冬の到来
夜の静寂の中に鳥の鳴き声が一際大きく響いた。
闇の中でそこだけ光を集めているように刀が輝く。
光る刃を握りしめたまま、裸足で駆け出してその姿は闇に溶けた。
不吉な鳥の鳴き声を聞いた者たちは、翌朝近くで起きた惨劇を報せる声だったのだとヒソヒソと話し合った。
花折神社。
京に都が遷される前からある古い神社で、花を手折った帝の前にその花の木が人の姿となって現れて、花を返して貰う代わりに舞を踊ったとの由来がある。その舞にいたく感動した帝はそこに社を建てて花の枝と、自分の剣を奉納して精霊を慰撫したのが始まりと言われている。
毎年、桜の時期には舞楽の奉納が行われ、また多くの刀剣が奉納されている神社であった。
その花折神社の一角は、朝の陽射しの中で惨状をさらけ出していた。
夥しいまでの血痕。倒れ臥すは神に仕える人たち。息を残している者は皆無だった。
検非違使と共に駆けつけた城山も、思わず口元を覆うほどの惨状で、全員鋭い刃で滅茶苦茶に切り裂かれていた。
「こ、これは……まるで血に飢えた狂った者の仕業のようだ。普通の斬られ方ではないな。酷すぎる……」
部下の誰かが呟いた声に、確かに、と同意する。
斬られ方が尋常ではない。
素人が辺り構わず振り回したとしか思えない。
だが確実に殺す意志が見える。滅茶苦茶でありながら、首筋や胸など確実な急所を全員突かれていた。
「こいつは……厄介だな」
難しい顔をする城山は一人も生き残りがいないことに舌打ちした。
凶器は行方不明のままだ。狂人の仕業ならば他にも犠牲が出ないとは言い切れない。
「とにかく調べを進めろ」
辺りへの聞き込みを部下に指示してから城山は神社の中にある資料を探し始めた。
ーー居なくなった権禰宜がいる。
そこに辿り着いたのはすぐだったが、聞き込んでみればその権禰宜は至って穏やかで若いのに人格者であったとの話ばかりが出てくる。
一番怪しいのだが、そんな凶刃を振るうようなお方ではない、との話ばかりだ。
「よく分からないが、とにかくその権禰宜を探し出せ。そいつが何かを見ていた可能性もある」
「はっ」
もうすぐ冬が来る。
空は昼を過ぎてからどんよりと重たく雲を垂らしている。
血溜まりの中に倒れ臥した死者を見れば思い出したくもない光景が甦る。
その男は目の前で謂われなく斬り捨てられた。
流れ出る己の血の中に倒れながら、幼い愛娘に向けて手を伸ばしていた。父親に駆け寄ろうともがく娘を抱きしめるように押さえていたのは、幼き頃の自分だった。
「……香弥……」
雪の舞い落ちてきはじめた寒い夕方だった。
香弥の父は貧しい露天で酒を売る男だった。
それが何のはずみか地位の高い公卿にぶつかっただの酒がかかっただの、無礼を働いたとその場で言い合いになった。そして激昂した公卿の側付きの武士に一刀のもとに斬られてしまったのだ。
武家の子として生まれ一家は宮中を守護する任にある以上、城山は公卿に背くことなど出来はしなかった。
幼馴染みで互いに淡い想いを抱いていた香弥の父が目の前で斬られても、それに駆け寄ろうとする香弥を押し留めることしか出来なかった。
淡い雪の中で父を呼び絶叫する香弥の声が蘇る。
あの冬の日から二人は二度と心が通じ合う事はなくなってしまった。
それからの香弥は身売りのように金持ちの家に引き取られ、そこで辛い思いをし、今は金造の元で遊女さながらのあり様だ。
その原因となった公卿、それに武家の全てを憎んでいる。
城山を、決して受け入れることなどないのだ。
艶やかで美しい香弥。
金造一家の中でも香弥の色香には多くの男どもが群がるらしい。
貧しくてもいつも朗らかに笑い無垢な心を持っていた香弥は失われてしまった。
深くため息を吐き出して、消えない思い出を振り払うように町へと足を踏み出す。
(……冬は、嫌いだ)
ため息と共に心を吐き出した。