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彼女達の事情 一

 静音が、待ちきれない、とばかりに耕作へ駆けよっていく。

 彼の目の前で立ち止まると、夜空に響き渡るほどの元気な声で挨拶をした。


「いらっしゃいませ、こーくん!」


 彼女の所作には、全く悪びれたところがない。

 耕作も毒気を抜かれてしまっていた。

 それでも彼は咳ばらいをした後、厳しい表情で口を開いた。


「しーちゃん。約束したのは日曜じゃなかったかな」


 わざと不機嫌な声を出し、静音を問い詰める。

 ところが彼女は、耕作の不快気な様子も全く気にしない。

 ほがらかな態度を崩さず、平然と答える。


「もちろん、分かっているわ」

「へ?」


 予想外の返答に、耕作は間の抜けた声を出してしまった。

 その間に静音は畳みかけるようにして、自分の考えを述べ始める。


「日曜には約束通りこーくんと、それにあの子とも会うつもり。でもその前に、こーくんと二人きりで話をしたかったの」


 あまりと言えばあんまりな発言に、耕作は唖然とした。


 静音の言い分はどう考えてもおかしい。

 だが反論したところで、彼女は受け入れないだろう。

 それに今ここで口論しても、何の意味もない。

 無駄に時間を消費するよりは、話を先に進めるべきだ。


 耕作はそう考えた。

 ため息をつきつつ、二人きりで話したい理由を静音に問いかける。

 彼女は有無を言わせぬ口調で答えた。


「あの子が傍に居たら、こーくんは気を使っちゃう。そんな状況で冷静に考えられるはずもないでしょ?」


 残念だが一理あるかもしれない。

 と、耕作は思った。

 本人も自覚しているが、彼はミーコに対し、とことん甘い。

 ミーコが隣に居る状況では、彼女にとって厳しい決断を下せるはずもないのだ。


 しかし静音の要求を受け入れれば、彼女の話だけを、一方的に聞かされることになる。

 ミーコは同席していない以上、反論できないのだ。

 それは公平ではないし、真っ当とも思えない。


 だが今の状況では、静音の要求を断り切れるはずもない。

 ではどうすればよいか。

 耕作は考え、すぐに結論を導き出した。


 静音の要求は受け入れる。

 これから彼女と、二人きりで話し合う。

 だがその際、自分はミーコの代理人という意識も持って意見、判断する必要がある。

 なによりもまず、ミーコの身を第一に考えるのだ。

 それを心に刻んでおけば、静音に何を告げられたとしても、バランスは保てるはずだ。


 彼は決心し、口を開いた。


「分かった。そこまで言うなら、しーちゃんの話を聞くよ」

「本当に!?」

「ああ」


 静音は飛び上がって喜んだ。

 さらには勢いのまま、耕作に抱きついてくる。


「しーちゃん、ちょっと! ほら、人が見てる!」


 耕作は眼前に居並ぶ、静音の使用人たちと思しき集団を身体で指し示した。

 彼らは全員、顔をうつむけたり他所を向いたりしながら、反応に困ったような顔をしていた。


 静音もすぐ、その様子に気が付いた。

 名残り惜しそうにしながらも、耕作から離れる。

 しかしやっぱり我慢できなかったのか、両手で耕作の右腕をからめとった。

 それから引っ張るようにして彼を家の中へ連れて行く。


 使用人たちが二人に道を開け、一斉に礼をした。

 耕作は彼らのうち、一人の大柄な人物に目を向ける。


「あの人は、たしか加藤さんと言ったかな」


 かつて耕作を助けた女丈夫の姿が、そこにあった。





 耕作は応接間に案内された。

 とんでもなく広いその部屋には、高級そうな家具や調度品が数多く置かれていた。

 とは言っても、成金趣味にありがちな目もくらむような派手さはない。

 耕作のような一般人にも落ち着きと居心地いい雰囲気を与えてくれる、品の良いものばかりであった。


 彼は今、テーブルを挟んで静音と対している。

 コーヒーを運んできた女中が退室すると、部屋の中には二人だけが残された。


 静音が優雅な所作でコーヒーを口にする。

 出来栄えに満足したのか、耕作にも勧めてきた。

 耕作は誘いを断る。

 さらには雑談にも付き合おうとせず、目的の話を切り出した。


「しーちゃん。この前の話だと、俺の魂が汚れて取り返しのつかないことになっている、しかもその原因はミーコにある、ということだけど」


 誘いを断られ、静音はやや頬を膨らましていた。

 それでも耕作が話し終えると、すぐに表情を改め、真剣な顔つきになる。


「うん。……こーくん、これから話すことは、まぎれもない事実なの。だから落ち着いて聞いて」

「分かった」


 耕作は頷いた。

 静音は一拍の間を置いた後、話し始める。


 およそ二週間前。

 静音の身体を支配していた天使――ジーリアはミーコと戦い、傷を負わされ、この家に引き上げた。

 しばらくすると彼女の前に、サラサと名乗るもう一人の天使が現れた。

 そしてジーリアに次のような報告を行った。


 ミーコは悪魔の力で妖魔と化している。

 そのため契約が終わろうが終わるまいが、いずれは地獄に落ちる。


 耕作もまた、妖魔の影響を受けてしまっている。

 彼の魂はすでに汚れており、天国では受け入れられない。

 彼もまた、いずれは地獄に落ちるのだ。

 そして耕作とミーコが地獄で再会する可能性は、皆無に近い。


 静音が語った内容は、以上である。

 ……千里眼や順風耳の能力を持つ者であればすぐに分かっただろうが、この話には嘘が含まれていた。


 まず、耕作の魂が汚れた理由についてである。

 これは正確には、彼がミーコに惹かれたがためなのだ。

 しかし静音はそれを伏せ、ミーコに全責任があるかのように話していた。


 続いて将来、耕作とミーコが地獄に落ちた時の状況についてである。

 二人が再会できなくなるのは、契約が完了していた時なのだ。

 極端な話、契約が終わる前に二人で心中でもすれば、状況は変わってくる。


 その場合、魂は同時に、同じ場所から地獄に落ちる。

 従って地獄で再会する可能性も、低くはあるが、皆無という訳ではない。

 そのうえで二人ともに同じ悪魔の手に落ちれば、一緒に居られる時間も長くなるだろう。


 静音が意図的に嘘をついたのは、以上の二点である。

 彼女からするとこれらの点について真実を話すのは不都合、あるいは不愉快きわまりないものであったのだろう。


 だが耕作には、今の段階で静音の嘘を見抜くのは不可能だった。

 さらに言えば真実の部分だけをとっても、十分に衝撃的な内容である。

 彼は顔面を蒼白に染めていた。

 頭を抱え、髪の毛をかきむしり、苦悶を全身で露わにする。


 ただ耕作は、自分が地獄に落ちるということについては、それほど苦悩していない。

 それよりも、ミーコが地獄に落ちるのを避けようがないという点について、激しく悩み、苦しんでいた。

 彼女が確実に不幸になるというのは、彼にとって、耐えられないほどの苦痛であったのだ。


 これまでの努力が無になり、将来についても全く希望が持てなくなったのだ。

 耕作は底なしの闇へ突き落されたような心境になっていた。

 静音の話それ自体が、彼にとっては地獄のようなものであった。


 耕作の絶望感は時と共に、さらに深さを増していく。

 視界が急速に狭まり、暗転した。

 頭痛や吐き気が立て続けに襲ってくる。

 床がうねるような感覚に捉われ、身体を支えられなくなり、テーブルに手をついた。


 今にも倒れそうになっている耕作に、静音は優しく声をかけた。


「でもこーくん、安心して。まだ希望はあるんだから」


 漆黒に染まっていた耕作の視界に、小さな光が灯った。

 彼も思い出したのだ。

 静音が以前から、成功するかは分からないが助かる方法はある、と言っていたことを。


「あの人……ジーリアさんが見つけた方法なら、きっとこーくんを助けられるはず」


 静音の言葉を聞き、耕作は考える。


 自分のことはどうでもいい。

 その方法は、まずミーコに用いなければならない。

 あの子を救わなくては……。


 苦しみながらも、耕作は顔を上げた。

 静音が顔を、文字通り目と鼻の先まで寄せてくる。

 彼女はさらに、熱を帯びた口調で語りかけてきた。


「こーくん、私は貴方に救われた。だから今度は、私が貴方を助けてみせる」

「……? しーちゃん、それはどういうことかな?」


 耕作の脳裏に、困惑の芽が生えた。

 確かに彼は、静音を事故から守り、命を救った。

 だがあれは天使の力によるものだ。

 彼女がそれを知らないはずがない。


「こーくん。貴方は私をこの世界に戻してくれた。そして、本来の私も取り戻させてくれたの」


 静音は潤んだ瞳を耕作に向け、熱い吐息と共に言葉を紡ぎ出した。

 しかし耕作の困惑は、ますます大きくなっている。


 言葉を失っている耕作を見て、静音はソファーに深く座り直した。

 傍らに置いてあった呼び鈴を押し、小気味良い金属音を鳴らす。

 この呼び鈴は機械仕掛けになっており、使用人へ呼び出しの信号を送るようになっていた。


 しばらくの後。

 ドアが開き、黒いスーツを着た巨人、加藤が現れる。


「お呼びでございますか、お嬢様」


 静音は座ったまま、顔だけを加藤に向けた。

 そして普段の優しげなものとは異なる、どこか酷薄にすら感じられる微笑みを浮かべた。


「こーくんに私の話をする前に、お母さんにも一度、ちゃんと挨拶をしていただこうと思って」


 静音の言葉を聞き、耕作は立ち上がらんばかりに驚いた。

 この家には今、静音の家族はいないと思っていたのだが。

 まさか母親がいたとは。


 だがその考えは誤りであったことがすぐに分かる。

 加藤が怪訝と恐縮を相半ばさせた表情で、静音に申し出たのだ。


「恐れながらお嬢様、奥様はまだ出張から戻られておりません」

「分かっているわ」


 静音は即答した。

 さらに微笑みを消し、場を凍てつかせる言葉を加藤に向け、放つ。


「お義母様が居ないのは、もちろん承知しているわ。私が言ったのはお母さん、貴女のことよ」

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