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高麗青磁


「お前が……お前がどう思っていようと、俺はもう我慢がならない!」

「俺は紅波だ。もう……戻れない」

「違う違う違う! 紅波など知ったことではない。お前は――」


 手にしていた刀をその場に投げ捨てると、おもむろに両手で紅波の青い着物を引き裂くかのように力任せに剥ぎ取って、勢いのままにぐるりと体を半回転させて背中を向けさせた。


 肩には月と鳥の形をした焼き印がくっきりと見て取れた。

 それは痛々しい痕のはずなのに、日焼けしていない白い肌にあまりにもくっきりと写し出されていて、倒錯的な美しさを醸し出していた。


 その肩の焼け跡を見つめながら嘆息して高時が言葉を続けた。


「……これは証しだ。これほど強く欲したものなどない。この火傷の痕が俺の思いの全てだった。お前を失う事を恐れ、俺の意に沿わぬお前にれた俺の思いがこれだ。これが俺の意地汚く醜い心の証しだ! 分かってくれ、もう逃げるな……。いや、逃がさない。目も逸らさない。俺はお前を取り戻したいのだ!」


 感に堪えられなくなったように紅波の肩の火傷の痕にぽとりと額を落として目を閉じた。

 茶室に焚きしめられた香とは違う甘い煙草の匂いが紅波の髪から漂うのがなぜか悲しかった。

 本当はもう「姶良朔夜」と言う男は消えてしまっているのではないかと、目を閉じているとそう思えてきた。

 だから目を開けて正面から向き合うのが怖くて、沈黙のままでじっとしていた。


 紅波の肩から僅かに力が抜けたのが宛てた額から伝わる。

 小さく息を吐いたのも分かる。

 父が死んだ時、孤独で小さな鼓動を刻んでいた朔夜を思い出す。


 きっと、変わっていないのだ。


 今も孤高に一人で鼓動を刻んでいるんだ。

 そう思った時、紅波が小さく聞いた。


「……俺が、あの茶を飲んでもいいのか? 本当に、いいのか?」


 驚いて顔を上げた高時を見ることなく、背中のままで問いかける。

「後悔するのはお前の方じゃないのか? 一度裏切った俺を信じられなくて苦しむのはお前じゃないのか? いいのか、それでも」

 高時は顔を横に振る。

 黙って横に振る。


 紅波は見てはいないが、きっと感じているはずだ。

 裏切りなどと思っていないこと。

 心底戻って来て欲しいと願っていること。

 それを分かってくれるはずだ。


 力の抜けた高時の両手に握られた着物を引き上げて肩の傷跡を隠してから、振り返って間近にある高時を強い意志の籠もった瞳でひたりと見つめた。


 変わらない強い瞳。

 初めて寺で見た時から惹かれていた獣の瞳が目の前にあった。


 追い詰められていた壁から離れると、最初に座っていた場所に膝をついて刀を鞘にしまい、それからちゃんと威儀を正して座ると、背筋を伸ばして礼をした。


「茶を、いただきます」


 すっかり冷え切ってしまった濃い緑の茶を、薄青の茶碗からゆっくりと丁寧に飲んだ。

 飲み干してから指先で飲み口を軽く拭い、膝の前に茶碗を置いたままで手をついて頭を深く下げた。


「この高麗の青磁茶碗、生涯貰い受ける所存しょぞんなれば、請うて許しを願う」

「……生涯?」

「俺のこの命果てるまで、その全てをお前にくれてやる。この命、お前の意のままに使えばいい」


 いつかの日に、聞けなかった言葉。


 手に入れる事の出来なかった言葉を、いま、与えてくれた紅波は、迷いを振り払った瞳と凛とした声と姿で高時の目の前に戻ってきたのだ。


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