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責める月



「お前の母親はゆうと言う名だ。もともと時則公の邸にいた女だったのだが、ある日城外の道端で蹲っているのを壱松が見つけたのだ。時則公の邸で何度か見かけたことがあった壱松は夕に声を掛けた。壱松から逃げようとした夕だったがいくらも行かぬうちに倒れてしまってな、夕には傷や痣があちこちにあり……そして身ごもっていた」


 志岐が小さく息を飲んだ。


 頭領が手を離しても志岐はその場に縫いつけられたように身動きしなかった。


「己の事は何も話さぬ夕だったが、壱松は自分の家に夕を寝かせつけて、城内の噂を掻き集めた。どうやら夕は身ごもったことで嫉妬を買い、時則公の奥方やその取り巻きから執拗な嫌がらせにあっていたらしい。その頃ご長男は病弱で、次男の則之のりゆき様もやまいがちだった為、則之様の母君は少し焦っておられたようだ。その内に嫌がらせはどんどん過激になり、このままでは腹の子が殺されかねないと夕は決死の覚悟で城から逃げ出したそうだ。壱松はひどく迷ったそうだが、夕は二度と城へは戻りたくないと言うし、結局はその美しい娘に惚れたのだろう。己の家に置いておくことに決めたそうだ。裏切りだと充分に知っていながらな。そして生まれたのがお前だ、志岐。本来ならばお前は高時様と兄弟であるはずだった。だがこうして垂水の子として育った。夕は結局何も言わないまま産後のひだちが悪くすぐにはかなくなってしまった……。時則公が必死に夕の行方を捜していたが、壱松は隠し通すことに決めてな。ただ頭領のわしにだけ真実を話したが、その後一切夕の話はやつの口から出たことはない。お前の事も任務先で拾った子だと、そう皆に告げていた」


 だから兄弟である高時様を守って欲しい、あの人は時則公と変わらぬ希有の人だ、垂水の為にもしっかりと仕えてくれ。


 そう締めくくると疲れたように深い息を吐いた頭領は力なく目を閉じた。


 ――そんなことを聞かされて、俺にどうしろと言うのだ。


 志岐は心が乱れるのを押さえることが出来ずにただ荒れ狂う嵐の中で翻弄されながら頭領の静かな寝顔を愕然とした気持ちで見続けるしかなかった。

 そんな時に京の邸で火事が起きたとの急報を受けて、心の乱れたままに京へと駆けつけた。


 己に母がいたこと。

 父がいたこと。

 父が時則公であったこと。

 か弱い女が一人で逃げ出さざるを得ないほどの苦しみを与えられたこと。


 そして捨て子として育てられたこと。

 それが為に受けた屈辱の数々。


 京へと向かいながらぐるぐると思いは乱雑に頭の中を掻き乱した。


 高時に罪はない。


 だが同じ父を持ちながら、あの人は受け取れるもの全てを受け取りながら生きてきた。あの溌剌はつらつとした活気も綺麗に乗りこなす駿馬しゅんめも立派な邸も家臣も、全て時則に可愛がられて受け取ったもの。

 その陰で死ぬほどの苦しみを受けた一人の女がいたことも知らないままで。


 高時は悪くない。


 志岐自身も高時の事は慕っている。

 あれほどの器の男は、そうそういるものではないと分かっている。だが、どうしても今は直視できなかった。


 結局、京の邸で対面して、少し面変わりした高時を見た時に決心した。


 ――これ以上、この方の側にはいられない。と


 こんな自分を重用してくれている高時を慕ってはいる。義信に去られた今、自分が消えてしまえば少なからずこの主を傷つけてしまうだろう。

 分かってはいるが、それでも今は冷静になりたい。龍堂と聞くだけで今は心が乱れてしまう。


 このままでは息が出来ない。



「せめてお前を連れ戻すことが出来れば……それが俺の最後の奉公になるんじゃないかって。俺の我が儘だ。でもどうか聞き届けてくれ、朔夜」

「志岐……」


 日は完全に沈んで月が辺りを照らす。

 冬の凍てついた月はまるで昼かと見紛うほどに燦然と輝いているが、それがまるで己の決心を、それは間違っているんじゃないのか? と問い質して責めるようだ。


 志岐は両手で自分の腕を抱いた。


 話し終えて、自分の決意に震えるほど怯えていることを悟ったのだ。

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