風に乱れる心
冷たい石を膝に感じながら紅波は去りゆく志岐の足音を聞いていた。
それは暗がりのなかで川のたてる音よりも小さいものだったが、耳の中にいつまでも残り、今すぐにでも追いかけて捕まえてしまいたくなる衝動を孕んだ小さな音だった。
戻る?
そんなこと出来るのか?
そんな都合の良いことが出来ていいはずがない。
それに内大臣が俺を捜している?
なぜだ?
行方不明の双子の弟?
何の話だ?
割れた言葉の欠片を集めることが出来ずにただ混乱してその場に膝を付いていた。
――志岐、もう一度俺に話してくれ。
懐かしい声と、乱暴でいながら暖かさを含む話し方。
全然変わっていない志岐を見て、ひどく心が掻き乱されていた。
高時といる時の自分はいつもピンと張り詰めて、それでいて時折、蕩けそうなほど近しく感じて、その感覚はいつも朔夜を酔わせていた。
志岐とは程良い距離があり、そのくせ何でも分かり合えるような空気をまとい、互いに心の内まで赦せる心地よさがあった。
その全てを失うのは一瞬だった。
ゆっくりと立ち上がると強く吹いた風に髪が揺れた。
きっと髪に結わえた紅の紐も揺れているだろう。
足掻いてみても、いいのだろうか。
志岐の出生の事も、内大臣の話も、そして高時の気持ちも。
今は何も理解出来ていない。
このまま「暁の紅波」で生きていくつもりだったのに、こうして志岐に揺さぶられて、もう体の奥から「姶良朔夜」が顔を覗かせている。
もう一度あの場所を得られるのならば、足掻いてもいいのだろうか。
突然、激しく胸が締め付けられて呼吸が苦しくなる。
意識さえ失いそうになるほどの締め付けが襲う。
嫌な汗が額に浮き喉が渇いて嫌なものが込み上げてくるようだ。
意識を強く持って大きく呼吸を繰り返した。
自分の気持ちを制御出来ないまま月明かりを全身に受けて、風に吹かれるまま紅波は立ち竦んでいた。