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天国にて。そして遠い遠い世界にて

 天国。

 人間界に生を受けた人々の、おそらくは大多数にとって憧れとなっている場所だ。

 途方もなく広いこの国では、人間だけでなく様々な動植物の魂が生活を営み、争いのない平穏な日々を送っている。


 当然ながら天国の運営を担う者、すなわち天使たちが住まい働く街も存在している。

 そこには白い壁と尖った屋根を持った、人間界の教会に類似した建造物が数限りなく並んでいた。


 街の中心部にはひときわ目を引く、巨大な建物がそびえたっている。

 それは建屋を幾重にも連ね、積み木のように複雑に組み合わせて築かれていた。

 城塞か、あるいは立体迷宮と見まがうような威容である。


 この建物こそが天国の中枢部であった。

 人間界で言えば国家元首の官邸といったところであろうか。

 そしてサラサの執務室もこの中にあった。

 

 とある日のこと。

 サラサは朝から自分のデスクに居座り、業務にあたっていた。

 他の天使たちから送られてくる数多くの報告に目を通し、時には眉をひそめ、時には頬を緩ませる。

 そして各々に指示を出し、問題の解決にあたらせていた。


 昼を過ぎた頃になって。

 サラサは待ち人の到着を秘書役の天使から告げられた。

 山と積まれていた書類を放り出し、部屋へ案内するよう命令する。

 ほどなくして扉が開き、天使が三人、中へ入ってきた。


 サラサは顔をほころばせて彼らを出迎えた。

 そして三人のうち一人だけを残し、他の二人と秘書役の天使に退室を促す。

 彼らが全員出ていくと、残った一人の天使に改めて挨拶をした。


「元気そうだな、ジーリア」

「貴女にはそう見えるのかしらね」


 憎まれ口が返ってきた。

 サラサは苦笑しつつ、ジーリアに来客用のソファーを勧める。

 ジーリアが腕組みをしながら勢いよくソファーに座り込んだのを見届けると、自席へ戻った。


「ずいぶんご機嫌斜めのようだな」

「当たり前でしょ。天国に帰るなり、罪人みたいに連行されて取り調べを受けて。それがようやく終わったと思ったら、今日まで自宅で軟禁状態……」


 ジーリアはつらつらと恨み言を続けた。

 サラサは律義に、逐一相槌を打っている。


「……やっと家から出られるようになったと思ったら、ここに来るまでも、さっきの二人がずっと監視していたし」

「あの二人は護衛だったはずだが」

「周囲に気を配るよりも私を見張っている時間の方が長い連中を護衛というんなら、辞書を書き換える必要がありそうね」


 話しているうちに、ジーリアは怒りを増幅させていたらしい。

 苛立たし気に床を蹴りつけるようにもなっていた。


 サラサは友人をなだめ始める。


「君は今回の事件に、天国の中で最も深くかかわっていた。と同時に、いささか過激すぎる手段をとってもいた。重要性と危険性の両面から見て、神様や最上級天使の皆様方からすると、そういう処置をとらざるを得ないんだろう」

「分かってるわ」


 ジーリアの返答を聞き、サラサは目を丸くする。

 さらに肩もすくめ、問いかけた。


「分かっているなら、そんなに怒らなくてもいいだろう」

「理屈で分かっていても納得しかねることがある、そういうことよ」

「例えば?」

「取り調べに来た連中は話を聞くだけで、私には一切、情報をくれなかったわ。調査はこちらでやるから任せておくように、の一手張りで」


 サラサは「さもありなん」とばかりに頷いていた。


 ……二人の、ここまでの会話から分かる通り。

 ジーリアは今日ここに来るまで、天国で半軟禁状態におかれていた。


 耕作とミーコ、それにベルゼブブまでが消えてしまった、あの日。

 ジーリアは耕作を探し続けた。

 静音の家だけでなく耕作のアパート、さらには彼が足跡を残していたあらゆる場所をも巡っている。

 だが結局、見つけられなかった。


 そこでやむを得ず、助力を得るために天国へ引き返した。

 すると待ち受けていた天使たちに取り囲まれ、この建物の一室へ連行されてしまったのだ。

 それからは延々と事情聴取を受け続けた。


 ジーリアからすると不愉快な事態である。

 だが耕作を見つけるためには天国の助力が必要だった。

 となると、ここで反発しても意味はない。

 彼女は不満を押しつぶし、取り調べには全面的に協力するようにした。

 知る限りの情報を進んで提供したのだ。

 その上で耕作の所在や、ミーコが七色の光を発したあの時、何が起きていたのかを尋ねている。


 だがしかし。

 それらの疑問に対する答えは、ただの一つも与えられなかった。


 ジーリアは怒り心頭に発した。

 とは言っても、暴発したところで事態が好転するはずもない。

 苦虫を数十匹まとめて嚙み潰しながらも、ジーリアは取り調べに協力を続けた。

 それでも結局、帰宅を許されるようになるまでは一か月もの時を要した。


 ところが家に戻ってみても、護衛という名目で天使が常に張り付いていた。

 行動の自由は無いに等しかった。


 一刻も早く耕作を探しに行きたかった彼女からすると、発狂しかねない事態である。

 しかしどうしようもない。

 焦燥と憤怒に塗れた日々を過ごしつつ、ジーリアは機会を待った。


 そして今日、ようやく機会が訪れる。

 サラサから招待を受けたため、一時的に外出を許されたのだ。


 サラサが溜め息をついた。


「なにしろ前代未聞の非常事態だったからな。調査が完全に終わるまでは、君にも真相を話すわけにはいかなかった」

「私は別に、真相になんか興味はないんだけど」


 吐き捨てるようにして、ジーリアは言った。

 そして飢えているかのような血走った眼差しをサラサに向け、問いかける。


「私が知りたいことは、ただ一つ。耕作さんはどこにいるの?」


 サラサは顎に手を当てた姿勢で考え始めた。

 やがて長髪をかき回し、躊躇いながらも口を開く。


「……まあいいだろう。事件は一応、決着している。当事者である君に隠しておく必要も、もうなくなっているからな」

「前置きは結構よ。それで?」

「相変わらず性急だな」


 サラサは呆れたように呟いた。

 それでもすぐに毅然とした態度を取り直し、話し始める。


「吉良耕作と、それに君が言う化け猫だが……」

「……」

「彼らはどこにも存在していない」

「え?」


 空気が一瞬にして凍り付いた。

 ジーリアの肌は蒼白に染まり、黄金の髪も白銀へと変じていた。

 組んだままの両腕も、わずかに震えていた。


 ジーリアの、絶望を露わにした様子を見て。

 サラサは慌てて言葉を付け足した。


「ジーリア、彼らは死んだんじゃない。存在していないんだ」

「……どういうこと?」

「彼らの肉体も、それどころか魂さえもが消えてなくなっている」


 人間界だけではない。

 天国と地獄も含めた全ての世界から、耕作とミーコの存在は消えてしまっていた。

 細胞の一個、魂のひとかけらさえもが無くなっている。

 サラサはそう説明した。


 ジーリアは恐怖と困惑に支配された頭で、なんとかサラサの言葉を理解しようと努めていた。

 やがて眼を見開き、声を上げる。


「ということは、まさか……!」

「その通りだ」


 サラサは机の上で両手を組んだ。

 落ち着いた声で事実を告げていく。


「彼らは、我々がいる世界とは異なる次元、別の世界へ転移した。そうとしか考えられない」


 その言葉を聞き。

 ジーリアはうめき声をあげ、歯ぎしりをした。

 ガラス細工のように完璧な美貌を歪めながら、彼女は考える。


 あの時ミーコが発揮した、最後の種の力。

 それは耕作ともどもこの世界から飛び出し、別の世界へ転移する能力だったのだ。


 神とサタンが対立し支配するこの世界から抜け出せれば、ミーコはあらゆるしがらみや宿命を断ち切れる。

 天国も地獄もなく、耕作と共に生きていけるだろう。

 それを可能とするために、種は力を発揮したのだ。


 サラサが再び口を開いた。


「正確に言えば、もう一つ可能性がある」

「別の世界に転移した、それ以外にどんな可能性が?」

「あの化け猫は、新しい世界そのものを作り出したのかもしれない」


 ジーリアは絶句した。


 新しい世界を作り出す。

 そんなことができるのはこの世でただ一人、神しかいないだろう。

 絶大な超能力を発揮する種と言えども、いくらなんでも不可能なはずだ。

 と、ジーリアは反論した。


 サラサは両腕を開き、頭を横に振った。


「化け猫が消えてしまった以上、調査に限界はあった。だが、あの場において発生した魔力が計り知れないものだったことは間違いない」


 それは、新たな世界が作り出されたとしても不思議ではないほどのものだった。

 サラサはそう告げると、さらに言葉を付け足した。


「ベルゼブブは化け猫の至近距離にいたからな。時空のひずみに巻き込まれて、引き裂かれてしまった」

「ああ、そうなの」


 ジーリアはあっさりと答えていた。

 ベルゼブブの生死については、全く興味がないらしい。


 サラサは鼻白んだが、それでも説明を続けた。


「だが、あいつは生きている」

「……? まさか、あいつも耕作さんの所へ?」


 ジーリアの声音が、一転して剣呑なものとなった。

 眼も剃刀のように冷たく光っている。


「いや、あいつはこの世界にいる。身体を滅ぼされる寸前、ベルゼブブは危機を察したのか転生の術を使ったんだ」

「あの状況で?」


 ジーリアもさすがに唖然とし、問い返した。

 サラサは頷く。


「そうだ。だが咄嗟のことだったので、完全な転生は無理だった」


 ろくに準備もせずに転生を強行したのだ。

 ベルゼブブは今や、力のほとんどを失ってしまっていた。

 地獄に巣くう、小さな蠅となってしまったのだ。


 もっともしぶとい男なので、いずれ大魔王としての力を取り戻すかもしれない。

 ただそれには、何百年、何千年という歳月が必要となるだろう。

 と、サラサは説明を終えた。


 ジーリアはサラサの話をやはり興味なさげに聞いていた。

 だが、何か思い至る事があったらしい。

 突然表情を険しくして、ソファーからも立ち上がった。


「どうした?」


 驚いたサラサの問いかけにも、ジーリアは答えない。

 白く細い手を顎に当て、沈思している。

 かなり長い間、その姿勢を保った後。

 ジーリアはサラサに向き直った。


「ベルゼブブの種は、まだ十粒以上のこっていたはず。それはどうなったの?」


 サラサは即答しなかった。

 口と眉を歪めて渋い顔を形作り、手で頭を押さえ、考え込んでしまった。

 そして、こちらも長い時間をかけた後、静かに声を発した。


「聞いてどうするんだ?」

「……今後も天国にとって脅威になりかねない物よ。どう扱うのかについて興味を抱くのは当然でしょ?」


 ジーリアの返答を聞いても、サラサの思い悩む様子は変わらなかった。

 腕組みをして口をへの字にし、天井を見つめている。

 それでも、ようやく踏ん切りがついたらしい。

 友人を見つめ直し、明快に答えた。


「種は全て回収した。今は二度と世に出たりしないよう、封印している」

「封印? どこに?」

「それは私も知らない。所在を知っているのは神様と、サタンだけだ」


 ジーリアが息を呑む音が、サラサの耳にまで届いた。

 サラサは淡々と事情を説明していく。


「なにしろ世のことわりを覆しかねない物だからな」


 種の力は危険極まりない。

 従って誰の手にも渡してはならない。

 天国の支配者である神と、地獄の王たるサタンは、同じ結論を下していた。

 そこで両者は極秘裏に会い、協力して種を封印したのだ。


 封印する際には誰も立ち会っていない。

 どこへどのようにして封じられたのかを知る者は、この世に神とサタンの二人だけである。

 と、サラサは話を終えた。


 ジーリアはしばらくの間、口元に手を当て、暗く殺気だった眼差しで宙を見つめていた。

 やがて肺が空になるのではないかというほどに、大きく息を吐き出した。

 腰に手を当て、口を開く。


「分かったわ。もう私から尋ねることはなさそうね」

「そうか、じゃあ私からの伝達事項だが……」

「伝達事項?」


 さも意外そうにジーリアは問い返した。

 サラサは久方ぶりに苦笑を浮かべる。


「いや、君を呼び出した本題はこちらなんだが」

「そうだったかしら?」


 ジーリアは、白々しいまでにとぼけた口調でまたも問い返した。

 サラサは呆れたものの、それでも咳ばらいを一つすると、姿勢を正して告げた。


「後日、正式な通達が届けられると思うが、君への処分が決まった」

「処分ね。天国から追放でもされる?」

「そんなことはない。君が退治しなければならなかった化け猫は、この世から消えている。従って君が使命を果たすのも不可能になってしまった」


 だからジーリアが使命を全うできなくなっても、止むを得ない。

 事件の原因となった種も回収された。

 種の能力、危険性も十二分に分かった。


 さらに言えば天国と対立する地獄、その実力者であり、事件を仕組んだ大悪魔ベルゼブブは力のほとんどを失った。

 この功績は大きい。

 天国からすると差し引き大きなプラスと言えるだろう。

 これらが全てジーリアの功績となれば、彼女は追放どころか称賛されてしかるべきである。


 だが。


「とは言っても、君がそうなるように仕向けた訳でもない。選んだ手段も過激すぎた。ということでジーリア、君にはもうしばらくの間、自宅で謹慎してもらう」

「分かったわ」


 さばさばとした口調でジーリアは答えた。

 さらにもう用はないとばかりに帰り支度まで始めている。


「もう帰るのか?」

「貴女も忙しいんでしょう? 邪魔したら悪いもの」


 語りつつ、ジーリアは早くも踵を返しかけていた。

 サラサが、思い出したように声をかけてくる。


「そういえば、河原崎静音の魂なんだが」

「なに?」

「生き返ったことも人間界で起きたことも覚えていないようだ。今は平穏無事に暮らしている」

「そう」


 ジーリアは、これまた全く興味なさげにこたえた。

 扉を出るところでサラサに振り返り、声をかける。


「久しぶりに話せて楽しかったわ。ありがとう、サラサ」

「私もだ。謹慎が明けたら祝杯を上げよう」


 サラサの提案を聞いたジーリアは、今日はじめて、にこやかに微笑んだ。

 しかし声に出しての返答はせず、扉を開ける。

 待機していた護衛が二人、すぐに彼女の両脇に立った。

 ジーリアは左右を冷たく一瞥すると、無言のまま廊下を進んでいった。


 友人の後ろ姿を見送った後。

 サラサは部屋の中で独語した。


「あの様子では……やはり黙っているべきだったかな。まあ、隠したところでいずれは知れてしまっただろうが」


 サラサは悔やんでいた。

 原因は、種が封印されたことをジーリアに話してしまったという、その点にあった。


 サラサは予測している。

 ジーリアは謹慎が明け次第、種を探し出そうとするのではないか、と。

 種を手に入れ、ベルゼブブと同様の改造を施して強力な魔道具に変貌させる。

 そしてその力で時空を超え、耕作の元へたどり着くつもりなのだ。


 種の所在は神とサタンしか知らない。

 二人に口を割らせるなど不可能だし、自力で見つけ出すのも至難の業だ。


 だがそれでも、ジーリアはやるつもりだろう。

 どれだけ時間がかかろうとも。

 それこそ何百年、何千年。

 いや何万年かかっても、種を見つけ出そうとするだろう。


 天国と地獄、双方を敵に回すことになっても構わないとすら思っているはずだ。

 ジーリアの愛はそれほどに深く、そして狂気に満ちている。


 サラサには、友人の恋が成就してほしいと思う気持ちはあった。

 だからと言って暴挙を見過ごすわけにはいかない。

 謹慎が明けた後も監視の目は緩めないよう、最上級天使たちに進言しなければならないだろう。


 ……いや、ひょっとしたら。

 ジーリアは謹慎中を良いことに、種を見つける計画を既に練り始めているかもしれない。

 帰り際のそそくさとした様子からすると、そう考えて間違いないだろう。


「困ったものだ」


 過激きわまりない性分の友人に頭を痛めながら。

 だがサラサは、羨ましくも思っていた。


「そんなに誰かを愛せるというのは、それはそれで素晴らしいことだ。私にはそんな経験がないからなあ……」


 呟くと、最上級天使たちへの上申書をまとめ始める。

 その間も、彼女は何とはなしに溜め息をつき続けていた。



 ――――――



「コーサク」

「なんだい、ミーコ」

「ここ、どこだろうね」

「うーん……」


 耕作は呟くと、顔を上げて周囲を見回した。


 視界には、みずみずしい草花で覆われた緑の大地が、果てしなく広がっている。

 かなたには広い森のような場所と、なだらかな丘陵も見えたが、それがどれほど遠方にあるのかは見当もつかなかった。


 耕作は今、草原の上で寝ころんでいる。

 右隣にはミーコがいて、耕作に全身を絡ませていた。


 彼女からはどんな花々よりも甘く、それでいてどこか猫を思わせる香りが流れてくる。

 布地越しでも分かる柔らかく温かな柔肌の感触は、耕作に安心と昂奮という、相反するものを与えてくれていた。


 鳥のさえずりを聞いたような気がして、耕作は目を上に向けた。

 つがいであろうか、二羽の鳥が視界を右から左へ横切っていった。

 陽光を全身に受け、したたるような草と土のにおいをかぐ。

 休日にピクニックにでも来たかのような平和な情景が、時の経過にかかわらず、いつまでも続いていた。


 だが、しかし。

 耕作はこの場所が、もともと居た世界ではないことを知っていた。

 ここは断じて日本でも、それに地球ですらない。

 確信を持って言える。

 それは当たり前のことだった。


 耕作は再び、上空に目をやった。

 そこには太陽があった。

 丸く大きく、とても目を開けてはいられなくなるほどの光を放つ太陽が、空に浮かんでいる。

 一見するとそれは、地球でよく見かける、ありふれた光景と言えるだろう。


 だが、その太陽は双子だった。

 二つの大きな輝きが距離を開けて並び、左右から耕作たちへ光の粒子を降り注いでくる。

 こんな光景、地球で見られるはずもない。


 あの日、あの時。

 ミーコから七色の光が発せられた、その瞬間を目にした後。

 そこで耕作の記憶は途切れていた。

 急激に深い眠りに落ち、目覚めたと思えばこの場所で寝ころんでいたのだ。


 耕作の服や身体は以前のものと変わりない。

 スーツを身にまとい、身体も五体満足なままだ。


 ミーコの姿にも異常はなかった。

 お気に入りのブラウスとスカートを着て、こちらも傷一つなく、美しく可愛らしい姿を保っている。


 ここはどこなのだろうか。

 ミーコの問いかけは当然のものともいえた。

 耕作はその答えを知らない。


 だが、その一方で。

 彼は一つ、己にとって間違いのない事実に気づいていた。

 それをミーコに告げるため、口を開く。


「ここがどこかは分からないけど」

「ニャ?」

「どこでもいいんじゃないかな」

「……そうだね」


 ミーコは嬉しそうに呟き、首筋や頬を耕作に擦り付けてきた。

 耕作は彼女の頭を撫で、考える。


 ここがどこかは分からない。

 自分たちの他、人が居るのかも分からない。

 この先どうなるのかも、全く分からない。


 だがそれが、どうだというのだ。

 ここにはミーコがいる。

 彼女がいてくれれば、他には何もいらない。

 何が起きても大丈夫。


 なぜなら。

 耕作の幸せは、ミーコの幸せ。

 ミーコの幸せは、耕作の幸せ。

 そして二人は、愛し合っているのだ。


 共にいる限り、どこに行っても二人は幸せでいられる。

 こんなに素晴らしいことはない。


 耕作の目から、自然に涙がこぼれてきた。

 ミーコに見つからない様、それをそっとぬぐう。

 そして今も自分に甘え、愛情をぶつけてくる少女を見つめた。

 黄色と青の、どんな宝玉よりも美しい瞳が、いつものように信頼と愛情に満ち溢れた視線を返してくる。


 ミーコに微笑み返し、彼女の長い髪に優しく触れながら。

 耕作は考える。


 回り道をしすぎてしまった。

 その為に、無用な悲劇も引き起こしてしまった。

 この点については悔やんでも悔やみきれない。

 

 だが、それでも。

 ようやく見つけた幸福を手放したくはない。

 そしてミーコを誰よりも幸せにしてあげたい。

 死がふたりを分かつまで……いや、永遠に彼女のそばに居たい。

 これが自分の、嘘偽りのない本当の気持ちだ。


 自分の望みをかなえるために。

 ミーコの幸福を実現するために。

 必要な言葉を、耕作は告げる。


「ミーコ」

「なに?」

「愛してるよ」


 やっとたどり着いたこの場所を、永遠の楽園にするために。

 いつまでもどこまでも、ミーコを愛し続けよう。


 耕作はその言葉を、心に刻み込んでいた。





 ――――――完――――――

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