表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Touch = everything  作者: 大友伊月
第1章
5/7

第1章 第4話 空腹と名前

 マズローの欲求5段階説というものがある。

 人間は低次の欲求が満たされると、より高い欲求を満たそうとする、というものだ。

 人間の欲求に終わりが無い事を愚かと考えるか、より高みを目指す善い機構だと考えるかは議論しても面白そうだが、今俺が言いたいのはそういう事ではない。

 では何かと言えば、それは、例え高次の欲求を持っていたとしても、低次の欲求が満たされなくなれば、順序に関わらず低次の欲求が優先されるという事だ。

 最も低次の欲求、それは生理的欲求だ。

 具体的に言えば、食欲、睡眠欲。

 人間が動物である以上、避けられない欲求であり、同時に日本などの先進国では簡単に満たされる欲求だった。


 レイへの絶望を抱えて三日、時には走り、時には身を隠し、時には戦った。

 全て人間と、ではない。

 森の獣。

 レイ曰く、狩人が請け負い、狩り、生活を繋ぐためになくてはならない存在だそうだ。

 道の安全が確保され、人間が全てを管理していた世界とは違い、この世界では人間は獣たちと生存競争をしている。

 であれば、異世界からの渡航者である俺とて例外である筈が無かった。


 レイの事を考えるのは一日目で終わりにさせられた。

 薄暗い森の中、武器を構えもせず地図を覗く生気の無い人間など、獣からすれば絶好の獲物だったのだろう。

 気付けば、俺の腰ほどの高さのあるモグラのような何かに囲まれていた。

 必死に逃げ、戦い、罠にはめた。

 盗賊達が自身を守るため森中に仕掛けた罠、その多くは人間用では無かった。

 それもそうだろう。

 数年に一度戦いを挑んでくる人間より、日常的に戦う必要のある獣の方が警戒すべきだ。


 そんな極限状態が三日も続けば、人間は簡単に動物的欲求のレベルまで落ちていく。

 名前も分からない草花を齧りながら、深い眠りに落ちることも許されない。

 やっとのことで森から出たとき、一時自分が人間であることを忘れるほどだった。


 今の俺がどうしているか、それは簡単だ。

 馬によって踏み慣らされ、草も生えなくなった街道。

 そのど真ん中で寝転がっている。


 森から出たとき、一番にしたことは眠る事だった。

 先に話した生理的欲求の一つ、睡眠欲が満たされ、俺はやっと気付いた。


「腹が、減った」


 声に出してみても状況は変わらない。

 俺は、三日間雑草と霞だけで生きていけるような仙人様ではない。

 思考力が極限まで落ちていた俺が考え付いたのが、これ。

 街道に寝転がり、人が来るのを待つ。

 つまりは他力本願だった。


 しかし、まだ見ぬ他人を頼り始めて約半日。

 頭上を飛ぶ鳥たちや、隣を駆けて行く野兎を見るのにも疲れた。

 運が悪ければ見つかるのは餓死してからだし、盗賊が森から出て来でもしたら死ぬのは目に見えている。

 冷静に考え、馬鹿な事をしていたと、行けるとこまで歩こうと腰を上げる。


「うぅ、気持ちわりぃ」


 霞む視界と空腹感の中、立ち上がる。


 もしかすると、そんな俺に神様がご褒美をくれたのかもしれない。

 そんなアホな事を考えてしまうくらいのタイミングで、俺が待ち続けた頼れる他人がやってきた。


◇◇◇


 馬車がやってきてから俺は、昔のドラマであったような、車の前に飛び出て止めるようにして馬車の道をふさぎ、無理矢理に馬車を止める。

 肩を怒らせながら下りてきたのは、下っ腹の出たおっさん商人。

 ではなく、茶髪を肩までのボブカットにした若い女性だ。

 ここで足を無くす訳に居はいかないと、相手に先んじて事情を話す。

 盗賊団に捕まり、何とかして逃げだし、森をさまよっていた事、思い出すだけで頭が痛くなるのは空腹だけのせいじゃないだろう。

 話し終わり、相手のことを何も知らないのに話し過ぎたかと思ったが、ムムムと少しうなり、彼女は俺にパンを一つ投げて寄越してくれた。


「話、もっと聞かせてくれない?」


 そんなことを言われても、レイが死んだすぐ後なら俺は喋らないままに何とかしようとしただろう。

 しかし、この三日間は思っていたよりも俺を孤独にしていたらしい。

 いつの間にか、盗賊に捕まった事、レイに出会ったこと事、脱獄はできたがレイは死んでしまった事、そして俺の絶望。

 そんなこんなを詳しく話してしまっていた。

 この人は魔法でも使っているのかと考えたが、日本にも同じように聞き上手でなんでも話したくなるような人はいた。

 この世界でそんな人に出会ったのは良い事なのか、悪い事なのかは分からなかったが、今の俺に一番効く薬だった事だけは分かった。


「色々と喋って少し落ち着きました」

「そう?それなら良かった。えーと・・・」


 言葉に詰まる彼女を見つめる。

 何事かと聞こうとしてから、彼女の困惑の意味が分かった。

 ――名前聞いてなかった

 聞いていないどころか、こちらから名乗ってすらいなかった。

 やはり馬車を真正面から止めるのは前時代的だったか、と責任転嫁をして心を落ち着かせる。


 名前、やはりこちらで日本名を名乗るのはおかしいだろう。

 心を落ち着かせてくれた彼女には真摯で居たいという思いはある。

 だが、ここで怪しまれ関係が悪化してしまうのは避けたい。

 だとすれば、偽名。

 問題はどんな名前がいいのかだ。

 この国の英雄や国王、貴族などのファミリーネームなんかを使った日には怪しまれてしまうだろう。

 そうしないためには、到底無さそうな名前。


 自分で条件を出しておきながら、思いつきそうもなかった。

 そんなことで悩んでいるうちに彼女の方から話しかけられてしまう。


「えっと、重い話の後にってのも変だけど、自己紹介しようか」


 そう前振りをしてから立ち上がり、馬車の後ろへまわっていく。

 何をしているのかと覗こうとすると、ちょうど彼女が戻ってくるところだった。

 隣にはもう一人、長い金髪を一本に結んだ女性がいた。

 少し警戒はしているが、この女性の自己紹介もしようと思っているのだろう。


「じゃあこっちから自己紹介していくね。私はステラ・キンバリー。この国を周ってる学者?みたいな人です!」


「それでこっちが、私の護衛をしてくれている」

「エミリア・オレンジです。剣を使います」

「あはは・・。エミィはちょっと硬いけど、根は優しい子だから。仲良くしてあげてね」

「ステラ、私はまだ彼の同行に賛成してはいませんよ」


 俺に自己紹介を終えた二人は、俺の自己紹介を挟むことなく会議に移行しまう。

 俺としては都合がいいので放っておく。

 ――それにしても、学者かぁ。

 この国の有名人を知らない訳がない職業だ。

 ましてや、レイに通じた箱入りの坊ちゃんなんて肩書きは怪しまれる。

 それも、護衛付きとなれば、下手すれば詐称の罪とかで切り捨て御免されそうだ。


「まずは彼の自己紹介を聞いてからにしない?」


 こちらからすれば、ずいぶんと早く会議が終わってしまった。

 こうなれば、居そうなファーストネーム、英雄っぽくないファミリーネームで行くしかない。


「ええと、俺の名前はレオナルド・ブラックって言います。一応、狩人目指してます」


 あまり話し過ぎるとボロが出そうなので、短くしておく。

 二人の顔を覗くと、なんとも言えない表情だ。

 もしかして、ブラック姓は宗教上嫌われていたりするのだろうか?

 レオナルドってこっちじゃ珍しい名前だったのだろうか?


「レオナルド。君は魔法が使えたりするのか?」


 エミリアがグイッと近づいてくる。

 俺とステラの間に入るような位置取りだ。

 ――完全に警戒されてる!


「えっと、魔力を操ったりはできないんで、使えないんだと思います」

「そうか。魔術師に詳しいようだが、誰に教わったのです?」

「お、お父さんが教えてくれまして」

「なるほど。では、父上の話を聞かせてくれませんか?」

「ええと――」


 質問攻めというのは、これを指すのだろうか。

 怖い顔で迫られていては、まともな思考もあったものではない。

 少しの問答の後、エミリアが質問に詰まったのを見て、ステラが助け舟を出してくれる。


「もう、エミィ!質問は終わり!彼の事は分かったでしょう!」

「うぅむ、そうですね。まあ森の獣程度の敵に脅かされているようなら私には勝てませんからね」


 エミリアのその言葉は、自信や実力の誇示などではなく、はっきりとした脅しに聞こえた。


◇◇◇


 二人に続いて馬車に乗り込む。

 御者は雇っていないようで二人が交代で馬を走らせているらしい。


「ねえ、レオ君。レオ君は御者の経験ってある?」

「・・・っえ?ああ、はい!いやっ、ないです!」

「そっか~。じゃあアード君の餌やりは、レオ君にやってもらおうか」

「そうですね。乗せてあげているのですから、それぐらいはしてもらいましょう」


 俺はレオナルド・ブラックだという事に、俺自身慣れていないせいで返答がおかしくなってしまった。

 それでいて、流れるように俺の仕事まで決まった。

 アード君というのは、馬車に乗り込む前にステラが「アード君よろしくね」と言っていた事から馬の事だろう。

 その餌やり係。

 町に着くまでそうかからないから、何回もあげる事にはならないだろうけど、ただお世話になるよりは役割を持てるというのはかなり気が楽だ。


「ステラさん達は、何故次の町に行くんですか?」

「えーとね、次の街では半月後に、月に一度開かれるおっきな市場があるんだよ。私たちはそこでほしいものがあってね」

「レオナルド。ステラの研究の邪魔はしてはいけませんよ」

「はい、もちろんです」


 半月後にデカイ市場。

 俺もこれに乗らない手はない。

 次の街からいくつかの町を経て王都へ。

 そこに行けばきっと何かが見つかるはずだ。

 何故この世界にやってきたのか、どうすれば帰ることができるのかそのヒントが。


 馬車に揺られる事数日、俺たちは次の町、アメジストの街に到着した。

ジュエラ王国と聞いて察された方もいらっしゃるかもしれませんが、基本、街の名前は宝石の名前から取っていくつもりです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ