高時の杯
「あれは龍堂殿の小姓か。まだ元服したてかな」
問うた城山に紅波がさらりと言う。
「さあ、いつ元服したかは分からないが歳は十七のはずだ。俺と同じだからな」
「なにっ! なんだと!」
「いくら幼く見えたって、そんなに驚くなよ。あいつ、傷つくぞ」
「ちが……、違う。お前の歳に驚いているんだ」
城山は紅波の歳に驚いていた。
確かに見た目では年齢不詳ではあるが、二十歳前後だろうと思っていた。
もしかしたら若く見えるが二十四の自分と同じくらいかもしれないとさえ考えていたのだ。
妙な落ち着きと世間を斜めに見ているようなふてぶてしさが老成してみせたのか。
予想しなかった若さに絶句した。
城山の驚きを気にした様子もなく紅波は用意された煙草盆にある火入れに雁首を寄せて煙草に火を付けた。
「まあ俺の歳は多分の年齢だから、はっきりと十七とは言えないがな」
「多分だと? どういうことだ?」
「ん? ああ、俺には昔の記憶が何も無いんだ。そんで拾われた時にさっきの友……章時と同じくらいだろうって、拾った和尚が十一にしとけって。それからはその歳で数えている」
ぷかりと煙を吐き出すと、部屋に満ちていた酒の匂いが甘い煙草の香りに包まれる。
何でもないように話した言葉に城山は理解がついていかなくて混乱していた。
「……拾われた? 記憶がない?」
もうその話題に答えるつもりがないのか、城山の呟いた言葉に何も返さずに、膝を崩し片膝を立てて煙草を吸い付けている。
こうやっているとさっきまで見えていた凛とした空気は全くなくなり、いつもの『暁の紅波』でしかなかった。
それからいくらも経たない内に高時が部屋へ顔を出した。
見たこともないほど上機嫌で、紅波と城山がさっと居ずまいを正そうとするのを押し止めて、自分も二人の近くにどかりと座り込んだ。
「今夜は過分なもてなしをしていただき一同感謝しております」
頭を下げた城山に鷹揚に笑いながら酒を勧める。
「あの火事の時には素早い消火に尽力してもらったお陰で京の町を焼き尽くさずに済んだ。あれだけの火を出しながら我が邸だけで済んだのだから、そなたらの働きの功績たるやさすがは京を守るつわものどもと感服した。今日は存分に飲んでもらいたい」
「は、ありがとうございます」
二人のやり取りを煙草をくゆらせながら見ていた紅波に高時が顔を向けた。
「今日からここに留まってくれるのか?」
「いや、金造には世話になったからちゃんと暇乞いをしてくる。それに女どもにも別れを告げてやらないと」
ニヤリと口の端だけを上げて笑う。
いかにも遊び人な風情が漂うのを見た高時の目が驚きに見開き、それから面白そうに笑った。
「く、くくく。あの割っても割れぬ岩のような堅物の子供だったのに、同じ男とは思えぬ変わりようだな。たかだか二年でこんなに人は変わるものなのか。これは驚かされた」
「はんっ、堅物の子供で悪かったな。それよりも一つ欲しいものがある。前に俺にも礼をしてくれると言っただろう?」
「ああ確かに言った。なんだ。何が欲しい?」
「俺が欲しいのは、城山隼人だ」
「――なに?」
城山と高時の声が被さった。
「この城山を龍堂の軍に入れたい。それも末席などと言わず重臣の一人としてだ。俺は以前と同じようにお前の側に付くわけにはいかないだろう。それでは周りへの示しがつかない。だからこの男を側近くに置いてくれ。そして城山の側近として俺を入れてくれないか」
「それは……」
しばし絶句してから高時が紅波に問いかけた。
「お前の事は心配ない。俺の側近として戻ってもらうつもりだ。それより城山の方は代々京の都と帝を護ってきた男だ。馬を乗り替えるのとはわけが違うぞ。そう易々(やすやす)と乗り替えられるものでもないだろう」
「いえ! 易々ではありませぬ」
城山が鋭く割って入り、威儀を正して両手をついて平伏した。
「どうか私を龍堂殿の配下にお加え下さいませ。私ごときが役に立つかは分かりませぬが、この城山、全てをなげうってでも龍堂殿に付き従いとう願っております。容易い決意ではございませぬ。家族もきっと咎を受ける、それも承知しております。それでもこの身を龍堂殿に使っていただきと願うばかりでございます」
しん、と静寂が落ちる。
向こうから宴席の笑い声や話し声が流れてくるが、それが更に部屋の静寂を煽るようだ。
平伏して頭を床につけている城山をじっと見下ろして沈黙していた高時が、少し体を揺らして膝元に置いてある杯を手にした。
「本気なのだな、城山隼人」
「はい。嘘偽りございません」
「そうか。ならばこの酒を飲め」
差し出された杯を両手で受け取ると、ゆっくりと重々しく満たされた酒を飲み干した。
見つめる高時の眼差しが緩んで笑う。
その瞬間、城山は満たされた。
あの圧倒的存在感を持つ若い龍が、ようやく自分を認めたことに満たされた。