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炎と紅の紐

 

 背は高時と同じほどに高く、長い髪は緩く項で結ばれていて、着崩した着物からは艶と退廃が入り交じって色香が匂い立つ。

 瞳は鋭さよりも冷たさを含んでいる。

 あの小柄できりりと峻険な雰囲気で人を寄せ付けない野獣のような朔夜とは似ても似つかない雰囲気だ。


 だが顔立ちは紛うことなく朔夜と同じ、人を魅了し決して忘れられない綺麗な顔立ちだった。


 ふっと紅波が微笑んで袖を掴んでいる章時の手をほどいた。

「俺は『暁の紅波』と呼ばれている。間違えるな。じゃあ、俺はこれで」

 背を向けた紅波を高時が引き留めた。

「待て、暁の紅波! お前の望みを言え。何でもしてやる」

 振り返らずに背中で聞いていた紅波が肩を揺らして笑い出した。

「ふっ……望みねえ。そんなもの俺には何もない」

「今すぐにでもなくていい。欲しいものがあればいつでも言え。礼をしたい」

「……礼? 俺は謀反人を逃がしたのに礼をしてもらえるのか?」


 肩越しに高時を見遣る紅波の目は細く笑っている。

 それでも高時はぐっと睨み付けながら良く通る声で告げた。


「ああ、そうだ。義信は謀反人ではない。俺を見限って出て行っただけだ。以前にもいたのだ。俺を見限って出て行った男が……。これは俺の至らなさが招く結果だ。俺の浅慮せんりょで義信を斬らずに済ませてくれた、その礼だ」


 紅波の目が細められた。

 少し痛みを我慢するように眉間を寄せてからゆっくり顔を戻して背中越しに告げた。


「野間義信は……本当はあそこで死ぬ気だったんだ。あの男は本当にお前を慕っている。あの堅物で律儀な義信が苦しんで苦しんで、死を覚悟の上で決めた事だ。それだけは分かってやれ。誰もお前を見限るなど……」


 ――誤解だ。


 最後は消え入るような呟きを漏らして首を緩く横に振る。

 ゆらゆらと項の赤い紐が揺れて目の奥に焼き付く。


「ならばっ! ……誤解ならば何故、何故俺の元を離れた! 教えろ!」


 歩き出した紅波の背中に向けて高時は詰問するような声を投げつけた。

 だが立ち止まりも振り返りもせず、何一つ言葉を残すこともなく、紅の紐を揺らしながらゆっくりと燃え落ちようとしている邸を後にした。


 煙の中へと消え去る背中を見つめたまま高時は思わずその場に膝を付く。

 すぐに章時が駆け寄り肩を支える。

 そんな高時に、城山が不審げに問いかけた。

「……何故なにゆえ、あの男を斬りませぬか。あれは京に巣くうウジ虫が如きクズです。駆除する良い機会であったのに」

 膝を付いたままで振り返った高時は、冷たく見下ろす城山を唸るような強い視線で睨み上げた。

 あまりにもの厳しい眼差しに気圧された城山が僅かに体を引く。

 立ち上がりながら肩に掛けられた城山の羽織を剥ぎ取りぐいと突き出した。


「城山。お前は真面目で勤勉な男だ。悪くない」


 突然何を言い出したのか分からずに眉間に皺を寄せる。

 立ち上がった高時から発する強い気が何なのか計り損ねてまた僅かに体を引く。


「悪くないが、今後あの男に手を出すな」

「は? 何故そのような事を?」

「さっきも言うたであろう。あれは俺を救った。礼をせねばならぬ」

「あのような輩と関わりになられぬ方が御身おんみの為でしょう。それに私は私の為すべき事をせねばなりませぬ。いくら龍堂殿の恩人とて斬らぬとは約定やくじょういたしかねます」


 高時は手を開いて突きだしていた城山の羽織から手を放すと、羽織は風に煽られてひらりと揺れて冷たい地面に落ちた。

 それを目で追う城山の様子をじっと見つめてから高時はそっと顔を逸らせた。

 強い瞳は閉じられて俯いた横顔は驚くほど頼りな気に見えて城山は息を飲み込んだ。


 強い光を辺りに撒き散らし、抗えぬ威圧を放ち、それでいながら若く凛々しい瑞々しさに溢れている自信家の龍堂高時の思わぬ一面に息を忘れて見入ってしまう。


「羽織の礼と手助けいただいた礼はいずれ落ち着いたらさせていただこう」


 目を閉じて俯いたままで城山へ告げて、そのまま焼け落ちて今はくすぶりになった邸の方へと歩き出した。

 慌てて章時が頭を下げてから小走りに高時の刀を抱いて追いかけて行ってしまった。


 ――何なのだ?


 二人を見送った城山は呆然としてしまった。


 龍堂高時とはいかなる人なのだ?


 今までは抗えぬ程の強さで城山をある意味惹きつけていた。

 だが、あの横顔の不安定さ、無防備さ。あのような姿を見せられては気にならないはずがない。

 今更ながらまざまざと高時が自分よりも年下で親も兄弟も失っている身であったことを思い返す。


 高時の乱れた黒髪も汚れた白い夜着もどれもが儚くみえる。

 きっと腹心の家臣の出奔に心が弱ってしまったのだろう。

 そう思うのだが心にわだかまりが残る。


 何がそれほど城山の心を乱しているのか全く分からないまま空を見上げた。


 月のない夜に燻る邸の白と黒の煙が水に墨を流したようにたゆたいながら広がっていた。



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