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猫は人につく 二

 静音は扉を無感動な目で見つめていた。

 加藤の気配が遠ざかると顔を再び般若に変え、ミーコへ向き直る。


「最悪だわ。薄汚い、どんな病気を持っているかもしれない捨て猫が私の部屋に上がり込むなんて。消毒ぐらいじゃ駄目ね、壁と床板を張り替える必要があるわ。とりあえず、さっさと出て行ってくれる?」


 軽蔑心と嫌悪感に満たされた、痛烈な言葉であった。

 しかしミーコが引くはずもない。

 髪を逆立て牙を剥きだし、鬼面をあらわにして、吠える。


「コーサクを騙して連れこんだくせに、なに言ってんだこの乳バカ!」


 発言の内容は、子供の口喧嘩と大差ない。

 だが裏に込められた殺気は半端ではなかった。

 実際、ミーコの周囲では冷気が渦を巻き始めている。

 部屋中に散乱していた凶器も、再び浮上を始めていた。


 間違いない。

 ミーコは静音を殺す気だ。

 耕作は悟り、戦慄した。


 ミーコと静音、どちらが傷つく姿も見たくはない。

 二人を戦わせる訳にはいかない。

 衝動の赴くまま、ミーコに声をかけた。


「ミーコ、ちょっと待て!」

「なに?」


 ミーコは険しい表情を崩さずに、耕作に顔を向けた。


 一方、耕作はというと。

 言葉に詰まってしまっていた。

 声をかけたはいいが、それからどうするかについては考えていなかったのだ。

 この期に及んで、対策を考え始める。


 どうしたものか。

 何を話せばいいのだろうか。

 喧嘩はやめろ、などと言ったところでミーコが大人しく引き下がるはずもない。

 なにか良い方法はないだろうか。


 沈思する耕作に、ミーコが訝し気な視線を向けてくる。

 耕作は焦った。


 まだ考えはまとまっていない。

 それでも行動しなければならない。

 全面的な解決は後回しにして、まずはミーコを落ち着かせよう。

 冷静に話すきっかけを与えるべきだ。

 決断し、口を開く。


「そうだ、俺がここにいるってどうして分かったんだ?」


 とっさに思い付いた質問ではあったが、これは有効だった。

 ミーコだけでなく、静音にも変化が現れたからだ。


 静音もミーコ同様、激昂していた。

 今にもミーコに襲いかかるような勢いだったのだ。

 しかし耕作が問いかけた後は、腕組みをして、ミーコの返答を待つようになっている。

 耕作の質問は、静音も疑問に思っていたところなのだろう。


 そしてミーコはというと。

 耕作に質問されて一瞬、目を丸くした。

 それからすぐに成長途中の胸を張ると、得意満面な顔をも見せる。

 そして右手の人差し指を耕作に向けた。


「コーサクが持っているスマホの位置情報を調べたんだニャ」

「……へ?」


 予想外の答えを聞き、耕作は間の抜けた声を漏らしてしまっていた。

 数瞬の後。

 今度は、驚きの声を上げる。


「スマホの位置情報って、いつの間にそんなものを調べられるようになったんだ!?」

「ネットで覚えた」


 ミーコは腰に手を当てて平然と、かつ得意気に答えた。

 耕作は髪をかき回し、天を仰ぐ。


 ミーコの学習能力を甘く見ていた。

 人間になってからのわずかな期間で、そこまでパソコンやインターネットを扱えるようになっていたとは。

 そのおかげで今回、一時的に助かったとも言えるのだが。


 でもそうなると、スマートフォンの履歴なども密かに調べているかもしれない。

 これから先、下手な隠し事などはできなくなるだろう。

 そういえば最近、お気に入りだった成人向け動画サイトにつながらなくなっていたが、あれもひょっとして……。


 などと、耕作がくだらないことで頭を悩ましている間に。

 ミーコの怒りが再燃した。


「コーサクの帰りが遅いから調べてみたら、おまえが家に連れ込んでたとはニャ! よくも騙してくれたなこの乳バカ!」


 ここが静音の家だというのもインターネットで調べたのだろう。

 それを知った時ミーコはどれほど怒り狂っただろうか。

 八つ当たりで、自分のアパートもこの部屋に負けず劣らず破壊されてしまったかもしれない。

 耕作は荒れ果てた我が家を想像し、片手で頭を押さえた。


 その間にもミーコと静音の舌戦は激しさを増している。

 

「私が貴女を騙した? いつ? どこで? 人聞きの悪いこと言わないでくれる?」

「乳に栄養とられすぎて記憶もなくなったか? 話をするのは日曜だったはずだニャ!」

「日曜に約束はしてたわね、それは確かよ。でもそれまでの間こーくんを誘わない、なんて約束はしていないけど? さすが捨て猫、頭の出来が最悪ね」


 お互いが火に油を注ぎ合っている。

 二人の怒気は今や業火と化していた。

 耕作もそれを察した。

 場を収めるため、再びミーコに声をかける。


「ミーコ!」

「なにかニャ?」

「えー……で、俺の居場所が分かって、どうやってここまで来たんだ?」


 耕作のアパートから静音の家までは、相当な距離がある。

 歩いてくるのは、一晩かかっても無理だろう。

 かといってミーコが普通の交通手段を使うとは思えない。


 インターネットでタクシーを呼ぶぐらいはできるかもしれない。

 だがミーコは包丁を含む大量の凶器を持ち出しているのだ。

 そんな客を見ればドライバーも警察に通報するだろう。

 服の中に隠すにしても、限界がある。


 と、耕作は疑問に思っていたのだが。

 ミーコの答えは、彼の想像できる範疇をはるかに超えていた。


「飛んできた」

「……は?」


 ミーコは何を言っているのだろう。

 耕作には、彼女の言葉が理解できなかった。

 ミーコもそれを悟り、もう一度、答えを繰り返す。


「飛んできたんだニャ」


 そうか、飛んできたのか。

 二度も同じ言葉を告げられて、さすがに耕作も理解した。

 同時に、大声で別の疑問を口にする。


「……どうやって!?」

「こうやって」


 答えるやいなや。

 ミーコはふわりと、身体を浮き上がらせた。

 二メートル近くも上昇し、その場で滞空する。

 それから気持ちよさそうに宙で一回転し、着地した。


 跳び上がったのではない。

 宇宙遊泳のように、空間を華麗に舞ったのだ。

 耕作は口をぽかんと開けてその様子を眺め、今度は完全に理解した。


 そうか。

 物体を操る能力を自分の身体に使ったのか。

 よく考えたらさっきも窓から飛び込んできたのだ。

 驚異的な身体能力で猫のように壁を駆け上がってきたかと思っていたが……。


 考えてみればミーコの超能力は、冷蔵庫や自転車を含む様々な物体を同時に操れるほど強いものなのだ。

 身体を操るのも簡単だろう。

 ただ漫画などでは「超能力者は自分に対してはその能力を使えない」という設定がお約束になっている。

 だからミーコもそうなのだろうと思い、盲点になってしまっていた。


 それに自分のアパートから静音の家まで、長距離を移動させられるだけの能力があるとも思っていなかった。

 初めて超能力を使った時は、包丁一本を動かすのが精いっぱいだったのだ。

 やはりミーコの学習能力と成長速度を甘く見ていた。

 と、耕作は反省した。


 しかし、そうだとすると……。

 耕作は胸に、新たな危機感を抱いた。 


「ミーコ!」

「なになに?」


 耕作の呼びかけに、ミーコは目を輝かせて応じた。

 笑みまで浮かべている。

 質問に答えるたび耕作が驚いてくれるので、嬉しくなってきたらしい。


 ミーコの楽し気な様子を見て。

 耕作もホッとした気持ちになっていた。

 どうやら怒りも収まってきたらしい、と。


 ただそれはそれとして、言わねばならないことがある。

 耕作は厳しい声で問いかけた。


「飛んできたって、そんなことしたら大騒ぎになるだろ!」

「大丈夫だニャ」


 ミーコはまたしても胸を張り、鼻を鳴らしてみせた。

 自信満々。

 といった態度を見て、耕作も安心しかける。

 だが、


「誰かに見られても大丈夫なように、あれをかぶってきたから」


 と、ミーコが毛布を指さして答えたので、すぐに頭を抱えうなだれてしまった。

 愕然としつつ、考える。


 なるほど、あの毛布はそのために持ってきたのか。

 確かにあれなら、ミーコの身体は隠せるだろう。


 だがそもそも、空を飛ぶ毛布、などという存在自体が異常なのだ。

 そんなものが耕作のアパートから静音の家まで遠距離を飛んできたとは。

 深夜とはいえ首都圏の上空を、である。

 おそらく、相当な数の人々が目撃しただろう。

 今頃は大騒ぎになっているはずだ。


 この家にも人が押しかけているかもしれない。

 河原崎家の本邸ともなればセキュリティは高いだろうし、加藤たちもいる。

 だからマスコミや野次馬がこの部屋までやってくるようなことはないだろうが。

 かといって、一晩やそこらで騒動が収まるとも思えない。


 静音も耕作と同様の考えを抱いたらしい。

 歯ぎしりをし、ミーコを罵倒した。


「余計な騒動まで持ち込んでくれたみたいね。この捨て猫が!」


 ミーコも静音に向き直った。

 顔を、耕作に向けていた楽し気なものから一変させる。

 牙を剥きだし目を見開き、鬼面をあらわにして咆哮する。


「心配しなくても、こんな淫臭まみれの部屋すぐ出て行ってやる! コーサクを連れて……そしておまえを殺してからな!」

「出ていく必要は、もうないわよ。貴女の身体を、薄汚い髪の毛一本も残らないように踏み潰して、存在自体を消し去ってやるから!」


 二人の罵り合いを聞き。

 耕作は失敗を悟った。


 先にも述べた通り。

 耕作はミーコの笑顔を見て、彼女と会話しているうち、どこか安心してしまっていた。

 わずかながらも、日常に戻ったような気分になってしまっていた。

 そして、ミーコの怒りも収まりつつある、と思ってしまっていたのだ。


 だがそれは誤りだった。

 ミーコの怒りはいささかも衰えていなかった。

 とっくの昔に沸点を突破したまま、溶岩のように煮えたぎり、爆発を続けていたのだ。


 静音も同様であった。

 むしろ彼女の場合、耕作とミーコの仲良さげな様子を見させられて、怒りはより増していたかもしれない。


 二人は常に臨戦態勢で、いつでも戦端を開けるよう備えていた。

 ところが耕作は安心してしまっていた。

 そのため二人に比して行動が、一歩おくれる。


「二人とも、待っ……」


 耕作の声は発生した冷気の竜巻と、宙を乱舞する凶器の激突音に、かき消されてしまう。

 子猫と令嬢はすでに戦いを始めていた。

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