epilogue -2-
翌日、俺はある場所に向かって歩いていた。雨が全部洗い流してくれたのか、雲一つないような寂しい青空だ。母親に挨拶してくるのを忘れた。俺は制服を着て、いつものように出発したから、俺の家族が俺の行動に気づくのはもう少し先になることだろう。
夏凪にも何も言っていない。独りでぽつぽつと靴音を鳴らしながら歩く。自然と緊張はなく、体がこわばることもなかった。
目的地の大きな門がある。解放されているので、閉ざされている感じはしないが、その門から見える建物は威圧するように堂々と立っていた。門のそばに一人、道端で壁に寄りかかりながら新聞紙を読む不審な人物を見かけた。今までだったら素通りしていたが、今日は話しかけようと近づく。ちょうどそのとき建物のほうから歩いてきた若い男性が新聞紙の男に話しかけていた。
「あれ、渡西さん。ここに居たんですか。御堂さんが探してましたよ」
新聞を下げた渡西は俺に気づかず、話しかけてきた男を見る。
「ああ、康太か。俺のことは見つけなかったことにしておいてくれ」
「いつもどおりに、ですね。ところで、こんなとこで何してんですか?」
康太と呼ばれた男は、慣れた様子で渡西と話している。見たところ渡西よりも一回り若そうな感じだ。渡西は警部と言っていたので部下が一人や二人いてもおかしくはない。
「人を待っている。そろそろ来る頃かと思ってな」
「へぇ、人ですか。また、なんかの事件ですか。いい加減、外回りの担当ではないのですから。デスクワークをしてくださいよ」
「勘が鈍るんでね。それに机に向かうのは性にあわない。しかし、お前も御堂に似てきたな」
「誰かが働かないんで、俺にお鉢が回ってくるんですよ」
二人とも俺に気づかず、内輪の話をしている。彼らの話を待つ必要はないだろうと判断して、俺は渡西に近づいていった。あと数歩のあたりで若い男が俺に気づく。警戒をするそぶりで、ねめつけてきたので俺は無視して渡西に話しかけた。
「渡西。お前、俺と話す時とは随分口調が違うじゃないか」
「そうでもない」としらを切られる。
「渡西さん、知り合いですか?」
「ああ。あのここらで高校生がトイレで殺された事件があっただろう。それのお友達さんだ。どうせ、進捗状況を聞きに来たのだろう」
俺をずっと犯人扱いしていたくせに、今になって急に掌をひっくり返している。口調もちがければ、態度も違う。あの飄々とした態度はどこに行ったのだろう。
渡西から説明を受けた男は、俺に向かって、
「警察が一般人に情報を与えることはできません。申し訳ないですけどお引き取り願います」と厳しい口調で言い放った。俺はその男を見ることもなく、渡西に向かって目に力を入れて睨みつけた。
「あんだけ犯人扱いしたくせに、その態度はなんだ?」
「何のことかわからないな」
「そのまともな言葉遣い、ずっと演技だったのか」
「さぁ?」と渡西は無表情を崩さない。いつか見た鷹のような鋭い目つきを残したままだ。
「ちょっと、ちょっと君。彼を誰か知らないのか?渡西警部、警部だよ?君がだれかは知らないですが、話を聞きにきたんでしょう。俺ら警察は話さないけれども、その態度はないんじゃないですか?」
「うるさい」
「うるさいってことはないでしょ。ちょっと君、ほんと何しに来たの?」
「決まってるだろ。自首しにきたんだ」
俺がそう言っても渡西は眉をピクリとも動かさず、俺を見据える。まるで分っていたかのような態度に、さらに俺は苛立ちを覚えた。
動かない渡西とは逆に若い男は「え?え?」と言ったあと、大きな声で、
「た、逮捕!」と叫んだ。
男が俺に飛びかかろうとしたとき、渡西が手を伸ばして制止させる。そんな冷静な態度のまま俺の前にゆっくりと歩いてきた。目の前まで来た渡西は俺が思っていたよりも背が高く、顔一つ分ぐらい違っていた。上から覗かれるように見られながら、
「いいのか?」と尋ねられる。俺は一歩引いて距離を取る。
「どういう意味だ?」
「お前には証拠がない。お前を疑っているのも俺一人だ。このまま何も話さなければ捕まることもないだろう。本当に自首するのか?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。渡西さん。こいつ自首しにきたんですよね。それをなんで帰そうとするんですか?」
「康太、少し静かにしてくれ。これは大事な話だ」
今度は男の方を威圧するように渡西が言うと、男はビクッと痙攣してから、「は、はい」と引き下がった。
「で、本当にいいのか?」
「いい」
「お前の人生、全てが変わる。お前の周りの人の人生も変わる。お前の親は一気に犯罪者の息子を持つ親になる。友達も同じだ。周りの人の人生を巻き込んでまでも、逮捕され、少年院に行くつもりか?」
逮捕されるのは、一人で責任を負うと言う意味ではないと、言葉の裏に言われている気がした。でも、俺は周りの人生を巻き込んでさえも、自分を見つめ直す機会がほしいと思った。またあんな夢を見てしまわないように、翔子と翔と仲直りできるように。夏凪に勝負の続きができるような資格がほしい。
「俺が、二木信也を殺しました」
渡西は目を瞑り、ゆっくりとうなずいた。再び目を開けたときはするどい眼光は消えていたが、飄々とした態度にもならず、一人の立派な男に見えた。
俺はずっと渡西が怖かった。人殺しの犯人だから、警察が怖いというのもあったが、それ以前に純粋な恐怖心があった。ふざけた調子の割に核心をつくような物言いや、現れてほしくないときに出てくるといったタイミングの悪さ。あえて出しているのか、隠しきれていない思慮深さ、全てが怖かった。
でも今では、俺は尊敬の念を抱いているのかもしれない。
「渡西さん、あの、状況があんまりつかめないんですけど」と若い男が口を出した。
「そもそも渡西さんは、あの高校生の事件の担当ですらないですよね」
「まぁな。でも気になることがあったから資料は盗み見させてもらったが」
「その、どうやって犯人が分かったんですか。あれはもう、俺らの中で迷宮入りしかけたんですが」
先ほど渡西が言っていたどおり、俺が自首しに来なかったら、逮捕されることはなかったというわけか。
「消去法だろ?」と俺は渡西に言う。
するとすぐに男は馬鹿にするように笑った。
「ははっ。消去法だなんて、そんなわけないじゃないですか」
「直己くんのいう通り。消去法だ。あの事件ではお前しか犯人になれるやつがいない」
「いやいや渡西さん嘘ですよね。だって渡西さん、検挙率がすごい高くて、皆からの、その、目標みたいな人なのに。そんな方法で犯人捕まえてるわけがないです。きっと推理してわかったんですよね?ですよね?」
渡西に過剰な期待をしていたのか、男は愕然とした表情で渡西を見ていた。そんな男に優しく渡西が説明していく。
「ふぅ。今回は完全に消去法だ。まず犯人は同性に限る。つまり男性だ。理由としてはトイレで殺されたからだな」
「そんなのわかんないじゃないですか。異性だってありえますよ。トイレの個室に隠れていたかもしれないですし」
なぜか追い詰められている犯人ように、康太が渡西に食いつく。今まで尊敬していた人物があまりにしょぼかったので、苛立ちを感じているのかもしれない。
「そうだな。だが第一に信也君が小便を済ましていることがわかった。男性の小便器周りには水溜りがあることが多い。とくに公園のではな。俺はまず水溜りにできた足跡と信也君の靴のゴムの形を照らし合わせた。そしたら見事一致した。第二に、信也君の身体の体勢だ。うつぶせの状態で入り口から個室の方を向いていた」
ここで渡西は一呼吸置いた。やはり切れ者だったみたいだ。男が驚きの表情を見せている。自分の推理を仲間内に話していなかったのだろう。
「女性が中に隠れていたなら、個室の中しかない。出てきたときに普通は気づいて外に出るか、警戒するだろう。ナイフを見えるように持っていたとしたら、外に逃げるに決まっている。出口に近いのは信也君自身だ。外からやってきたとしたら信也君の顔の位置は逆。切創が腹部にある時点で、洗面台付近で会話をしていた最中に殺されたと考えられる。そうなれば、同時、もしくは少し後から来た小便に来た男性しかないだろう」
渡西の言うとおりだった。俺は少し後から二木が入った公衆トイレにはいり、「おっ、奇遇だな」なんて言いながら用を済ますふりをした。そのあと手を洗いにいくふりをして鏡の前にいた二木に近づいて、殺した。
「犯人の候補は男性。親はまだ仕事中。残りは翔君と信也君の弟君たちと彼だ。翔君に話を聞きに行く前に、弟君たちと話すとどうもアリバイがある。残ったのは彼、直己くんだけだ」
「なるほど、でも、やはり消去法だけでは我々は動いてはいけないと思います。だって証拠がなければ」
渡西が言っていた証拠は悲しんでいないということしかなかった。他に証拠らしい証拠がなかったとはいえ、俺しか犯人になれる奴がいない。翔が俺が犯人だと気づいたのも消去法によるものだろう。翔はさらに自身が犯人ではないと言う情報もあった。直接訊いたきたこともあるが、二木の家でいきなり電気を消して俺の動揺を確かめていたりもした。そして俺が犯人だと気づくと、翔は渡西に俺の嘘のアリバイを言った。渡西には通じなかったが。
「証拠なんてね。必要ないんだよ。もっと大事なことがある。しっかりと状況を整理して判断すること。世の中には矛盾がないんだから。おかしいなと思ったら、そのおかしい理由を考えてみる。間違っているのは自分の中の考えだ。気付かないうちに大切なことに気づくヒントが通り過ぎている。俺らはいつだって目を光らせていないといけない。お前はまだ若い。だからまだ気づいていないかもしれないが、消去法で正解にたどり着くのが、正攻法なんだよ」
男は納得したのかしていないか、どちらともいえない表情でうなずいた。そんな男の肩を優しくたたきながら、「直己くんを連れて行ってあげてくれないか」と渡西が言う。
「あれ?ご自身で行かれないんですか?」
「さっき言っただろ。俺は人を待っているんだ」と言って渡西は最初のいた壁に戻り、背中を預けると、どこからともなく新聞を取り出して顔を隠すように読み始めた。
男は混乱した様子だったが、渡西から俺に顔を向きなおし、「では行きましょうか」と手を警察署のほうに向ける。
「はい」と俺は頷き、男の後をついていく。
渡西がさっき言っていた言葉が頭の中で鳴り響いていた。俺ももっと周りに目を光らせていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。俺が選んでしまったこの選択肢は俺が自分の事ばかりを考えていたせいだ。
二木信也のことを思い返した。昔は信也と呼んでいたのに、いつからか二木と呼んでしまっている。どうしてそうなったかも覚えていない。信也の顔を思い浮かべると、自然と涙が出てきた。この涙は俺が殺した亡き友への涙だと信じて、温かい雫が地面に落ちる前に優しく手で拭った。
終




