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紅波の喪失


「とにかく志岐は暫く戻れないかもしれない。お前は少し休め」


 そう告げると高時は章時を促して部屋を後にした。

 残った城山が立ち上がろうとする紅波を押しとどめてその場に座らせた。

「さっき倒れたくせに無理をするな。そう龍堂殿も申しておられただろうが」

「俺はそんなにヤワじゃない。誰も彼も甘やかせすぎる」

 言いながらも城山の言葉に従いどさりとその場に座り込んだ。


「そんなことを言っても、お前のその細い体じゃ大した力も体力もありはしないだろうが。ここでは紅波は……いや姶良殿は姫扱いなんだろう」

 軽く嫌味を言った城山の言葉を聞いた紅波が肩を揺らせて笑い出した。

「姫? ははは、姫扱いだと? この俺を? 笑わせるな。馬鹿げている」

「なっ、そんな笑うことか? この下にも置かぬ扱いなど寵姫ちょうきの扱いではないか?」

「城山。お前は前に聞いたな、高時が俺を特別にしていたかって。それはある意味当たっている。だがお前の思うような特別じゃない。あいつが俺を特別扱いするのは、俺が人を簡単に皆殺しに出来る力があるからだ」

「な、に?」

「正確に言えばこの妖刀があれば、だがな」


 絶句する城山に霧雨を見せつけて口の端だけで笑う。


「この妖刀霧雨がなぜ俺になら使われているのかは分からないが、多分俺が子供の頃から何の感情も持たずに数多くの人を殺し続けてきたからじゃないかと思う。さっき聞いていただろう。俺は人攫ひとさらいに連れられている途中で盗賊に拾われた。それからは人を殺めるすべを教えられて食うために人を殺して生きてきた。寺に拾われて二年程は人を殺さずに生きられたが龍堂に使われるようになり、また俺は多くの敵を斬ってきた。美濃の伊藤宝山いとうほうざんの寝首を掻いて切り落としたのもこの刀だ。あいつにとっては便利な道具さ、俺は」


 一度言葉を途切らせ、喉の奥で忍びやかに笑う。


「俺の手は落としようもないほど血塗られている。薄汚い浮浪児には似合いの汚れた手だ。……だから俺は龍堂の家臣の中でも嫌われている。身元も知れぬ薄汚い浮浪児のガキが偉そうに高時の側をうろつくのだから気に入らないお歴々(れきれき)は沢山いる。城山も上手くやりたいのならば今後は俺になど構うな」


 どう答えて良いのか言葉が見つからなかった。

 つい先日まで憎んでいた艶を放つ遊び人が、もしかしたら摂政の息子で、だが攫われて人を殺さねば生きられぬような壮絶な過去を持ち、そして今や覇権を二分する龍堂の将として目の前にいる男に、一体何を言えばいいのか全く見当もつかないまま、ただ呟くように言葉が転がり落ちた。


「それでも龍堂殿はお前を大切にしている。その気持ちが偽りでないことぐらい、私にも分かる。その真心を疑ってはいけない」


 城山の言葉に目を見開いた紅波が暫し沈黙を落とし、ゆっくりと瞼を伏せて顔をゆっくりと横に振った。


「……そうだな。高時はいつも真っ直ぐだ。人を信じる事を恐れない男だった。あいつが、大事にしてくれていることは……分かっている。本当は充分に分かっている。ただ俺が信じられなかっただけなんだ……」

「それが分かるのならば、龍堂殿だけでなく内大臣のことも少しは信じて歩み寄ってみたらどうだ?」

「それは……無理な話だ。信じるとかそんな事でない。俺は七つや八つの頃から人を殺しては生きてきた。殴られ蹴られ奪われて、殺し奪い踏みにじる。そんな醜い汚濁おじょくの中で生きてきた男だ。あんな綺麗で美しい生活の中に汚れた異物が入れるわけがない。あの真っ白な邸の中を俺が汚していいはずがない」


 城山、と目を閉じたまま小さく名を呼ぶ。

 返事をせずに顔だけをそちらに向けると、そっと開いた瞳に射すくめられた。


「俺の名は姶良朔夜だ。今後は朔夜と呼んでくれ」


 意志を固めた茶の瞳が強く人を惹きつける。

 真っ直ぐに心の奥底にまで届く強い眼差し。


 城山はこの瞬間、二度と暁の紅波が戻らぬことを悟った。


 凛とした姿、真摯な言葉、強く人を惹きつける不思議な瞳。


 ――ここにいるのは「姶良朔夜」。龍堂軍の、きっと要となる男だ。


 確信した城山は思わず頭を下げて平伏していた。

 未だこの己より年下の綺麗な男が人を殺められるのか、あの老獪ろうかいな伊藤宝山の寝首を掻いた伝説に近い美濃攻めがこの男の仕業というのが本当なのか分からないし信じられない事であったが、その身から放つ光は高時の持つものと似通っていた。


 それでも城山は平伏しながら言葉に表さないこの男の深い孤独と諦念ていねんを痛いほど感じていた。


 失われていた家族を、信じたい主君を、付き従う部下達や周囲の者を、そのどれ一つとして受け入れることの出来ない孤独と諦めを感じて、城山の胸を締め付けた。


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