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ミーコと話し合い

 耕作の人生の中で、最も波乱に富んでいたであろう一日は、終わりを告げた。


 翌日。

 少なくとも表面上は平穏に、朝を迎える。


「起きろ、ミーコ」

「ん……ンニャ」


 耕作は目を覚ましたが、ミーコは今だ爆睡している。

 ミーコは耕作の、彼女にはサイズが大きすぎるトレーナーを、半ばはだけながら着ていた。

 涎まで垂らしている彼女を、耕作は目のやり場に困りつつ、揺り動かす。


 ミーコは猫だった時は、かなりの早起きだった。

 目覚まし時計代わりに部屋中で鳴き叫び、耕作を起こすのが日課となっていたのだが。

 人間になり、その習性もなくなってしまったのだろうか。

 それとも昨夜の騒動で、疲れているだけだろうか。

 と、耕作は考えた。


 ミーコは寝ぼけ眼で、目をこすりながら起き出す。

 耕作は彼女の顔を拭いてやり、髪の毛を解かしながら――ちなみにうっかりして、猫用のブラシをそのまま使っていたが――尋ねる。


「どうだった?」


 ミーコは頭を横に振った。


「そうか、駄目だったか。ありがとう。じゃあまた、他の方法を考えてみよう」


 昨日の話によれば、天使と悪魔は共にミーコの願いをかなえるため、現れている。

 それならばと、耕作は昨夜、ミーコに頼みごとをしていた。

 天使と悪魔が現れますように、と、眠りに落ちるまで願い続けてもらったのである。

 だが残念ながら、試みは失敗したようであった。


「さすがに安直だったか」


 耕作は呟き、寝ぐせのついた自分の髪をいじくった。

 一方ミーコは耕作にしがみつき、首筋をこすり付けている。


 しばらくの後。

 耕作は彼女に声をかけた。


「ところで、ミーコ」

「なに?」

「昨夜言った通り、ちゃんとベッドで寝なさい」

「ニャ!?」


 耕作の部屋は、広さ六畳。

 壁際に一人用のベッドが置いてある。

 だがそこは現在、無人であった。

 二人がいるのは、部屋の中央に敷いた毛布の上である。


 ミーコは耕作から手を放すと、


「だって……」


 と、両手の人差し指を突き合わせ、上目遣いで抗議の眼差しを向けた。


 耕作は昨夜、ミーコにベッドを使わせるつもりだった。

 自分は床で寝ることにしたのだ。

 しかしミーコは、一緒に寝ると言い張った。

 耕作は彼女を説得し、さらに寝付く前、二度ほど自分のところへ忍び込んできたのを追い帰している。


 しかし結局目を覚ますと、耕作の隣にいた訳である。

 その姿を見て、耕作はため息をついていた。

 もっとも、「やっぱりこういうところは、猫の時と変わらないんだな」と、喜んでいたりもしたが。


「だってじゃありません。ベッドで寝ないなら、マグロの刺身、もう買ってこないぞ」

「ニャ!?」


 ミーコは可愛らしい口を開け、本気で驚いた表情を見せた。

 さらに大げさに手をついて落ち込み、泣き崩れる。


「うう……酷いニャ、コーサクと寝られないなんて。こんなことなら、人間にならなければよかった」


 この分だと、また今日も忍び込んでくるだろうな。

 と思いつつ、耕作は右手でミーコの頭を撫で、さらに話を続けていく。


「ひょっとして、天使や悪魔を呼び出すには、なにか条件があるのかもしれないな」

 

 それは半ば、独り言であった。

 しかし聞いたミーコも、頭をひねって考え出している。

 天使と悪魔が来た、あの時。

 周囲になにか、普段とは異なる状況はあっただろうか、と。


 考え続けるうちに。

 ミーコはふと、なにかを思い出したような顔を見せた。


「そういえばコーサク」

「ん?」

「天使や悪魔が約束を果たしたのなら、コーサクにはもう一人彼女ができているはずだけど」

「うん」


 耕作はミーコの頭を撫でる手を止めた。


「それが昨夜、電話で話してた女なの?」

「分からん」


 耕作の答えは、嘘ではない。

 確かに昨日起きた事柄から判断すると、静音がミーコの他に選ばれた、もう一人の彼女である可能性は高い。

 しかし、確信がある訳でもない。

 耕作からすると、そうであってほしくない、というのが正直な気持ちである。


 仮に再度天使と悪魔を呼び出し、話し合い、双方が引くという結論になったとする。

 静音がもう一人の彼女であれば、その時点で耕作との付き合いもなくなってしまうだろう。

 それを残念と思う、男としてのスケベ心は、耕作にも多分にあったのだ。


 彼は先日まで、女性と付き合えるなど考えてもいなかった。

 それなのに、随分と変わったものである。

 この欲深さというか単純さには、本人も呆れていた。


 とは言え耕作にしてみれば、ミーコは別としても、まともに話せる初めての女性なのだ。

 しかも美人だし、大人しやかだし。

 胸も大きいし……。


「むー」


 形の良い眉をゆがめ、不満そうに自分を見つめるミーコの視線に、耕作は気づいた。

 考えが顔に出ていたらしい。

 そう思い、やや慌てる。


「他にもそれらしい女がいるとか?」

「いや、そういう訳じゃないが」

「むー」


 ミーコは再び、不満そうに唸っていた。

 顎に白く細い指をあて、考えに沈む。


 数十秒後。

 彼女は、高らかに宣言する。


「とにかく、コーサクの周りに私以外の女は必要ない!」

「へ?」


 虚を突かれた耕作の前で、ミーコは決意を込め、言葉を続けていく。


「あの時私は、彼女って言葉がよく分からなかった。でも意味の分かった今なら、はっきり言える! 私の願いは、自分がコーサクの彼女になることだニャ!」


 そこで一拍の間を置くと、腰に手を当て、膨らみかけの胸を張った。


「だからなんとしても天使と悪魔をもう一度呼び出して、私以外のもう一人の彼女、という願いは取り消してもらうニャ!」


 なぜか自信満々と言った口調で、ミーコは話を終えた。


 耕作の考えは、当然ながら異なる。

 彼の最大の目標は、ミーコと悪魔が交わした、魂を渡すという約束を取り消すことである。

 そして、ミーコが今のままで良いとも思えない。


 人間のままでいれば、いつか誰かの目に留まるだろう。

 ミーコの存在が世間に知れれば、大騒ぎになるのは目に見えている。

 髪や目の色だけなら誤魔化しようもあるが、彼女には猫耳もある。

 身体検査をすれば、普通の人間と異なる特徴がどれだけ出てくるか分からない。


 マスコミに騒がれ、世間に弄ばれて。

 もみくちゃにされた挙句、神の御業ともてはやされ、どこぞの宗教に御神体として祭り上げられるか。

 逆に悪魔の悪戯と蔑まれ、魔女狩りにあうか。

 それは極端としても、真っ当な生活が送れるとは思えないのだ。


 ミーコを人間にしたのが悪魔なら、契約を取り消す。

 猫に戻るなら、それはそれでよし。


 しかし神が人間にしたとなると、ミーコの魂を悪魔に渡さない交渉と、ミーコの身体を改善する交渉の、同時進行になる。

 神と悪魔双方が相手となれば、ややこしくなるだろう。

 

 耕作はミーコに、まず天使と悪魔を呼び出し、どちらがミーコを人間にしたのかを確認した後、対応を考えよう、と提案してみた。

 ミーコにも異論はなかった。

 交渉相手を特定しなければならないのは、彼女も同じなのだ。


 それからどうするかは、その時の問題だ。

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