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疑惑

 日曜日の午後。


「普段着に寝間着……それに下着も。よし、一通りあるかな」


 耕作は運送業者から受け取った、二つの段ボール箱の中身を確かめ、呟いた。

 届いたのは、ミーコの新しい衣服である。


 ミーコにはこの日まで、耕作の服を着せていた。

 だがいつまでも、そうしている訳にもいかない。

 かと言って、耕作一人で少女の服を買いに行くというのもためらわれた。


 そこで結局、通販で購入することにしたのだ。

 現物を確かめられないので、サイズが合うのかが心配ではあったが。

 多少の差異は、やむを得ないところである。


 耕作の左隣には、ミーコが座っている。

 彼女は自分のために用意された様々な服を見て、年頃の少女らしく目を輝かせている。

 そのうちに、箱の中から衣服を引っ張り出し、身体に重ね合わせると、


「ね、ね、コーサクはどれを着てほしい?」


 と、満面の笑みで耕作に尋ねた。


「そのブラウスとスカート、ミーコが選んだやつだろ。まずそれを着てみたら?」


 耕作が言ったのは、黒と白を基調とした、上下揃いの服のことである。

 言葉通り、その服を選んだのはミーコ自身であった。


「うん」


 ミー子は頷き、立ち上がると、その場で服を脱ぎ始めた。

 耕作は慌てて部屋から飛び出し、扉を閉め、キッチンで待つことにした。

 そこでふと、あることを思い出し、ミーコに声をかける。


「ちゃんと下着も着るんだよ」

「忘れてたニャー!」


 ミーコの叫び声が響き渡った。

 どうやら図星だったらしい。


 一応昨日のうちに、ブラのつけ方をネットで調べ、教えておいたのだが。

 大丈夫だろうか。

 などと考えていた耕作の脳裏に、ミーコの下着姿が浮かぶ。

 彼は頭を振り、煩悩を追い払うことに専念した。


「入っていいニャ」


 十数分後。

 室内からミーコが声をかけてくる。

 耕作は、「お邪魔します」と場違いな言葉を発しながら、扉を開けた。


「おうっ……」


 部屋に入るなり。

 耕作は、めまいを起こしそうになっていた。


 ミーコは足を交差させ、スカートの裾を両手で持ち上げたポーズで、耕作を出迎えていた。

 今の彼女は服の色も相まって、まさに小悪魔めいた美しさを漂わせている。


「似合う?」


 ミーコは尋ねる。

 だが耕作の顔を見れば、返答は不要と言ってもよかった。

 年頃の少年少女が、生まれて初めて異性に告白する瞬間を迎えたとしても、ここまで赤面することはないのではないか。

 というぐらい、耕作の顔は赤かった。


「と、と、と、とても似合うよ」


 固まり、動かなくなった顔と口を、無理やりこじ開け、耕作は返答した。


「嬉しい!」


 そして喜んだミーコが両手を広げ、抱き着いて来た瞬間。

 今死ねたら、俺は本望かもしれない。

 と思っていた。





 数十分後。

 ミーコは今だに、床に並べた衣服を四つん這いになって眺め、はしゃいでいる。

 耕作はその様子を、ベッドに座って眺めていた。

 くつろいだ姿勢のまま、彼は声をかける。


「ミーコ、表に出たくはないか?」

「ううん」


 ミーコは下を向いたまま返答する。

 耕作は意外に思い、「本当に?」と、再度尋ねた。


「うん」


 ミーコの答えは変わらなかった。


 遠慮しているのかな、と耕作は思った。

 しかし彼女が元々、室内飼いの猫だったことを思い出し、考えを改める。

 縄張りの中にいるのが一番安心、という習性は変わっていないのかもしれない。


「コーサクは必ずここに帰ってくるし。コーサクが隣にいてくれれば、それでいいニャ」


 顔を上げ、晴れやかに笑いながら、ミーコは答えた。

 その言葉を聞いて、耕作は感動する。

 と同時に、ミーコに一つ、伝えておかなければいけないことがあるのを、思い出していた。

 両手を組み、口を開く。


「ミーコ、次の金曜日なんだけど」

「なに?」

「その日は帰るのが遅くなると思う。先に食事を済ませて、待っていてくれるかな」


 耕作の口調は、神妙なものだった。

 それを感じ取ったミーコは、正座で耕作に向き直り、口を開く。


「なんで?」

「人と会う約束があるんだ」

「……あの女?」


 ミーコの声には、ひどく冷たい響きがあった。

 女の直感の恐ろしさを、耕作は知る。

 かと言って、ここで嘘を言う訳にもいかない。


「そうだよ。河原崎さんに会うんだ」


 耕作はミーコに、初めて静音の名を伝えていた。

 ミーコの周囲に、冷気が漂い始める。


「そういえば聞いていなかったけど、そいつはどういう女なの?」


 ミーコの目は据わり、耕作の一挙手一投足を見逃さないように、全身を捉えている。

 耕作は背筋に冷や汗を流しつつ、説明を始めた。

 静音との出会い。

 彼女がどれだけ耕作のことを知り、心配してくれているのかを。


 耕作が話している間、部屋の中では、地震でも起きたかのように、家具が軋んだ音を立てていた。

 ただし先日と違って、激しく暴れ出すことはなかったが。


 耕作が話を終えると同時に。

 ミーコは可愛らしい口を開き、容赦のない言葉を吐き出した。


「コーサク、その河原崎とかいう女と会ったら駄目」


 その返答は、耕作も予想していた。

 姿勢を改め、ベッドから床へと座り直し、説得を始めようとする。

 しかしそれよりも早く、ミーコが畳みかけてきた。


「その女、怪しいニャ。とっても」

「怪しい?」


 予想していなかった形容詞が飛び出してきたので、耕作は戸惑う。

 一方ミーコは、正座のまま前に進み出た。


「なんでその女は、コーサクのことをそんなに知ってたのかニャ? 事故の日までほとんど接点がなかったのに、詳しすぎるニャ。こっそり調べていたとしても、耕作に全く気づかれずに済むとは思えないし。大体、そんなにコーサクに興味を持ってたなら、同じ会社にいるんだし、もっと早く会いに来てもおかしくないニャ」


 言われてみればその通り。

 耕作は、ぐうの音も出なくなってしまっていた。

 やや癖のある髪をかき回しながら、ミーコの言葉を心の中で反芻する。


 確かに、全てが始まったあの日。

 耕作が静音を事故から救ったあの瞬間まで、二人の接点は、ほぼ皆無だった。

 高嶺の花の令嬢と、一般庶民である。

 同じ会社に勤めているというだけで、そもそも住む世界が違うのだ。


 それにミーコの言う通り、静音が以前から耕作について調査を行っていたのなら、少なからず社内の噂にはなるだろう。

 耕作も噂を耳にするか、異変を感じるなりしたはずだ。

 だがそういった気配も、全くなかった。


 こんな簡単なことに気づかなかったとは。

 初めてまともに話せる女性、それも素晴らしい美人が現れたということで、有頂天になってしまっていたのだろうか。

 耕作はそう考え、己のうかつさに今更ながら舌打ちしていた。

 

 一方、ミーコの話はまだ続いている。


「それなのに、あの日から急に、盛りのついた泥棒猫みたいにコーサクにまとわりついてくるなんて、どう考えてもおかしいニャ。つまり、その女は」

「その女は?」


 ミーコは立ち上がると、文字通り耕作の目と鼻の先まで、顔を近づけた。


「操られてるか、洗脳されている可能性があると思う」


 ミーコの発言に対し耕作は、いくらなんでもそんなこと、と否定しようした。

 しかしミーコは、反論する間すら与えてはくれない。


「だって、それまでコーサクに一切かかわっていなかったのに、あの日を境に急変するなんておかしいニャ。神様か悪魔、どっちかにコーサクの情報を与えられて、感情なり意志なり、コントロールされてるとしか思えない」


 反論したいが材料がない。

 という状況に陥り、耕作も参ってしまった。


 静音との会話や、彼女の笑顔を、耕作は思い出す。

 あれが全て、本来の静音の姿ではなく、他者の作為の下にある、という考えは、耕作の気分を沈ませた。

 そのような残酷な所業、もはや悪魔にしかなし得ない、とすら思える。


 しかしその場合、ミーコを人間にしたのは神ということになる。

 逆もまたしかりで、双方とも悪趣味極まりない。

 耕作は、もし無神論者の楽園が存在するのであれば、そこに逃げ出したい、と思い始めていた。


 彼はそれからも、右手で自分の頭髪をかき混ぜ考えに沈んでいた。

 しばらくの後。

 ようやくと言った感じで、口を開く。


「なるほど、ミーコの言う通りかもしれないな」

「そうだニャ」


 ミーコは得意満面、という表情で、小さな胸を張ってみせた。

 だが、


「じゃあ、金曜日は必ず河原崎さんと会わないとな」


 という耕作の言葉を聞くと、顎を落とし、愕然とした表情を見せる。


「なんで!?」


 当然のように、抗議する。


「会って確認してみるよ。河原崎さんが、本人の意思で俺に関心を持ってくれているのかどうかを」


 耕作の声は、寂しげではあった。

 だがそこには同時に、強い希望の光も灯されている。


「どうやって?」


 ミーコは泣き顔と怒り顔を絶妙にブレンドした表情で、問いかける。


「直接聞いてみる。いつから俺に興味を持ってくれていたのかを」


 それが突破口になるのではないか。

 と、耕作は思っていた。

 以前、静音が話した言葉を思い出す。


 ――以前から、ずっと吉良さんのことを見てましたから。


 あの時は、それ以上聞かなかった。


 しかし改めて問いかければ、具体的な日時までは無理でも、耕作に好意をもった時期なら言えるはずである。

 その時からあの日に至るまで、静音の行動に矛盾点があるのかどうか。

 洗脳されて、急に耕作に好意を持ったのであれば、話の辻褄は合わなくなるはずだ。

 それを確かめれば、静音がミーコの言う通り、神か悪魔に操られているのかどうかについても、答えが得られるだろう。


 もっとも、記憶そのものまで書き換えられているとなると、やっかいではある。

 しかしそれでも、どこかに無理は出てくるはずだ。

 と、耕作は考えていた。


 耕作の説明を聞き、ミーコは尚、不満げな表情を見せる。

 涙まで浮かべると、耕作の両腕を掴み、説得を始めた。


「だとしても、そんな女ほっとけばいいニャ。かかわり合いになっても、コーサクがその女に取りこまれるだけだニャ」


 放っていい訳がない。

 と、耕作は思った。

 しかしミーコに伝えたのは、別の事柄だった。


「ミーコ、これはチャンスだ。もし河原崎さんが誰かに操られてるとしても、それを本人に自覚させられれば、きっと元に戻りたいと思うだろう。誰だって、自分が人形のように扱われるのは嫌だ」


 そのためには、静音の身に起こったことも含め、今回の事態について全てを話さなければならないだろう。

 それは耕作も覚悟していた。


 だがそれでも、静音が操られていることを認識し、そこから解放されることを望んでくれれば。

 事態を解決する糸口が、掴めるかもしれない。

 それに、少なくともミーコにとっては、ライバルがいなくなるのは悪い話ではないはずだ。

 耕作が告げると、ミーコも渋々納得していた。


「まあどちらにしても、天使なり悪魔なりを呼び出さなきゃいけないのは変わりない。できれば金曜日までにその方法を見つけて、河原崎さんに迷惑をかけずに解決できるといいな」


 耕作はミーコの頭を、帽子の上から撫でつつ、笑いかけた。

 ミーコはまだべそをかいていたが、耕作の声を聞き、安堵したように笑い返す。



 ――――――



 耕作の願いはかなわなかった。

 天使にも悪魔にも会えぬまま、彼は金曜日を迎える。


 もちろん、手をこまねいていたわけではない。

 耕作は怪しげな儀式や、呪文の類まで用いて、天使や悪魔を召還しようとした。

 それでも結局、天国の扉も地獄の蓋も、開かなかったのである。

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