表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/66

目覚め

 家を隆盛させ城山の名を上げる、その為には朝廷の犬と蔑まれようが野蛮だと貴族の冷たい目で見下されようが耐えられると思っていた。

 だが、高時の放つ光は眠っていた城山の野生を揺り起こした。


 男ならば己で掴める好機を逃したくはない。


 香弥の父を斬り捨てるあの武士の所行が、理不尽だと分かり切っているのに非難することも止めることも出来なかったあの時から、きっと自分を諦めていたのだ。

 己など卑屈に主人の顔色を窺いながら尻尾を振るだけの生しかないのだと。


 だが一度目を覚ましてしまうともう諦めを抱き続けて生きることは出来ないだろうと思う。

 様々なとがや苦しみが待っていたとしても。


 そこまで考えてふと思い出した。


「野間……義信」

 その人の名を呟いた。


 高時を裏切り妹姫を連れて出奔しゅっぽんした忠臣。


 あの男もきっと目覚めたのだろう。

 先には茨の道しかないことを承知で駆けだしたのだろう。

 そしてその後押しをしたのは、きっとこの男だ。

 死ぬつもりだった野間を逃がしたのはこの男だった。


 真っ直ぐに紅波の顔を見た。


 印象深い二重の目と柔らかそうな茶味かかった髪を持つ若い男。

 怠惰な風情で煙管を咥える姿しか知らなかったこの男のことももっと知りたいと思った。

 人の心の奥を知ったような助言をするのはなぜなのか。


 心の奥を見透かそうとして強く見つめた時、部屋の外から声が掛けられた。


「失礼します。酒のおかわりをお持ちしました」


 すらりと襖を開けて日置章時ひおきあきときが入って来た。

 酒の入った容れ物を城山の前に置き、それから紅波に向き直って頭を下げた。

「高時様から伺いました。これからここに、ここに……もどって……戻って来ると」

 切れ切れに言い淀んだと思ったら、突然両手で紅波の肩を掴んで叫んだ。


「馬鹿! 馬鹿! ばか! どれだけ、どれほど高時様を苦しめたと思ってるんだよ! 許さない、許さないよ私は! あの日全てを捨てていったお前を許さない! 絶対に許さない! だから――」

「済まない、友……」


 辛そうに眉根を寄せる紅波の顔を、今にも泣きそうな顔で見つめた章時は震える声で続けた。

「だから、これからは高時様の為に一生側にいるって、そう言わなければ私は許さない。もう二度と出て行くなんて許さないからな!」


 堪えきれなくなった大粒の涙が章時の目からぽろぽろとこぼれ落ちて二人の間の板の間に跡を付ける。

 間近に見つめ返す紅波の顔は驚いていた。


「おまえ……俺を許さないんじゃないのか? 何を言って……」

「そうだよ! 許さないのは、何も言わずに出て行った、あの日、あの時の朔夜だ! 戻って来てくれるお前は……本当に……本当に大切だ」

 言った瞬間に紅波の腕が伸びて章時の肩に手を置いて力強く握りしめた。章時は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに声を上げて泣き始めた。


 まるで子供のように泣きじゃくる章時と瞳を閉じて唇を噛み締めている紅波の二人を呆然と見ていた城山は、紅波がこの龍堂の中でもかなり大きな地位を占めていたのだろうと思えてきた。


 大体、主のことを呼び捨てにしている時点で、主家と同等または親戚の家柄だろう。

 そして側近のこの少年と親しいとなれば、おのずと紅波の出自がかなりのものであることが想像される。


 まだひっくひっくとしゃくり上げながら、それでも何とか息を整えた章時が頭を起こして幼く無邪気な笑顔を浮かべた。

「こうして触れてくれたのは初めてだね。嬉しかった。本当に嬉しいんだ」

「友……」

「そうやって呼ばれるのも好きだけど、私はもう元服して今は日置章時と名乗っているから、章時と呼んでくれる?」

「章時か。良い名だ」

「ありがとう。後で高時様もまたこちらに来られるとおっしゃっていたよ。それまで城山様もゆっくりしていて下さい」


 まだ涙の跡の残る頬に満面の笑みを浮かべて章時は部屋を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ