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幼馴染は嫉妬する 二

 静音の眉間に、皺が寄った。

 奥歯が噛みしめられ、柔らかな口元も醜く歪む。

 目尻はつり上がり、黒い瞳には炎が浮かび上がった。

 彼女の顔は今や、般若と化していた。


 怒気をあらわにした静音を見て、耕作は息を飲んだ。

 気温が急激に下がったように感じられる。

 彼は言葉すら失い、絶句してしまった。


 静音が、彼女には似つかわしくない、底冷えのするような低い声を出す。


「ミーコさん……こーくん、そんなにあの子が大事なの?」

「……うん」


 耕作はつばを飲み込みつつ、それでもはっきりと答えた。


 しかしその答えは、静音にとってやはり気に入らないものであったらしい。

 彼女は両こぶしを握り締め、再び獰猛な声を出した。


「こーくん。ちょうどいいから、今つたえておくけど。あの子から離れなきゃダメ」

「え?」

「あの子、こーくんに悪い影響を与えている」

「いや、そんなことはないんじゃないかな」

「ダメだってば!」


 激しい衝突音が、店中に響き渡った。

 静音が両手をテーブルに叩きつけ、勢いのままに立ち上がり、イスを後ろに突き倒したのだ。


 店中の人々が、一斉に耕作たちへ目を向ける。

 ウェイターも驚き、駆け寄ってきた。

 ざわめき声が、二人を取り巻いた。


 騒然とした空気によって、静音も、多少なりとも冷静さを取り戻したらしい。

 騒ぎを起こしたことをウェイターと周囲に詫びると、再び席に着いた。

 沈んだ顔で口を開く。


「取り乱してごめんなさい、こーくん。でもお願いだから、私の話を聞いて」

「うん。いきなり否定したりして、俺も悪かったよ」


 静音の気持ちを楽にするため、耕作は優しくほほ笑みかけた。

 静音もホッとしたのだろう。

 今だ表情は暗いながらも、落ち着いた口調で語り始めた。

 

「あの子のせいで、こーくんの魂は汚れてしまった。そう言っていたの」

「誰が?」

「あの人と、あの人の仲間が」


 天使と天使の仲間?

 魂が汚れるというのも、どういうことなのだろうか。


 考える耕作に、静音はさらに訴えかけた。


「こーくんはこのままだと……ううん、もうすでに取り返しがつかなくなっているって」

「へ? それもその、あの人が?」


 静音はためらいながらも、小さく頷いた。

 

 魂が汚れ、取り返しがつかなくなっている。

 それがどんな事態を指しているのか、耕作にはさっぱり分からない。


 ただ、堕落したとか、よこしまな考えを抱くようになった、というような単純な話ではないのだろう。

 静音の暗い口調や表情は、深刻な事態の発生を示していた。

 原因がミーコにあるということは、つまり悪魔にかかわりがあるのだろうか。


 考える耕作に、静音は畳みかけるようにして提案した。


「私はこーくんを救いたいの。だからこーくん、私の家に来て」

「……? それは、まだ助かる方法があるってことなのかな?」

「うん。成功するかどうかは分からないけど」


 静音の言う、耕作を助ける方法とは、天使が計画し準備していた儀式のことだ。

 天使は去ってしまったが、儀式の手順は記憶として、静音に残っている。

 従って実行にも問題はない。

 と、静音は告げた。


 そうか、天使が自分と会いたがっていたのは、それが理由だったのか。

 だとしたら、申し訳ないことをした。

 彼女の善意を信じられず、警戒して距離を取ってしまったのだ。

 この先また会う機会があれば、素直に謝りたい。

 しかし、そうだとすると……。


 沈思する耕作に、静音はなおも懇願する。


「二人きりなら詳しい話もできるよ、こーくん。だから……」

「分かった」

「本当に!?」

「うん」


 静音は、今度は喜びのために飛び上がった。

 両掌を合わせ、顔をほころばせる。


 周囲の視線が、再び二人へ向けられた。

 その多くには、


「さっきは修羅場かと思ったのに。上手いことやったようだな、あの男」


 という念が込められていた。


 赤の他人にまでプレイボーイという評価を抱かせてしまったとは、つゆ知らず。

 耕作は静音に、神妙な声をかけた。


「でもしーちゃん、条件が二つあるんだけど、いいかな?」

「なに?」


 静音は満面の笑みで聞き返す。

 耕作はテーブル上で両手を組み、表情を、より真剣なものへと改めた。


「今日これからしーちゃんの家に行くのは、やっぱり難しい」

「うん……」

「それに俺も、色々と準備しておきたい。だから話をする時間と、それに場所も、俺が決めていいかな?」

「いいよ」


 静音はあっさりと了承した。


 耕作も、この条件は受け入れられるだろうと思っていた。

 問題は、次である。

 深く息を吐き、唇を舐め。

 彼は二つ目の条件を口にした。


「もう一つ。その場には、ミーコも同席させてほしい」


 耕作の要求を聞くや否や。

 静音は再び、怒気を爆発させた。


「どうして!?」


 テーブルに、今度は拳を叩きつける。

 先の騒ぎにも耐えたワイングラスが転がり、黄金色の染みがテーブル上にひろがった。


 ウェイターが再び、慌てて駆けつけてくる。

 他の客たちはもう慣れてしまったのか、うんざりした目で耕作たちを一瞥すると、すぐ各々の会話へ戻っていった。


 ウェイターが控えめに、これ以上さわぎを起さないよう、釘をさしてきた。

 耕作は恐縮する。

 だが静音の怒りは、もはや収まらなくなっていた。

 突き放した言葉でウェイターを下がらせ、耕作を問いただす。


「なんで……なんで、あの子を連れてくるの?」

「しーちゃん。ミーコの影響で、俺がなんらかの被害を受けたというのなら」


 努めて冷静に、穏やかに。

 優しい声で、耕作は静音を諭していく。


「それは俺一人の問題じゃない。ミーコの問題でもあるし、ミーコも被害者なんだ」


 ミーコはいつも、耕作のことだけを考えてくれている。

 愛してくれている。

 耕作に害を及ぼそうなどとは、一瞬たりとも考えていないはずだ。


 にもかかわらず、ミーコによって耕作が取り返しのつかない状況に陥っているのだとしたら。

 彼女は意志に反する事態を引き起こしていることになる。

 それは彼女にとって、不幸なことだ。


 耕作は説明を終えた。

 再び静音に願い出る。


「ミーコが不幸なら、助けてあげたい。だからしーちゃん、ミーコにも話をして、力を貸してあげてほしい」

「そんなに……」


 静音はうつむいていた。

 肩は震え、声も絞り出されるようなものに変わっている。

 しばらく沈黙を保った後。

 彼女は顔を上げ、すがりつくような声を出した。


「そんなに、あの子が大事なの?」

「うん」


 耕作は一拍の間も置かず、断言した。

 彼のミーコに対する感情は、恋心と親心が合わさり、複雑なものになっている。

 だが彼女を想う気持ちは、確固たるものだったのだ。

 静音の心が乱れ、騒ぎ立っているのに対し、彼の心は今、極めて静かに、落ち着いていた。


 たがその平静は、静音の問いかけによって崩壊する。


「私よりも?」

「え?」

「私よりも、あの子が大事なの?」


 いや、ちょっと待て。

 なんでいきなり、そんな話になるんだ。

 耕作は、喉元に短刀を突き付けられたような気がしていた。


 混乱し、恐怖する。

 彼にとって、女性からこういった類の質問を受けるのは、当然ながら初めてのことであった。


 質問の意図は、理解している。

 ミーコと静音、どちらを恋人にするのか、今この場で選べ。

 と、二者択一を迫られているのだろう。

 天使が去り幼馴染に戻ったはずなのに、静音が耕作へ向ける好意は、衰えていない。

 その点も、耕作の困惑に拍車をかけていた。


 そんな彼を、静音は一挙手一投足をも逃さぬよう、見つめている。

 有無を言わせないような迫力に気圧されつつ、それでも耕作は口を開いた。


「ミーコは家族、しーちゃんは幼馴染で友人だ。どっちが上とか下とか、そんなことはないよ。二人とも大事だ」


 彼の、悩んだ末の返答である。

 しかしそれは、嘘だった。

 耕作は今、ミーコのことを第一に考えている。

 静音も大切な友人ではあるが、ミーコには及ばない。


 だが彼は、それを口にする訳には行かなかった。

 ミーコを恋人と認めれば、後戻りできなくなる。

 静音の協力も、得られなくなるだろう。

 先に待つのは、ミーコが地獄に落ちるという残酷な結末だけだ。


 嘘をつかざるを得なかった己の不甲斐なさには、耕作も呆れていた。

 こんな自分がなぜ色男あつかいされているのだろうかと、疑問に思ったほどである。


 ただ静音には、それなりに受け入れられたらしい。

 不満気に口を歪め、頬を膨らませはしたものの、爆発するようなことはなかった。

 それから長い間、沈黙した後。

 小さな声で、彼女は答えた。


「分かった。こーくん、あの子も連れてきていいよ」

「ありがとう」


 耕作はホッと、大きく息をついた。

 肩から力が抜けていく。

 背中に冷たい感覚が広がったのは、いつの間にか大量の汗を流していたためだ。

 

 なんとか乗り越えた。

 後は当日までに、準備を終えるだけだ。


 考える耕作の耳に、静音の声が届いた。


「でもこーくん、覚えておいて」

「え?」

「こーくんに迷惑をかけるような人は、私は絶対に許さないから」

「……ありがとう」


 迷惑をかける人とは、ミーコのことだろう。

 それは耕作にも分かっている。

 ミーコに敵対心を持たれるのは、喜ばしいことではない。


 だがそれほどまでに自分を想ってくれるというのは、嬉しいことだ。

 その点については、耕作は素直に感謝していた。

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