対決 二
「……下らない質問をしてきたりして。彼は疲れていたのね」
耕作への深い同情を言葉に込めて、静音は話を終える。
他方眼光には、ミーコに対する激しい怒りがあった。
一歩進み出ると、傲然とした姿勢でミーコを問いただす。
「ところで、一応聞いておくけど。貴女、悪魔と契約したのよね? その変身は、あいつらの仕業なのでしょう?」
ミーコの脳裏に、危険を知らせる激しいシグナルが鳴った。
「……こいつ、何者だ!?」
と、彼女は考えた。
静音は暗闇の中でも、日中と変わりないようにミーコを見て、会話をしている。
その時点で既に常人ではありえなかったが、さらに今、彼女は悪魔のことも話し出している。
その上、ミーコの擬人化が彼らの能力によるものだと言っているのだ。
ミーコ本人ですら、神か悪魔か、どちらの仕業かはまだ分かっていなかったのに、である。
眼前の女性が予想以上に危険な相手であることを、ミーコは悟った。
これまで以上に警戒を強める。
沈黙し、相手の一挙手一投足を逃さないようにしながら、なおも距離を取っていった。
その様子を見た静音は、自分から会話を続けていく。
「答えたくないなら別にいいけど。それにしても、貴女みたいな厄介者が傍にいるんじゃ、吉良さんも気が休まらないでしょうね。だから……」
ミーコに右手人差し指を突き付け、静音は宣告する。
「彼のために、心配事をなくしてあげるわ」
宣戦布告か!
察すると同時に、ミーコは後方へ跳びすさった。
キッチンから部屋へと戻り、叫ぶ。
「死ね!」
派手な金属音が、あちこちで鳴り響いた。
食器棚からナイフ、フォーク、包丁が飛び出した。
部屋の中からはカッターナイフ、ハサミ、ドライバー等が飛び出ていく。
それらの凶器は宙を走ると、静音を包囲するように滞空した。
数瞬の後。
全ての凶器が同時に動き出す。
猛烈な勢いで静音に向け、突進したのだ。
しかも彼女の目、腹、胸、喉と、急所ばかりを狙っていた。
静音は眼前で起きている出来事を、無感動な目で見ていた。
ただその場に立つだけで、何の行動もとっていない。
しかし突進していた多数の凶器は、彼女の身体に突き刺さる直前、突然動きを止めた。
そのまま落下し、床に転がって動かなくなる。
ミーコは唖然とし、口を開けたまま立ちつくしてしまった。
静音が冷めた声をかけてくる。
「なにかと思えば、下らないわね。この程度の小細工で私を殺すつもり? 貴女が契約した相手って、よっぽど無能な低級悪魔だったみたいね」
嘲弄され、ミーコは激怒した。
再び超能力を発動させる。
今度は凶器類だけではなく、フライパンやドライヤーから、テレビのリモコンに至るまで、ありとあらゆる物品を静音に向け、突撃させた。
しかし、やはり静音には通用しなかった。
それらの物品は、静音の身体まで間数髪のところで、ことごとく静止してしまう。
そして落下すると、空しく床に転がった。
「終わりかしら? じゃあ私の番ね」
静音は目じりを下げ、にこやかと表現されるに足る笑顔を浮かべた。
右手の掌を、前方へ突き出す。
次の瞬間。
ミーコは真後ろに吹っ飛ばされていた。
壁に激突し、崩れ落ちる。
帽子も脱げ落ち、三色の長髪が宙に舞い、猫耳が晒された。
「がはっ……!」
叩きつけられた衝撃によって、ミーコの背中一面には激痛が走っていた。
それでも彼女は闘志を衰えさせることなく、痛みに耐え、すぐに起き上がろうとする。
だがその動きも、瞬く間に封じられてしまった。
両手が見えない力に引っ張られ、後ろ手に回されてしまう。
さらに手首と、そして両膝に、透明な鉄の輪のようなものがはめられる感触があった。
その輪は動けなくなったミーコを捻り上げるように、力を込めてくる。
身体中を襲う激痛に、ミーコは思わず悲鳴を漏らす。
しかしそれでも尚、彼女の闘志は衰えない。
殺意に満ちた目を静音に向け、這いずり、部屋の中央まで進み出る。
一方、静音は部屋の中に入ると、ミーコの猫耳に目を向けた。
「中途半端に人間になったものね、この化け猫」
嫌悪感をむき出しにした言葉を、ミーコに浴びせかける。
ミーコは床にくの字になって転がりながらも、静音を睨み返した。
静音はミーコへ侮蔑の眼差しを送り、形の良い顎を上げる。
「正確には化け猫よりも、泥棒猫かしら? 泥棒化け猫だと……ちょっと語呂が悪いわね」
自分の発言が面白かったのだろうか。
静音は微笑を浮かべた。
片やミーコは圧倒的に不利な状況にありながらも、尚も顔を上げ、叫んだ。
「泥棒猫はおまえだ!」
罵倒され、静音は冷たい眼光をミーコに注ぐ。
無言のまま顎を小さく動かし、ミーコへ発言を続けるように促した。
「コーサクと恋人になるのは私だニャ! 私はずっと、コーサクと暮らしてきた。生まれてすぐコーサクに拾ってもらって、それからずっと。私はコーサクがいれば、他のことなんてどうでもいい」
ミーコの、普段は黄と青の両目が、今は殺意と怒気によって赤く染まるかのように燃え盛っていた。
「でもおまえは今まで、コーサク以外の男とも付き合い、交尾してきたんだろ! おまえこそ淫乱な泥棒猫だニャ! 操り人形のくせに、横から急に出てきて……!」
そこまで話したところで。
ミーコはまたしても、壁際まで吹っ飛ばされていた。
しかも今度は、超能力を使われたのではない。
静音は自らの足で、ミーコの腹を蹴飛ばしていたのだ。
底冷えするような声が、部屋の中に響き渡る。
「私が操られている? 勘違いするんじゃないわよ、この化け猫が」
何かが静音の逆鱗に触れたのだ。
美貌は歪み、顔は今や般若と化していた。
ミーコは、蹴飛ばされた腹と、またしても壁に叩きつけられた背中の痛みで、まともに呼吸もできなくなっていた。
床に転がったまま、口を陸に上げられた魚のように開けている。
その前へ、静音は歩み寄ってきた。
「利用されたのは貴女よ。おまけにずっと彼と暮らしてきた、ですって? 笑わせるんじゃないわよ、貴女が彼と一緒にいたのなんて、わずか一年にも満たない間のことじゃない。私は違う」
静音はミーコの手前、あと一歩といったところで歩みを止める。
そして上を向き、虚空を見つめると、うっとりとした表情で語り始めた。
「私は今でも覚えている、彼に初めて会った日のことを。あれは、彼のお母さんが亡くなった日。私は当時、彼の住む街を見回っていた」
静音の身体が発光を始めた。
ミーコは苦痛に耐えながら、ぼんやりとした視界で、その姿を捉えている。
「彼はね、お母さんの遺体の傍にいて、とても寂しそうだった。当然よね、まだ子供だもの」
当時の情景を思い出しているのだろう。
静音は両手を胸の前で組み、目を閉じた。
「でも彼は、泣いてはいなかったのよ。むしろお父さんの方が号泣して、大変だったわ。……そんなお父さんを、彼は慰めていたの。『僕がついてるよ』って。強い子だなあって、感心したわ」
静音の身体から発する光は、強さを増していく。
「でもその夜……彼は自分の部屋へ戻った時に、泣いたのよ。一人で。そして一生懸命、神様にお願いしていたわ。『お母さんを生き返らせてください』って。残念ながらその願いはかなえられなかったけど……」
光は強さを増し続け、部屋全体を白く染めようとしていた。
「そのとき私は彼の姿を見て、思ったの。いつか、この子の役に立ってあげたい。願いをかなえてあげたい。傍にいてあげたい。一緒になりたいって」
今や静音は、太陽かと見まがうような、光の塊と化していた。
ミーコは愕然として顔を上げる。
そして思った。
この光景、この光の塊を見たことがある、と。
それは全てが始まったあの日。
耕作のベッドで寝ていた彼女の前に、確かにこの光の塊は現れていた。
「その時からずっと、私は彼を見ていたわ。ずっと昔から……彼が子供の頃から……」
光の強さに、ミーコはもはや目も開けていられなくなる。
爆発的に広がる光輝の中。
静音の声だけが、響き続けていた。
「彼だけを……」
光の塊は、徐々にその形を変えて行く。
人型になり、白い衣をまとった少女となり。
背から白く輝く羽を生やし、やがて頭上に金色の輪を浮かべた。
あの時の天使が、ミーコの目の前にいた。




