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一服の茶


 ――朔夜が、いえ、暁の紅波が一緒に来ています。


 怯えたような顔で少し震えながら章時が水屋みずやで控えていた高時に告げに来た時、一瞬で高時の心は決まってしまった。


 どんな状況でここに来たのかは分からない。

 だがもう己の中にある心は決まってしまっていたのだ。それを今、再確認しただけのことだった。


(どんな事があろうと俺の元に戻れ、朔夜)


 今後盛一成もりかずなりと対峙するのにあの朔夜の力が欲しい。

 だがそんなことは些細なことでしかない。


 迷う時、そして傲慢になってしまう時、一番近くで導いて欲しいのだ。

 人と馴れ合わぬ獣の心で、人の本質を見抜く獣の瞳で、弱い自分を導いて欲しいのだ。


 龍堂の息子である自分に微塵たりとも媚びることのない子供は、常に死を隣に置きながらそれを欠片も怖がらぬ強い精神を持って自分の前に現れた。

 そして人を突き放しながら、そのくせ無条件に人を受け入れる。

 誰もが自分への損得や、時には手柄や失敗で人を選別してばかりだった。そんな中で育った高時はそつのないように心を砕いてきた。

 だが朔夜と出会って、強くあらねばとか鷹揚おうおうであるべきだとか、そんな偽りを必要としない本当の姿で受け入れてもらえる心地よさを知った。


 この邸に戻って来ているのに、もう離れて行くことなど許さない。

 俺は二年前にお前の求めるものを与えられなかった。

 お前を去らせたのは俺の不徳だった。

 もう後悔なら十二分にした。


 手にした茶碗を己の前に置いて静かに茶道口の襖を引いて頭を下げる。


 その先に心が探し続けていた一人の男がいるはずだ。

 震える指先を宥めながら口上を述べ終えてゆっくりと目を上げると、そこにいた男と視線が絡まる。

 姿はすっかり変わってしまっているが、瞳の奥から放つ強い視線は何も変わっていなかった。


 息が止まる程の衝撃が胸を打つ。


 叫びたい衝動を押さえながら、わざとゆっくり立ち上がりながら茶室へと入り台子の前に座る。

 手にした主茶碗おもちゃわん唐津からつの美しい彩りを施した繊細な茶碗。

 それを丁寧に清めて作法通りに茶を点てる。


「城山殿、お一人でどうぞ」

 正客の城山へと茶碗を差し出すと、ちゃんと作法を心得ている城山が丁寧な手つきで茶碗を膝元へと取り込み、礼をして一口啜る。

「お次の方にも差し上げます」

 紅波が茶室に入ったと聞いて急いで取り出して用意した茶碗を手に取り、充分に湧いた湯を注いで暖める。

 手に馴染むようなしっとりとした肌触りの美しい器。熱を伝えて手のひらが熱くなる。その熱さがまるで自分の中に眠っていた熱情を揺り動かして目覚めさせるかのようだった。


 二椀目の茶を点て終えて静かに差し出した茶碗に、ようやく目を落とした紅波が息を飲んだことに気がついた。


 美しい見事な青磁せいじの茶碗。


 龍堂家の家宝だと父が大切にしていた器だ。

 一面の透けるような青の中に茶の緑が綺麗に浮かぶ。


「どうぞ、茶碗を手に取られよ」


 紅波が躊躇している。

 促されてもまだ手を出しかねている。

 横から城山が「作法など気にせずに良いから飲め」と小声で勧めるのが聞こえた。


 作法を気にして戸惑っているのではないのは高時が一番良く分かっている。

 朔夜ならば前領主の父時則から仕込まれて茶は自分でもてなせる程に習熟している。

 戸惑いの原因はこの青磁の茶碗のせいだ。


 受けるか、受けないか。


 あれは何年前だろう。

 この家宝の茶碗を、俺のそばにずっといてくれるならば貰ってくれ、もしそうでないならばこの場で叩き割れ、と茶席で請うたことがあった。


 あの時、二人の間には穏やかな相互理解があったはずだった。

 それでも朔夜は静かに茶碗を高時に返して「暫くは留まる」と言った。

 あの日、その言葉を聞いて己の心に怯えた。


 それは醜い独占欲だった。


 貪欲に朔夜を求め、誰にも取られたくないと黒い欲望を抱く己に怯えた。


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