で、もう一回ビニールテープを手に取る。がんじがらめになった携帯を見て、ひどく不格好になっているのに満足げになっている夏凪の姿が目に浮ぶ。
俺はその携帯を翔に見せないで、自分のズボンのポケットにしまった。
「じゃあ、帰ろうか」
「ああ、そうだな」
俺は先に歩き始めて、教室の前の出口に向かう。花瓶の横を通ったとき、一瞬だけむわっとしたにおいがした。
廊下を歩いて、階段を下りていく。この高校では一年生が一番上で四階になっている。その下が二年で、次に三年生になる。一階は職員室や校長室など先生のために階だ。なので授業を受けているときは足の下に、先輩や先生などの偉い人が居る。礼儀として正しいかどうかはわからないけれど、一つわかるのは地震があったときに逃げにくいのは俺らだ。
一番上なのだから当たり前だが、安全な校庭まで逃げるのに時間がかかりすぎる。火事も同じ。とはいえ、誰かが上にならないといけない。あと半年の我慢だ。二年生になれば、最上階ではなくなる。
靴箱で学校指定のスリッパから外履きに履き替える。ガラス張りになっている大きな玄関を押して開けようとする。しかし扉は開かなかった。ガンと強く押してもびくともしない。扉は他の場所にもあるので行こうとしたとき、横になっている鍵が目に入った。鍵がかけてあった。
後ろで翔が笑っている声がした。鍵を乱暴に開けて、俺は歩きながら扉を押した。
扉は依然として動かず、前に進んでいた俺は頭をガラスにぶつける。さらに後ろから笑い声がした。
鍵をもう一回見るが、ちゃんと開いている。今更他の扉に行くほうが恥ずかしいので、力ずくで押してみる。びくとも動かない。力を抜くと、扉に抵抗感がなくなった。
「なんだ逆か」
手前に引いたら普通に開いた。そういう仕様だったのか。
「お前は何カ月この学校にいるんだよ」
翔は俺の頭を馬鹿にするように叩いて、俺が引いた扉を横から通り抜けた。
「その、夏休みが長かったから」
「そんなんで忘れるか」
翔はさっさと先に進んでいくので、俺も後をついていく。日が落ちかけて、あたりは夕暮れだった。九月に入ると日の落ちるスピードが早くなる。少し前までなら19時でもあたりは明るかったのに、17時ぐらいでもう茜色だ。
数歩先に歩いていた翔は夕日を前にしていて陰になっている。俺から見ると、翔が太陽の真ん中に立っているみたいだ。翔の身体のふちから日が漏れて、俺の目を焼いている。翔の肩のあたりからトンボが一匹すーっと飛んできた。そのトンボもまた陰みたいに暗く見えて、でも楽しそうに飛んでいる。こっちに来たので、人差し指を伸ばしてまつ。そんな俺を気にしないかのように、横を通り過ぎていく。それを何となく目で追っていくと、後ろには茜色に染まった校舎があった。
トンボはさらに飛んでいき、上にあがっていく。ゆらゆらと赤い空を登るトンボに見とれていると、屋上に一人、フェンスに寄りかかっている少女がいた。長い髪がさらさらと秋風に吹かれてたなびいている。彼女もまた校舎と同じく茜に染まっていた。その少女は夕日を見ていた。赤くて大きくてきれいな夕日を彼女はみていた。
ルール違反だ、と思った。
それはみんなで決めたルールを破っている。フェンスの近くに行くと、こうやって下から見られてしまう。屋上にいるのがばれたら、怒られてもういられなくなってしまう。それで禁止にしたはずだ。
「翔」と俺は前を歩く陰に呼びかける。
「何だ?」
「夏凪を見つけたから、携帯渡しに行ってくる」
振り返っても翔の顔は陰になっていて、表情は見えなかった。翔は手を振って「がんばれよ」と言った。
「なんだそれ」と俺は笑って、校舎に戻った。今度は間違えないように手で扉を押した。
五人とも合鍵を持つこと。これもルールの一つだった。屋上は五人の自由な場所で、いつでも好きなときに行ってもいい。翔が鍵を手に入れてから、すぐに五つの合鍵を作った。オリジナルが一つあったけど、みんな同じがいいからという理由で五つ作った。もともと青い鍵でかっこよかったのに、作ってすぐ夏凪が装飾テープで可愛くされた。男子三人には不評だったが、夏凪が楽しそうなのを見てうれしかったのを覚えている。
屋上に続く扉まで来て、俺は自分の鍵を入れた。開けるように半回転させて鍵を抜く。そして入ろうとすると、扉は開かなかった。どうやら俺のこの作業で逆に鍵をかけてしまったみたいだ。
「さっきからこんなのばっかりだな」
俺は苦笑しながら、もう一回同じことをして鍵をこんどこそ開けた。ドアノブをひねって茜色の中に足を踏み入れる。夏凪は変わらず同じ場所で夕日を見ていた。扉は勝手しまって、大きな音を立てた。夏凪は一瞬ビクッとしたが、振り向かず夕日を見続けた。
俺はその後ろ姿に声をかける。
「フェンスには近づいたら駄目だってルールで決めたよね」
夏凪はその下から見えてしまうフェンスに寄りかかったままだ。そのまま声を返してきた。
「こんなとこ。壊れてしまえばいいんだよ」
横から俺と夏凪に向かって涼しげな風が吹いてきて、また夏凪の髪が大きく揺れた。俺はフェンスから少し離れたところにある出っ張りに腰かける。俺から下は見えていないので、下からも見えないはずだ。
「ここは思い出の場所じゃないの?」
「そんなこと知っているよ。だってたのしかったし」
「じゃあ、どうして?」
「だって」
夏凪は夕日を見ていた。
今日はさわやかな秋晴れだった。雲一つないようなそんな空だ。だから夏凪の足元にゆっくりと広がっている濡れた痕は、雨の跡じゃない。
また一つぽとっと音がして、濡れた痕が大きくなる。
「だって、なんだい?」
俺は自分の足元を見た。いつもと変わらず無機質なコンクリートだ。触ってみても湿ってもいない。唾でも垂らすべきだろうかと少し悩む。俺と他の三人の違いはあの濡れた痕ぐらいだ。
「だって、ここにきたら思い出がふえて、どんどんうわ書きしちゃうから」
あのプリクラの上に貼ったあったビニールテープみたいだ。もう新しいのはできないから、今あるのを消さないように努力をしている。
思い出の上書きを防いでいる。ビデオテープの爪を折るみたいに、一つ一つ丁寧に守ろうとしている。
「でもここがばれたらもう二度と来れなくなるよ」
上書きはされないけれど、もう再生もされない。爪を折るのはいいけれど、上書きされないように、黒いテープを引きちぎるのは問題外だ。
夏凪はフェンスを突き飛ばすように腕で押して、その反動で後ろに倒れ込んだ。倒れてしまえば、もう下から見えることもないだろう。俺の足元の近くに頭がある。
仰向けになった夏凪はスカートが捲れているのも気にしないで、両腕を顔の方に回した。そのままの格好で鼻をすする音や、しゃっくりのようにヒクッとしたのも聞こえてきた。俺はそれを座ったまま見ていた。
「わたしもさ、直己みたいに、つよくなれたらいいのにな」
昼前の手紙みたいなノートのやりとりのおかげだ。俺が無表情を貫き、悲しんでいないふりをしていると思っている。
「俺は強くないよ」
「つよいよ」
夏凪は口を隠していた右腕を上に伸ばした。露になった鼻と口は茜色よりも赤かった。空を切っていた右手は俺の足首を見つけ、そのズボンの裾を握った。クシャっと音がして、しわができる。足口が狭くなって、少し足が絞められた。
「人はいつか死ぬんだよ。それが二日前だけだった。ただそれだけなんだよ」
夏凪はさらに手に力を入れたのがわかった。いくら裾を握られようが痛くなることはない。でもさらに窮屈になって、足の居心地が悪かった。
「いつかは死ぬんだろうけど。おばあちゃんになってから死なれても、こうやってわたしは悲しみをかくせないと思う。だからかくせる直己はつよいんだよ」
夏凪は目を左腕で隠している。
初詣で神社に行って、お参りするときに自然と目をつぶる。心の中で祈るときは目を閉じるもの。夏凪はどこかそれを彷彿させた。
「そうだね」
ズボンが痙攣するように、下のほうが震えた。夏凪の手は離さないようにさらに強く握りしめていた。
「俺が」と言って、続きの言葉がなくて止まった。
「なに?」と訊いてくる。
言葉はなかったはずだ。無意識で会話をつなぐために一人称を使っただけだった。けれど、二つの選択肢が浮かんできた。
ハグかキス。どちらかをしながら、例えば「俺が忘れさせてやるから」とかを言う。夏凪は実際弱っているはずだし、支えを欲していると思う。これは確実にうまくいく。
また涼しい秋風が吹いて、仰向けになっている夏凪の袖とスカートをわずかにたなびかせた。微妙な湿度と肌寒さが優しく心臓を締め付けてきた。この町を出たことがないのに郷愁を感じる。
そのノスタルジーな空気のせいで、選択肢は隠れてしまった。
「なんでもない」と答えて、そっと掴まれていた裾を解放させた。夏凪の右腕をもとの口の位置に戻す。立ち上がって全身を眺めたあと、「通夜があるんだよね。俺は先に行っているから」と言い残して、その場から離れた。
さっきよりも日が弱まって、あたりは少し薄暗くなっている。じゃりじゃりと足音を立てながら、屋上の出口に歩いた。
扉を開けて踊り場に出る。扉を閉めるとき、外のドアノブよりも内側のほうが生暖かく感じた。屋上と比べて段違いにきれいな地面に、湿った痕がある。
「翔?」と呼びかけてみたが、なにも聞こえなかった。




