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三者三様

 耕作は午前中の仕事に一区切りをつけると、一息いれるため休憩所を訪れた。

 自販機で飲みなれた、平凡な銘柄のコーヒーを購入する。

 入社してからというもの、耕作はこの場所では、同じコーヒーばかり飲んでいた。

 お気に入りというよりは、どれを飲もうかといちいち悩むのが、面倒くさいのかもしれない。


 コーヒーに限った話ではない。

 耕作の生活は、ごく最近までは変化の乏しいものであった。


 朝起きて。

 出社して。

 仕事をして。

 帰宅して。

 猫だった頃のミーコと遊び、就寝する。


 色気のない、平々凡々な生活である。

 ただそれでも耕作には、特に不満などなかった。


 いや。

 たった一言だけ、耕作は不満、あるいは願望を述べたことがある。


「俺も彼女がほしいなあ」と。


 あの時から彼の生活は、情愛と嫉妬に塗れたものへと変わってしまったのだ――。


 考えるうち、耕作はふと我に返った。

 頭を小さく横に振ると、コーヒーを一口含む。

 喉を通り抜ける苦みと冷たさが、疲労感を多少なりとも解消してくれた。


 耕作の部屋とほぼ同じ広さの休憩所には、二組のテーブルと椅子が並んでいた。

 しかし現在、そこには耕作の他に人の姿はない。

 ここに来る途中までは良太も同行していたのだが、彼は煙草を吸うため、今は喫煙室にいる。


 耕作はポケットからスマートフォンを取り出し、画面を眺めた。


「……相変わらずか」


 溜め息まじりに呟く。

 画面には、大量のメッセージを受信したという通知が映し出されていた。

 そのほとんどが、静音から送られたものだった。


 今日は木曜日である。

 耕作のアパートで起きた大騒動からは、五日が経過していた。


 静音はこの間、ひっきりなしにメッセージを送ってきた。

 朝一番の「おはようございます」から、夜の「おやすみなさい」に至るまで、ほとんど一日中である。


 耕作も最初は律儀に返信していた。

 だが仕事にも差し支える状況になったので、詫びを言って、以降は返信を控えている。

 同時に静音にも送信は控えるよう、やんわりと勧めていた。


 しかし彼女は一向に止めようとはしなかった。

 相も変わらず一日中、メッセージを送り続けてきたのだ。

 そこまでやるとなると、静音も仕事に限らず、支障が出るのが当たり前のはずである。

 ところがメッセージの文面を見る限り、全く苦にしていないようであった。


「さすがは天使というべきなんだろうか」


 と、耕作も感心するやら唖然とするやら、といったところである。


 送られてくるメッセージの多くは、挨拶や、たわいのない雑談だった。

 だが静音は時折り、二人きりで会いたい、と提案してくることもあった。

 それらの誘いを、耕作は断わり続けている。


「でもこのままじゃ、埒が明かないしなあ」


 耕作は何とはなしに、呟いた。


 実際のところ、耕作も静音とは会って話をしたいと思っているのだ。

 ミーコと一緒に居続けるため、地獄に行く方法を教えてもらう、ということだけではない。

 それは最終的な手段である。

 まずはミーコを悪魔の契約から助ける、その方法を見つけなけらばならないだろう。


 しかし耕作にしてもミーコにしても、天国や地獄についての知識が、あまりにも不足していた。

 知識がなければ、対処方法も見つけられない。

 そのためにも静音に会い、天国や地獄について、より詳しく教えてもらう必要があった。


 だが彼女に会うとなると、不安があった。

 また罠を仕掛けられるかもしれないのだ。

 最悪の場合、ミーコと静音が再び戦うようなことにもなりかねない。


 そこで耕作は、静音と直接は会わないようにして話を進めようとした。

 電話やメッセージで、時にはそれとなく、あるいは単刀直入に、天国や地獄について問いかけたのだ。


 しかし静音は、


「耕作さん、それについては直接お話させて下さい」


 と、強く主張してきた。

 なんとしても、耕作と二人きりで会おうしている。

 その姿勢に対しては、やはり警戒せざるを得ない。


 しかし今の状況を続けたところで、事態は解決しないのだ。

 従って耕作はここ数日、


「なにか切っ掛けがあればなあ」


 と、考え続けていた。


 静音とは会わねばならない。

 彼女には耕作と、難しいだろうがミーコにも、力を貸してもらう必要がある。

 協力を確実なものとするためには、なにかの切っ掛け、材料が必要だ。

 どうやってそれを見つければ良いのだろうか。


 耕作が思い悩んでいる間に、良太が喫煙所からやってきた。

 彼はスマートフォンを見つめたまま沈思する友人を見て、声をかけた。


「どうした? 恋の悩みか?」


 耕作は良太に気づくと、すぐに将棋のアプリを立ち上げた。

 将棋の手順を考えているように取り繕ったのだ。

 しかし良太には見抜かれていたらしい。

 彼はにやついた笑みを浮かべると、胸を一つ、叩いてみせた。


「金なら貸さんが、恋愛についてならいつでも相談に乗るぞ」

「涙が出るほど頼もしい言葉だな」

「当たり前だ。恋愛については俺の方が先輩だし、俺の将来にもかかわることだからな」


 耕作が静音と結ばれれば、自分も便乗して出世できる。

 良太の中では、その計画は今も絶賛進行中なのだろう。

 皮肉も通じないほどに盛り上がっている友人を見て、耕作は呆れ、肩をすくめた。


 良太はもちろん、悪人ではない。

 だからと言って、飼い猫と天使に求愛されており、しかも飼い猫は地獄に落ちる危機に瀕している、などと相談する訳にもいかない。

 まだしばらくは、耕作は一人で悩み続けねばならないようだった。



 ――――――



 同時刻、同じく耕作の勤め先のビル。

 耕作がいた場所からは十数階も上の、主に役員などが利用する会議室にて。


 静音はそこで行われているミーティングに、朝から参加していた。

 休憩に入るや否や、すぐにスマートフォンを取り出す。

 画面を見つめると、思わず独り言ちた。


「まだ警戒されている、か」

「え?」


 静音が急に声を出したため、隣に座っていた女性が驚き、声をかけてきた。

 静音は慌てて片手を振り、なんでもないという意思を示す。

 スマートフォンから手を放すと、次の議題の資料へ目を通し始めた。

 だがそれらの行動とは裏腹に、彼女の意識は、耕作へのみ向けられている。


 耕作に警戒されているのは、静音にも分かっていた。

 何度もメッセージを送り、自分と会うよう懇願しても、その度に断わられるか話をそらされていたのだから、当たり前なのだが。


 静音は耕作に会い、何をしようとしているのか。

 目的は二つあった。

 まずは単純に、彼との仲を深めようというものだ。


 静音にとっては無念かつ不愉快きわまりないことだが、耕作は今、明確にミーコに惹かれている。

 彼女のことを第一に考え、行動しているのだ。

 しかし惹かれているとは言っても、その気持ちはまだ、恋心と飼い猫に対する親心が相半ばしているはずである。


 一方で静音のことも、嫌ってはいない。

 それどころか少なからず好意を抱いている。

 その自信は、静音にもあった。

 ならば恋敵に決定的な差をつけられる前に、彼との仲を深めておく必要がある。


 そしてもう一つの目的はというと。

 耕作の魂を救うため、悪魔祓いの儀式を行ってみる、というものであった。


 ただし、天使の力を使う訳ではない。

 静音は人間界に伝えられている悪魔祓いの方法を試してみようと思っていた。


 静音は今まで、それらの儀式については児戯にも等しいものとしか思っていなかった。

 だが現在、彼女の周りでは、自らの身体のことも含め、予測すらできなかったことが発生している。

 それによって彼女は、人間が秘めている可能性にかけてみたい、という気持ちになっていたのだ。


 ただし問題が一つあった。

 耕作に悪魔祓いの儀式を行うとなると、彼の魂に何が起きているのかを、話さなければならないだろう。

 当然、耕作はショックを受けるはずだ。


 それはやむを得ないとしても、その上で悪魔祓いの儀式を行いたい、と申し出れば、彼は間違いなく、


「ミーコにも試して下さい」


 と言ってくるだろう。

 静音としては、それは避けたいところであった。

 従って、なんとしても二人きりで会い、一気に話を進める必要がある。


 ミーコを救う気など、静音にはさらさらない。

 それに耕作の魂から悪魔の影を追い払えれば、同時に彼を連れ去り、今度は自分の愛情で染め上げるつもりだった。

 その上でミーコも抹殺する。

 ここまで企んでいるあたり、耕作の警戒心は正しかったと言えるかもしれない。


「いっそのこともう一度、彼のアパートへ乗り込んでみるべきかしら?」


 静音の思考が過激な方向へと傾きかける。

 その時だった。

 スマートフォンに、着信が入った。


 静音は画面を見る。

 そこにはアルファベットと数字が複雑に入り組んだ番号が、表示されていた。

 およそ人間界ではありえない電話番号である。

 静音も眉をひそめた。


 ミーティングの参加者に詫びを言って、立ち上がる。

 廊下に出たところで、静音はすぐに通話を始めた。


「はい」

「ジーリア、私だ」

「サラサ!?」


 驚きのあまり大声を出してしまい、静音は慌てて周囲を見回した。

 廊下の先に何人かの人影が見えたが、特に気にしている様子はない。

 静音は安心し、胸をなでおろした。


 しかし間髪入れずに、サラサの切羽詰まった声が耳へ飛び込んでくる。


「こんな連絡方法を取ってすまない。だがジーリア、急いで君に連絡を取らねばならなかった」

「なにがあったの?」

「よく聞いてくれ。前代未聞の非常事態が発生した――」



 ――――――



 数時間後。

 耕作のアパートにて。


「んふふ……」


 ミーコはお気に入りのブラウスとスカートを着て、ベッドの上で寝ころんでいた。

 腕には耕作のパジャマを抱えている。


「コーサク……」


 ミーコは呟き、パジャマに顔をうずめた。

 愛する男の残り香を胸いっぱいに吸い込み、悦に入ったような声を上げる。


「んふふふふ……」


 幸福のあまり、ミーコは満面の、というよりはだらしない笑みを浮かべた。

 しばらくすると、匂いを嗅ぐだけでは収まらなくなったようで、パジャマに頬ずりし始めた。

 さらにはパジャマを股の間でも挟み、全身を絡みつかせる。


 心行くまで身体をこすりつけた後で、ミーコは可愛らしい口を開けた。

 パジャマを甘噛みし、口に含む。

 唾液を布地に染み込ませた後、吸い戻すという行為を繰り返す。

 そして歯型をあちらこちらに刻み付けた。


 もし猫のままであったのなら、ミーコは喉を鳴らしていただろう。

 ベッド上を左右に転がりまわる彼女は、ひたすら幸せに浸りきっている。


 その後も長い間、ミーコはベッド上で悶えていた。

 しかしそのうちに、ふと何かを思いついたような顔を見せた。

 起き上がり、ベッドから飛び出す。

 パソコンの前に座ると、電源を入れ、キーボードを激しく叩きだした。

 真剣な眼差しで、モニターを見つめ続ける。


 もし耕作が今のミーコを見れば、いつの間にこんなに上手くパソコンを扱えるようになったんだと、驚くに違いない。

 それほどに見事な手捌きで、ミーコはタイピングとマウスの操作を続けていった。


 キーボードを叩く、小気味よい音が響き続ける。

 ミーコとモニターの映像以外には、他に動くものはない。

 変化の乏しい情景が、部屋の中で続いていた。


 だがしばらくすると。

 ミーコの目に映る景色が、一斉に暗くなった。


「ニャ?」


 ミーコは驚き、周囲を見回す。

 モニターはもとより、部屋の照明までが消えていた。


「停電かニャ?」


 ミーコは立ち上ると、発達した視力で帽子を探し出し、頭にかぶった。

 猫耳を隠したうえで、カーテンを開ける。

 そして驚愕した。


 窓から見える景色は、まぎれもない快晴である。

 日光がさんさんと降り注いでいた。


 だがしかし、その光が部屋の中には入ってこないのである。

 窓一面に風景画を貼り付けたかの如く、景色は鮮やかながらも、光を伴っていないのだ。

 部屋の中は、依然として黒一色に染まっていた。


 呆気にとられたミーコの耳に、パソコンから微小な機械音が届く。

 パソコンの電源は、落ちていなかったのだ。

 それなのに、光だけが消えている。


「またおまえか、鳥公!」


 ミーコは叫び、戦闘態勢をとった。

 眼前の不可思議な現象を、静音が引き起こしたと思ったのだ。

 だがしかし。

 ミーコはすぐに、それが間違いだったと気づいた。


 静音は天使であり、光を伴っている。

 だが現在、部屋の中は光が失われ、闇に覆われているのだ。

 ということはつまり、今この現象を起こしているのは……。


 ミーコがその考えに至った時。

 部屋中に広がっていた闇が、一転してミーコの眼前に集まり始めた。

 急速に収束した闇は、丸い塊となった。

 そして、さらに形を変えていく。


 闇の塊は、人型になり、黒いタキシード姿の男となった。

 背中から禍々しい、虫のような翅脈が入っている羽を生やす。


「おまえは!」

「久しぶりだな、小娘。……思ったよりも元気そうだな」


 かつてミーコの願いをかなえ、彼女を人間へと変えた存在。

 悪魔が、再び姿を現していた。

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