幼馴染は嫉妬する 一
ウェイターに案内され、耕作は席につく。
窓からの眺めは過去に見たものと構図は同じだったが、色合いは大きく異なっていた。
ビルは黒く連なっていた。
そこに窓が数限りなく並び、白く鮮やかに輝いている。
ネオンの七色の光も至るところにちりばめられていた。
星々が地に落ちて光る海となったかのような眺めに、耕作も思わず嘆声を漏らしている。
彼は今、この洋食店に三度目の来訪を果たしていた。
過去二回と景観は変わっていたが、向かい側の席には、これまでと同じく静音が座っていた。
彼女はウェイターが離れると、すぐ耕作に頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え?」
「待ち伏せみたいな真似をして、こーくんを誘ったりして。本当は事前に連絡をすべきだったんだろうけど……」
ああ、そのことか。
と、耕作は納得した。
ロビーでいきなり声をかけてきた後。
静音は衆目の集まる中、彼の腕を取り、
「やっと再会できたんだから、お祝いをさせて」
という理由でこの洋食店まで連れて来たのである。
耕作も彼女との話は望んでいたので、強く断るようなことはしなかった。
だがそのおかげで二人の噂はさらに広まってしまっただろう。
あらかじめ電話なりメッセージなりをしてくれれば、上手い待ち合わせ場所も思いついたかもしれないが。
「でもこーくん、あの人に何度もメッセージを送られて困っていたみたいだから」
「あの人?」
「最近まで私の身体を使っていた人」
静音の声色が濁った。
隠しきれない嫌悪の感情が、彼女の内から漏れ出したのだ。
天使のことか。
と、耕作もすぐに理解した。
たしかに天使からは大量のメッセージを送られて辟易していた。
何度か止めるよう促してもいたのだ。
発言からすると、静音の頭には天使だった頃の記憶も残っているのだろう。
それに「私の身体」というからには、かつての幼馴染と河原崎静音は同一人物ということになる。
ひょっとしたら二人は別の人物で、幼馴染の人格が静音の身体に宿ったのではないか、という可能性も耕作は考えていたのだが。
どうやらそれは間違いであったようだ。
ウェイターがシャンパンを運んでくる。
耕作は銘柄などはあまり分からなかったが、それが高級品であることは理解していた。
二人で再会を祝し、乾杯する。
静音は感極まったらしい。
耕作を無言で、ただじっと見つめていた。
他方、耕作にしてみると、手放しで幼馴染との再会を喜ぶような心境にはとてもなれなかった。
現状、分からないことが多すぎる。
周囲に目を配りつつ、彼はたずねた。
「あの人は、今どこに?」
耕作は「天使」という単語を伏せた。
静音に合わせたというよりも慎重を期したのだ。
現在、店の中はほぼ満席だった。
多くは男女の二人組だが、家族連れの姿もいくつか見える。
誰かに話を聞かれてもおかしくはない。
天使だの悪魔だの話して本気にとられるとは思えないが、用心に越したことはないだろう。
「分からない。でも少なくとも、ここにはいないと思う」
「そうなんだ」
耕作は、静かに呟いた。
彼は今、言いようのない寂しさと不安を覚えていた。
天使には色々と困らされた。
彼女は今回の騒動の発端であり、ミーコの命も狙っていたのだ。
それでも彼女は耕作に、計り知れないほどの愛情を注いでくれた。
十何年にも渡って見守り続けてくれたのだ。
それほどまでに愛されたことは、異性に慣れていない耕作にとって大きな喜びであった。
それにこの先も彼女には助力を求めるつもりだった。
天国と地獄について学ばなければならないことが、たくさんあった。
その望みも叶わなくなってしまったのだろうか。
今生の別れになったとは限らない。
それでも途方に暮れたような思いを、耕作は抱いていた。
耕作の沈んだ顔を見て、静音は子供のように頬を膨らませた。
「こーくん、不満なの?」
「え?」
「私が帰って来るよりも、ずっとあの人にいてほしかった?」
「いや、そういう訳じゃないよ」
耕作は慌てて取り繕った。
シャンパンを一口、喉に流し込むと、気持ちを切り替えて答える。
「しーちゃんに再会できたのは、とても嬉しいよ」
「本当?」
「もちろん」
「ありがとう……」
静音は一瞬で不満を収め、華やかな笑みを浮かべた。
その様子を見て、耕作も安堵した。
厄介な事柄は後回しにしてまずは食事と会話を楽しもうと、心を新たにする。
それから二人の間では穏やかな時が流れていった。
主な話題となったのは二人が共に過ごした子供時代、公園での話である。
当時、駈け足は静音の方が早かったとか。
静音が壊してしまったおもちゃを、耕作が一生懸命なおしてくれたとか。
たまに他の女の子に耕作が気を取られたりすると、静音が露骨にむくれてしまったとか。
二人の記憶は多少の差異こそあれ、ほとんど一致していた。
料理が終わり食後のワインが運ばれる頃になって。
静音がポツリと呟いた。
「でも私はあの頃のことを、ずっと忘れていたんだよね。いつの間にか……」
両手をテーブル上で組み、視線を下に向ける。
「入社してこーくんをみかけても、ぜんぜん気づかなかったし」
後悔の念が込められた、消え入りそうな声だった。
耕作も神妙な顔になる。
「いや、それは俺も同じだよ。しーちゃんに言われるまで、すっかり忘れていた。ごめん」
耕作は大げさに頭を下げた。
静音は驚き、自身も謝罪する。
二人は頭を下げ続けていたが、やがてタイミングを合わせたように姿勢を正すと、昔のように笑い合った。
なごやかな空気の中。
耕作は最近の出来事について質問した。
「しーちゃんは俺のことを、どうやって思い出したのかな?」
「あの人が私の記憶を引き出したの。私の身体に異変が起きている、と言って」
「異変?」
なにやら不穏な響きを持つ単語である。
耕作は詳しい事情を知りたがった。
しかし静音は、この場で話していいものかどうか判断に迷っている様子だった。
彼女の悩む姿を見て、耕作は話題を切り替えた。
「そういえば、どうやってその……帰ってこれたのかな?」
静音の魂は、なぜ肉体へ戻れたのか。
それは耕作にとって大きな疑問であった。
しかしこの点についても、彼女は返答を避けた。
疑問が解消されないため、耕作は手を口に当て、しばし考えに沈んだ。
それから改まった口調で問いかけた。
「しーちゃん、一つ失礼な質問をしてもいいかな?」
「なに?」
静音は笑顔で問い返す。
耕作は躊躇しつつ、それでも思い切って口を開いた。
「君は本当に、しーちゃんなのかな?」
静音は、まばたきを数回くりかえした。
それからキョトンとした表情で、簡潔に答える。
「そうだよ?」
「そうか。うーん……」
「信じられない?」
静音は悲し気で、そしてわずかに怒気も込められた声を発した。
耕作は慌てて釈明する。
「いや、違うんだ」
順序だてて説明を始めた。
しーちゃんと静音。
名前は合っている。
今の面立ちにも幼い頃の面影は残っている。
話す事柄も耕作の記憶と一致していた。
だが静音は大富豪の令嬢だ。
片や耕作は、平々凡々とした一般人の家庭に育ってきた。
その二人に、子供時代とは言え、なぜ接点が生まれたのだろうか。
記憶に残る二人が過ごした情景は、ごく普通の街中にある公園でのものだ。
なぜそんな場所に静音はいたのだろうか。
耕作の家族が住むようなありふれた住宅地に、彼女の一家が住居を構えるとは思えない。
さらにもう一つ、静音と話をするうちに思い出したことがある。
幼い静音には、いつも大人が一人、付き添っていたのだ。
静音と手をつないで歩く姿を耕作は覚えている。
大柄で立派な体格をした人物だったので、普通に考えれば父親であろう。
だがその人物は、耕作も目にしたことのある静音の父とは見た目があまりにも異なっていた。
静音の父は、若い頃はさぞかし浮き名を流しただろうと思われる、すっきりとした二枚目である。
間もなく五十に届こうかと言う年齢でありながら、スタイルも良い。
子供の頃に見た人物とは体格も雰囲気も違いすぎるのだ。
耕作が説明を終えると、静音は目を伏せて黙ってしまった。
と言っても、図星をつかれた、と言う雰囲気ではない。
何と答えるべきか、言葉を探し悩んでいるように耕作には見えた。
しばらくの後。
静音は頭を下げた。
「ごめんなさい。理由はあるんだけど、ここで話せるようなことじゃないの」
静音は顔を上げ、周囲を見回した。
店の中には依然、多くの人がいた。
耕作にも静音の心情は分かった。
複雑な家庭の事情があるのだろう。
詳しい話をするには場所を改める必要がありそうだ。
考えつつ、ワインを口に含む。
静音も同様の考えを抱いたらしい。
先ほどとは変わった溌溂とした声で、耕作に提案した。
「こーくん」
「なんだい?」
「これから私の家に来ない?」
耕作はワインを吹き出しそうになった。
再会して、その日のうちに家に招待されるなど、いくら幼馴染でも展開が早すぎるのではなかろうか。
まして二人とも、うら若き男女なのだし。
などと考える彼は、奥手と言うよりは男女関係について厳格すぎるのかもしれない。
あるいは理性的にすぎるのかもしれなかった。
特に理性と感情が対立した場面などでは、彼はほとんどの場合、理性を優先させている。
静音も、そんな彼の考えと本質を見抜いたようだ。
「大丈夫よ、こーくんなら。それに幸い、お父様もお母様もまた海外に行っちゃったから、家にはいないの」
なるほど。
……いや、それはそれでまずいだろう。
と、耕作は考えた。
静音はまたしても耕作の心を見抜いたらしい。
安心させるべく、家の状況を説明してきた。
「住み込みで働いてくれてる人が何人かいるから、二人っきりってことはないわよ」
明るく、いたずらっぽくもある口調だった。
それを聞き、耕作の心配、あるいは不届きな思いも取り除かれる。
彼はやや癖のある髪をかき回し、なおも考え続けた。
やがて控えめに声を出す。
「ごめん、しーちゃん。やっぱり今日は無理だ」
「どうして?」
「あまり遅くなると、ミーコが心配する」
ミーコの名を耳にした、その途端。
静音は表情を一変させた。




